Ventus  191










蔦と苔が石を食っている。
時間が人の彫った細部に侵食していく。
人の時間だけが取り残されていた。
荘厳だった建造物の柱だけが横に寝そべり、久方ぶりの創造主を迎え入れた。

「これが、ノド神殿」
「かつては美しい神殿だったそうです。残骸を再構築して崩壊前を再現した画像があります」
神殿崩落には内部崩壊形と外部破壊型の主に二種がある。
内部崩壊型はおよそ千五百年前に魔の波に飲まれたものだった。
外部破壊型は千五百年以降に神徒と魔とを恐れた人の手により破壊されたものだ。
神殿の形状もかろうじて現存している。
ここは研究者からはありがたい内部崩壊形の神殿だった。
石畳ひとつにしても、花が大きく花開く彫刻が施されている。
几帳面な神徒の性質が現れていた。
内に篭り、神に仕えることと同時に誠実な心と集中力で作り上げた芸術だった。

階段を上れば、石の通路は回廊へと繋がった。
剥がれながらも辛うじて地面に喰い付いた石畳は、神殿の入口から建物を回り込むように繋がっている。
クレイは何気なく眺めて、足を止めた。

「面白いタイルだ」
色あせない鮮やかな青で描かれたタイル、一つの大きさはクレイの顔ほどもある。
青い模様を追ってみれば、一枚目から二枚目、その奥へと絵柄が連なっている。
クレイは腰の鞄から端末を取り出して映像を記録し始めた。
ちょうどこの任務に入る直前に端末の操作方法について再指導を受けたばかりだった。
携帯不携帯を叱られたこともある。

綺麗な青だ。
太陽の眩しい国の、海の色だ。
クレイは端末を閉じて、地面に屈みこむ。
手を下に伸ばしてタイルに直に触れてみた。
どこかで見たような色だった。
頭の中でちりちりと、記憶の底にある末端と末端が擦れ合って火花を上げる。
ここでゆっくりと考え込んでいる時間は持ち合わせていない。
立ち上がろうと指をタイルの青い模様から浮かせた瞬間、ふっと鼻先に香りが掠めた。
花の香りか。
懐かしい香りだ。
ここにはあまりに不釣り合いな。

「クレイ・カーティナー!」
リヴの張りのある声に続き、咆哮が一つ、続いて地面が波打った。
顔を上げたときには、巨体の獣(ビースト)の傍らに垂らした手に短剣を握ったリヴがクレイを見ていた。
そこに格闘の痕跡はない。
一瞬で獣(ビースト)の息の根を止めた。
どうやったのかと問う暇も与えず、リヴは短剣の血を拭い鞘に収めた。

「ここは不安定です。状況が収まり次第、調査員を派遣して情報収集します。任務に戻りましょう」
「青の」
「あのタイルが何か」
「色」
「染料、ですか。調査対象に入れておきます」
クレイ・カーティナーが積極的に情報収集に当たるのは珍しいことだ。
彼女の感覚器に何が反応したのか、気になりはしたがクレイは口を噤んでしまった。
彼女の口を溶かしているうちに獣(ビースト)がやってくるとも知れない。
先を急いで石門の中に入った。
完全に崩壊して屋根が抜け、代わりに緑の天井が覆いかぶさっている。
緑を透かして落ちる陽が朽ちた床に波のような模様を描いた。

「階下だ。階段はないか」
「下? 神門(ゲート)が、ですか」
隅々まで見通せるほど狭くはない神殿跡だ。
まずは地上階から調査をと思った。

「石の交換といったが、詳細な地図はないのか。以前来たのだろう」
「何年も前の話です。それも荒れに荒れたこの遺跡に突入し、ようやっと石をねじ込んだようなもの」
千五百年前に大崩壊して、神門(ゲート)はことごとく壊滅した。
黒の王たる神王が封じられ、世界は安定期に入る。
再度、神門(ゲート)の封が緩み始めたのはここ数十年のことだ。
もともと崩壊して神門(ゲート)の機能を失ったこの地は、堰のなくなった川のようなもの。
濁流は川筋を通った。
かつて魔と呼ばれた獣(ビースト)たちは、この抜け穴を見つけ出し出没を始める。
その頃、討伐隊と鎮圧部隊が結成された。
彩(ツァイ)とリヴが出会う前の話だった。
彩が構想を描いていたディグダ変革組織、CRD(カルド)ですら形があったか知れない。
魔石を配し、神門(ゲート)を包囲し、一気に突入した。
大きな犠牲を払い、ようやく封魔の魔石が神門(ゲート)に嵌められた。
当時、人間が技能と英知でもって造りうる最高の力を孕んだ魔石だった。
以後、ここは彩に発見されるまで封印されてきた。

この土は、多くのディグダ兵の血を吸っている。
リヴとクレイはその上に立っている。
魔石の力も永遠ではない。
力を結集して人が生成した宝玉であっても、その力は何年とも持たなかった。
脆いものだと痛感する。
だが、人の手ではこうして力を接いでやっとのことで食い止めるしか方法がなかった。
もし、今以上に魔の力が強くなれば、魔石では抑えが効かなくなったら。
彩が危惧しているのはその点だった。
そのときは、いつか近いうちに必ず訪れる。

ゆえに、彩は神門(ゲート)の再動に注視している。
人の手ではない、神門(ゲート)本来の力の復活だ。
原理さえ分かれば、人が手を添えられるかもしれない。

「あそこだ」
いつ崩れてもおかしくない脆い壁の陰に階段が窪んでいた。

「降りるのか」
「神門(ゲート)はあの下に、おそらく」
吹きさらしの廃墟だ。
雨水が溜まっているだろう。
それだけでない、動物に昆虫、何が潜んでいるかもしれない地下層を歩きまわる。
気が滅入りそうになるが、そのためにここに来たのだ。

「行くか」
クレイが勇ましく先陣を切った。
リヴが声をかける前に短剣を抜く。
そこは獣(ビースト)の源泉だ。
今も体を震わせて獣(ビースト)が穴に体をねじ込んでいるだろう。

「ローズワース、記録を」
「問題ありません」
侵入路、神殿入口を基点にすでにマップが形成されている。
階段を下りれば中が開けた。
天井は想像以上に高く、標準身長を上回るリヴが両手を伸ばしても指先は天井に届かない。
石畳は緻密に詰められていた。
美しく整形された長方形の石を床から壁、天井へと隙間なく敷き詰められている。
年数を経ても脆さが見えない。
堅牢な地下神殿だった。
かつて獣(ビースト)の猛攻を受けた傷跡は見受けられない。
階上だけが崩壊している。
地下こそが大崩壊しているものと思っていただけに、違和感に足が止まった。
荒い息遣いが反響している。
二方向、少なくとも二体は神殿内を徘徊しているということだ。
クレイの投げた視線の方向でリヴも察知していた。
真正面は壁だった。
よく見れば彫刻が施されてある。
竜の図だった。
蔦や花といった自然物の装飾の上で堂々たる風格でこちらを見据える。
竜といえば、火を吐き咆哮に猛り、地を踏み鳴らす動のイメージだったが、ここにある竜は口を引き結び気品すらあった。
聡明な眼が美しく彫り抜かれていた。

壁に向かい左右に割れた回廊。
簡素な通路ではなく、柱が彫られ、派手さはないながらも微細な彫刻に手をかけられていた。
クレイは左に折れる。
咆哮の反響は右からの方が強かったからだ。
通路には枝葉のように部屋が連なっていた。
居住の間というより、執務を行った部屋のようだった。
寝台などは転がっておらず、壊れた木の机が部屋の端に転がっていた。
その隅に白い瓦礫が積まれていた。
白色タイルの残骸か崩れた石膏、漆喰の壁か、それにしては形が歪だった。
中に踏み入り、瓦礫を近くで調べた。

「骨?」
「人のものではないようです」
頭蓋骨の破片が人間のように丸みを帯びておらず、鼻先にかけて流線型をしていた。

「骨って砂に還るのか」
骨の下には塩を撒いたように、白い砂が敷き詰められていた。
リヴの答えはなかった。
白骨死骸の腐食経過について、彼女は直接に学んだことがなかった。

「外の光を見ることができず力尽きた獣(ビースト)、でしょうか。だとしたら他にもいるはず。ですが、空気の汚濁はない」
リヴは顎を引いて黙り込んだ。

「死んだ獣(ビースト)は融けて骨の砂になる、だと」
「土が分解するという話なら分かります。ですがこの部屋には土壌らしきものが見当たらない」
クレイが警戒していた虫すらほとんど存在していない。

「白い骨の砂を採取した方がいいか」
「そのままにしておきます」
細菌分解による粉化で説明をつけるには、リヴの脳が納得していない。
リヴは部屋から出て、灯りを回廊の前方に向ける。
やはり隅から隅を光で撫でていても獣(ビースト)が一体たりと転がってはいない。

壁に描かれる彫刻は躍動感に溢れていた。
水に浮かぶ女の図だ。
泉の中で行水をしているのだろうか。
水が心地よいとばかりに胸を開いて背を反らし、目を細めている。

回廊は右に曲がり、分岐していた右側の道と合流した。
歩いてきた左側の道、奥から繋がってきた右側の道、さらに神殿の奥に繋がる三つ目の道の分岐点にも壁に描かれていた。

「モチーフは木か」
枝葉、幹、それらが欠陥のようにうねり連なり、女体と同化している。
恍惚と陶酔とに目を伏せている様が実に美しい。

「神徒らの神の偶像」
「カーティナーこれは、壁ではありません。ここに、隙間が」
広間の中央に置かれた巨大な箱。
それの左伝いに歩いてきたわけだ。
箱の蓋に描かれた木の女神、その奥にリヴが灯りを差し入れた。

「中には、彫像です。おそらく、はっきりとは見えませんが女神像のような」
リヴから灯りを受け取りクレイも中を覗き見た。
布を体に絡めた女神像のように見える。

「ここは保留。先に進もう」
灯りはリヴに返した。
扉を迂闊に動かして遺跡を破壊でもしたら取り返しがつかない。
相変わらず唸りが響き渡っている。
迷路のように入り組んだ、という作りではなく幹から枝が伸びるように、細い通路が左右に作られている。

「カーティナー、灯りを落とし左の通路へ」
リヴがクレイの右肩を突いた。
前方から爪の爆ぜる音がする。
四肢が石を蹴る音だ。
クレイが灯りを消すと周囲は闇に埋もれた。
ヘッドセットを引き出して、スコープに切り替える。
通路の角からリヴを伺うと、彼女は壁に張り付くように息を殺し、すでにナイフを抜いていた。
匂い、音、それらでこちらの存在はすでに知られている。
だが闇の中ではスコープという道具を得た人間に分がある。
リヴは頭を振る獣(ビースト)へ、的確に急所を突いて動きを奪っていった。
血の匂いが充満する。

「行きましょう」
それが終了の合図だ。
溜息ひとつで息も切らせていない。
恐ろしい女だと思いながら、クレイは通路から出てリヴに並んだ。
直線通路、最奥に開きかけた扉がある。
見定めて先にリヴが走り出した。
クレイも追う。
装飾を施された扉の向こう側には、打ち砕かれた柱が立っていた。
木の幹を数えるように、土台を見るに六本。
うち直立を留めているものは二本。
注視すべきはその中央だった。
黒く縦に裂けた割れ目から今、この瞬間、魔が生れ落ちようとしている。
突き出て苦悶に歪む顔からは涎と呻きが垂れる。
前足はこちらの世界で空気を掻き毟る。
おぞましい光景だった。
こうして魔が生まれる。
獣(ビースト)は現れる。
クレイの喉が引き攣った。
リヴの顔も歪んでいる。

あれが神門(ゲート)だ。
神門(ゲート)のなれの果てだ。
神は消えた。
神は消し飛んだ。
魔を人が止めるだと?
不可能だ。
あんなおぞましいものを、止められるはずもない。

「神はどこへいった」
クレイが剣を抜いた。

「人間が殺したのか」
剣がクレイの胸元で構えられた。

「どうすれば神は戻る」
踏み切ったクレイが短剣を振りかざし、切っ先を蠢く獣(ビースト)に突き入れた。

「リヴ! ローズワース! 石を」
剣の下で魔が暴れまわる。
爪がクレイの腕に食いつく。
驚愕の顔でクレイを止めることもできず呆然と見上げていたリヴが、我に返り石を取り出した。
六柱に打ち込まれた、前封印の痕を新しい魔石に打ち換える。

一つ、二つ、三つと打ち換えていくにつれ、クレイの腕に掛かっていた獣(ビースト)の力も弱まっていく。
クレイは動きを失った獣(ビースト)の頭から短剣を抜くと、獣(ビースト)の顔を蹴りつけ、裂け目に押し込んだ。
泥水に沈んでいくように、目の色を失った瀕死の獣(ビースト)は闇に埋もれていく。
やがて裂け目は獣(ビースト)の腕から爪の先まで呑みこんだ。
六つ目の石が打ち込まれたとき、裂け目は縫い合わされたように綺麗に塞がった。

「終わったか」
「あなたは、本当に負傷が絶えませんね」
「見た目ほど深くはない」
「帰りましょう。もうここには」
「珍しいな、リヴ・ローズワースが弱音を吐くなど」
「頭痛がするのです」
「ローズワースも人の子というわけか」
「あなたも即、腕を診察して、ウィルスの媒介が」
「分かっている。何よりローズワースがまず安静にすべきだ」
「ええ。自分でも不思議なほど大混乱です」
「結構だ。まずは帰還し、風呂に入ろう」
小走りに二人は駆け出した。
先ほどリヴが打ち倒した獣(ビースト)を飛び越える。
着地した靴底から、砂粒を踏み潰した感触が伝わった。












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