Ventus  172










闇か。
夜か。
クレイは漆黒の中で目を開いた。
彼女の黒髪も融けてしまう。
アームブレードごと彼女の手を呑み込んだ。
その黒の鏡面は黒曜石のように滑らかだった。
闇が裂けて二つの生白い割れ目が開いた。

眼だ。
二つの眼がクレイを見据える。
虹彩が揺れていた。

これは、この場所は、知っている。
黒いガラスの世界。
クレイが幼かったクレイを閉じ込めていた場所。
記憶も感覚もたった一人しかいなかった友人も、すべてを閉じ込めて硬く閉ざしていた暗い世界。

「もうここには、戻ってくることがないと思っていた」
闇はクレイの拳から肘に向かって喰っていく。
抵抗し、引き抜こうとすれば激痛と腕が抜けそうな重みが加わる。

「私は私の過去の扉を開いた。棄てて封じた過去は私の中に戻った」
闇の中にいた小さなクレイはクレイ・カーティナーに溶けた。

「なのに私はまた、戻ろうというのか」
肘を呑み込んだ闇に向かって叫んだ。

「お前は」
闇に浮かぶ眼はクレイを射る。

「私を、またあの闇に引き込もうというのか」
胸がざわついた。
焼けるような熱さが広がっていく。
クレイはこの感覚を知っていた。
焦がれる。
痺れるように痛む感覚が体の隅に向かって伸びていく。

「そこに、セラがいると?」
闇は舐めるようにゆっくりとクレイを喰っていく。

「セラのいるその場所に、私が私を封じてしまえと?」
セラの記憶とともに。
痛みのない世界だ。
変わらないでほしい、そう願い続けた世界だ。
暖かく優しい世界だ。

「セラは空気になった。その魂は溶けて風になった」
散らばってしまった魂はもう同じ形には戻らない。

「私がここに還りセラの魂と永遠に?」
セラとともに在り続ける。
もうセラを二度と離すことなく、失うこともない。

「ずっと側に。私が願ったこと」
このまま進み、体が融け、セラはクレイの中に入っていく。
セラと一緒になる。
すばらしいことじゃないか。
ずっと願い続けたことじゃないか。
覚めない夢の中で、苦しみから逃げ続けた夢の中で、夢見たことじゃないか。
いっそ命が消えてしまえばいいと。
それでセラに近づくことができるなら、そうなればいいと。
彼女のいない世界など、意味がないのだと。

「でも。それは、セラの願いじゃないんだ」
クレイは背中を反らせた。

「だから、どれほど魅力的な世界でも、甘美な誘いでも、私はそちらにはいけない。まだ、死ねない」
腕を後ろへ引いた。
無数の痛みが肌を引っかいた。
肘が闇から姿を現した。
赤い筋が上腕に伝う。
肘から雫が落ちた。

「セラが生きろと願うなら、私は生きる。セラの最後の望みなら、私はその祈りを抱えて生きよう」
黒の鏡面が波打った。

「お前は何者だ。セラが言っていた、魔というものか。ここはどこだ。あの、地下施設と違う」
闇の中の眼が、一際大きく見開かれる。
驚愕の中に揺れる。

ここは、こちらとあちらの狭間。

囁くような静かな声が眼とクレイとの対峙に割って入った。
目の前で揺れ動く二つの眼は闇の奥へと引き摺り込まれていく。

「何だ」

ヒトよ。
お前からはひどく懐かしい香りがする。

「誰だ」

香りに引かれ、散らばった流れが、私を形作っていく。

「どこにいる」

ヒトよ。
お前の周りに。
お前が纏う、微かな残り香。

「香り? 何が言いたい」
クレイは腕を引き抜く。
アームブレードが半分闇から抜けた。
腕は茨を巻きつけたかのように細かな傷で血塗れている。

触れたのか。
よもや。

「お前は、魔というものか」

ここは我らが預かりし門。

「まさか。何を、言っている」

穢されたこの地を去るがいい。

ついにクレイはアームブレードの剣先を引き抜いた。
勢いのまま、後ろに倒れていく。
背中から落下する体。
仰向けに倒れ行く最中、鏡面を取り囲む白い石の柱を彼女は見た。

白い門。
これが、神門(ゲート)。

床に接触する前に、仲間が二人クレイの落下地点に回りこんだ。

「怪我は!」
「え」
「腕だよ!」
「ああ、大丈夫。大事はない。それよりあれは」
クレイは神門(ゲート)を見上げた。

「獣(ビースト)は、消えた」
「消える?」
「あの切れ目に飲まれていった」
クレイは同僚が顎で示した神門(ゲート)に目を細めた。

「どこに切れ目が」
「それも消えた。カーティナーが落ちてくる直前に塞がった」
クレイの頭上で話していた二人はクレイの脇に手を回し立ち上がらせた。

「何だ。どうなってる」
茫然と機械に埋もれた神門(ゲート)を見上げた。
そこには闇も、黒の鏡面もどこにもない。
コードが絡み合った向う側が見えるだけだ。

「撤収の指示が出ているわ。生存者の救助、閉鎖区画の開錠と確認作業が進行中」
「もう来たのか」
クレイは隊長へと向き直り、目が合って思わず出た不遜な声を恥じた。
隊長も周りも、それについては咎めなかった。

「私たちが清掃した区画から順に救助に当たっているよ」
「別働隊も到着。こちらに向かっているわ」
「救助に、ですか?」
クレイの問いかけに隊長は首を振った。

「ここを、封鎖するために」
「撤収します。昇降機の方へ」
隊長が先んじて踵を返した。
クレイも背中を押され、痛む右腕を垂らして背を追った。

箱がクレイと隊長を乗せ、沈黙を上へと運ぶ。
小さく体を揺らして箱が止まった。
二重の扉が開き、待機組が安堵の表情を見せた。

「ご苦労様。心配を掛けたわね。撤収します」
六名が一個集団となって廊下を抜ける。

「何か見えたかしら」
隊長より半歩後ろを歩いていたクレイに、顔は前を向いたまま言葉を投げた。

「まだ、よくは。整理しきれていなくて」
「今は、取り込んだ情報が多すぎて混乱しているだけ。焦ることはないわ」
廊下の向こうからディグダの軍服を纏った一団がこちらに向かってくる。

「ご到着、ね」
隊長が左に寄り、立ち止まって敬礼した。

「朱連第四部隊、館内討伐完了しました」
相手も隊長の前で行軍を止める。
同じく敬礼し、名乗り出た。

「朱連第二部隊、特命により地下区域封鎖に参ります」
厳しい顔立ちが、語尾でふと目尻が緩んだ。

「お気をつけて」
「そちらもね」
隊長の声に、向こうも応じた。
交差する二部隊、彼らの足音が遠退いたとき隊長が口を開いた。

「結界石って聞いたことはあるかしら。南方、ソルジスや離島にもそれらしいものはあるらしいの」
「何を」
「獣(ビースト)を封じる石なのですって。獣(ビースト)が苦手とする磁力か匂いか何かが出ているのか、それは知らないけれど」
「それを先ほどの第二部隊が持っている、と」
「救助部隊も順調のようね」
担架を持ち出して室内から怪我人を搬送している。

「手は足りている?」
「問題ない」
朱連の第何部隊に当たるのかはクレイは分からないまま、先を行く隊長からはぐれまいとその影を追った。

「さて、早く帰って風呂に入って、一眠りしたらレポートか」
クレイの後ろで疲れた溜息を出した先輩へ、耳が傾いた。

「移動時間中にやりなさいな。生々しくて忘れていない分、きちんとした報告書が書けるわ」
「やっぱり、そうなるか」
「疲れたって言って、一番最初に輸送車の中で寝るんだから」
「ここが踏ん張りどころか」
「新人もちゃんと纏めておきなさい」












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