Ventus  162










部屋ごと箱に詰めて持ち帰れたらいいのに。
あの子がそこにいた空気。
あの子がいたままの空間。
あの子が触れたものたち。
それらすべてを、形を崩すことなくそのままにしておきたい。
叶わぬ願いを願い続けたい。

「一日で終わるとは思わなかったわ。意外と、物って少ないのね」
「セラは、気に入った物を大切に使っていた。それにここは私たちにとって一時的なところだから」
学生生活が終われば住処も変わる。
セラの部屋はクレイとは違い、空気が和やかだった。
セラの性格が部屋の壁に染み込んだようだった。
セラの部屋の物を一つ一つ手に取りながら気付く。
色彩だ。
セラの空気を感じたのは、彼女が好んだ色や模様、枕やシーツといった物もセラに染まっている。
触れればセラを感じられる。
愛おしいと思う。
震える指先を拳に握りこんで、畳んだシーツをそっと箱の底に沈めた。
次の物に触れようと伸ばす腕が重い。

部屋にあった本のほとんどが図書館からの借りものだった。
それはクレイが引き取り、返却することをセラの母に約束した。
表紙を捲れば、灰色館のものもある。
ヒオウはセラのことを耳にしているだろうか。
胸が引っ掻かれたように痛んだ。

クレイの手の中に、セラの物を残すつもりはなかった。
物に引き寄せられるセラへの想いが、傷を膿ませるからだった。
そのクレイのところに残ったものがあった。
これは?
セラの母が手にしたものは、小さな円盤だった。
ミュージックカードやデータが主流の今、消えかかっている音楽媒体だ。
クレイは隣に置いてあったディスクとほぼ変わらない薄さのプレイヤーにディスクを重ねて指を翳した。
淡い光の中に手のひらほどの小さな人型が浮かび上がる。
小さなステージの上で歌姫は前奏が始まるとゆっくりと両腕を広げた。
ジェイ・スティン。
私とセラの友人です、言葉がクレイの喉から毀れた。
彼女の澄んだ歌声が鼓膜に滑り込み、感覚を溶かしていく。
拭うことを忘れるほど自然に目頭から流れた涙が机に深い色を落とす。

あらゆる事象の結節点にセラがいた。
クレイと言う点を他人の点と結び付けた糸がセラだった。

オルゴールみたいね。
円盤に浮かび上がる小さなジェイ・スティン。
セラが解読に執着したディグダの古い言葉だ。
確か、恋人に向けての切ない愛の歌だったか。

これはあなたが手許に置くべきものね。
クレイの肩に手を置いて、ジェイ・スティンの歌が終わるのを二人で黙って聞いていた。

セラの母親が開いた箱の口をテープで封印し、住所を書き入れる。

「私はセラによって生み出された。セラによって生かされていた」
「あの子があなたを本当に大切に思っていたのは、あなたたちの周りの人からたくさん聞いたわ。あなたもまたあの子のことを大切に思っていてくれたことも」
あえて訊かずとも、二人の周りの人間が話してくれた。

「あの子に何かを変える力があったとするならば、私はそれを誇りに思う」
最後の一つを梱包し終えてから、セラの母はゆっくりと腰を持ち上げた。
服の内側を探り、何かを握りこんだ手をクレイの前に突き出した。

「最初はどうしようか迷ったの。でも、決めたわ」
手を出して。
彼女の言葉に引き寄せられるようにクレイの空っぽの手が前に伸びた。
手のひらに堅い感触が落ちる。
クレイは手のひらで受け止めて、目の前に持ち上げた。
親指ほどの陶器の小瓶だった。

「それはセラよ」
言葉を聞いてクレイの顔が固まった。
両手で抱き寄せるように小瓶を包み込む。

「セラ」
動悸が激しく打っている。
肩が大きく上下していた。
このまま膝から崩れそうだった。

「セラの骨。あなたの傍に預けようかと思ったの」
セラの墓をこの地に。

「ディグダクトルの土になれとそう思っているのではないの。あなたがいる場所で、あなたの傍に置いておきたい」

「いいのか」
「私はクレイ・カーティナーに会いたかった。あの子が大切にしていた友人を」
友人、その言葉では収まりきらない深い深い絆がそこにはあった。

「セラを見て、あなたを見て思ったわ。あなたはセラの一部。セラもあなたの一部だったって。別つことなどできないのだって」
セラの母は両手で顔を覆った。
少女のように声を小さく上げて泣いていた。

「なんて惨い。こんなこと、許されてはならない。こんなに哀しい人がたくさん、あってはならない」
クレイは震えているセラの母の肩に手を乗せた。

「私はセラとともに生きる。今は、私は無力であなたに何も約束できない。セラにも何も誓えない」
「誓いなんていらないわ。セラのことを忘れないでいてくれたら」
「忘れない。私が生きる道、そのすべてはセラがともにある。セラのいる場所が、私の帰る場所だったから」
「私がここですべきことは終わったわ」
セラの母は空になった部屋を振り返った。
夕暮れの朱に染まった枝が揺れている。
セラの背中と重なった。

窓の縁に腕を乗せて、顔を傾ける。
夕食までまだ少し時間がある。
クレイはまだ訓練棟から帰ってこない。
揺れる赤はファリアに似ている。
故郷の葉は海の音のようだった。
四方から打ち寄せる波のようだった。

視線を机の上に戻すと、積みあがった本。
ヒオウに返さなくては。
クレイと顔を合わせて読んだら、意外にもクレイが興味を持っていた古文の本だ。
ジェイ・スティンの歌を紐解く古い本。
古いにおいがする、とクレイが顔を寄せていた本。
ところで、どこまで謎は解けたんだ?
全部分かると宝でもみつかるのか?
ベッドの上でクレイが寝転がりながら、体を捻って窓辺のセラに笑いかけた。

あなたを包む、あなたを導く、風になろう。
温かいセラの声が部屋の中に浮いては沈む。

大切なひとを想う、愛の歌ね。



   そしてクレイはわたしの一部になった

朱の部屋が、白くなる。
セラ。
風の音が埋めるその場所でクレイは琥珀の髪を見た。
セラも、私の一部だ。

   目を開けて、わたしを見て

愛しい。
柔らかい、セラの声だ。

   罪の意識はクレイの中で膿み続けて消えることないわ
   それが死の重み、生の深さだから。

ああ。
許しなど請わない。
セラの死は、生は私が受ける。

   わたしはクレイの側にいるの
   ずっと一緒にいるわ
   約束

約束、守れなかった。
私は、セラも約束も守りたかった。
でも、手が届かないんだ。
あと少しだった、なのに。

   人間は壊れやすい
   絆はとても脆いもの

   だからこそ愛しい
   だからこそ手の中で大切にするの

失う恐怖を抱きながら

現実になろうなんて。

   でも生きるってそういうことでしょう?

なあ、神さま。
なぜセラを殺した。

どうしてセラでなくてはならなかったんだ。。
答えてくれ。
教えてくれ。

悲しみで人が死ねるというのなら。
今、私を殺せ。

私を。

   わたしはクレイの側にいる
   わたしが守るわ

頭が焼けそうだ。
なのに寒い。
ここはなんて寒い。
そして、眩しい。


「セラが守りたかった世界を、私も守りたい」
彼女が祈った平和は両手を広げたくらいの小さな世界。
セラの祈りを、クレイが継ぐ。

セラの母を促して、外に出た。
美しい庭。
人の手によって築かれた人のための楽園。
何も知らない、無垢な平和。

滑らかに整えられた土の道をゆっくりと外に向かって歩いていく。
狂気に引き攣る頬も。
人を殺める瞬間歪む醜い顔も。
ぎらぎらと瞠り光る大きな目も。
どこにもない場所。
死を感じるにはあまりに遠い場所だった。

クレイの端末が彼女を呼び出した。

「どうぞ」
出て構わないと、応対を薦めたセラの母の背中越しに、駆け込んで減速したカイン・ゲルフが視界に入った。
どうしてカインがここに。
セラの母に挨拶し、来たというので追いかけてきたと説明しているのを片耳でクレイは聞いた。

「呼び出しだ」
「セラの母さんは俺が送る」
「頼む」
クレイはセラの母に別れを告げると背を向けて歩き出した。

「クレイが誰かにものを頼むなんてしないんです」
クレイの背を見送ったセラの母にカインが漏らした。

「目覚めれば地獄が始まる」
セラの母に並んでカインがゆっくりと歩を進めた。

「苦しみと後悔の繰り返しです」
それでも、とカインは苦しげな声を押し潰して押し出した。

「そうなると分かっていながら、それでもクレイを失いたくなくて。消えたかった命を揺り起こした」
クレイはそれに応じた。
カインのためではなく。

「セラを消してしまわないために」
それが、クレイ・カーティナー。

「セラのためにもう一度生きることを選んだんです。あなたが来てくれてよかった」
「ありがとう。私も、来てよかった」
泣きながら微笑む顔は、セラに似ていた。


   クレイは特別なんかじゃなかった
   わたしたちと、いっしょだった
   もっと繊細で、もっと脆い

   絶対防御の氷壁はね
   誰も特別にならないようにするための砦だったの

   誰も傷つけたくない、失いたくない
   そしてクレイ自身も傷を負いたくない
   心を守る術だった

   でもね
   ひとが誰にも関わらずに
   ひとりで生きていくことなんてできるかしら

セラ。
セラは正しい。
セラだけがクレイの本質を見ていた。
だから氷壁に手を突っ込んで、姫君を引きずり出すことができたんだ。
そしてセラは、クレイの特別になってしまった。
クレイが恐れていたことになってしまった。


   側にいてあげたい
   寂しくないように
   もう、寂しい思いなんてさせないように

   守ってあげたい
   クレイを傷つけるものから

届かない、願い。

   永遠にひとりきりなんて
   哀しすぎるでしょう

   クレイの側にいてあげて
   わたしは、戦場ではクレイの近くにいられないから

ああ、守るよ。

   さて
   わたし、そろそろ行かなくちゃ

記憶の中のセラの言葉が溢れかえり、母の顔に重なる。

   じゃあ、レヴィくんによろしくね

陽光の中のセラの微笑みが斜陽に溶ける。
サンルームを抜ける、軽やかな足音が聞こえる。
あの日、あのとき。


「ありがとう」
カインの言葉に頷いて、セラの母はカインから離れた。

「ファリアへ、帰ります」
さようなら。
いつか誓える何かを携えて、セラの母に会いに行こうと思う。
でも今は、少しだけさようなら。












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