Ventus  163










腕だけだけでなく、体全部が鉄球でも絡み付けたかのように重い。
朝起きた時から緊張感は封を切り、夜はただ目を閉じるためにある。
視界を封じれば静かな睡魔が重く覆いかぶさった。
またけたたましい鐘に叩き起こされる朝がくる。
泥々と深い眠りに夢も見ない。
学生時代に受けた強化合宿よりも体を削っている。

飛び交う怒号に罵倒。
そこに人としての扱いはなかった。
人権など鼻先で笑い飛ばされる。
教官が絶対だった。
挫けるような脆弱な精神は不要だという事だろう。
求められるのは強靭な精神と瞬時の判断力、それに洞察力、適応力、何よりも忍耐力が必須だった。

訓練期間の三ヶ月は二期制になっており、一期の体力訓練過程では敬礼と行進から始まり、跳躍や壁昇り、綱渡などを消化していった。
最初の数日間は吐いてでもいいから腹に入れろと言われた食事は、やはり嚥下するのに辛かった。
食事の味など分からない、ただの固形物だった。
それでも限られた時間の中、口に投げ込み噛み砕いて腹に収めた。
これも訓練だと脳内で繰り返していた言葉そのまま、彼らの食事を監督していた教官、指導員らが叫んでいる。
中には蒼い顔をしてどうしても口に運ぶことができない訓練生もいた。
周りの様子を横目で伺いつつ食器に向かうが、焦りとは裏腹に体が受け付けない。
烈しい訓練を終えて、胃が休まる間もなく食物を流し込まれる。
皆一様のことで、気持ちは分からなくもなかった。

訓練を終えて食堂に駆けこむ。
行動の機敏な者から給仕を受け前の席から順に食事を始めて行く。
食事を終えればすぐさま浴場に走った。
手早い者と遅れる者との差は開いていく。
より速く動ける者は水場を確保でき、時間を有効に使うことができた。

圧縮した時間による恩恵は、長い睡眠時間に与えられる。
一つの行動においても敏捷さといかに動作に対して無駄のない動きをするかという計算が伴った。
方や効率の悪い人間はというと、食事が満足に摂れず、したがって次に移る行動が遅れてずれ込んでいく。
睡眠時間は削られ、それらは累積して昼間の訓練に圧し掛かってきた。
思い改め、奮起して喰らい付き足並みを揃える者も稀にいたが、大抵は徐々に脱落していった。
部屋の後部にいた者たちから減っていく。
食事を終えて去り際に部屋を一瞥すると、机の上へ逆さまに乗せられた椅子が徐々に増えていくのが良く分かった。
以前学生の時に受けた短期間の特別訓練に重なる。
あのときも体を削っての訓練だったが、今回は学生上がりの配慮は微塵もない。
ディグダという国を守る壁になる者たち、その責任だけが思想にはあった。
とっとと口に入れろ! 指導員が後部に座る訓練生の後頭部を大きな手で掴んだ。
狂気染みて暴力行為だと叫ぶか。
泣き出す者も何度となく見ていた。
そうした手合いは次の日から顔を見ることがなかった。

頭の上から叩きつけられる怒号。
だが、空いた皿を手に席を立ったクレイ・カーティナーにはそれが優しさの裏返しなのだと気付いた。
ここで踏み止まらなければ落ちるだけだ。
次に椅子が上がるのはあの場所なのかもしれない。
鼻をすすりながらも、その訓練生は頭を振って指導員の手を払うと口に食事を投げ入れた。
前屈みになりながら掻きこんだ。
それでいい。

食器を返却棚に押し入れて、出口へと向かった。
嘔吐きながらも、休むことなく手を口に運ぶ彼をクレイは横目で見届けて背を向けた。
狭い出口、クレイの隣を長い髪の女が体を横にして擦り抜けた。
体軸の安定した身の捌き、何気ない動きにクレイのセンサーが反応した。
以後も訓練では珍しい彼女の長髪はクレイの目を引いた。
眺める余裕は全くなかったが、視界の端で訓練中は一束に纏められるその髪がちらついた。
一般学生の中から選別されて実地試験を受けた学生。
その中からさらに及第した学生を選抜して訓練生として迎え入れた。
横並びからスタートを切った訓練課程だったが早くも格差が生まれている。
その女は、クレイの漆黒の髪に似た深い色をしていた。
戦場でも訓練でも切らなかったその髪だけがクレイの目を引いたのではない。
彼女の訓練での獲得点数は優秀だった。
身の熟しに無駄が無い。
アームブレード訓練で彼女と剣を交える機会があった。
一定時間の打ち合いの後、一人一人右に流れて相手を変えるという練習方式で、短時間だったが技量はおおよそ測れた。
なかなかの手ごたえだった。

食事が満足に腹に入らないのも最初のうちだけだった。
人間の体と言うものは柔軟にできている。
腹が適応し始めた。
それに呼応し、体も訓練に馴染んでくる。
新たな筋肉が薄らと肉と骨に乗ってくる。
訓練は相変わらず体力を毎日ゼロまで削り、それでいて徐々に量と質共に増えていった。
余白など許されず、常にフルパワーで限界を走り切るメニューだった。
体も技も洗練され育っていくのが分かる。
ストイック過ぎる生活だったが脱落者数は減速した。



後半になると実技はより実践に寄り添ったものになる。
廃墟を利用した二班に分かれての訓練は実戦と同じだった。
斥候の技術と知識を机上で学び、訓練で体得する。
通信手段の手信号から電子機器の扱いまで幅広い。
脳を疲弊させ、午後の訓練で体を叩き上げた。
陸水の潜入術、脱出術、夜戦や森林戦、市街戦など、学生時の強化訓練では学ばなかった専門的な技術を習得していく。
体を絞り上げていくのはクレイの性にあっている。
今は考えたくないことが目の前に山積してた。
目を反らすには己の技量の研磨するに限る。
訓練期間中、ただ前を見据えて過程を熟していった。



訓練を終えて帰還した。
戦闘服を軍服に着替え、荷物を担ぐ姿に周囲の学生は振り返った。
ここに帰るのもあと数回。
一晩柔らかい寝台で深い眠りに付き、明日からは引越作業に追われる。
今頃は教官や指導員が訓練生一人一人に付けた評価と得点を取り纏め、人事組織は整然と細かな人員配置を決めているところだろう。
正式配属が決まれば、特別寮での仮住まい生活も終わる。
懐かしい円形庭園、環状回廊。
柱の一本でさえ思い出の匂いが染みついている。
しかしどこか居心地が悪く感じた。
目に焼き付けておく。
目を閉じてもこの場所を思い出せるように。
痛みを伴ったが、クレイは立ち止まりゆっくりと風景を眺めた。
流れてきた微風に目を細める。
風があるということすら忘れていた。
土の匂い、樹の匂いをゆっくりと胸の奥に沈めた。












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