Ventus  155










厚さ数センチの扉。
ただの鉄扉が、今はいつもより重く見えた。

扉を叩き、反応を待った。
立ち合った寮監に肩を叩かれるまでの十分間、通路の壁に背を押しつけて第一声を頭の中で反芻していた。
女子寮の中で大男は目立つ。
傍らに寮監がいなければ、女性部屋の前で佇む変質者だ。
興味深げに視線を投げて行き過ぎる女子学生を、寮監が一瞥して散らしていた。

前に進み出て、拳で今度は強く叩いた。
扉の前で喚き、名を叫びたいのを理性で抑え込んだ。
ここで暴れては彼女と会わせてもらえなくなる。
中からは足音一つとして聞こえてこない。
だめ、か。
崩れそうになる体を扉に寄り掛かって支え、額を押しつけた。

「この扉、開けることはできませんか」
真摯な声に、一瞬沈黙した寮監が小さく顎を引いた。
クレイ・カーティナーが部屋に戻されてから丸二日は経っていた。
その後一向に表に出る気配はなかった。
室内に籠ったクレイ・カーティナーの様子も気になったし、扉の前で体を折って祈るように額を扉に押しつけている男、カイン・ゲルフ。
彼の心配で堪らない表情に心が揺れた。
マスターキーを胸ポケットから取り出して、カードリーダーに滑らせた。
扉をゆっくりと開いた。
籠った空気が開放と共に循環される。

正面、椅子の上に彼女はいた。
力の抜けた手足と、背中を預けた椅子の上にクレイの形をした人形がある。
目はガラス玉のように、何も見えていない。
しているのかすら分からないほど浅い呼吸。
その服は、敵の血とセラの血を浴びたそのままだった。

痛ましい。
カインは口を押さえて涙を流してしまいたかった。
拳を両脇で握り、震える奥歯を噛みしめた。
あまりにも哀れだ。
思考が白濁する。
震えを押さえた低い声で寮監に命じた。

「医師を、お願いします。彼女を、ここから出したい」
事態の重大性を素早く察知して、言葉半ばに頷いて寮監は扉へと飛びついた。

「クレア・バートンを」
寮監にカインが叫んだ。

「教師だ。クレア・バートンという教師に話を頼みます」
彼女はクレイの教師だ。
クレア・バートンはクレイの数少ない理解者だ。
今、頼れる大人は彼女しかいなかった。

寮監が消えて、クレイとカインの二人きりになった。
クレイの肩に手を乗せてそっと揺すった。
彼女は抵抗することもなく、椅子の背に体を添わせたまま口を結んでいた。

「クレイ」
腕を叩き、肩を叩き、何度呼びかけても目蓋一つすら反応はなかった。
肩の上の拳が固くなる。
クレイは生きることを放棄した。
生きる意味そのものであったセラが消えたからだ。
誰もセラに並び立つことはない。
それをまざまざと見せつけられた。
悲しさ、悔しさ、怒り、それらの上になぜセラを連れて行ったのだという叫びが胸の中に反響して鳴り止まない。

「クレイ」
顔を両手で挟み上向かせた。
真正面に寄せても瞳はカインを映してはいない。
廃人だ。
セラとともに、クレイの心まで抜いていってしまった。

薬で体の自由を奪われて、抱き締め続けていたセラの体を奪われた。
眠らされている間に顔と手足の汚れは拭われたが、目が覚めてすぐに部屋に戻されたのだろう。
無数の花に囲まれたセラの葬儀が終わり、運ばれていく間も独り、ここで夢現を彷徨っていた。

部屋を探って拝借したタオルに水を含ませた。
カインができることは少ない。
しかし何もせずにはいられなかった。
手、腕、顔、首。
丁寧に拭っていった。
洗面所とクレイのところを行き来し、黒髪も拭う。
一通り清めてベッドに腰を下ろした。

すべてが変わってしまった。
セラも、セラを失ったクレイも、何よりカイン自信これから元の生活に戻れるとは思えない。
普通であろうと振舞えば振舞うこそ、嘘の薄っぺらい笑いになってしまう。
濡れたタオルを手にしたまま、窓越しに聞こえてくる外の笑い声や鳥の声の中にいた。
やがて寮監が医師を伴って現れた。

クレア・バートンは講義中だ。
すぐには駆けつけられないが、病室は確保してくれた。
彼女は講義を終え次第向かうとの伝言だった。
平日の昼間とあって、寮内の学生数が少なくて助かった。
担架を入れて運び出すにあたっても、野次馬のように群がることもなく速やかに車に乗せられた。
カインも同乗を許された。

授業は休養を与えられ受講を免除された。
代わりにメディカルチェック、メンタルチェックを複数の項目受けなければならない。
だがカインは行く気にはなれない。
目の前で友人が殺されて、凄惨な戦地を目にして、何がメディカルチェックだ。
体も心もずたずたにされて、しかもそんな場を生み出したのが、カインらが踏み締めているディグダという地だ。

クレイは搬送され病室に運び込まれて、ベッドに寝かされた。
カーテンで仕切られた中で看護師らが動きまわり、出てきた頃にはクレイの体は患者衣に包まれていた。
全身清められ、腕からはチューブが伸びていた。

カインは椅子を側に引き寄せてクレイの側に腰かけた。
医師と看護師は何も言わなかった。
クレア・バートンが夕方になって到着した。
大股で部屋に飛び込むやいなや、クレイの光景を見てその場で絶句し立ち尽くした。
かけたい言葉や叫びたい言葉はあっただろうが、黙って耐えていた。
クレアが病室を去り、病院を出た背中を二階から見送ったカインは、クレアが携帯端末を手に叫んでいるのを目にした。
何を話しているのかは聞き取れなかったが、急な用事らしい。
二日間、側にいたがクレイが起き上がる様子はなかった。
三日目の朝、カインはようやく自室に戻ることにした。
マレーラとリシアンサスは時折訪れた。
カインも授業が終わるとクレイの個室に寄るのが習慣になった。
看護師に聞くと、クレアも何度か見舞いに訪れたようだった。

元の生活、変わらない友人たち。
それぞれが意識をして、気遣うように毎日を送っていた。
そこにクレイとセラがいなくとも、見えるものを見ないように送る生活は息苦しく感じた。
笑えと言われて苦々しい笑顔を見せるような、不自然な日々にカインは感じていた。
一週間、二週間。
一月が経った。

クレイは依然、ベッドに横たわったまま生きていた。 授
業を終えて教科書を纏めていたカインを教師が呼び出した。
我が身を振り返れば指摘される問題点は多々あった。

「今日、これが届いてね。君宛だよ」
面談室に改まって籠って、何事かと思えば机に差し出されたのは一通の封書だった。
教師の目が開けろと言っている。

「内示?」
「軍からのものだ」
封を手で破り、指でこじ開けて中の薄い紙を取り出した。

「軍に入れってことですか」
規律を無視して単独行動を行ったカインに、だ。
短い文面を上から下まで読み直した三度目に顔を上げた。
セラが死に、クレイが茫然自失の今、自分の道など向き合う気にもなれなかった。

「欲しくても貰えないもんなんだ。その紙切れ一枚が」
断ればディグダクトルにはいられない。
ここを離れて新たな道を探ることも考えられなかった。
誰かの命を奪うことも、殺すために剣を振るうことも、目の前で
倒れる仲間を引き起こすことにも、うんざりしていた。
だが今、逃げるようにこの場所を離れたとしても、後悔する。
遣り残したことがある気がした。
具体的に何を、とは言い表せないが、ただすべてを捨ててどこかに逃げることは考えられない。

「受けるしか、なさそうだ」
他に選択肢は見つからなかった。












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