Ventus  143










搬送されて来た負傷者の救護もひと段落を迎え、医師は血液で濡れた手袋を焼却処理箱へと投げ込んで腰を伸ばした。
傍らのセラ・エルファトーンも顔を上げた。

先ほどから嫌な感じが拭えない。
前線投入している部隊に若い学生でも精鋭が一部混じっているのは聞いた。
だが流れてくる死傷者で学生の多さには胸が痛む。
傷痕を見ては疑念が胸元で疼いた。
大剣で裂かれた大きく深いものは、軍支給のものに似ている。
駐屯基地内の兵庫を襲ったか、そうでなければメセト・メサタがディグダのアームブレードを模して作った大剣となる。

この場の空気は良くない。
ちょうど補給基地の一つから救援の要請が届いたところだ。
他の人間が現場の処置で手を挙げられない隙に、救援要請を受けた。
救護班には医師とセラ、護衛として上腕を包帯で縛り処置した軽傷の兵を付けた。
落ち着いて新しい任務の説明を受けていたが、彼もまたセラと同じ学生だった。
上からの指示を受ける前に独断で班を編成して、押しきるように半ば強引に口頭での承認を通すと装備品とルートの確認を始めた。
セラも手早く持ち物をまとめ始める。

「ポイントまでは十分と掛からないと思う。現在で負傷者五名を収容しているらしい。君は私たちを送り届けるとともにそのまま補給基地で待機」
「了解しました」
背筋を伸ばし、地面に寝かせていたアームブレードを装着し始める。

「なぜ、とは聞かないんだね。ディグダ軍である私が任務を命じたからか」
腕を通したアームブレードの装着具合を持ち上げながら、男子学生は医師の顔をまじまじと見つめた。
命じられた道を進め、脇目を振らず、それが生き残る道だと教わったからだ。
その軍の人間が、道を疑えと口にするのにあまりに驚いた。

「私だったら、訳が分からないまま殺されるのは御免だね」
そうして笑う医師の横顔を見ながら、セラはクレイを思い出し胸が詰まった。
彼女がここに来ていないよう祈る。
クレイにアームブレードを薦めたのはセラだ。
軍に入れば否応なく今のような現実に突き付けられる。
認識が甘過ぎたことが、今になって胸に突き刺さる。
平穏で退屈なな学校生活は荒廃したディグダの上に立っていた。
そのような事実を知ることもなく、安穏とした毎日送っていた。


緑の芝生が柔らかく茂る白亜の箱、豪奢な絨毯はディグダの泥靴で汚された。
景観の美しい静かだった裏庭からは鳥が消え、痛みに呻き転げまわるディグダ兵たちで埋まり地獄のようだった。
絶叫し、殺してくれ、殺してくれと叫ぶ兵を押さえつけて、医師が二人掛かりで鎮痛剤を打ちこむ姿すらあった。

セラたち三人はおぞましい光景に背を向け、補給地点に向かって壁際と裏道を行く。
ディグダの防衛網内の移動だから、警戒しつつも順調に先に進めた。
通りは比較的見通しが良い。
道幅が広く、両側の割れて枠だけ残った窓も見上げながら注意して進んだ。
踏み出そうとしている、ディグダ兵が固めた防衛線より外側には見えない
緊張感が漂っていた。
医師が先頭に立ち、間にセラ、殿を学生兵が守った。

気配を探りながら、進んでいく。
角に来ては左右を確認しつつ前進を繰り返す。
頭上で窓が割れる音がし、セラは頭を抱えて耳を塞ぎ壁に背を押しつけて丸まった。
悲鳴を奥歯で噛み締める。
壁の向こう側での揉み合いが背中に伝わってくる。
医師がセラを守るように肩を抱いて屈みこんだ。
学生兵はアームブレードを構えて周囲を見回し、注意は背後の物音にも向けていた。
くぐもった声と何かを投げつけたりぶつかったりする音が薄い土壁を揺すった。

いつまでもここでじっとしているわけにはいかず、医師が腰を浮かした。
セラの腕は男子学生が引き上げる。
礼を言おうと顔を上向けたセラはそのまま目を見開いた。
学生に詰め寄り、背の高い彼の肩に手を上げて掴んだ。
咄嗟に振り払うことができなかった彼は大人しくセラの両手に肩を押さえられた。
緩めていた襟元を片手でセラが少々強引に引き寄せる。

「CRD(カルド)だわ」
息を吐く音に混じって言葉が流れ出た。
見開いたセラの目には以前目にしたことのある紋様が映っていた。
セラの一言に彼の反応はない。

「どうして」
問い詰めれば、襟章は彼の友人から貰ったものだと答えた。
その友人も、ホテルに運び込まれてから息絶えたという。
彼自身はCRDとは関係がないようだった。

「分裂どころの話じゃなさそうだ」
医師の漏らした言葉の真意を問おうと、今度は医師へと顔を向けたセラだったが今はその時間を取ることも許されなかった。
じっとしていては標的になるだけだ。
医師に促されて三人はいつの間にか静かになった壁を離れた。

崩れかけた煉瓦の壁を左手に進み、行き着いた角で更に左へと折れて路地に入る。
何度となく右へ曲がり、左に進み、慎重に歩いて行った。
徒歩十分のはずが、警戒しつつ進むので思うように距離を稼げない。
壁際に置かれたドラム缶が揺れた。
セラは飛び上がり、医師が身構えた。
壁と缶との隙間から鼠が二匹走り去る。
鼠かと安心したのもつかの間、セラの顔の横にあった窓が激しく音を立てて砕けた。
それと同時に男子学生がセラの頭を引き寄せて間一髪ガラス片からも逃れた。
一瞬の後、刃物を手にした腕がセラの顔があった場所へと飛びこんだ。
見越した男子学生がブレードを撥ね上げる。
急襲者は腕を引っ込める隙すらなかったので、腕は上の窓枠に接触する。
窓枠には割れたガラスが残り、鋭利な破片を女の腕に上から歯を剥いた。
痛みに叫ぶ女の声、その腕を学生が引きずり出した。
暴れる女の首筋にブレードを振り下ろして黙らせた。
死んだのか気を失ったのかは分からない。
弛緩した中年の女の首元を医師が見る。
続いて、ガラスが刺さった腕を慎重に取り上げた。

「ピースが埋まって像が見えてもすっきりはしないものだな」
医師は手持ちの鞄を開いて鋏を取り出すと袖の裏に縫い付けてあった刺繍を切り取った。
それを手に握りこんでから軍服のポケットに押し込んだ。
女の上腕部の衣服に挟みを入れ、肌に親指を立てた。

「見覚えはあるかね、この傷痕」
医師はセラを呼び寄せる。
四角く型でつけたような痕があった。
すぐに消えてしまいそうな後だったが、引っ掻いたようにも見える痕は不自然だった。

「これは何です」
「知らないのなら覚えておきなさい」
そう言いながら、医師は鋏を仕舞うと先に立って歩き始める。

「おぞましいことだ。本当に、敵も味方もない」
「説明してください。さっきの傷は一体」
一つ向うの通りで複数の足音が聞こえ、壁に体を密着させて声を潜めた。
どこの部屋からか子供の泣き声が聞こえてくる。
力強い声は、話せるようになったばかりの子供の声か。
どこか痛むのか、親を探しているのか。
商店の大窓からは黒煙が噴き出し、焼け焦げた臭いを放っている。
住居の二階部分から外に付けられた鉄の階段は腐食して垂れ、地面まで届いていない。
淀んだ空気は町の隅まで行き渡っている。
鉄片や砂利を踏みしめながら、左右に注意しつつ先を急ぐ。
時に走り、時に警戒しつつ歩を進め、補給基地に辿り着いたころには汗で額が濡れていた。

収容されていた負傷者は五名で頭数は変わりなかった。
ただ、連絡されたときに人数に入っていた一人は息を引き取り、代わりに新たな一人の負傷者が運び込まれて来たばかりだ。
皆、若い。

医師が的確に指示を飛ばしていく。
セラが飛び回り、学生兵をも使いながら処置を施していく。
縫合パッドでの皮膚縫合実習は経験したが、本番は初めてだ。
素早く、かつ丁寧に脚部を縫合していく。
離れた場所で手術に当たっていた医師がこちらに戻って来てセラの手元を確認した。

「よし、いいだろう」
合格点を貰い、緩まないよう包帯を巻いていく。
学生兵は補給基地で動ける一人のディグダ兵に付いて警備にあたった。
人員の足りない補給基地にはまともに動けるものと負傷者との人数が並んでいる。
輸送車の要請はしているが、すぐには到着しそうにない。

兵士の一人が基地にしている住居の外に女の影を見つけ、包帯で塞がっていない方の目を庭の外へと向けた。
視線を追ってセラも振り返った。












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