Ventus  124










家人が止めるのも聞かず陽花(ヤンファ)は長い袖を振りながら庭に走り出た。

「霧雨だわ」
灰色一色の空を仰いで、風に捲かれる雨粒を大きな瞳で受け止めていた。

風邪を召しますとしきりに家に引き込もうとする侍女たちから離れて、セラに駆け寄った。

「寒い?」
「わたしたちは平気。陽花のほうが寒さに弱そうだわ」
寄って来た侍女が腕に引っ掛けていた陽花の羽織を受け取り、陽花の小さい肩を包み込んだ。

「私もだいじょうぶ。ねえセラこのままお庭を散歩したいわ。マア、だめ?」
クレイの袖に指を掛け、首を傾げるようにクレイを見上げた。
セラとクレイがいる時だけ、陽花は年相応の子供らしい仕草が出る。

「一回りだけだ。雨がひどくなったら部屋に入ること」
「わかった」
嬉しそうに小走りで湿気を含んだ草の中を駆けていく。
普段家の中ばかりを歩いている陽花の意外な素早さに、二人は驚いた。

長い袖を広げ、風車のようにその場を回る。
リズミカルに弾むステップは羽毛のように軽い。

「陽花、転ばないでね」
「大丈夫よ、セラ。細かい雨ってとっても気持ちいいの」
風に舞う雨粒が髪も頬も包み込む。

「そうね」
答えてセラは隣のクレイを見た。
水気を含んだ髪は、いつにも増して濃く艶やかな漆黒だった。
セラはクレイの滑らかな髪が好きだ。
吸いこまれそうな純粋な闇夜の色は、クレイの内面を現したように凛としている。

クレイは霧雨の降りる空の彼方を仰いだ。
雲が切れてきている。
雨はじきに止むだろう。
目を閉じれば感覚が研ぎ澄まされる。

セラも倣って目蓋を下ろした。
陽花も二人を見上げて真似をする。

「何の音がする?」
セラが陽花の頭を優しく撫でながら尋ねた。
答えを探って沈黙した後、細い声で応じた。

「滴の音。空の唸り。風が散らす葉」
染み入るような陽花の声に混じり、霧雨を集めて葉先から落ちる水滴が、小枝を踏みしめるに似た音で弾ける。

「ここは、静かだ。街や学校は雑音が多過ぎる」
溜息をつくようにゆっくりと息を吐きながら、クレイの声も空気に溶ける。
細かい雨は服に粒を作り、髪を浅く濡らす。
セラは目を開き、風で攪拌された雨を頬に受けているクレイの髪に指を通した。

「きれいな色。わたしはこの色が好き」
「良いものじゃない」
ディグダでは黒髪の割合は少ない。
見世物や珍獣扱いされる程ではないがクレイにとって居心地は良くなかった。

「けど、セラが気に入ったのなら、それも悪くない」
セラは満足気に頬を緩め、腰を屈めて陽花の肩を両腕で包みこんだ。

「どこに連れて行ってくれるの?」
「あっち」
陽花はセラの袖を引き、セラはクレイの手を取って走り出した。
陽花は軽快だ。
庭は良く手入れされているが、古くからある樹や岩は残してある。
樹の間をすり抜け、岩に飛び上がる。
駆け回る陽花に、セラは同じ年頃の友達が欲しいのではと思う。
陽花の周りには大人ばかりが揃っていた。
大人びているからと言って、陽花を周りが作った枠型に押し込める必要はない。
花を摘んだり、育てたり、土の団子を作って手を汚したり、木に登ったり。

「あれが川ね! 水が流れてる」
「陽花、あんまり急いではだめよ、苔で」
声を上げて注意喚起した目の前で、岩陰に姿が消えた。

「陽花!」
「大丈夫、だ」
クレイが呻き混じりに言った方向に、セラが走る。
クレイの胸に頭を乗せた陽花、二人で仲良く寝転がり小川に半身を浸している。
滑り込んだクレイの受け身が上手かったので、二人とも大事には至らなかった。
手をついたとき、クレイが手のひらにかすり傷を負ったくらいで済んだが、服は酷いものだった。

「まあ」
惨状を前にセラは言葉を失った。
上半身を持ち上げて、川の中に座り込んだクレイが陽花を引き寄せて膝に乗せる。
クレイが川の中に伸ばした両足の上を水が流れていく。
肩に陽花を掴まらせて、小さな体が立ち上がるのを手伝った。

「冷たい」
折角の陽花の服が苔で緑色に染まっている。
クレイの服の背中も茶色と緑が擦り潰されていた。

「そうでしょうね。二人とも無事? とにかく水から上がって」
クレイに手を貸して引き揚げようとしたとき、足を乗せた石が揺れた。
バランスを保とうと乗せた違う石の表面は苔が覆われていた。
悲鳴も上げる暇もなく、セラは仰け反った。
背中からは拙い。
クレイは繋ぎ止めていたセラの指先を思い切り引っ張った。
体は勢いよく前に倒れて行く。

「ああ」
陽花の濡れたような瞳が、強く目蓋を下ろしたセラを覗きこむ。

「セラ?」
「大丈夫、でも。冷たいわ」
セラの頭は幸いクレイの上にある。
上半身はクレイが支えてくれたが、服はずぶ濡れで苔に塗れ、髪は飛沫を被っていた。

「みんな一緒ね」
楽しそうに笑う陽花につられて、クレイも笑い声を小さく立てる。

「なんかもう、笑いたいのか泣きたいのか情けないのか」
三人揃って水から上がり、屋敷に着いて迎えた侍女が悲鳴を上げた。
声を聞きつけて数人駆けつけてきた、それぞれが驚いた顔で三人を凝視し、次に目元まで引き上げた袖の下で笑いを噛み殺した。

「さあさ、じっとしていないで拭く物をお持ちなさい」
手を叩いて年長の侍女長が指示を飛ばした。
三人纏めて湯殿に放り込み、火を焚いて部屋を暖める。
侍女が陽花を泡立てる、クレイに湯をかける、セラの髪を梳かす。
見事な連係でたちまち三人は磨き上げられた。

服は洗濯室に預けられ、清められた服に袖を通す。
艶やかに仕上がった髪と肌で温かい茶をお腹に入れる。
至福の一時にセラの頬が上気している。
陽花と同じ形の服は体に馴染んだ。
セラは長い髪を結い上げられ、いつもと違う風貌に上機嫌だ。
陽花は探検を完遂できず、興奮が冷めていない。
ポットが空になったころ、侍女がクレイとセラの側に顔を寄せた。

「ご夕食はこちらでご用意致しますね」
「ああ」
陽花に会いに来たときにはなるべく一緒に夕食を取るようにしている。
陽花は強く引き止めたり、我儘を口にしたりはしないが、帰る時に零れる寂しそうな表情はクレイとセラの目に焼きついてしまう。
陽花がラオと呼ぶ育ての親は忙しいらしく、毎夜夕食を共にというわけにもいかないようだ。


夕食の準備にはまだしばらく時間がかかる。

「ねえ、クレイ」
椅子から跳ね降りて、窓に連れていくと遠い丘を指さした。

「あそこに行きたいの」
「あそこは外だから」
「行けないの?」
侍女を呼んで聞いてみた。
陽花が緊張しつつしばらく待っていると、侍女長が部屋に入って来た。
許可が下りて、丘の手前まで車を出して貰えることになった。
もちろん、侍女付添となる。
身辺警護に家人の男性も付き添う。

護衛に圧倒されながら車に乗る。
霧が立ちこめている中をライトがかき分けながら抜けていく。
人影が少ない街を陽花は曇るガラスに張り付いて興味津津で覗きこむ。
こんなに人がたくさん住んでいたなんて知らなかった、と車から下ろされるときにセラに言った。
この先、車は通れない。
頂上まで十分少々、歩かなければならない。
クレイ、セラ、陽花に護衛と侍女が続く。
クレイとセラと同じペースで陽花は上る。

陽花を外に連れ出し、外を出歩くのは初めてだった。
移動が必要な時は、隠されるように車に乗せられて外を歩くことはない。

新しい家と環境になって、これからどんなことをしたいのかとセラが陽花に尋ねた。

「舞踊を習いたいの。本で読んだの。他の国にはいろいろな舞踊があるって」
新しい家には歌と楽器が上手い侍女がいる。
音と体の動きが重なる様は何とも幻想的なのだと、異国を旅した侍女は陶酔しながら話してくれた。

「マアは何になりたいの?」
「そうだな、陽花とセラが穏やかに暮らせるようにしたい」
「アームブレードで?」
「アームブレードが競技になればいい」
美しい彫刻に血が埋まり、透き通った刃が赤黒く染まっていくのは胸が痛い。
技を研鑽して高みを目指す、その一方で髪を振り乱しながら戦場で人を叩き斬る道具となる。
アームブレードを振る度に、どろどろとしたものが付き纏う。
それを払拭したい。

「世界中すべての人が平和なんてあり得ない話だけど、せめて私が守れる人は守りたいんだ」
「セラは?」
「お医者様になるの。勉強して、わたしが生まれた土地でね、診療所を開きたいの」
「セラの生まれた場所?」
「行きたい?」
「行きたい! マアとセラと私と三人で」
「行きましょうか、そうね暑季の盛りを過ぎると咲く花があるの。風で落ち葉が舞い散るのも本当にきれいよ」
あと少しで頂上だが、靄は掛かったままだ。

「高台に上っても、このままだと景色は望めないな」
諦めかけたとき、風が吹いた。
靄が流されていく。
水の粒は踊りながら舞っている。
陽花が真っ直ぐ走り出した。
二人が後を追う。
付添人らも走り出す。

陽花が頂上で反転して立ち尽くした。

「きれい。きれいよ」
薄闇の中、灯り始めた街の明かりが無数に散っている。
色とりどりのガラスの破片のように鮮やかだ。

真黒な一角に淡い光が浮かぶのを指さして、陽花は付添の男にあれが屋敷なのかと尋ねていた。

「ずっとこうして並んで見ていたいわ」
「ああ」
「クレイ、軍人になることを止めはしないけど、危険なことはしないで」
矛盾しているのは分かっている。
クレイ自身が選んだ道をセラが閉ざすことなどできない。
無事に帰ってきてくれるのを祈るだけだ。

「何て言ってたかな、糸の話。歌の話」
「二つの糸?」
「そう、それ」
「二つの糸が絡んで解けるって、意味は分からないけどジェイの歌の続き」
「糸が絡んで、ね。セラの糸が私の糸に絡んだからこそ、私は戦場で陽花を見つけられた。手を取ることができた」
「クレイが拾わなければ、陽花は死んでいたわ。わたしもあの子に会うことはなかった。幸せを貰うこともなかった」
セラはクレイの肩に、後ろから両腕を掛けた。

「ありがとう」
闇は濃くなる。
この一年でいろいろな物を見て、いろいろな価値観を知り、いろいろな知識に触れて後戻りができなくなった。

「どんなことが起こっても怖くないわ。だってクレイが側にいてくれるもの。陽花が待っていてくれるもの」
「私も、帰る場所がここにあるから」
クレイが顔の横にあるセラの頭に手を乗せた。












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