Ventus  99










「エリア三七−C、クリア。同じくD、クリア。こちらには引き続き現エリアで警戒命令が出ています」
「了解。どうやらこのエリアはきれいさっぱり片付いてるらしい」
「人は、いません」
「そうだ。生きてるやつも死んでるやつもいない」
「それが、何か?」
「そのうちに分かるさ」






清女の祭りも終わり、去年までは祭りの余韻に耽る穏やかな学生生活を送っていた季節だった。

だが今年はいつもと様子が違う。
周囲の空気が刺すように張りつめ、苛立ちと不安とが混じり合ったような、何とも言えない曇天の下のような暗鬱な雰囲気が広がっていた。
その空気とともに軍用車に詰め込まれ数時間、移送されてきた。

目的は武装蜂起の鎮圧。
最前線の部隊が反抗勢力を追い散らした後、クレイらが投入された。
この場所では激しい交戦はなかったらしく、ざっと見まわした限り人間は転がっていない。




街の中でも、中心街から外れた危険度の低い地区に学生たちは配置された。
一般兵と組ませて警備に当たらせる。
人影がない。
窓越しの気配もなかった。

「エリア五二へ移動の指示です」
クレイが端末で状況を確認しつつ、パートナーの指示を待った。

「警戒しつつ前進する。周囲はもちろん、建物の上にも注意しろよ」
防護具を外した剥き出しのアームブレードが軽く感じる。
防護具、他人を傷つけないよう守るためブレードを覆っている器具。
ほとんどの生徒は外すことのない器具だ。
ただクレイは一度だけ外した。
セラの手によって外された。
透き通った刃は、セラの白磁の喉へと吸い込まれるようにあてがわれた。
流れ落ちる血は明る過ぎる白い灯の下で、鮮やかで美しくも酷く痛々しかった。
自分を傷つけるよりよほど痛い。
よほど辛い。
遮るもののない、アームブレードの本来の姿を、刃を見るたびに記憶が鮮明に浮かび上がる。
改めて思う。
これは人を傷つけ、人の命を奪う道具だ。

クレイと同じ学生が、隣のブロックを移動している。
同じ二人一組で、横並びに警戒ラインをエリア五二まで迫り上げていく。


風の向きが変わった。
ひどい臭いを運んでくる。

焼け焦げた臭いだ。
木や草の焦げ臭さとは違う。
今まで嗅いだことのない、吐き気を伴う臭い。
鼻を覆いたい。

「下がれ!」
言葉より僅か先に突き飛ばされた。
受け身を取る間もなく背中で地面を滑るクレイは、突き飛ばした腕を引きながら壁に張り付いたパートナーの姿を見た。
それとほぼ同時に、クレイとパートナーとの間に開いていた細長い建物の隙間から人が転がり出てきた。

一般兵が助走なしに跳躍し、低い位置から飛びかかろうとする男の肩へ蹴りかかった。
頸部を打たれた男がよろめいたところで、アームブレードが水平を切った。

クレイの目の前で、湧いて出た男が胸から血を吹きながら倒れていく。
地面へ仰向きに倒れ、もがいている男の顔を兵士が踏みつけた。

「一般市民じゃないのか! いきなり殺すなんて」
クレイが凄みながら叫んだのに対し、ディグダ兵はクレイに目を向けず足下の男が静かになるのを見届けていた。

「これが、一般市民か」
爪先が白目を剥いた男の右手を蹴りあげる。
手の中から小さなナイフが零れ落ちた。

「背後から首を掻き切るつもりだったらしいな」
クレイは口を噤んだ。
突き飛ばされなかったら、クレイの体は建物の隙間に引きずり込まれ、声を上げる間もなく消えていただろう。

「行くぞ」
隣のブロックを行く二組も伏兵をいち早く発見したようだ。
左右に気を張りながら、背後にも意識を回す。
血の臭いが消えない。
変な汗をかいた。
袖口で米神を拭うと濡れていた。
引き離した服の手が真っ赤に汚れている。
ぞっとして、一瞬動きが止まった。
額に指を触れてみるが、傷口はない。
これは、返り血だ。
クレイに襲いかかろうとした男が倒れた時に散った飛沫が、額を濡らした。
動悸が速くなる。
膝が震える。
だが立ちすくんではいけない。

「これは? 火事、か」
喉が乾いて張り付きそうだ。
喘ぐように、一歩先を行くディグダ兵へ呼びかける。

「さあな」
ディグダ軍の別部隊が放った炎かもしれないし、市民が逃亡の際放ったものかもしれない。
あるいは、騒ぎの中でどこからか移った火なのかもしれない。
姿は見えないが、子供が泣く声がした。
弱々しかった声は途切れがちになり、やがて耳に届かなくなった。


「指示の確認は」
兵がクレイを一瞥した。

「左手の建物が探索対象になっています」
端末には赤く囲まれた線が浮き出している。
小さな画面上、二次元で表された画像では歪な四角で対象を囲んでいるが、実際目の前に広がるのは入り組んだ建造物の集合体だ。
増築を繰り返し、屋根も薄い。
建物の集まりというよりむしろ、寄せ集めのようだった。
密集度と不衛生度はクレイがいたディグダの貧民街を彷彿とさせる。

「探索を開始する。端末で開始のコードを発信しておけ」
クレイは片手で操作し終え、端末は腰のホルダーへと押し込んだ。

一般市民はディグダ軍が保護し、それ以外の戦闘員は捕縛できるものは捕縛し、あくまで抵抗する者は保護対象から外せという指示だ。

区画に侵入した瞬間、異臭が取り巻いた。
風に漂ってきた臭いに加え、黴臭さが鼻を突く。

通路というよりむしろ隙間だ。
布を張っただけの天井もある。
露店の集まりのような、簡易的な屋根と柱が並んでいる中を抜けていく。
果物を売っていたのだろうが、積んでいた山は崩れ、売り物が床に零れている。
踏み荒らされて潰された痕跡からして、複数人が出入りしたのだろう。
先に進み、左手に木戸が見えた。
住居らしい。
鍵は掛かっていないらしく、細く戸が開いていた。
不用心だと思わせるような地区ではない。
むしろ建て付けのいい扉の家など見つける方が難しそうな一帯だった。
腐りかけた戸を壁からむしり取るように引きはがし、中に踏み込んだ。


「武装組織が保有する武器を発見したら報告、生存者は可能ならば確保だ。分かっているな」
「了解」
声を低くして仲間は確認した。
気配が読めない。
どこかで水滴が落ちる音がする。
水道管でも破損したのだろうか。
薄暗くて様子が伺えない。
電気は配線が断裂している箇所があり、ほとんど通電していない。
灯りは窓際、壊れた屋根から落ちてくる日の光くらいのものだ。

この一帯の住居群はひどく入り組み、奥深くて不気味だ。
濁った空気が滞留している壁など触りたくもない。
部屋や通路が薄暗く細部が分からなくてよかった。
見えない方が幸せなこともある。

「俺は奥の部屋を調べる。お前はこの部屋を調べろ」
ここは交戦地帯だが未だ身分は学生のはずだ。
その割には人使いが荒い。
気を使えとは言わないが、学生としての身の安全などあるのだろうか。
危険になったら声を上げろと言うが、声を上げることなく殺される危険の 方が多いようにクレイは思える。
指示通り、机の下を懐中電灯で確認、異状なし。
押入れを開ける。
中には食糧、左側には掃除用具が乱雑に詰め込まれていた。

兵士が消えた奥の部屋から物音がして、勢いよく振り向き身構えた。

「火器類は特になかった。他の住居を調べよう」
踏み込んだときに引き剥がされた戸を跨いで通路に出た。
小走りに次の住居へと向かう。
並んだ壁の薄い住居をいくつか回った。
書類とデータらしきものは回収したが、どれほどの価値があるのかクレイには分からなかった。

奥の通路右手に先ほどと同じような戸が見えた。
兵士が足で蹴り開くと同時に、体を反転させ通路側の壁に背中を向けアームブレードを構えた。
中から飛び出してくる影はない。
付いてこいと左の指で合図し、兵士が飛び込んだ。
クレイもそれに従う。

一通り見て回ったが潜んでいる人影も無かった。
兵士がガラスの嵌っていない窓枠を壊し、隙間だらけの雨戸を抉じ開けた。
僅かながら光が差す。
埃っぽい場所で人間二人が動いたので、光の中で無数の埃が煌めき立ち上る。
こんな場所にいたら肺がやられそうだ。
逃げ場を探して回りを見回した。

「あれは? 扉だ」
机の陰に隠れるように扉がある。
屈まなければ通れない小さな扉だった。
押入れだろうか。
まだ手は付けていない。

扉の向こうに注意を払いながら、クレイが扉を押した。
開かない。
引いてみたら、意外なほど軽く扉が口を開けた。

「こんなところに隠し部屋かよ。臭すぎるな」
クレイを押し除け、兵士が身を屈めて先を行く。
入口は狭いが、潜れば壁の向こうで背が伸ばせる。
横幅は一人がようやくといったところだが、先は深くまで続いてるようだ。
階段になっており、下へと続いている。
一階分というより、半地下だった。
それなりに明かりを取り入れる工夫はあるらしく、横に長く窓がある。
ちょうどクレイの目の高さだ。
汚れて濁ったガラスが嵌められているところをよく見ると、窓の位置が地面の高さだと分かる。
階段を下りきると通路の幅は広がった。
地下室というには凝り過ぎている気がする。
だが換気が行き届いていないのは変わらず、埃臭さよりも饐えた臭いと血の臭いに辟易した。
通路の右側に部屋が二つほどある。
どちらも扉で区切られていないが、何か飛び出してきそうでいい気分がしない。

踏み込んだと同時に、兵士が後ろに飛び下がった。
異常があったのは分かったが、状況が読み取れない。
兵士が倒れるのに目を取られ、肝心の原因を注視できなかった。


人がいる、と思ったところで視界が塞がった。
何者だ、と思考が回る前に薙ぎ倒された。
地面にぶつかる瞬間に息を止める。
何度も吹き飛ばされては壁に背中を強かに打ちつけていた、クレア・バートンとの訓練。
受け身の成果があった。
背中の痛みに呻く前に立ち上がり、距離を取りブレードを構えるのを同時に行った。

兵士の安否は分からない。
机を挟んで対面する人間は一人。
相手は男だ。
長身とは言えないが、服の袖から筋肉質の腕が剥きだした。
右手には切れ味がいいとは言えないような、鈍く光る刃の大きい刀が握られている。

部屋の広さはある。
振りかざしたアームブレードが天井や壁に刺さることはない。
問題は、机や椅子といった障害物だ。
家具を避ける訓練は積んでいない。
体が緊張で冷える。

男が机を回り込み、走り始めた。
視線はクレイを捉えている。
逃走の意図はない。

クレイは机の上に飛び上がった。
身の軽さだけは自信がある。
左手で椅子の背を握り込み、体を後ろへ素早く捻りながら男に叩きつけた。
椅子は砕ける。
木片が飛散する。
だが男は直撃を避けた。

クレイが勢いで回り、右手のアームブレードで男に追撃を掛ける。
腕の皮膚を削ったが、致命傷を与えられない。
机の上にしゃがみこんだクレイ、潜んでいた凶器を握り締める男、その向こうに復帰した兵士が立ちふさがった。
男に一閃を叩きつけ、廊下へ飛び下がった。

「急ぐぞ。隣の部屋を確認する」




隣の部屋へ踏み込むと、再び男の足が止まった。

「ああ」
呻きか落胆か溜息か、判別の付かない声を上げた。

血だ。
おびただしい血が部屋の端まで流れ出ている。

そこでクレイは見た。
兵士が確認するより早く、見つけ出した。


人形ではない。
明かなる人の形、人の姿、人の瞳。

見開いた目で、冷めきった表情で、無言のままで血の海に座る子供の姿だった。
傍らには、確認せずとも分かる人間の冷たい体が横たわっていた。












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