Ventus  22










高い天井には、木製の梁が渡してある。
この建築物の主要構成成分は、木材とコンクリートだ。
割合としては、目で確認できる限り、約六対四。
それも、建築知識豊富な専門家ではないので、当てにならない推測ではある。



六対四の外殻が内包する、家具一切は九割が木製だった。
長く幅をたっぷりとった机も木製だ。

乱立していた書庫や分室を、統廃合し中央図書館ができた。
人の流れも中央に傾き、人口の減少傾向を見せていた第六分室は、予想通りの影響を受けた。
人足が途絶え、分室は大量の書籍と一人の館長を入れるだけの入れ物になった。
なぜ誰も足を向けなくなった分室が、他の分室とともに統合されなかったのか、不思議だった。
いつ取り壊されてもしかたがないと、館長はいつも心のどこかで思っていた。
そうして、一年過ぎ、二年過ぎ、やがて五年が過ぎた。
訪問者は、館長の顔を見に来る知人ばかり。
完全に、第六分室は忘れ去られていた。


しかし、今年になって本はようやくまた、人の手の温かみを知る。
若く可愛らしいお客様を迎えられて、第六分室も本も嬉しそうだ。






ヒオウ・アルストロメリアは、訪れる友人たちが灰色館と呼ぶ、第六分室の古びた机の肌を優しく撫でた。
そろそろお茶の葉が広がっているはずだ。

「セラさん、お茶を淹れますよ」
館長部屋の開け放っていた入り口で呼びかけた。
手にはトレイにポットとカップが二つ乗せてある。

いつもすぐに返ってくる返事がない。
本の世界から戻ってこられないのだろうか。
ヒオウは本棚まで歩み寄った。
セラが気に入っている一角は、そこから見える。



茂る表の木々を柔らかな光が抜ける。
光はさらにガラスで薄められ、窓際の机に降る。
左から差す光の下、机に本を広げながらセラは顔を伏せていた。

「眠ってしまったのね」
夢は物語の続きか。
起こさない方がいいだろう。
ヒオウはポットの方へ顔を向けた。

焼けた茶の扉が軋んだ。
引きずる重い音に、乾いた靴音が混じる。
背中に長い箱を掛け、背筋はいつものように真っ直ぐだ。
歩くたび、黒の横髪が肩上でゆるやかに踊っている。


「今日はとても大荷物ね」
「見た目ほどには重くない」
「アームブレードの授業が始まったのね」
入り口の金の取っ手に「一時閉館中」の札を提げ散歩に出掛けると、クレイと同じような箱を背負っている生徒を、たまに見かける。

「授業の度に持ち歩くのかしら」
ヒオウは細い両手を前で組んだ。
指先まで柔らかく覆う、薄絹の袖が美しい。

「寮や学舎へは持ち込まない。訓練施設内に、保管庫があって」
個人コードと八桁のパスワード、更に学生証を照合させて、保管庫からアームブレードを取り出す。
披針形の剣が箱に封印され、千を越える数が倉庫に保管されている様は、圧巻だろう。
もっとも、その景色を見る権限など一生徒に与えられるはずもないが。

「今日は、この後に訓練室に行かなくてはならなくて」
クレイはアームブレードを背負ったまま、長机の横をすり抜けセラの座っている本棚の奥へ進んだ。
本棚を背にしたヒオウの位置からは、クレイとセラの姿が見える。

机に付すセラの横に、クレイは歩み寄った。
起こして、これから用事があることを告げるのだろうかと思った。
クレイはセラに声を掛けることもなく、横を向いて寝息を立てるセラの顔を眺めていた。
黒髪に包まれた表情は穏やかだ。
馴染んでいるヒオウにすら見せない柔らかな顔だった。


安らかに眠るセラ。
慈しむように見守るクレイ。


ヒオウは、祈る。
どうか彼女たちが争いとは遠い、穏やかな世界で生きていきますように。
どうかこのまだ幼い少女たちが、悲しみによって引き裂かれることがありませんように。

学園は、子どもたちを恐怖から守る殻であってほしい。
その手が憎しみや血を知らぬように、守られる場所であってほしい。
子どもたちは戦闘兵器や、国のシステムを回すだけの冷たい部品ではない。
まず第一に子どもたち自身の幸いがある。
国を守る、国を支えるために、個を殺すのではなくて。

二人を白く溶かす光を見ていたら、願わずにはいられない。
動かないクレイを残し、ヒオウはテーブルへと戻った。




「もう行くのね」
クレイが側にいても、セラは目を覚まさなかった。
本棚と壁との通路を戻り、ヒオウが座っている机へ近づいた。

「お茶を飲んでいったらいかが? これから動くのでしょう」
ヒオウに剣術の心得はないが、平常心理グラフが乱れることもないクレイがどのような剣を見せるのか、興味を引かれる。

「ああ、それでは、一杯だけ」
「ありがとう」
淹れなおしたお茶を、クレイのカップに注いだ。

「熱心ね。自己練習かしら」
「いや、教師に呼ばれていて」
クレア・バートンから呼び出しのメールが届いたのは、今から一時間前になる。
本日の授業がすべて終わり、セラと待ち合わせている灰色館へ半分心は飛んでいた。
教科書の束を持ち上げ、足早に教室を去ろうとした入り口を出たところで、着信音が鳴った。

電波遮断区域から一歩踏み出た瞬間を見計らったかのようなタイミングだ。
内容は、彼女の指導方法のように簡潔だった。


「行きます」
カップは空になっている。
二杯目をヒオウは勧めず、立ち上がるクレイを見送った。










「もし私に別の用件があったとしたら、どうしていたんです」
メールは一方的なものだった。
部屋を確保したのでアームブレードを持って来い。
要約したらそういう内容だが、原文とあまり変わらない。

「どうもしない。実際現在カーティナーは私の隣にいることに意味がある」
「質問とずれている」
「質問に問題があるんだろう?」
「私を呼び出した理由は何です」
「剣を交わらせたかったから」



クレアとは施設の玄関ホールで合流した。
予約している部屋番号は、文章の中に含まれていなかった。
待ち合わせとは程遠い。

「私は教師から個人指導を受けるつもりなどない」
「私が、カーティナーと手合わせしたい思った。指導など、するつもりなどない」
空気が乾いている。
空調機が低く唸る音だけが、途切れることなく一定の音程で流れていた。
無駄なものを一切排除した白い壁は、研究施設を思わせる。
装飾もなく、電灯も天井に敷かれた破線の中央線のように一列等間隔に配置されている。

円環状の訓練施設は、以前セラと回ったことがある。
あの時は、これ程空気が硬質ではなかった。
この差異が、セラの言う人間関係というものなのだろうか。
階段を上り、二階へ進む。
クレイには、クレア・バートンの意図が見えなかった。
もとより、セラほどに他者への洞察力が優れているわけではない。

長い廊下に並ぶ、厚い金属扉をいくつか通り過ぎたとき、クレアが足を止めた。
カードを胸元から取り出すと、カードリーダーに通した。
電子音が小さく声を上げ、点灯していた赤いランプが緑に切り替わる。
右の壁の中へとスライドして開いた扉を抜けると、障害物などほとんどない四角い部屋が広がった。
二十人で講義ができそうなスペースだ。

扉とは反対側の壁は一面、ほぼガラス窓が占めていた。
クレア・バートンが肩からアームブレードケースを下ろし、床の上で蓋を開けた。
クレイも倣い、同じように箱を開けると刃に防護具が付けられたアームブレードを取り出した。

隣の壁に背中を預けて腰を下ろし、クレアがプロテクターを脛に装着した。
クレイも同じく、ケースに収納されていたプロテクターを取り出し、両足と腕に着ける。
ヘッドギアを持ち上げると、頭に被せた。
クレアはすでにアームブレードを装着し終わっている。
軽く右腕を振って、留め金の微調整をしていた。

クレイが立ち上がるのを待って、声を掛けた。



「いいか」
背筋を伸ばしたクレアは、教壇に立つ遠目から見た彼女よりも大きかった。
彼女が背負う、気迫がそうさせるのかもしれない。

二人は部屋の中央、クレイの身長二人分の間隔を空けて立った。
互いのアームブレードが重なり合わない距離だ。

「好きなところから切り込んで来い」
クレアはアームブレードを横に寝かし、水平に構えた。
完全な防御姿勢だった。
切り込もうにも、隙がない。
クレイは素人だ。
アームブレードを手にして、数週間しか経過していない。

それでも、クレアからは動こうとしない。
立っているだけでは何もならない。
クレアが、困ったクレイに隙を与えてくれる程、思いやりの深い人間でないことを、クレイは十分認識していた。

隙がないなら、作ればいい。

戦術の基礎。
最初の一手は、捨て刃だ。
返す剣から勝負が始まる。

クレイは前に大きく踏み出し、右腕を斜めに振り上げた。
火花が散るかというほど、ブレードとブレードが激しく悲鳴を上げた。
振り下ろしたクレイの剣が、クレアの剣を弾き正面に隙を作る予定だった。
だが実際はクレアの剣は反れるどころか、逆にクレイの剣を圧倒し押さえ込んでいる。
クレイはアームブレードを抑えられ動きが取れない。


「次の手はどうした」
考えてはいない。

数秒だけ時間を与えたのは、クレアなりのハンディキャップだ。
それでもクレイは動けなかった。

見込みが外れたか。
クレアは眉間に力を込めると、アームブレードを跳ね上げた。
食い込んでいたクレイのアームブレードが振り払われる。
引きずられて、クレイの体も大きく後ろに弾き飛ばされる。
そのまま尻餅をつく一秒後を予想したが、クレアの図は外れた。
左足を引き、左手を地面についたものの、踏みとどまった。

「全力で来い」
そうでなければ怪我をするぞ、と見据えたクレアの目が痛いほど光を放つ。
クレイは立ち上がり、姿勢を正すとアームブレードを構えた。

距離はクレイの身長三人半。
クレアはほとんど動いていない。

真っ直ぐにクレイは駆け込んだ。
正面から切り込むと思いきや、左に重心を反らし右にブレードを叩き込んだ。
正面防御でできた側面の隙を狙ったが、玄人と素人の差を見せ付けられる。
クレイの策も想定内と、あっさり斜め防御で受け止められた。

「それだけか」
アームブレードの下からクレアの顔が覗く。
薄く笑っている。

今度は弾き飛ばされる前に、クレイの方から間合いを空けた。



剣先をクレアに向けた、クレイの表情は変わらない。
何を考えているのか、表情からも目線からも、クレアには読み取れない。

圧倒的な力の差を見せ付けても、言葉として差を明らかにしても、クレイは冷めた顔のままだ。
剣にも、力が入っていない。


何が彼女から熱を奪った。
何が彼女の体温を取り戻せるのか。


クレアは剣先を地に落とし、脚を肩幅に開いた。
右肩を前に出し、構えた。


その冷たい、目の奥に眠る火を目覚めさせることができるのは。


細く息を吐き、肺を半分酸素で満たすと、ゆっくりと視線を上げた。
目標を捕らえ、左足で地面が鳴くほど蹴った。




攻防が転じた瞬間だった。











go to next scene >>>

<<< re-turn to one world another story
        or
<<<<< re-turn to top page

















S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送