Ventus  12





クレイは時折止まるセラの手元を見ていた。

思い出したように動き始めては、また止まる。
その繰り返しだから、目の前の夕食は減らない。

賑やかな食堂で、クレイはセラに向き合って座っていた。
そこにマレーラとリシアンサスはいない。



また、セラの手が止まる。
神経伝達が、運動方面ではなく脳内の思考へ集中しているからだ。
声を何度かかけたが、三度の内二度は聞き流された。

クレイは自分の食器が乗ったトレーを跨ぎ
指先で、また動かなくなったセラの手の甲をつついた。

「冷める」
静電気が指先を通して通電したかのように、セラは微かに腕を引っ込めた。

「ごめんなさい」
「私に謝ることはない」
セラの目線は半分以上残った食事に落ちる。

「疲れているみたいだな」
慣れない人の波に揉まれてきたのだ。
疲れて当然だ。

「そういうわけじゃないの。あの」
クレイからは見えないが、セラの手のひらには薄っすらと汗がにじんでいた。

「クレイ」
手だけではない。
腕や腹までもが、痺れるように熱い。

「何だ」
「人ごみが、苦手なの?」
「人が密集しているこの食堂に来ているのにか」
「そう、ね」
うまく言えなくて。
聞きたいことはたくさん、知りたいこともたくさんあるのに。

「街に出たくないのは、なぜ?」
「その気になれないだけだと言っただろう」
嫌いな理由は言葉で表せない。
嫌いだからと言われてしまうと、先が続かない。

なぜずっと一人だったの。
人を近づけないのは、どうして。
過去に何があったの。

「ディグダクトルで育ったって言ってたわね。その街が嫌いなの?」
「好きも嫌いもない。行く必要はなかったし、行きたいとは思わない。それだけだ」
わからない。
どうしてそうまで頑なになる。

「クレイは誰も、何も受け入れないのね。わたしですらも」
入り込めない領域。
壁を作って、自分を隠す。
なぜ?

「自分のことを知られるのは、誰だって嫌だろう」
「誰かを受け入れなければ、何も先に進まないわ」
少なくともセラは、クレイに自分のことを少しでも知ってもらいたい。
セラの好きな場所、苦手なこと、好きな食べ物、何でもいい。
セラのいた街のこと、セラの思い出。
いつか、故郷をクレイに見てもらいたいと思う。
でも、それはセラだけなのだろうか。
他の人は、クレイは、興味がないのだろうか。

「知りたいとは思わない。自分のことも、他人のことも」
知らず、クレイの声が高くなる。
前後に座っていた学生がこちらに目を向けた。


「言い過ぎたわ。ごめんなさい」
居辛さに、セラがトレーを手に席を立った。
呼び止めてくれるかと思った。
しかし、期待したクレイの声は聞こえてこなかった。









子どもの声が聞こえる。
細い声で。


泣いているのは誰だろう。

違う。
泣いてはいない。
私は泣かないからだ。
私は、泣かない。


怖い。
真っ暗だ、ここは。
前は見えない。
後ろは振り返ってはいけない。

逃げて。

喉が痛い。
胸が痛い。
舌は鉄の味がする。
口を大きく開けても、求める量の空気は入ってこない。

走っている。
私はどこに行くのだろう。
家に。

そう。

家に帰ろう。
この闇は嫌だ。
この淀んだ空気は嫌いだ。

泣いていないはずなのに、頬は生温かかった。









セラの言葉が胸に刺さっていた。
セラはもう二度と今までのようにクレイの側に来ないだろう。
クレイに触れず、声もかけてはくれない。

あれだけ強く拒絶したのだから。
繰り返しだと、今わかった。
そうしてクレイは人との距離を保ってきたのだと、わかった。

愚かだ。

どうすればいいのかわからない。
突き放すことしか知らない。
繋ぎとめる術を、知らない。


夕食が終わり就寝までの自由時間で、廊下は騒がしい。
セラは自室に帰ったはずだ。
今更会っても言葉が浮かんでこない。

行く場所がなくなった。
一人でこのまま眠るまで息を潜める気にもなれなかった。

白い壁に背を預け、寝台の上で抱えていた膝を伸ばした。
電気をつけないままの暗い部屋で、過去に浸っていても解決しない。
晴れない霧に悩んでいても、苦しいだけだ。
クレイは上着を取ると、部屋の扉へ手をかけた。






「こんな夜に来て。私がいなかったらとは考えなかったのかしら」
「考えなかった。実際扉は開いていた」
溜息が漏れる。
呆れたと言いたいのだろうが、半分はしょうがないわねと諦めの色が混ざる。

「閉まっていたら?」
「そのまま帰るだけだ」
「まったく、初めて会ったときもそうだったけれど、あなたという人は本当に真っ直ぐなのね」
というよりも、何も考えていない。
他人の気持ち、他人の都合。
我を押し通す以前に、現さないクレイだから、その配慮のなさに気づくのは時間が掛かるが。


クレイの背を押し、彼女は夜の客を部屋へ招き入れた。
木の扉が昼間より大きく響く。

「いるときの方が珍しいのよ。今日は月末だから」
「整理をしていたのか」
「ちょうど帰ろうとしていたところよ。いいわ、お話を聞きましょう。そのために来たのでしょう」
ヒオウが椅子を引いた。
その隣にクレイが腰を下ろす。


「私にはわからないんだ。だから聞かれても答えられない」
「聞こうとするのは、セラさんね」
クレイの不器用さが浮き彫りになる。
話せば話すほどに、言葉が相手に伝わらない。
補ってやらなければ、聞こうと構えてやらなければ、会話にならない。

子どものようだ。
幼い子どもがうまく自分の意思を表現できないように。
それが、クレイだった。
人と交わろうとしなかった、話そうとしなかったクレイだ。
人との摩擦の中で育っていくはずの言語能力が、未成熟なのだ。

ヒオウはクレイの一言一言を摘み取るように、ゆっくりと受け入れる。

「セラが嫌いなわけじゃない。拒絶したいわけじゃない。答えられないだけなんだ」
「セラさんに何を話したいの」
「私は街が、嫌いなのかもしれない」
セラが尋ねてきたように。

「ディグダクトルに、行きたくないと体が拒んでいる」
「わからないのは、その理由ね」
「それに、私自身のことも」
机の上に乗せられた拳が強く握られる。
血管が青く浮き上がるほどに。

「夢を見る。あれは記憶だ。現実だったことだ。でも、繋がらないんだ」
「昔の自分を思い出せないの?」
「ああ。わからないんだ。考えたくない」
一人だったから。

この子は一人なのだ。
なんて、幼い。
話し方、それに相応する未熟さが手に取るようにわかる。

「考えなさい。それからゆっくりでいいの。そしてセラさんに話しなさい」
青白いクレイの手に、ヒオウは骨ばった手を重ねた。

「私ではなく、セラさんにきちんと話しなさい。ちゃんと聞いてくれるわ。彼女は待っていてくれる」
「きっともう話しかけてはくれない」
離れてしまった心は、元には戻らない。

「あなたが話せばいいでしょう。私では何もしてあげられない。でもセラさんなら支えてくれるわ」
乾いた手は、クレイの甲をなだめるように叩く。

「怖くはないから」
「セラに」
「勇気というのは、こういうときに使うものよ。さあ、立って」
「ヒオウ」
ヒオウの手が、クレイに力を与える。
立ち上がる力を。
今年老いた彼女にできるのは、クレイが立ち上がるために背へ手を当ててあげるだけ。
前に歩みだす介添えとなるのは、セラ。
歩こうと足を出すのは、クレイだ。
ヒオウの役目ではない。




「気をつけてお帰りなさい」
忘れられた図書館をクレイが振り返ったとき
ヒオウは一人入り口に立ち、小さく手を振っていた。











go to next scene >>>

<<< re-turn to one world another story
        or
<<<<< re-turn to top page

















S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送