Ventus  05






探究心

好奇心






二段に書かれた単語を口の中で小さく読み上げた。


ここまで木製だとは、よほどの自然派志向。
ありふれた人工物に囲まれた反動かもしれない。



セラが評したのは、彫られて茶色にペイントされたプレートだ。



食堂のように机が並ぶ閲覧室。

コンピュータのモニタ二つ分くらいある板は
高々と柱の上からこちらを見下ろしている。

さぞかしあそこからみる風景は爽快だろう。
群がる生徒たちの、色彩豊かな頭を隅々まで見渡せるのだから。

これだけ人がいて、痛いくらいの沈黙が保てるって素晴らしいと思う。
これも向かい側の柱に飾られている


私語禁止


という注意書きとともに打ち出されている
雑談者は問答無用で追い出します、という方針が効果を示しているのだろう。




蔵書四冊掻き集めてきて、内容を検分する。


三冊目の表紙に手をかけたとき、ベージュの上着に視界を遮られた。

脇に同じく四冊抱えている。
焼けた革の背表紙が顔をのぞかせていた。




目を合わせることもなく、セラの目の前に本を置く。



仕草ですぐに分かった。



クレイが本の森から帰還した。
収穫物が積み上げられる。

背表紙でも感じたが、表紙を見て改めて思う。
ずいぶんと年代物のようだ。





セラに倣って、クレイも一冊目に手を伸ばした。

黄がかった紙の乾いた音がする。
クレイが半分読み流したところで、セラは四冊目の裏表紙を閉じた。




クレイが四冊の本を終わらせるまで、まだ一時間ほど必要だろうと踏んだ。

花形に広げた手のひらに顔を乗せて、セラは残った時間をクレイ観察に使う。
こうしてじっくり眺められる機会はそう多くない。

クレイはセラを含め、何物にも執着を見せない。
何かが好きだとか、こだわりがあるだとかは皆無。


常に一定な感情のライン。

まるで、惑星の軌道のようだった。






背筋は、鉄の棒を挿したかのように真っ直ぐに伸びていた。


背骨だけではなく、もしかしたら骨格がチタンなのかもしれない。
その脳、その脳幹もすべて。



ディグダが生み出した、最終兵器。



時代遅れのSF小説みたいなセリフが脳を掠めて、思わずふきだしてしまう。










息のかからない距離。

手を伸ばして頬に触れられるかどうかの距離。

それが今の、クレイとセラの距離だった。




もう二月経とうというのに、何も分かっていない。
何も、変わらない。

平行線が、交わることはないのか。
これが近づける、精一杯なのだろうか。

クレイの白い指先は、崩れそうなページをめくっている。




セラはずっと側にいた。
編入して、クレイと出会ったときから、ずっと。



クレイの顔

クレイの声

クレイの目

クレイの手


脳に焼きつくほど見ているのに
まだ心だけは、見えない。





マレーラは、クレイの射程範囲内に踏み込む人間がいたなんて神秘だわ、と評した。


リシアンサスは、クレイが領域に踏み入れた人間を攻撃しないなんて奇跡だわ、と笑っていた。





そうした評価が入り乱れる中、当人のクレイがセラをどう思っているのか
うかがい知ることができない。


気がつくと、クレイの手は三冊目の終わり辺りを動いていた。
セラは二冊を机へ積み上げたまま、クレイを残して立ち上がった。


クレイの目が追っていた文字からスライドして、セラを見上げた。
口を開きかけたところで、ここではそれがご法度だということを思い出した。
代わりに、微笑んだまま本棚を指差した。















近くまで来たのはいいけれど、すっかり本は迷子になっていた。

どれも似たような棚が、天井まで伸びる長身で整列している。


背表紙の隅に与えられたナンバーを確認しながら、住所を探す。

所々でせわしく動いている人間がいた。
学生服を着ていない彼らは、一般閲覧者だろうか。
最初はセラもそう思っていたが、胸にプレートをつけている。

司書だった。






「探し物?」



突然声をかけられて、息が止まった。

半分涙を零しかけて振り向くと、背の高い男が立っている。
笑うと口元にシワが寄る。


「あの」

胸に本を抱きしめながら、消えそうな声で呟いた。

「あ? あぁ、大丈夫。ここ、閲覧室じゃないから。しゃべっていいよ」

「脅かさないでください」

まだ心臓の脈は暴れている。

「ごめん、そのつもりはなくて。逆か。返却するの、それ?」

セラは睨みつけながらも、頷いた。
男も胸にネームプレートを留めてある。

「こっち」





ついて行くからいいものの、迷子になるのは本でなくて人間の方だ。
頭の中を読んだのか、司書は案内板の場所を教えてくれた。

一冊をセラの腕から引き抜くと、胸の高さの棚へと押しこんだ。
欠番は埋まる。

「それは、あっち」

ナンバーを見るまでもなく場所を当ててみせる。
手首の上からはみ出したタイトルが、種明かし。




「レポートでもあるの? 入場者数が、いつもの二割り増し」

「課題図書への解釈です」

そう、と振り向きもせず答えるとそれ以上は追求してこなかった。
彼の興味はそれてしまったらしい。




「別館の閲覧室、使えるよ」

この後のクレイとの行動をシミュレートしていたときだった。

何て、いいタイミング。




「閲覧室? 別館って」

脅かされたときの曇り空はすっかり晴れていた。
クレイやセラの寮室では、本を広げるのに狭すぎると思っていたから。




「朽ちてるけど」

「この近くですか」

「誰も行かないけどね」

本棚の列が途切れて、視界が広がった。
明るいと思ったら、右手に大きな窓が並んでいた。
ガラスを通して、淡い光が部屋の床を照らしている。





司書が窓へ歩み寄り、骨ばった指をガラスに押し当てる。

「見える?」

この本館の周りは正面を除き、三方を林に囲まれている。
どの樹も背が高く、葉が濃い緑だ。

「あそこ」

ガラスを叩く爪が、軽い音を立てる。

「青い屋根が見えるだろ。ほんの少しだけど」




セラは司書の指に顔を近づけ、目を凝らした。

「あ、ほんと。あんなところに」

あれでは日も当たらず、人も近づかない。

「だから、穴場なんだ」

誰もいない、図書室。

「しゃべっても平気。課題の打ち合わせには持ってこいだろ」









セラは、ぱたりと思考を止めた。





何でこんなに脳の回転が遅いのかしら。
今頃になって気づくなんて。




「どうしてわたしが誰かと一緒に課題をしてるってわかったんですか」




これも、この人の緊張感ゼロの空気に当てられたか
人ごみを外れてほっと気を抜いていたからか。




司書は警戒心をちらつかせたセラに、苦笑を浮かべた。

両手を開いて、悪気はなかったとジェスチャーする。

「だって二割り増しって言っただろ。彼らが顔つき合わせてたら、おおよそ分かる」




そうか、なるほど。




それに。


細い顎へ長い指を近づけた。

言葉が途切れる。
幾分か棘のある空気を緩めたセラの目が、その先を催促する。

「黒い髪の子」

「クレイ・・・」

「そういうの? 彼女。珍しいからね、少なくともいままで数人しか見たことない」

思い返せばセラは、クレイ以外に黒髪の人間を見たことがなかった。

「一緒に座ってただろ」

「上から見てたのね」




吹き抜け円形の閲覧室。
それを底辺にして、円柱状に階層が上へ続く。

「みんなの頭がよく見える。ぼうっとしてたら、真っ黒の髪の子が座ったから」



すごい記憶力だ。



クレイだけを覚えているだけではなく、背景であるはずのセラまで覚えているなんて。

「見せてもらったお礼。いや、まじまじと見てしまった罪滅ぼし、かな」

「助かります。ほんと言うと、これからどうしようかって思ってましたから」

「彼女といると、目立つから?」


人気があるから、憧れだからという視線ではない。

好奇心ばかりが立っている視線。
それはセラの気にならない。





ただセラが側にいることで、いままで以上に好奇の目が浴びせられる。

誰も入るはずのなかったポジションに、セラがいるから。

セラのせいでクレイが居心地悪くなるのは、嫌だった。




「落ち着かないし、場所を見つけるのも大変」

課題製作に適度な広さは、どこも雑談する学生で埋まってしまっていた。



「それなら、あそこを使うといい。司書はおばあさんだ」

「うるさくないかしら」

「大声で歌ったりしないだろ。多少賑やかなほうがいい」







林の中の、小さな図書館。




子どものころ、近所の男の子と作った秘密基地みたいで楽しかった。

「行ってみます」

「その前に、その本だ」

セラの腕の中へ残したままの最後の一冊を、男は引き抜いた。













「クレイ」

件の黒髪少女が座っている椅子の背に両手をかけて、耳の近くで呼びかけた。




本は、もう終わったの?

もう、どれにするか決まったの?

どんな話にするの?





「行きましょ」

セラが戻ってきたころには、クレイの机の上に二冊の本が揃えて重ねられていた。
セラも向かい側に置き去りにしていた二冊を手に抱えこむ。


通関処理を終えると、ようやく会話解禁だ。




「お気に入りになりそうな場所を見つけたの」


振り返ってセラは、目を細めた。



攫めない、届かない透明な蒼を衝き抜けて

白い光がクレイへ向けられる微笑を照らしていた。












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