Ventus  06





「どこに行くんだ」

「今はだめ。確か、こっち」

足早に図書館外に出たセラを、クレイが追っていた。



セラの顔はクレイではなく、中央図書館を囲む茂みへと向けられていた。

まもなく、林の切れ目を見つけた。
小径と獣道の間ほどの、雑草の茂りようだった。
所々で木の葉をすり抜けた日光が、草と土に落ちる。

腰まで伸びる草が、制服の横を叩く。
先が見えなければ、まるで密林を探索している疑似体験ができる。




クレイが二度目になる同じ質問を口にする前に、目的地のくすんだ石壁が見えた。
本館のように明るいレンガ造りではない。





「感想は?」

「暗い」

「以前は、もう何年も前でしょうけど、こんなに陰ってはいなかったでしょうね」

分室とあって、こじんまりとしていて、夫婦と子一人の住宅ほどの敷地だった。
人の好まない立地条件と、寄り付きそうにない建物を、セラは気に入った。



造りは強固だ。
石を組まれただけあって、重そうだったけれど
巨人が脚を振り下ろしても、傾きはしないだろう。







「おじゃまします」

セラが呟いてしまうほど、館内は閑散としていた。
見渡す限り、誰もいない。

机は本館と同じ、木製だった。
使い込まれたようで、近寄って手を沿わせると滑らかだ。

「こんにちは」

遠慮気味に呼びかけるけれど、反応はない。

司書は老人だと聞いた。
やはり聴覚が弱っているのだろうか。
それとも、留守なのかもしれない。






「いらっしゃい」

張りのある声が視界の外から飛んできて、セラの肩が大きく振れた。
バランスを崩して倒れそうになるところを、隣で立っているクレイが受け止める。

「ありがとう」

引きつった声で、何とかそれだけは言えた。

こんな場所の司書だから、しかも高齢だから
杖を備えたおばあさんだと思い込んでいた。



その想像が一掃される。


声は成熟したものだったが、真っ直ぐに通る。
前に屈みこむような姿勢だと思っていたが、背は壁と平行に伸びている。

「お邪魔しています」

「珍しいお客さん。それにそちらも」



クレイの足から頭の先まで眺めた。

「黒瞳に黒髪、黄色でも焼けた茶色でもないわね」



怒りのこもった目で睨みつけるかと思ったセラの予想に反し
クレイの反応はゼロだった。







「ようこそ。歓迎しますよ、灰色館の主がね」


灰色館。


くすんだ色した石組みの館だからか。
林の木陰にひっそりと建つ建物だから。

「私の髪も、灰色でしょう」

館主の髪は、見事なシルバーグレーだった。




「さあ、そこの椅子に腰掛けて。お茶にしましょう」

「でもここは図書館で、飲食は」

灰色の主人は優雅に微笑んで見せると、手前にあった椅子の背を引いた。

「誰も見てはいないわ。怒られる心配はないのよ。さあ、どうぞ」

ためらうことなく、クレイの肩へ軽く触れ、椅子へと促した。
終始緩やかに、穏やかに時間が流れていく。

小川に運ばれる木の葉みたいに、逆らうこともできないまま
クレイもあっけなく椅子へと腰を降ろしていた。
セラもつられて椅子に座った。






「ポットにお湯を入れたところなの。お茶菓子の心配もないわ」

「あの、わたし」

館主がお茶の用意に、部屋の奥へ下がろうとしたところをセラが呼び止めた。

机に両手をつき立ち上がった。
声を高くしてしまったのを恥じて、顔が少しばかり赤を帯びている。

「わたし、セラ・エルファトーンといいます。こちらは」

黙ったまま、椅子から腰を離さないものだとばかり思っていたクレイが、ゆっくりと立ち上がる。

「クレイ・カーティナーです」

「あら、ごめんなさい。私ったら。お客様がいらして舞い上がってしまっていたのね」

細い銀のリングが指に光っている。
口元を押さえる仕草もまた、この古風な館の主に相応しい。





「申し遅れました。私はヒオウ・アルストロメリア。肩書きは先ほど言ったわね」

組み合わせていた両手を広げて、ヒオウは言った。

「ようこそ忘れられた城、灰色館へ」
















「おもしろい本がたくさん。手入れもされている」

セラは本棚を一列ずつ端から眺めてまわる。
クレイは彼女の後を、二歩空けてついていく。

どれも秩序を保って並んでいた。




規則正しく後を追っていたクレイの足音が消えた。
セラが振り返ると、クレイが立ち止まっている。

「気になる本でも」

言い終わらぬうちに、クレイが背表紙に人差し指を押し当てた。
濃紺布張りの表紙に、金糸で彫られるようにタイトルが縫いこまれている。

「歴史書、ディグダの? 違うわね。これは」



背中の一番上に指を引っ掛けて、クレイが引き出した。
表紙を開ききったらページが裂けそうなほど、紙が劣化している。
ページを捲るたびに引っかかる音がして、緊張してしまう。

「古くて、読みにくい。古語かしら。物語、じゃないわ。神話」

中表紙の真ん中に、小さく斜体で書かれている。

「封魔」

読み上げたクレイの声に、セラは息をのんだ。

気が遠くなるほど昔の話だ。
そこには今のディグダなど、陰も形も存在しない。




続いて、また小さく付け加えられるように書かれている一文。


闇を扉へと封じ 光を世に満たせし者



「千五百年前、人間と魔による大戦が大陸を呑み込んだ」

「魔の住まう闇の世界、人間界を結ぶ扉から魔があふれ出し、人間を喰らう」




時折現れる古文字に眉を寄せながらも、何とか読み進めようとする。

「天を厚い黒雲が覆い、大陸は血を屠り、地は赤黒くその色を変えた」

「あたりには血煙が漂い、屍が積み重なった」

凄惨な表現に、セラが口を閉ざした。
クレイが後を引き継ぐ。




「生あるものは皆、腐臭と鼻につく血の香りを嗅ぎ、それを生きている証とした」

目はさらに先を読み急ぐ。

「光が降りた。流星のごとくに剣を振るう。魔を斬り扉へと追い詰める」

扉を閉ざし、封印の呪を施す。
人間界は平和で満たされる。

「その光の名は」

大陸の勇者は。




「ガルファード」




読みにくい文字に目を這わさなくても分かる。
何度も何度も聞き伝えられてきたエピソードだ。

名前一行の後は、空白だった。

「序文」

セラが呟いた。

「どの歴史書にも、最初は同じような文章が書かれているわ」

まるでそれが揺ぎ無い決まりごとのように。
表現の仕方は違っていても、ストーリーは変わらない。





「これが実際に昔々にあったことですって。信じられる?」

「魔、というものがどういうものなのか、よく分からない」

少なくとも、ディグダにはそのようなものは存在しない。
聞いたこともない。

「人間のほうがよほど魔に近いように思える」

クレイは本を伏せ、セラへ注意を向けた。

「獣は魔法なんて使わない。他人を大量に殺したりしないもの」




「魔法、ね」

ヒオウの声がした。
二人とも目を上げる。

「その本を持って、こちらにいらっしゃい。温かいうちにお茶とお菓子をいただきましょう」

ヒオウは右手を水平へ持ち上げ、古びた机へ二人を招いた。












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