Silent History 194





しばらくの間、昼間にアレスの姿は消えていた。
少し出掛けてくる、夕方には戻ると言い残して、用意させた車を自ら運転して出て行った。
日が暮れ、夕食時に戻ってきた顔は、少し疲れで影が差していた。
元よりよくしゃべる方ではないが、ここ数日間はやけに大人しかった。
タリスが絡むように話しかけても生返事が返ってくるだけだった。
呆れて、むしろ弄り飽きて、何をこそこそしてるんだと鼻から息を吐いても、ああ、整理できたら話すよとだけ口にした。

神徒の二人は今日も食事を終えたら書棚の前に座り込んでいる。
膝の上には読み進めている本が開いていた。
これまでの反動か、物事に対する吸収力、好奇心が一気に解放されているように見えた。
驚く速度で本を食べるように読み漁っていた。

「本は世界を教えてくれる。自分がそこにいなくても、あたかも経験したかのように、見たかのように、疑似体験させてくれる」
でも感動は本物だ、とタリスは一冊を読み終えた神徒の隣に屈みこんで呟いた。

「世界」
「そう。これからは好きなだけ世界を見れる。もちろん、その前にちゃんと神徒であることを学ばなくてはならないが」
この世には危険がいっぱいだ。
回避する術を学ぶのも成長には必須科目だ。
タリスは本を手に立ち上がると窓辺に腰を下ろした。
この家に引き籠ってから、そこが彼女が午後に読書をする特等席となっている。
タリスがドレープの裾の長い服に身を包み、顎を引いて目を微かに伏せて本に目を落としている様は、背景の窓枠を通して流れる光の加減もあり、まるで絵画か彫刻のようだった。

「ひとつ提案があるんだ」
神徒たちがタリスの横顔に目をやっている側で、ラナーンがそっと声を掛けた。
その微かに戸惑いを帯びた声から、二人は来るべき現実が来たのだと悟った。

「君たちが学んでおいていたほうがいいことを教えてくれるところに、しばらく身を置いてみてはどうかな」
「ここじゃなくて?」
「あるいは。もちろん、強制なんてするつもりはないけど」
学ぶ、とは。
確かにラナーンらは物事をよく知っていて、二人は外の世界をほとんど知らない。
黙っている二人に、ラナーンは目を床に落とした。
この世界は、神徒が生きて行くには難しい世界何だと奥歯を噛みしめた。
このまま外に出れば、二人はあっという間に捕まり、売り捌かれる。
それは二人にも分かっていた。

「おれにはタリスとアレスがいて、二人がいろいろ力になってくれている。でも君たちが外に出てもまる裸だ」
「怖い」
「そうだろうね。でもここは君たちにとってあまりに小さな世界だ」
そうかもしれない。
ずっとこの家の中だけで、ずっと誰かに匿われたままで、だとしたらずっとここの家の人に迷惑をかける。
世間知らずとは言え、そこまでは想像できた。

「本はどれほど読めた?」
しばらく考えてから、徐々に下がっていた顔を少し持ち上げた。

「あと十五冊くらい」
「さっきの提案、どうだろう」
「ラナーンたちは、ずっとここにはいられない。一緒にも、いられないんだよね」
残酷な答えしか返せない。
小さな神徒二人を奪って、匿って、それでここにきて放り出すと言うのだ。
彼らは責めはしないだろう。
むしろ厚意に感謝して、受け入れる。
それがラナーンらには辛かった。
最後まで責任を取れないのは、初めから分かっていた。
情が移る前に、神徒の村へと送り出せばよかったのかもしれないと頭を過る。
しかし、今までほとんど他人と、人として触れ合うことがなかった二人を、いきなり仲間だといって神徒たちに押し付けるような真似はしたくなかった。
いかにすれば、幼い神徒たちの心労をかけずして彼らの望む道を歩ませることができるのか。
ラナーンは考えた。
アレスとタリスにも相談したが、神徒の心情を汲み取れるのはラナーンだけだと、選択は彼に託した。
自分だけで考え、自分と向き合い、自分の出した答えが他人の人生を築く。

「力の強い神さまを探してるんだ」
「竜の話と関係がある?」
「かもしれない。神王のこと、神王妃のこと、その御子のこと、繋がっていくんだ。きっと」
「知って、どうするの」
「祖国が今大変なことになってる。おれたちの国だけじゃなく、世界中、いろんなところが」
神門(ゲート)が緩み、世が乱れている。

「おれにはどうにもできないけど、神王がいないなら、その子孫なら何とかできるかも」
「どこにいるか知ってるの?」
「普通の神さまじゃわからない。三女神っていう強い力を持つ、神王に一番近い神さまならきっと。それにアレスのことも」
「神香(しんか)って言ってた、神さまが分かる、神さまの匂いのことだっけ」
神は、アレスから神が触れた痕跡を感じると言った。
その真意を知りたい。

「アレスは神徒かな」
「どうだろうね」
神徒はまるで、人ではなく、人としてあったとしても人種を神徒として分類されていた。
無欲で穏やかで、神に一途な性質が集まって煮詰まった結果でもあった。

「ラナーンは神徒であること、神徒じゃないことの違いって感じたことは?」
「あの二人はね、おれはどこの誰とか、神徒だとかそういう枠で分けたりしない。一緒に過ごした友人として見てくれているから」
今回二人の処遇を決める時も、選択肢提示はラナーンに任せた。
それはラナーンが神徒ゆえに、ではない。
幼い二人がラナーンに心を許し、彼らとの距離が一番近いから任せたに過ぎない。

「とっても素敵な友人だと思う。新しい場所では、そんな友人できるかな」
「今でも、おれたちは君たちを神徒ということを越えて、人として大切に思ってるよ」
「じゃあ、友達なんだね」
「会いに行くよ」
約束してね、とは神徒は言わなかった。
約束などしなくても、ラナーンらは必ず会いに来ると分かっているから。




神徒二人がこの家を去ると知り、家主たちは五日間だけは留まってほしいと懇願した。
旅支度をさせるからと、昼夜忙しそうに動きまわったり、時に部屋に籠りっきりになった。
神徒たちは読み残した本に手をつけたり、時間があれば家主にラナーンらにくっついて別れ惜しむように話をしていた。
最後の夜に、家主たちから二人分の服と荷袋と保存食が詰まった袋を手渡された。
何日もかけて作り、調達した物たちだ。

「好きな本を二冊、持って行きなさい」
生きる上で必要だと思える本があれば、と本棚の前まで彼らを導いて、肩を叩きながら言った。

「それから、もうひとつ。またいつでも帰ってきていいから。いろいろ見て、学んで、あなた方が生きる土がもしここであるなら」




翌朝早く、荷袋を背に神徒とラナーン、アレス、タリスは旅立った。
神徒救出に助力したあの男も見送っていた。
彼はまたひっそりと、いつもの生活に戻るのだろう。

神徒らの身の預け所についてはリルにも相談してある。
人目を避けつつ、神徒の村に辿り着くまで三日もかからない。
足は家主が用意した。
何も事情を聞かない無口な運転手つきで丸一日車を出してくれた。
家主らは運転手の素性も明かさなかった。
ただ、彼も私たちと同じ、心配はしないで大丈夫とだけ言って送りだした。

アレスが地図を見せ、このあたりで行ける所まででいいという依頼に、運転手はしばらく目を閉じて考えたのち、ひとつ頷いた。
アレスは警戒をしていたが、運転手の中年男性に気を張った様子はなかった。
話も最低限の、食事にしよう、休憩だ、何かあったら言えの三つだけだった。
田舎道、舗装がされ整った車道に徐々に車線が増えて行き、交通量も増えた。

「血管を流れる血液みたいだ」
眠ったり、外を眺めるのに飽きたタリスがぼんやりと口にした。
カーテンの隙間から、縁石の間を行き交う車の流れを幼い神徒たちは覗き込む。

新車ではないが、よく手入れされている車は口数の少ない持ち主に似て、快適に走った。
車内も広く、椅子を跳ね上げて足を伸ばして使えた。
運転は丁寧で、道の悪さで多少車体が振られもしたが、車酔いは幸いにも一人として出なかった。
早々にラナーンは、同じ景色が流れる田舎道の最初の一区間、クッションに頭を乗せて熟睡していた。
休憩を挟み、車が増えてきた次の一区間は起きていたが、車線も車の数も人も増えてきて追うのに疲れたのか、またクッションにつかまったまま動かなくなった。

「なかなか外は見られないだろうから。よく見ておくといい」
眠りこんだラナーンから視線を外し、カーテン越しに窓の外を眺めたタリスが神徒二人に呟いた。
外を歩くにも気を使うのが神徒として生まれたものの運命。
言葉を濁したところで避けられない現実だ。
彼ら二人が何をしたわけでもない、理不尽な世の中で哀れには思うが、タリスにはどうしようもなかった。

「外に、出られないのかな、もう。また」
カーテンを握りしめる手が青白く色を失っている。

「そうとも限らない。そうだ」
タリスはふっと二人に微笑みかけた。
胸元を探って取り出したのは、青い石が埋まったネックレスだ。

「二人にあげる。綺麗だろう?」
それぞれの目の前にぶら下げて、受け取らせると寝転がっているラナーンの微かに寝汗で湿った横髪を掻き上げた。
左耳には青い石が光る。

「ラナーンのとは違うけど、お揃いだ」
夜明けが始まる深い青の石、方や二人のは晴天の空の色を移したようだった。

「お守り、ってことにしとこうか。それに私たちが出会ったお祝いに。もうひとつ、覚えていて。人と人って言うのは繋がり合うもの。糸と糸が絡み合って結び合うように」
首から下げた空色の石を二人は手の上に乗せて覗き込んだ。
外から差し込むカーテン越しの淡い光で煌めいている。

「知ってる? まるで昼下がりの水底のような光をしてる」
「知らない、けどきれい」
「君たちは、これから世界でいろいろな美しいものを探せる。自分の記憶に、手元に美しいものを集められる。綺麗なものが側にあるのはね、私の最上の幸せなんだ」
「ありがとう」
「世界は広い。美しいもので溢れている。見て、感じるといい」
暗い世界しか知らなかった二人に、せめてもの送る言葉だ。

「到着は日暮れ頃になる。大丈夫か?」
アレスが首を巡らせてタリスら後方に呼びかけた。
ラナーンがゆっくりとクッションから顔を持ち上げた。

「腹が減ったか?」
寝ぼけた目で重い瞬きをして、ゆっくり首を横に振った。

「喉が渇いたのか。ほら」
アレスが伸ばした手から水のボトルを受け取った。
温い水が労わるように喉に流れ込む。
目尻からそっと外を伺った。
車は街の郊外を走り始めている。
ラナーンは聞いた行程を反芻する。
着いて宿で一泊、また車で、徒歩で。
考えかけて、諦めた。
寝起きで頭が回らない。

「水、なくなった、アレス」
「明日の分もまだある。まだ長いから眠っとけ」
首をまたゆるゆると振り、窓に寄り掛かった。
神徒の村。
目の前の二人は見知らぬ土地に不安で堪らないだろう。
何か教えて、安心させてやりたいが、同じ神徒でも神徒として生きてこなかったラナーンは話せることはなかった。
そこが彼らの生きやすい土地であるように、祈ることしかできなかった。











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