Silent History 195





二人の神徒と別離を経て、車は西へと進んでいく。
ルクシェリースを大横断する最中、ちらほらと白装束の集団を見かけた。
聖都と呼称される、シエラ・マ・ドレスタの都は街道よりはるか北方にある。
それでも国境から離れ、ルクシェリース深部に進むにつれ、独特な白亜の町並みが連なっていた。
白装束の集団はいずれも厳粛な立ち姿で、ともすれば壁に融けこんでしまいそうだ。
規律正しく、伸びた背筋はまるで騎士だ、と眠れないアレスはカーテン越しに車窓を眺めた。
聖都の深層部に眠る姫君を守る、純白の騎士たち。
彼らは知らないのだ。
その姫君のことを。
千年の化石が動き出す瞬間も。

そこまで考えが進んで、アレスは窓に額を押し付けた。
先走る思考が馬鹿馬鹿しく思えた。
妄想が過ぎて、自分に酔っているようなのを自覚して、ざらついた罪悪感が胸の中に燻ぶった。
確証もないこの霧のようなものに悩まされているのが腹立たしい。

アレスはよく夢を見ていた。
鮮明で、目覚めて記憶に染み付くような夢だ。
水の音、肌を撫でる冷風、女の言葉にならない声。
以前にも何度か見たことがあったが、ルクシェリース領内ではさらに頻度が高まった。
眠るのが嫌になる。
何者かがアレスに干渉してくるようで我慢ならない。
そもそも外部からの干渉なのか判然としない。
掴みようがないのだ。
相手は、不眠の原因や相手は目には見えない。
ただ見たくもない夢が、やたらと鮮明に脳に映写される。
不要な情報の押し売りだ。
自我の境界線に無遠慮に触られている感覚だ。
未知のものがあるのはいいとしても、俺の知らないところでやってくれと言いたかった。
煩わしさが頭の片隅に巣食っている自分が嫌になる。
自己完結することが、自分の感情をコントロールできないことに苛立ち、そうした自分に嫌悪した。

神の香りをまとう者とかいう訳の分からない称号まで頂く始末だ。
迷惑以外の何物でもない。
ペースが乱される。

脳内に叩き込まれる夢を、予知夢だ、吉兆だと騒いで何になる。
ここの神さまとして祀られた女がどうなろうと、アレスにとってはどうでもよかった。
巻き込み事故にあったようなもので迷惑極まりなかったが、アレスの眠れない日々は続いた。
アレスにとって価値のあるものとは、ラナーンとタリスが望む現実を手に入れることだ。
ラナーンが神徒であると分かった以上、彼がその一族に対して情報を得たいと思うのは当然だ。
タリスも友人のこと、自国の安寧の一助となることを求めて同行している。
アレスの行動理念はデュラーンを出たときから変わらない。
ラナーンの望む道にともに在ることだ。
ラナーンがもし、いずれかの神徒の村に留まりたいと願えば、アレスもそうするだろう。
何の疑念も、何の躊躇もなく。
追従することがアレスの行き方だった。

まったくもって気分の悪い話だ。
さっさとこのルクシェリースという土地を抜けてしまいたい。
どうもここの土は、自分の肌に合わない。



明らかに顔色が優れないアレスの渋い顔をタリスは同席している荷台で向き合って、時折様子を伺っていた。
タリスの様子にアレスが気付くかとも思っていたが、状況はひどいらしく、タリスが向ける視線まで気が回らない。
そんな注意力散漫でいざというときに大切な大切なラナーンを守れるのかと呆れるが、有事には驚くほど機敏に動くのがこの男だと思い直した。
そもそも今でも信じられないことだが、この男の生きる意味や存在価値はすべてラナーンに起因している。
馬鹿馬鹿しいほどに依存し、執着し、もちろんタリスもラナーンは大切な幼馴染だが、どうしてそこまで全生命を掛けて従属するのか理解できない。
父に各地を連れ回されようやく落ち着いたデュラーンで、そのただ一人の肉親を失った。
ほとんど見知らぬ大地にひとり取り残された。
アレスは賢い子どもだったのだろう。
ひとりでどこに生きて行く力のない無力さを理解した。
生きて行く術を見失い、失望の子どもの目の前に現れたのがラナーンだ。
まるで白馬の王子様ってわけだ。
タリスはそれを思うといつも口元が緩むのを抑えるのに苦労した。
アレスは本当に乙女だ。
確かに最初に救いを差し伸べたのはデュラーンの王だ。
ラナーンに引き合わせたのもその、ディラス王だった。
だがアレスにしてみれば立ち並ぶ大人は壁のようなものだ。
初めて同じ目線に立った子ども。
同じ人種はラナーンだった。
盲信だ、とタリスは目を閉じ車の振動に身を任せて微睡の中で考えた。
だがそのアレスの生き様を嘲笑うことはない。
アレスにとっての世界、それがあってもいいじゃないか。
ただ、いずれアレスは身を滅ぼすだろう。
それがアレスにとって身を刻まれながら、苦痛の中もがき苦しむ道であっても、タリスに止める権利も術もない。
それは二人の問題であり、タリスにどうすることもできない。
ただ二人が幸いであればいいと願うだけだ。

ゆえに私は剣を振るおう。
傍らに凭せ掛け、腕を絡ませていた鞘を引き寄せた。
ラナーンを、アレスを守るために。
私は二人を愛しているから。

目が覚めたらどこにいるだろう。
ルクシェリースはまだ、抜けないのか。






車が大きく車体を揺らして止まった。
日が暮れて、すでに周りは黒の帳が降りている。
雨上がりの夜だった。
建物の石壁は黒く湿って外灯に鈍く光っている。
水はけの悪い地面は墨を流したかのように、水溜まりをいくつも連ねている。
車は大きく転回し、建物の陰、一際昏い場所へと流れて行った。
車窓からは、建物から吐き出された熱気混じりの粘質な空気が流れ込んでくる。
肉の臭い、脂の臭い、焦げた臭い、生臭い臭い、アンモニア臭。
肌にまとわりつくじっとりとした不快感で目を閉じていても分かる。
ここはあまり治安の良い場所とは言い難い。

綺麗な場所とは言えないが、寝台に蚤はないから安心しろ。
飯もまぁ悪くはない。
ペンキの剥げた柱が雨露を伝わせている宿屋を顎で指した。
一瞬顔に陰を落としたタリスの顔が目に入り、男は小さく鼻を鳴らす。

怖い顔をするなよ。
ある程度事情を知った上で言わせて貰うが。
お前さんたちは今どこに立ってる? ここ、ルクシェリースだ。
お前さんたちにとって一番の危険は何だ? 高級宿だ、理由はわかるな?
そこまで聞いて、ラナーンはふと目を反らした。
闇と雨で黒く沈んだ路地。
対岸、道の向こう側に落ちていた。
軒下の壁沿いに黒いゴミが打ち捨てられているのだと思っていた。
だがゴミ袋だと思っていたその端から、白いものが覗く。
あれは、手。
人の、手だ。
ラナーンは固まって声が出なかった。
手だと分かれば丸く固まった物体の輪郭が見えてくる。
人の背中だ。
あれはふやけた手だ。
死体か?
手は、小さいようにも見える。
死んでるのか?
子ども? 自分より小さい?
ラナーンが隣に立っているアレスの上着の裾を引いた。
それもすぐ離し、水溜まりを突っ切って数歩の距離を真っ直ぐに歩いた。
アレスがラナーンの肩に手を掛けるが、その下をするりと抜けた。

ラナーンが屈みこみ、そっと黒い包みを摘んでみた。
人の、濃い毛髪が包みの下から現れた。
軒に守られてある程度雨が凌げるにも関わらず、水から引き揚げたようにそれだけ濡れていた。
更に包みを引き揚げて剥がす。
顔は髪に覆われて見えない。
うつ伏せの背中、服が張り付いた肩に目を落とした。
うっすらと、背中が揺れるのを見てとった。
動いている。
生きている。
ラナーンが顔を上げれば、頭上にアレスの顎があった。

連れて行く。
呟いたがアレスが反応しない。
立ち上がり、目を合わせてもう一度はっきりと言葉にした。

「連れて行く」
「これをか?」
「宿にもう一部屋、いや、寝台ひとつでいい。空きはある?」
男に声を投げた。
本当は空けてくれと声を張りたかったが、建物の間だ。
それに雨上がりの人影のない場所で響く。

「そりゃ何とかなるが。こんな客、宿も受け入れるの嫌がるだろうよ。もし万一」
「死んだら? 金を積めば何とかなるだろう? そういうルールじゃないのか?」
タリスが懐から何かを握りしめ、男に突き出した。
足りるだろう。
余った分は交渉の手数料だ。
男に受け取らせると、宿に踏み込ませた。
その後に背後に一瞥をくれたタリスが続く。
ラナーンが濡れて行き倒れた体を持ち上げようと腕をとったが、アレスがその腕を奪った。
腕を首の後ろに回して、濡れた包みごと持ち上げた。
重くはない。
思ったより小柄だったので運ぶのは容易だ。
項垂れた顔を、ラナーンの目は捉えた。
ひび割れているが、形はよさそうな唇。
肌は滑らかで美しい。
どこか馴染みのある顔立ちをしていた。

「ラナーン、フードを引いてやれ。お前もな」
二人も宿屋に入った。
重かった雨雲で夜の始まりも闇が濃かった。
それも雨は上がり、まだ夜も浅い。
酒を求めてこの界隈も人がちらほらやってくるはずだ。
粗暴な地域だった。
外をふらふらしていれば、異質な空気を持つ奴は剥がされる。
それでもここが安全なのは。

宿屋の丸電球の下で、ラナーンの端正な顎がフードのしたから現れた。
これを狙うのが、金持ちで趣味の悪い下種野郎ばかりだからだ。
アレスは胸の内で舌打ちし、罵倒した。

いや、こいつらか。
アレスはずり落ちそうになる荷物を、肩を揺らして抱え直した。
階段の奥の一室と、扉で仕切られた二室を押さえられた。
続きの二室へとアレスは荷物を持ち上げて行く。
神徒というのは妙なものだ。
その毛色を嫌われる。
美しく、穏やかで、従順な心持が、人の芯を失ったものとして忌み嫌われた。
人が人である自尊心、意識を神に抜かれた、人間の殻だと。
人の魂が抜けた殻になんの意味があると言うのか。
彼らは人形だ。
彼らは神に心を売り、人間を棄てた者どもだ。
彼らは人間ですらない。
その思想を、ルクシェリースで手に入る本から学びとった。
金持ちどもは、こいつらを軽んじる。

ここはそんな金持ちどもが用のない「まともな」宿だった。
そいつらが歩き回るとしたら、下着姿の女たちが嬌声を挙げる他の宿だろう。

「タリス、そこの布で良い。床に広げてくれ」
掛け布団代わりの綿織りの布がアレスの指示で広げられ、その上にアレスはラナーンが拾った荷物を乗せた。











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