Silent History 187





岸壁の先で両腕を広げた。
眼下は刀で叩き切ったように岩が落ちている。
天空を鳥が巻いている。
上昇気流を孕みゆっくりと昇っていくのだ。
高く、高く、高く昇り。
遠く、遠く、遠くへと旅立っていく。

袖に風が絡む。
姿の見えない風が布を絡めて流れを作る。
耳の側で声を荒げる。

日差しに温められ地表を渡ってきた風は土の匂いがした。
森を抜ければ木々の緑を飲みこむだろう。
そうしてどこからかやってきた風は、どこまでもどこまでも旅をする。

「ここは遠い」
いろいろなものと出会い、見て、言葉を交わし、学び、去っていった。

「どこまで旅をするんだろう。何をみつけたら満足するのか」
私は。
私たちは。
見上げた空はひどく青く、透き通っていたので、意味もなく喉が詰まった。

「神さまをつかまえるんだ」
子どものように無邪気な声が、隣で弾んだ。

「そうすればすべてうまくいく」
隣にいるこいつは、こんなに軽快な人間だっただろうか。
いつの間にか視線が高くなり、いつの間にか声が下がった。
黒い艶やかな髪が空気に融けるように柔らかく浮かび上がる。

「漠然としてる」
「手の中にあるものが確かじゃないから。確かなものを願うんだ」
夢を追っているような感覚がした。

「夢の中にいるみたいだ」
「神さまがいる世界だからね」
まるで物語を渡り歩いているかのような感覚だった。

「嘘みたいな話だ」
「誰かの壮大な嘘の上を歩いてるのかも」
大きな本を広げて。
大きな大きな、古びた黄色い紙の上に飛び乗った。
うねる文字の上を落ちないように気をつけながら渡っている。

「物語を書いているのは神さまか」
「さあね。どんな世界でもいいんだ。その世界の真ん中にいるのはいつも自分だから」
「世界を見て、世界を築き、世界を歩くのは私、そしてそんな世界を変えられるのもきっと、私」
「神さまを探そう。おれたちは、知らなきゃだめだから」
「そうだな。知ることで、私の世界は広がる」
私の世界は、私のものだ。
誰に操られもしない。
誰に誘導されもしない。
大人しく誰かの手の上で踊るなんて御免だ。
世界は、私が作る。

「アレスに付きまとってるっていうのも気になるし」
「あの男のどこに惹かれたのか捕まえて聞いてやりたいな」
「神さまがどこに惹かれたのかは分からないけど、アレスは人気者だよ」
「知ってる」
アレスがファラトネスに来るたびに、侍女たちが騒ぎ出すのを見てきた。
大人になるのが楽しみね、と顔を寄せ合う姿も目にした。
あれから月日がたち、背は順調に伸び、肩を始め骨格は逞しくなった。
幼さは精悍さに置き換わり、保護者たる使命感と責任感で精神も鍛えられた。
ファラトネスに連れ戻ったら大変なことになるだろう。
ラナーンもやはり成長はしており顔の丸みは取れたものの、中性っぽさは抜けない。
そのあたりがやはり神徒の血なのだろう。
男の性と女の性との境を歩く神徒たち。
総じて穏やかで闘争を嫌う。
好ましい性格だ。
なのにその思想と信仰が彼らを追い詰めた。

「ラナーンは土を求めるか?」
神徒たちが己が根付く地を求めたように。

「分からない。でもどこに還りたいっていうのはないんだ。きっと」
「ラナーンの土はアレスなんだ。だから」
「そうかもしれないって、最近思うようになったよ。繋がってるんだ。欠けると痛いんだ」
「私も、少しはそう思ってもらえてる?」
「もちろん。タリスも大好きだ」
タリスは指を断崖の先に突き出した。

「旅立ちのとき、いざ行かん」
山を越え、足を拾えばルクシェリース領に入る。

「いわゆる敵地ってことだな。心して行くぞ」
「捕まったら売り飛ばされるんだろう?」
「神徒ってのは絶滅危惧種だ。実物なんてそうそう目にしたことはないだろう」
ラナーンでさえ、そうと言われて初めて神徒なのだと気づいたくらいだ。
見目は小奇麗な人間に変わりはない。
蓋を開けてみれば信仰していたのが神王というくらいだろう。

「恐れることはない。私たちが守ってやるから」






荒涼とした土地は、進む度に冷えていった。
薄着だった着衣にひと重ね、またひと重ねと買い足していく。
風土、気候、時間を計算してファランが地図に点を打ってくれた。
物資や衣類を買い足せる場所だ。
列車の乗り継ぎに、宿の取れる町。
丁寧に書き込まれ、アレスの手に握らせた地図は完璧だった。

列車に揺られるラナーンの寝顔から、窓の外を退屈そうに眺めるタリスへと目を移した。

「眠らないのか」
「夜の駅っていいな。閑散として冷たくて、なのに灯りが白く灯る。この寒い中ベンチで座り込んだ男は何を待ってるのかな、とか」
曇っては手で拭い、窓枠に肘を押し付けながらタリスは外ばかりをぼんやり眺めている。

「夜行列車は珍しいからな。俺も見慣れない風景は嫌いじゃない」
寝台列車が走っていればよかったが、この路線では確保できなかった。
隣の四席も空いているのだから、そちらで広々と横になって眠ってもいいのだろうが、タリスは動かなかった。

「ラナーンはもったいないことをしてる」
「気が張ってるんだろう」
「寒くはあるけど、雰囲気はリルのいた町とあまり変わらない。排他的な感じもしない」
「人種の交流点だから、このあたりは」
内陸の貿易拠点で、物が行き来し人も言語も交じり合う。

「まずはこれだ」
アレスが紙片をタリスへ手渡した。
タリスは手の中で一瞥した。

「仲介人?」
「俺たちはいわば一級の宝物を宝物庫から盗み出そうとしているようなものだ」
アレスがそこは声を落として口にした。

「行ってみて危険だったらすぐに引く。こっちだってこいつを抱えてるんだ」
彼はラナーンを横目で示した。

「心得てるよ」
タリスはしばらく外を眺めていたがそれにも飽きたのか、ラナーンの肩に自分の額を置いて眠ってしまった。

下車駅の手前でタリスは目を覚ました。
肩に圧し掛かった頭が軽くなったのに気づいてラナーンも目を擦りながら窓に押し付けた頭を起こした。
目の前ではアレスが地図を眺めていた。
一睡もしていないようだ。
二人が起きた気配に気づいて、地図の端から顔の半分を覗かせた。
「もうじきだ」

車窓の向こうにはいつの間にか家が連なっており、屋根から白い息を吐いている。
人が生きている、動いている、それを近くで感じた。






物資、文化、人種、あらゆるものが目の前を通り過ぎる。
さまざまな抑揚の言語、寒いが故に酒もよく並ぶ。

タリスが飛びついたのは屋台だ。
駅を出てすぐに体が冷え始めたし、列車の中では食べ物らしい食べ物を口にしなかった。
他国で一番気を付けなければならないのは水だ。
だが躊躇することなく彼女はスープ鍋へと突き進む。

汁物が湯気を立てて鍋で煮立っているのを見ると食欲が一斉に声を上げた。
いままで口にしたことのないスパイシーな匂いに好奇心が刺激される。
早速注文しはじめたタリスにアレスが、両替商に行ってからだと止めにかかった。

「使えるか?」
タリスが硬貨を店主にかざした。

「使えるらしいぞ。よかったな」
国境を跨いでも、ここはまだ通貨が混在する領域らしい。

「三つ頼む」
そこで体を温め、屋台を二つ渡って満足してから紙片の場所へと向かった。
昼も過ぎたころで時間もちょうどいい。

丁寧に舗装された道、密集した住宅街とその間を道が縫っている。
人口密度と店舗の多さから迷うかと思ったが、リルの情報は簡潔的確だ。

「十三通りライクネクラルで噴水」
何のことかは分からないが、十三通りを目指して歩けばその名のカフェに行き着いた。
アレスが駅でいつの間にか手に入れた街歩きガイドにライクネクラルの見所が掲載されていた。
二時間おきに噴水が噴出すらしい。
カフェの下には水が引いてあり、浮島になっている卓もある。
客はさまざまで、端の方で遅めの昼食を取っている行商人、その斜め前には商談をしている二人の男が向き合っている。
脚を組んで新聞を広げている老人。
道に面したテーブルには上品な婦人が談話中だ。

アレスらは手荷物が嵩張るので噴水の良く見える奥の席を取った。
ちょうど目の前に茶が三つ並んだところで時間を告げるように噴水が湧いた。 。
騒ぎ出す噴水に注意が向かっていたところに、そっと影が差した。

「こんにちは」
デュラーンの発音だ。
懐かしい訛りに吸い上げられるようにラナーンが顔を上げる。
アレスは空気を張り詰めて警戒し、タリスは口元に笑みを浮かべながらも尖った視線を投げつけた。

「こんにちは」
「リルから話は聞いています。同席しても?」
中年の男性だ。
洒落た服装に帽子に手袋といった小物まで押さえている。
語調に仕草、まさに紳士だった。
アレスが隣の空席を引いた。

「デュラーンの方だと伺い、昔聞いた言葉を倣ってみましたが」
なかなかうまくはいきません、と平常の語調に戻った。

「リルの紹介ということで、おおよその趣旨は理解できます」
しかし詳しい話をするには人目がある。
よければ後ほど場所を移しましょうと言った後、自分の分の飲み物も頼んだ。
その間もラナーンらには直接情報を聞きだすような真似はせず、街の概要を話していた。
食事はどこが美味しい、地図はここで手に入る、街の構造。
地の利はあるに越したことはないと、観光ガイドのような説明だった。

おおよそ話し終えたころにはカップも底が見え始めていた。
詰めすぎずなく、相手の興味のありそうなことを端的で、話の上手い男だった。
支払いはまとめて彼が受け、では参りましょうの声とともに立ち上がった。

「しかし、あなたが」
目尻に皺を寄せて、興味深げにラナーンの顔を覗き見る。
好奇心に煌く純粋な目に見つめられても、ラナーンは嫌悪感は抱かなかった。

「失礼。さすがはリルだ。同じだと一目で見抜いたとは」
神徒ゆえに、神徒の血を見抜いた。
見るものが見ればその血が分かる。
紳士は背筋を正して先を歩き始めた。

「大丈夫、そうそう分かりはしません。堂々となさるとよろしい」











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