Silent History 180





地面で燃える松明に揺らめいて、土壁に縫い付けられた神の姿が濃く浮き出していた。
蔦が腕を這い、肌に噛みついて融合していた。
浮き出た動脈のように、土に潜り込み、どこからが神でどこからが部屋なのか、あるいは自分たちは巨大な神の胎内にいるのか、奇妙な感覚がした。

タリスの火を灯しても、変わらず空気は清浄だ。
死体と繋がった空間で密閉されているというのに、腐敗臭はおろか黴臭さすらない。
呼気が溜まる湿って重い空気もない。
窓を開け、風を流しているように澄んでいた。
すべて、神の力の一端に違いなかった。

それは地脈に半身を食わせた、哀れなカリムナの姿に似ている。
土地に豊穣を与えるカリムナはその力の代償にヒトとしての体を奪われた。
痛々しい木の根に体は変質し、その土に縫い付けられた。

死が命を取るのが先か、地脈が人の意識を喰らい尽くすのが先か。
彼女は冷静の仮面の下で一人怯えていた。
彼女はヒトであり、最後までヒトであり続けた。

人々は神あるいは神に近きものとして彼女を仰いだが、彼女は紛れもなくヒトだった。


神は神の道理を生きる。
神とヒトとは異なる種族だ。

彼らは人に似た器を持っているだけで中身はまるで違う。
言葉を成さずとも、声は届かずとも、記憶を共有できる。

力に応じた無数の階層を構成する。
上位層は下位層の記憶にアクセスできるが、下位は上位の記憶は覗けない。

記憶集団はまるでアーカイヴだ。
巨大な図書館、巨大な引き出しのようなものだ。
上位層の神ほどより多くの鍵を持つ。
下位層の神が触れられる記憶は極限定的だ。

その最上位にいるのが、神王。
ヒトの歴史、封魔の歴史の中では黒の王として忌まれている、神々の中の神だ。

その下位に、焔女(ほむらめ)、藍妃(らんひ)、樹霊姫(じゅれいき)の三女神がおり、さらにその下位に、これまで出会ってきた神々がいる。
巨大な力を有すれば有するほど、行動は制限されるらしい。
そういった神々の生態の切れ端が、アレスが認識できるすべての情報だ。

すなわち、目の前にいる木々に体を半分食われたこの神は、今までの神々以上に力を有する。
より多くの情報にアクセスする権限を有しているということだ。




アレスは神に対峙し、薄っすらと開いた目を見つめた。
不思議な色をしている。
深海の色だ。
何かを見ているようで、何も見ていない。
髪の輪郭に掛かる銀糸の髪も、その髪先は土に溶けている。
不思議な生き物だ。
いや、そもそも生き物なのか。

カタチがあるようでいて、不定形。
神というものは、水に流した糸のようだと聞いた。
流れる水に枝を差し入れて、絡み付いた糸の様だと。
ヒトの肌がヒトの肉と外界を隔てているのとは訳が違うのだろう。
神の皮膚は、膜は何で形成されているのだ。
神と、それでないものとの境界は何で分断されているのだろう。

人語を交わしながら、意思疎通を図りながらアレスはヒトと神との差異について考えずにはいられなかった。

そして彼ら神々を信奉し、土深くに、自らの墓穴に隠匿した神徒を思う。
窟と呼ばれるこの場所は単なる巨大な墓穴ではない。

「ここに眠るのは神徒の生き様か」
「そうだ」
それは神が見せたかったもの、人の手で弔ってほしかったものだ。
アレスらを呼んだのは彼らの想いか、神の想いか。

「神徒が生まれ、生きてきた道程が記された書物、彼らが朽ちた墓標、そしてここに彼らが守りたかった未来がある」
「未来。そんなものは人が生きてこそ意味を成すものだ。もはや彼らは土塊となり、魂は融けた」
土は侵されない、一つ目の願いは届き、種の存続、二つ目の願いは潰えた。

「彼らが朽ちる様をここで見ていた」
「彼らは飢えて死ぬことはない。私は豊穣を与えた。私にできるのはそれだけだ」
神があり、ヒトがあった。
神はヒトを守る義務を持たない。
朽ちてその責を負わせる意味はない。
だがアレスには腑に落ちなかった。
ヒトの血が絶え、それを見届けた神の所業に対してではない。
ヒトはヒトの道理を生き、神は神の道理を生きただけだ。

「その姿で、それだけってことはないだろう?」
その力の意味を、アレスは知りたい。

「何を守ってる」
土に縫い付けられた器、それに秘められたる力、神徒がそうまでして守りたかったのはただ信仰心ゆえに、か。
神徒の信心を疑うわけではなかったが、何かしらひっかかるものがあった。

「私たちが守れるものといったら決まっているだろう。幾度も私たちに出会ってきた、お前ならば」
「神門(ゲート)か」
「ああ。だがここにあるのは石屑ではない」
アレスの目には白い神門(ゲート)が目に浮かんだ。
崩れた石、空間の狭間に口を開いた裂け目。
ヒトが破壊し、神は消滅した死した神門(ゲート)、残骸だった。
ヒトは封印したと思い込んだ。
事実、川に土砂を流し込んだように一時的には堰き止められた。
しかし一時凌ぎ、堰はやがて決壊する。
兆候は、これまでにない凶暴な夜獣(ビースト)出現によって現れていた。

空間が割れる。
みちみちと音を立てながら夜獣(ビースト)が裂け目から体を押し通し、湧き出している。
夜獣(ビースト)のいる、あちら側は抑圧されて出口を求めている。
ヒトの世界と魔の世界、その境界にある神門(ゲート)、二世界の緩衝地帯である、神門(ゲート)を取り巻く森。
フィルターはヒトの手により破壊された。
栓は弾け飛ぼうとしている。

「生きて、いるのか。現存する、神門(ゲート)か」
ヒトの手に掛けられていない神門(ゲート)。
そして宿る神を神徒は命を掛けて守りたかった。

「私の後ろでは魔がひしめき合っている。早く出せと煩くて敵わない」
塞がれていない出口に魔は殺到した。

「先を見通す力の乏しいヒト。それは短命ゆえか」
目先の恐怖に慄き、震える剣を魔を吐き出す神門(ゲート)と神に振り下ろした。
破壊と堰によってもたらされる混沌を見据えもしないで。
その結末が、今ここにある。

「押し留めているのか。しかし」
「これだからヒトは面倒なのだ。私たちと意識を交感できない。言葉と言う記号を交換することでしか互いに理解ができない」
伏せられた目には哀しみが混じる重い色をしていた。

「ゆえに、ヒトはヒトと諍う」
「聞きたい。それが、ここで見てきたことが、あなたにとってどれ程の時間かはわからないけど」
ラナーンが進み出て、壁に貼り付けられた神を見上げた。

「私たちの時間では一瞬の出来事、そのはずだった」
「でも、長く感じた。 どうして?」
「私のことを知ってどうする」
聞くべきは、神徒のことだったのかもしれない。
ラナーンは一瞬考えて顎を上げた。

「違うものだから、知りたいと思う。いけないことかな」
「私のことなど」
「神とヒトは相容れない。でも何も感じない者はきっと、ヒトの死を悼まない」
ヒトの手で弔ってほしいと願いはしない、とラナーンは思った。

「答えは? さっきの」
悠久の時を生き続ける神々、そのひとかけらに囚われた神。

「人は流れ消えゆくもの。だが、ここで共にあるうち、それが絶えてしまう様は哀しかった」
「互いに異質で、繋がりが言語という記号に過ぎなくても、混じり合うことはできるんだ。きっと」
「おかしな人間だ」
「おれは神徒だし、アレスは神徒の声を聞いて、神の香りがするらしい」
「神香、確かに微かには。しかしそれがお前たちに添う理由など私の及ぶところではない」
部屋に反響する、滑らかな音声。
唇の形を成したものは微動だにせず、しかし音の波は発せられている。

「いいだろう。お前たちの背丈に合わせて話をしよう」
何が知りたい、と質問の扉を開放した。
されたはいいが、何から始めるべきか躊躇した。
こういう場で遠慮なく切り込むのがタリスだが、彼女の切先も気まぐれだ。
その隙をラナーンが突いた。

「魔を、夜獣(ビースト)を抑え込んでいるからその姿に。そのアレスの推測は正しい?」
「膨大な力を要する。それもいつ潰えるか」
「神さまの仕事は、神門(ゲート)で魔を調整すること。魔を流すのが役目なのに今は抑え込んでいる」

「ひとつ」
お前たちに教えてやろう、と神の目が動いた。

「魔の流れを調整するいうなれば私は弁膜のようなもの。しかし今は魔を解き放っては世界の均衡は崩壊する。一度解放すれば堰は吹き飛ぶ」
膨れ上がった風船に針を突き立て穴をあけるようなものだ。

「しかし夜獣(ビースト)は収まっていない。ファラトネスでもデュラーンでも、私たちが出てきたときと変わりなく、予断は許さない。堰に亀裂が入ってるってことか」
いずれ、間もなく決壊するということか、とタリスが声を震わせた。
一歩一歩、神のこと神門(ゲート)のこと、神徒、夜獣(ビースト)、ピースを集めているが、故郷に持ち帰れるだけの絵は完成していない。

「時間だけが過ぎれば、神の力も破れる」
「何も手を施さなければ魔に呑みこまれてしまうんだろう? 元に、戻せないかな」
「何を元に戻すって?」
タリスが腰に手を当ててラナーンを覗き込んだ。
彼女は主語がはっきりしない会話が嫌いだ。

「神門(ゲート)だよ」
そもそもの発端は、人間が森を切り開いて神門(ゲート)を露わにしてしまったところにある。
切り崩して緩衝地帯を薄くし、出会うべきでないヒトと魔を引き合わせた。
どちらの世界にも属さない中立地帯をヒトが侵犯した。
怯えて神門(ゲート)を破壊し、魔の流出を止めようとした。

「石を組んでも神門(ゲート)はきっと戻らない。神さまも消えてしまった。でも森は」
再度緩衝地帯を形成する。
森で覆うのだ。

「どれほど効果的なのか分からないのに。そもそも樹を植えて育つまでどれほどの時間が掛かると思う?」
夢としてなら悪くない、とタリスは言う。
だが同じ口で、それが可能だと本気で思ってるのかと窘めた。
決壊の日は近い。
だが彼らには回避する術もない。
ヒトはヒトの罪を知らず、ゆえに現実も真実も見えてはいない。
焦燥がタリスの胸に焼きごてを当てる。

「実際種を植えるにしても誰がするんだ。私たちだけでどうこうできる話じゃない」
友人たちを総動員しても世界を変えることなど不可能だ。
シーマ、ラナウ、他にもタリスやラナーン、アレスが出会ってきた人間は少なくはないが、彼らの手を総動員したとしても世界を支える支柱にはなれない。

「現状が転じれば、世界は延命できるやもしれない。しかしその術も可能性も私の手の届かないところにある」
「打つ手なしってことか。このまま夜獣(ビースト)がこっちがわに流れ込んで、ファラトネスも、デュラーンも、それだけじゃない」
姉のいるリヒテルも、今まで出会ってきた人々の愛する土地も。

「封魔の時代の再来だ。ヒトは戦い血を流す。でも今度は勝利無き戦いだ」
破壊すべき神門(ゲート)はもうない。
先に待つのは累々と積み上がっていく屍の塊だ。

「見えない話をしても仕方がない。見える話をしようじゃないか」
沈痛な空気を破った声はアレスだった。

二度目の崩壊が起ころうとしている今、ヒトが助かる道は一つ。
緩衝地帯である魔の森林の再生と神門(ゲート)確保、これ以外にはない。
それが可能か不可能かは、他に道がない以上今は考えられない。
話はそれで止まる。

「神王は死んだのか? 封印されたんだろう? 復活はあり得ないのか」
他の人間が聞いたら卒倒するだろう。
人類の敵として、黒の王として葬られた存在だ。

「分からない。封印されたその瞬間、神王の気配は消失した。私はそれを感知し、それ以上のことは何も」
階層の壁が遮断する。
神王の役割は地脈のような世界の力を回すこと。

「森を築き、神門(ゲート)がたとえ再構築されたとしても、神王がいなければ世界の力の調整は不可能だ」
新しいフィルターをつけたとしてもな力の奔流は再び裂け目を割るだろう。

「聞きたいことはもう一つある。神王の子だ」
アレスの目が剣先を突き付けるように神を見据えた。

「神王妃の腕に抱かれていた、その子どもはどうなった」











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