Silent History 177





光に翳した手の影が濃く、輪郭は蒼く光り、冷たく燃える。
温度を感じる。
冷えるような、熱いような。
こんな世界が現実であるはずはない。

「また、夢か」
白い世界に吐き出した、溜息の音が耳に響く。
言葉は、意識は鮮明だ。

「ラナーンはどこだ。タリスは。見失ったか」
いや、この白昼夢に二人はいない。

雲が流れるように空間に歪みが生じる。
白がたわむ。
波打つ。

「羽毛の壁か」
舟形に白が浮いて白が沈んで、影が生まれて消える。
距離を測れる基点が存在しない。
ゆえに、遠近感が喪失している。

「違う。花びら」
風に流れて横に消えていく。
川の波のように去っていく細い花弁を見ていた。
白い花だった。
花弁の波間に花が揺れている。
白い舟形で細い花びらをつけている。
揺れる花冠の真ん中に漆黒の花糸があった。

鮮烈な黒。
目を捉えて離さない深い黒だった。
幾重にも細長い花びらを纏ったその花の名を知らない。

花弁の雲が晴れる。
花の海が広がった。
無数の白と黒が風に靡いている。

花びらが散り、吹き飛び、白に色が滲む。
水彩画を見ているようだった。
水を染み込ませた紙の上に、薄い青を垂らしたように色が広がっていく。
音はただ風の音。
耳の横をすり抜けていく。

石組が視界を掠めた。
細かく目を開いては閉じ、飛び込んできた光景が、画像が、連続して繋ぎ合わされる。
不連続な連続。
不完全な映像が展開していく。

青は空だ。
手前の石組には見覚えがある。
屋上の縁だ。

アレスが首を巡らそうにもその首はない。
映像は勝手に再生され、アレスの中に注ぎ込まれていく。

石の縁は横に流れ、石の卵が見える。
縁をなぞる様に絵は動き、揺れた視界は殻の中程で止まった。
美しい、神王妃の像。
陰に隠れて台座の先にしか白い光は届かない。

目の前に靄が掛かる。
水面のように揺れる。
波の中から人の指が伸びた。
手が握りこまれ靄を取り去った。
白い波が揺れる。
薄いヴェールが舞っていた。
風に流される長いヴェールの下で女が舞う。
屋上に咲き乱れた花の中を、石畳の上を素足が跳ねる。

女の側に寄り、ヴェールを掻き分けるように進んだ。
神王妃が、変わらぬ姿でそこにいる。

いや、もっと鮮明に見える。
絹の皺は濃く、力強い。
触れてはならぬ、崇高さ神々しさが溢れていた。
思わず目の前で跪く。
細められて俯く目は、腕に抱えた我が子とも、跪いた人間とも知れぬ何かを見つめている。
温もりと慈愛にあふれた眦に体が痺れた。

人はここで祈りを捧げた。
どうか、我らをお守りくださいと願った。

「アレス!」
引き戻そうと呼ぶ声が聞こえる。
ああ、戻りたい。
戻らなければ。

すべてのできごとが、まるで誰かに抱きかかえられて見せられている光景のようだった。
アレスの意思とは別の意思が五感を支配している。
人形の中に入り込んだ錯覚。
借り物の姿でそこに居た感覚。
あるいは、アレスが誰かの意識の上に乗っかったような感覚だった。

夢の続きを引き摺ったまま、神王妃の像を見上げた。
砂が零れていく。
像の輪郭がぼやける。
非現実と現実が繋がる。

「大丈夫か?」
肩を掴まれる。
目の前に被さった影に目を合わせた。
吸い込まれそうな闇の色。
瞬きを繰り返す。
そして引き込まれる。

「何を見せるつもりだ。これは過去、か」
ラナーンの肩を掴んで立ち上がろうとする。
彼の顔と目が、見せられたイメージと重なり二重に見える。
座っておいたほうがいいと、ラナーンがアレスを押し戻す。
イメージが、アレスの中に押し入ろうとする。
抗って、ラナーンの腕を強く掴んだ。
爪が食い込み、ラナーンの皮膚が沈む。
しかしラナーンはアレスの手を振りほどきはしなかった。

「何を見てるんだ」
泳ぐアレスの目に自分の目を合わせようと顔を上向けた。
汗で髪が濡れている。

「いきなりどうしたの?」
一瞬呆然としたリーファーレイもアレスの側に屈み込んだ。

「白い花を知っているか? ここに咲いていた。無数の花びらと」
「花」
白い花なら花壇にいくつか咲いているとリーファーレイは言う。

ヴェールが翻る。
青い炎が火花を散らす。
白い花が青の炎に包まれる。
花弁が食われていく。
炎の中から舞い上がるものが見えた。
火花に巻かれ、炎が溶かしていく。

「紙だ。炎の中に、本がある」
投げ入れているのは女たちだ。
ヴェールを深く被り、裾の長い衣装を身に纏い、厳かに書物を焚きつけていっている。

「儀式か」
「アレス! 正気に戻れ! 手を離せ!」
タリスが叫ぶ。
ラナーンの腕に食い込んだ手を剥がそうとするが、ラナーンはタリスの手の甲に手を乗せた。
大丈夫だ、と視線を送る。

「でも、ラナーン、それ」
焦りを滲ませるタリスの視線の先には、アレスが爪を食い込ませて皮が破れたラナーンの腕があった。

「大丈夫。タリスはアレスのことを信じてる?」
「何を? 馬鹿力については信用ない」
ラナーンをこれ以上傷つけるなら親友といえでも腕を蹴り上げても手を外してやる、と怒気を荒立てた。

「アレスが言ってることだよ」
「寝言か?」
一瞬、タリスはラナーンの肩の向こうに目を流した。
石の像が四人を見下ろしている。

「変なことばっかりだ。アレスには、神さまの匂いとやらがついてるんだろう?」
バシス・ヘランではあり得ない地脈の激流をカリムナが引きずり出した。
呼び寄せられたのだとカリムナは口にしていた。

「けど始まりはそうじゃない。凍牙で、最初に神を見たんだ。こいつが」
「おれは気を失っていたし、何も見てない。タリスは信じるのか?」
「半信半疑だった。でもそれがくれたんだろう、その耳の石」
青い石は耳飾としてラナーンの左に下がる。

「それに、神徒の里で見たんだ。アレスの周りに水柱が立つのを。ひとつひとつ、説明はできないけど、根っこはひとつのような気がしてならない」

「境界」
アレスは立ち上がった。
広大な森の縁を見つめた。
二人の女が見えた。
人間の視力ではあり得ない話だが、二人が向き合って言葉を交わしている光景が目に飛び込んでいくる。
声を聞き取ろうと耳を澄ますほどに声も形成される意味も遠退く。

聞く、のではなく無心に受け入れろ。
こちらが白い紙を広げれば、あちらから色を乗せてくる。
言葉とすら認識できない声にアレスは焦る心を鎮めた。
流れ込んでくる情報を受け止め、流していく。
写真を散りばめたような光景だ。
古い映画のフィルムの切れ端を見ていた。




あなたはとってもいい子ね。
微笑みながら少女が言った。

あなたはあの人のこと、好きなのね?
寂しそうに少女が言った。

私もあの人のことが好きだった、ずっと。
俯きながら、少女は言った。

私、ずっとあなたのこと、友達だと思ってた。でもね、だめなの。
何度も首を振る。

あなた、違うの。
持ち上げた目は、ぞっとするほど冷たかった。

私たちとはやっぱり違うの。
声は低く沈んでいく。

その目も口も鼻も、私たちとは違う。同じだと思おうとした、でも、だめ。
目を細めた。

同じヒトのカタチをしているから、だから好きになろうって思ったけど、だめなの。
目からは熱が消えた。

あなたのこと、黙っていようって思ってた。友達だって思おうとした。
でも、ね。

気持ち悪いの。
少女の手が伸びる。
目の前にいた友人の顔を殴りつけた。

その目がだめ、その鼻も口も声も、体も全部。
今度は逆の頬を殴りつけた。

ぞっとするの、同じ肉と骨でできてるってこと。
友人は膝から崩れ落ちた。

どうして抵抗しないの。
友人は地面から静かに少女を見上げた。

本当に、綺麗なお人形ね。でも、それだって。


罪の証だわ。


魔の子。
穢れた血の女。
魔に血を捧げ、自己を失った人形たちが。
少女は、神徒が憎かった。

始まりは、憎悪ひと欠。
火をつけるには十分だった。

二人の間にあった秘密が燃え始める。
神徒の少女は逃げ帰った。

外の人間と接触を持ってしまったから、災厄を招き入れてしまった。
少女は神殿に転がり込んだ。

少女の肩を大人たちが抱く。
ヒトが森に迫り、いずれこの日が来るだろうと案じてはいた。
この森が暴かれ、我々が外気に触れる日が来るだろうことは予期していた。

「しかし、我らは守らねばならない。神はここに御座す。我らの土はここに在る」
群れの中で一人が立ち上がった。

「結界を。石を張ろう。我らに戦う術はなし。しかし守る術はあろう」
守るべきは。

「我らが血、我らが土、我らが神、我らが生きた証を」




流れ込んでくる記憶の断片がアレスの口から漏れる。

「結界って何だ? どこにある?」
「森の境界に、森の縁に、そこに眠る神徒の」
全員が森の海に目を向けた。
静かに、穏やかにざわめいている。
風が通る筋を描く。

「躯」
「むくろ?」
ラナーンが息を呑んだ。
誰もいない神殿、骨のない廃墟。
彼らはどこに行ったのか。
消えてしまった神徒たちは。

「それって、人柱ってことか」
タリスが口を押さえて歯を食い縛った。

「行く」
定まらない目のまま、よろめきながらアレスが立ち上がった。

「ラナーン。手を、貸してくれ」
乞われて手をアレスの手に絡ませた。

「どこに行きたい?」
「まさか森じゃないだろうな」
「階下に、いる」
「何が?」
「さあ。物語にはまだ続きがあるようだ」











go to next scene >>>

<<< re-turn to one world another story
        or
<<<<< re-turn to top page
















S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送