Silent History 178





「少し休んだ方がいい」
アレスの汗ばんだ背に手を当ててラナーンが体を支えた。

「気分、悪いんだろう」
「ああ、最悪だ。頭がギシギシ痛む」
「だったら」
「だから早く終わらせたい」
どういうことだ? 大人しく座っていれば治まるだろう。

「映像が叩き込まれる。押し込まれてくるんだよ、ここにな」
アレスが自分の側頭部を叩いた。

「目の奥がチカチカする。脳みその中を引っかき回されてる」
汗の滲んだ額を押さえた。

「お前は」
「おれは何ともない。何も見えない。何が見える?」
「いろいろだ。人間だ。たぶん、ここにいた人間たち。神徒たちだ」
「いなくなった。人柱って?」
「ラナーン。俺にはお前が俺と同じ人間に見える。神徒だろうが、同じ人間だ。でもな」
ラナーンの腕をアレスが掴む。
よほど頭が痛いのか、その痛みが腕を押さえつけられる力としてラナーンに伝わる。

「アレス、痛い。痛いのか、まだ」
「え、ああ。いや、悪い。そんなに強くするつもりは」
その間に割って入るようにタリスが大股で歩み寄り、アレスの額を平手打ちした。
アレスの額には布が当てられている。

「大概にしろ馬鹿力! ラナーンの腕がへし折れてもいいのか!」
いいわけないだろう! どうせ見苦しいほど自己嫌悪で沈み込むのは目に見えている、とタリスが怒鳴りこんだ。

「辛いのは見ていて分かるが、ちょっとクールダウンしろ。アレスが見ている物は私たちにはさっぱり見えない」
タリスに頭を支えられ、目を塞がれて少し落ち着いた。

「大丈夫か」
「ああ。ちょっとはマシになった。相変わらず、脳みそがどろどろに融かされたみたいになってるけどな」
「耳から流れ出ないうちに早く話せ。アウトプットしないと脳みそが弾けるぞ」
「そうなりそうで怖いな」
タリスの手から布を受け取ると、手を緩めていたラナーンの腕を布の下から覗いた。
先程爪で傷つけた痕が腫れている。

「悪かったな」
赤く膨れて血の滲んだ箇所に唇を押し当てた。

「すごい汗だ」
アレスの舌が傷の上を這うこそばゆさに肌が立った。
間近に寄ったアレスの汗が浮く襟元に指を乗せた。

「タリスが言うとおり。全部アレスが受け止めれば壊れてしまう。少しずつでいいから、吐き出した方がいい」
「断片的で、話の繋がりも、文章にもできない」
「目に見えた物を言葉にするだけでいい。繋ぎ合わせて意味をおれたちが見つけるから」
熱を持つアレスの背を宥めるように摩った。

「血の味がする」
「そんなに酷い傷じゃなかったんだけどな」
「頭が冴えてきた」
体を起してアレスがタリスの手の中に布を押しつけた。

「同じように目があって鼻がある。言葉も交わせる。同じ赤い血が流れ、同じように歌い、笑う。でも同じようには思えない」
同じ場所にはいられない。

「そう思う人間もいたんだ。いや、世界はそういう人間で溢れていた」 だから神徒は隠れた。
戦うことを望まない。
神と共にあることを信じ、血の存続だけを願った。

「ここも、穢れない場所だ。彼らが必死で守り切った場所だ。その命を賭してまで」
舌の上に血の味が残る。
アレスは仰ぐ空から降りるように流れこむ風とともに、懐かしい味を飲みこんだ。

「チャンネルが、ようやく繋がったんだろう。何か知らないが、見せたいんだろう。叫びたいんだろう。なら付き合ってやるよ。最後までな」






静かに、静かに。
海の音がする。
寄せては返す。
一定の。
ざわめく。

違う、これは、緑の波の音。
音と光が結びつき、世界が明るく照らし出された。


辺り一面の緑、木々の柱が無数に乱立し、あたりは青い香りで満たされる。
虫が鳴く、どこかで獣が鳴いている。
迷い込んだ魔がまたいるのかもしれない。
ここは混沌。
ここは狭間。
ここは誰の場所でもないところだから。

耳を澄ませるといろいろな音が混じる。
一つ一つの音を、解きほぐしていく遊び。

風が葉を抜ける音。
枝が重なり合う音。
虫は何匹いる?
ああ、鳥の羽音が聞こえる。
歌っている。
恋の歌か、友達を呼ぶ歌か。

鼻歌が自然と漏れた。
歌は練習中。
あまりうまくはないから、一人でそっと。

掠れながら、囁きながら、口ずさんだけれど、また音を外した。
もう一度、やりなおし。

とん、とん、とん、とん。
膝を叩きながら、音に今度は言葉を乗せてみる。
みんなが歌うと本当に透き通って気持ちいいのに、その音に近づけたいのにうまくいかないのはなぜ。

今度は、リズムがずれた。
もう一度、最初から。

今日も、本当に気持ちのいい天気。
ふっと木々の木漏れ日を辿って顔を持ち上げると、一つの視線とぶつかった。

だれ?
お互いがそういう顔をしていた。

「木の精霊かと思った」
少女が木の側に立っていた。
木の幹から覗き込むように半分隠れていた体を、踏み出して明らかにする。

「でもちょっと、歌のあまりうまくない精霊ね」
まさか、ここで誰かに会うとは思わなかった。
織物が華やかな服を着た少女、知らない顔だった。

ここを立ち去るべきか、話をするべきなのか。
迷って言葉も出てこない、座りこんだ脚は動かない。

「木の実をね、摘んでいたの。一緒に食べない?」
少女が側に寄って来て、差し向かいの柔らかい草の上に腰を下ろした。
手にしていた籠から一握り、赤い実を取り出した。
もう片手で膝の上に乗せた手を取ると、上に向けて手の中に赤い実を数個転がした。
目の前で少女が残りの数粒を、一摘みずつ口に入れた。

「うん。おいしい」
知らない花の実ではないし、せっかく貰ったのだから。
右手の上に転がった一粒を摘み取り、下の上に乗せた。
歯で擦り潰すと甘い味に少し青くさい香りが鼻に上った。

「実は道を見失ってしまったの。森の外に出たいんだけど、わかる?」
あまり、知らないひとと話してはいけない。
気をつけるように言われていたのに、警戒する暇もないまま距離は埋まってしまった。
二人で手の中の木の実を食べ終わると、立ち上がって少女を導いた。
森は深い。
おかしなところに迷い込んだり、うっかり沢に降りてしまうと、外には出られない。
山道、獣道を抜けて、ようやく森が薄くなってきた。
森の外を指さして、少女を見送る。

「ありがとう。助かったわ。また会ってもいい?」
困った。
あまり深く交わるのはよくない。

「じゃあ、ここにいる。会ってもいいって思ったら来て。今日はありがとう、楽しかった。森の中での迷子はどきどきしたけど」
ほとんど話していないのに、楽しかったって。
どきどきしたのはこちらの方。
このことは言ってはいけない。
もう、会ってはいけない。

二日して、三日して、一週間が経った。
歌の上達はあんまりだけれど、舌が回らないことはなくなった。
気も、緩んだのかもしれない。
少女のことがまた頭を掠めた。

迷い出る魔もいる。
もし遭遇して騒げば、襲われることもあるかもしれない。

あまり深くは入らないって言っていたけれど。
魔も、そんなに外に出ることはないと思うけれど。
もう、数日前のことなんて忘れていると思うけれど。

あの子は、どこから来たのか、どうしてここにいるのか聞かなかった。
名前も、一人で森の中で何をしているのかも問い詰めなかった。

森の入り口へ。
大丈夫、様子を見に行くだけ。
ただ、それだけ。




耳飾を貰ったの。
真っ赤な、血のような、とてもきれいな石がついた耳飾。

二人で陽に透かせたりした。
光の中で揺れて、いつまでもいつまでも眺めていた。

飽きたら森の縁を走り回り、木の実を探したりもした。
歌を教えてもらったりした。
でも名前以外、お互いの家や家族や周りのこと、話したりしなかった。

とても楽しかった。




靴を脱ぎ捨てて、ふわふわの草の上で踊ってた。
見たいというから、肩に掛けていた薄絹を手に草の上を飛び跳ねた。
歌はまだまだみんなには及ばないけれど、踊りは褒められた。
手拍子にあわせて脚が高く上がる。
腰を捻り、ふわりふわりと服の裾が空気を孕んで柔らかに波打った。
薄く唇を開いたまま、こちらを見ている姿が目に入り嬉しくなっていつもより腕も遠くに伸びた。

伸びやかに軽やかに、しなやかに清らかに。
風の流れを乱さぬように、空気を荒立てぬように。

音を良く聞きなさいと言われたもの。
無理に腕を引けば、力もいるし荒立つ音がする。

風を読みなさいとも言われた。
指の先まで神経を繊細にし、自分の意識を強く押し出さない。

踊りが終わり、体を地に沈めたときに、拍手がひとつ。
さらにもうひとつ重なった。

「すごく、きれいだ。そんな舞、みたことない」
耳慣れない声に、身を硬くし、薄絹の端から外を覗き見た。
少女の隣に男性の姿がある。

「どうしてあなたがここにいるのよ」
「通りがかったんだよ。母さんの頼まれものでね」
布袋を持ち上げた。

「店から通りがかれるほど近くないのに」
少女がいうように、人の住む村はここからかなり遠いはずだ。

「昼寝がてらに」
袋の中を手でかき回して、本と瓶を取り出した。

「昼寝より、本より、楽しめるものを見つけた。寄り道してよかったな」
温かい笑顔だった。




少女がいるときも、いないときも、彼は二人の場所、森の入り口に姿を見せるようになった。
あまり親しくし過ぎるのはいけない。
深入りは禁物だと、距離を置いていた。
彼も少女と同じように、興味をむき出しに何かを探ることはなかった。
ただ、踊りは気に入ったようでたまにせがまれることはあった。
子どものように無邪気で、好感の持てる人だった。

何も変わらなければいいと。
このままの時間が続くと思っていた。

それこそが、子どものような無邪気で、罪深い願いだった。


時は少しずつ変化を与える。
子どもは子どもでいられなくなる。

ゆっくりと、すべてのものが、時間が、歪ませていったのに。
何も気づかなかった。

少女の耳から、分け合った耳飾が消えたとき。
すでにみな、歪の中にいた。




「あのひとは、あなたのことが好き」
時をかけて降り積もっていく感情の澱。

「あなたは変わらずきれいなまま。体も、心も」
世界が崩れていく。

「あなたの清純さを前にしていると、疎ましく思う私が汚れて見えるの」
そんなことない。
だれも汚れてなんていない。
だって、ずっと一緒にいてくれた。

「耳飾を失くしたという嘘も、どうして気づかないの。どうして信じるの」
友達だから。
変わらず、笑っていてくれたから。

「一緒にいて、きれいでい続けるあなたを前にする度に痛むの、胸が。辛いの。私はあなたとは違うんだって」
そんなこと、いわないで。

「やっぱり、あなたは私たちとは違うんだって」
聞きたくない。

「だから、言っちゃった。みんなに、あなたのこと」
ああ、どこから間違えたの。
何が、悪かったの。

「壊したくなったの。全部、全部。ごめんなさいね」

「あたなたはきれい。そんなあなたが大好きだった。でも、大嫌いだった」

きっと人が来る。
押し寄せる。
潰される。

人と関わったから。
繋がったから、そのせいで。
森の中に逃げ込んだ。




「森の近くに人が棲み」
「遅かれ早かれ」
「来るべきときが、来ただけだ」
「流浪の覚悟のあるものは」
「流れる気力と耐えうる力のあるものは」
「流れるべきものは流れた」
「我らは剣を持たぬ」
「この土は守らねばならぬ」
「なれば我らが血で以って」
「我らが生で以って」

参ります。
ともに。
いいえ、ここを守るためです。
己の引き寄せた災いは、己の罪は、わが身ひとつで贖えるはずもありません。
ですが。




震える手で、外された。
右の耳には母から譲り受けた青の石。
左の耳には少女と同じ赤の石。

それは小さな墓穴だった。
並べて、上に砂を被せた。

神徒の少女の背は凛とし、美しく伸びていた。






階段の最後の一段を下り、ラナーンの腕を借りて広間の中央に戻ってきた。
広間の隅に視線が引き寄せられる。
アレスはゆっくりと壁際へと歩いて行った。
微かに浮いた石畳の砂を手で払い、指の先で砂を掘り出すと石の板に指をかけた。
力を込めると石版が揺らぐ。
手前に引いて、板を引き剥がした。

「それはお前の夢か。ここで彼女を見送った、耳飾の夢か」
砂に半ば埋もれた二つの耳飾。
砂を払って引き揚げた。
指の腹で砂埃を拭う。

心配そうに見守るラナーンら三人の間で立ち上がると、真昼の光に翳してみた。

アレスの中に流れ込んできた石の姿と変わらない。
青と赤の石が輝いている。

「それが」
「彼女の宝物だ。友情の証とでもいうべきか。外の少女との思いが決裂してしまっても、彼女は大切にしていたんだ」
そこに偽りはなく、憎しみもなく、恨みもなかった。
アレスは二つの耳飾りを元の穴に寝かせ、再び砂をかけた。

「墓を荒らすような真似して悪かった。お前の最後の願いは、ちゃんと叶えられた。この地は誰に荒らされることなく、残ったよ」
アレスの口から語られた、ここに残った記憶の断片、それだけでラナーンもタリスも胸が痛くなる。
アレスの見た夢と過去に偽りがないことは、アレスが耳飾りを見出したことで明らかとなった。
ここにあった歴史の一編を掬い取ることができた。

「最後の願いって」
両手を合わせて砂を払うアレスの横顔をラナーンが見上げた。
顎の筋肉は強張ったままだ。
その首を、何かを探すようにアレスは巡らせた。

「あっちか」
「何を見つけたんだ?」
「これから見つかる、かもしれない」
廃墟から離れ、庭を横切り森の奥へと分け入っていく。
道はない。
完全に藪の中だ。

「無理だ! 通れない」
「そうだな」
体の半分が茂みに沈んでいる。
アレスは強引に踏み潰して進んでいたが、このままではただでさえ削られた体力も危うい。
引き返して獣道を見つけて進んだ。

「何か、目印は?」
アレスが顔にかかる草はある程度掻き分けてくれるが、気を抜けば顔も体も傷だらけになる。
そもそも茂みを分け入る重装備で臨んでいない。

「戻っていい。いや、お前たちは戻れ」
「そんなふらふらした奴ひとり、行かせられるわけないだろ。だいたい途中で行き倒れたら誰が回収するんだ」
稀に見るラナーンの押しの強さにアレスは黙り込んだ。
黙々と先を急ぐ。

「本当はおれが魁を務めるのに」
「させられるか」
「舐めるなよ」
「言うならもっと食え。鍛えろ。ひょろい体で何を言ってるんだ」
「デュラーンのときからずいぶんと成長したんだ。肉もついた。骨も強くなった。背だって」
「俺もだ」
「うるさいな。なら今度、剣でやってみるか」
「師匠に勝つつもりか」
「這いつくばらせてやる」
「勢いのいいことで」
鼻先であしらうアレスと応戦するラナーンに、鋭く食い込んだ。

「お前らいい加減黙らないと草を食うぞ。で、いつまで歩く?」
殿を務めるタリスが叫んだ。
アレス、ラナーン、その間にリーファーレイが挟まり、タリスが押さえている。
藪の中を四人で行軍する様はゲリラ戦の様だ。

「たぶん、このあたりだ」
「何が?」
「赤と青の石の記憶。あの子が走っていった方向に進んできただけだ。歩いていくうちに何か分かると思ったが、案の定頭が重い」
「痛むか」
「さっきよりはずいぶん軽い。けど気分が悪いな。それも、ここのせいだろうが」
アレスは宙を見つめたまま、幾度か瞬きを繰り返した。
何かを追うように周囲を見回す。

「ああ」
手のひらで額を押さえて、汗を拭う。
顔を撫でた大きな手は震えている。

「何が見える」
「あんまりだ」
「言えよ」
「気分も悪くなるはずだ。ここは」
ラナーンは口を閉ざすアレスを促した。
吐き出させなければアレスが潰れる。
それはタリスも同じ思いだった。


森の境界に、森の縁に、そこに眠る神徒の骸。


「ここが、その場所だ。このあたりには無数の、神徒たちの骸が沈んでる。見える、はっきりと」
彼らが、どうしてここに来たか分かるか?
大量の神徒が消えた理由が分かるか?

「結界、そうだ。彼らは戦う術を持たない。だが守らなくてはならない、その術は」
禁じ手だ。
幾重にも守られた秘術だ。

「彼らは短刀を手にここまでやってきた。散らばり、祈りながら、その短刀を静かに、ゆっくりと、喉に突き入れた」
無数の血の海、涙の湖。
血は言葉を孕み、呪を溶かし、土はそれを吸い取った。
靄がたつ。

「瘴気だ。何人も踏み入れないように、その血で結界を張った」
「耳飾りの少女は」
「彼女はここで同じように膝を折って祈った。この土を守れますように。償いきれない罪に懺悔した」
しばらく沈黙が続いた後、初めてリーファーレイが口を開いた。
彼女にとっても知らないことだらけで、デュラーンの三人と共に本を開いたように流れる話を追っていた。

「瘴気はもう消えたのかな」
「薄れたのは確かだろうな。こうして俺たちは来れたんだから」
「ファランって奴もそうだな。あの男もたしか神徒じゃないはず」
「戻るか。いつまでもここにいても仕方がない」
ようやく解放されると思っていた頭痛だが、まだ奥の方で燻ぶっている。

「まだしゃべり足りないっていうのかよ。勘弁してくれ」
アレスの溜息は、饒舌な記憶の断片たちには届かなかった。











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