Silent History 163





家に招き入れられ、勧められるまま椅子に腰を下ろした。
温かさを感じる部屋に、遠慮も抵抗もなく入りこんでしまったのは、褐色の大きな梁と柱、漆喰の柔らかい色をした壁のせいだ。
いずれも年数を重ねて味の深まった良い色をしている。

部屋の装飾、調度品を見回した。
旅のおもしろさのひとつは、自国とは違う新鮮な雰囲気や物たちに出会えることにある。
家具の曲線一つ、壁に掛かる小さな絵画の一つ、それぞれが興味深い。
ラザフの家でも真新しい物に触れる機会はあったが、やはり彼もディグダの生活が長かったせいだろう、ディグダを匂わせる装飾が点在していた。
無意識のことだろう。
ラナーンもこの家に入ってから、ラザフの家とこの家を頭の中で並べて何となく気付いた程度のものだ。
黙って周囲を眺めていたラナーンがふと顔を前に戻した。
この家の男が本を数冊ラナーンの向かいの席に置き、その前に自分も腰を下ろした。
先程彼の腕の中にあった本は彼の左手に寄せられている。


「本は、いいんですか?」
いや、違う。
そうじゃない。
今聞くべきはそういう話ではなくて。
口に出してしまっては遅い。
初対面で失礼なことを他にもしでかしていないだろうか。
いつもはアレスがフォローしてくれる上、タリスもあれでいて常識的で社交的な行動ができる。
一人になるとどうもうまくいかない。
そう頭の中で捏ね回し、赤くなって俯き机の上に目を落とした。

「雨も本降りになってきたみたいだし。急がないから、明日でいい」
そう言われれば、窓ガラスを雨が叩いている。

「その本は」
立派な装丁だ。
年季が入っているのが良く分かる。

「副業。本の修復をしてるんだ」
机の上に敷物を広げ、刷毛を手に本の表面や谷間を掃いていく。

「たまに稀少本なんかも預かったりしてね。読ませて貰えるんだ」
「さっき持っていたのは、じゃあ」
「そう。修復が終わって読み終わった本たち」
根元を握った刷毛を手際よく動かしながら、下を向いた彼は声だけラナーンに投げた。

「僕を訪ねてきたんだったかな。雨宿りついでに用事を聞こうか」
「マリューファに聞いたんです。あなたのこと。それで」
どこから話すべきだろうか。
また、どこまで話して良いものだろうか。
考えると口が止まってしまう。

「あなたは、マリューファたちと繋がりを持つ、仲介者なのですか」
ラナーンの言葉に彼は手を休め、ラナーンへと目を向けた。

「マリューファたち。その集合体ときみは、接触したんだね」
ラナーンは肯定する代わりに、彼の目を見つめ返した。

「いかにも。僕たちの一族は代々彼らに関わってきた。彼らを守るために存在していると言ってもいい」
「おれたちは、神を探してる。マリューファはジースのお婆さまが竜を見たから訪ねるといいと言っていた」
「確かに僕の婆さんは見たらしい」
「会えるのか」
「残念ながら二年前に亡くなったよ」
「そう、なのか」
文字通りに肩を落として落胆するラナーンをしばらく眺めてから、ジースは再び刷毛を動かし始めた。

「マリューファの集落には行ったのか」
「うん。不思議な場所だった。神さまにも会った」
「いつも気ままに下りてくるらしいな」
「おれはもっと、高位の神に会わなきゃいけないんだ」
「位階か。聞いたことはある」
神さまのヒエラルキー。

「あなたはマリューファを愛している?」
ラナーンの突然の問いかけに、再び手を止めて少し驚いた様子で顔を上げた。

「好きだよ。でも彼女は僕のことをどう思っているか」
「それは彼女の一族を守らなくてはならないという使命から?」
「使命だの義務だのなんてとっくに越えてしまってる。彼女が望むことは叶えるよ」
「マリューファの望みか」
「彼女が僕を望めば、僕はいつも彼女の側にいる。彼女の力になる」
「どこであっても?」
「どこであっても」
「マリューファもあなたのことを好きだよ。でも彼女は、あなたを側に置くことであなたを束縛して潰してしまわないかとても心配してる」
「そんなこと」
「だから話してほしい。ちゃんと。マリューファのことを愛しているなら」
「ああ。そうする。必ず」

本を一冊片付けてしまってから、彼はラナーンに向き直った。

「ところで君はどこからきたんだ」




「それで?」
「話したよ」
「どこまで」
「デュラーン出身で、夜獣(ビースト)を追い掛けてきて、神門(ゲート)を調べて神王のこととか」
「その地図をアレスが下で分析中、か」
タリスがベッドの上に背中から倒れた。

「おれたちは手伝わなくていいのかな」
「いいんだ。私たちは物資調達要員だから」
タリスが手の下で欠伸をする。

「山奥でのんびり過ごしたからな。そろそろ動きたくて体が疼いてるからちょうどいい」
「竜の神さまか。話、通じるのかな」
「会えればな」
子どものように、タリスの頭に頭をくっつけるようにしてラナーンもベッドの上に倒れた。
二人で低い天井を見上げてしばらく黙っていた。

「嘘みたいなことの連続だ。そもそも神さまなんて目に見えるものじゃない。何となく感じるもので、願って叶えば幸い。信じてよかった神さま、ってそんなものじゃなかったか」
「うん」
言葉は乱暴だが、タリスの言っている感覚に近い。

「夜獣(ビースト)にしたってそうだ。凶暴なやつはいる。でもイーヴァーみたいに優しいやつだっているんだ。ときどき夜獣(ビースト)絡みで事件は起こったとしても、あんな」
タリスは言葉を詰まらせた。

「あんな側で起こるなんて」
「うん」
「霧が大森林を包んだ。夜獣(ビースト)は大人しくなった。私たちはまだその霧の正体をはっきりと掴めていない。私の国は、どうなってしまったんだ」
「そんないろんな不思議なことは全部神さまが知ってる。不安なのはおれたちが人間だからだ。だからずっと昔、神殺しの罪を犯し、信徒たちには悲劇を与えた」
「だから高位の神を早く捕まえて次第を吐かせればいい」
「何だか不安定な綱渡りだけど」
「情報が無ければ足を使って調べればいい。今はその竜とやらを確かめに行く。単に見たっていうだけじゃないんだろう。その男」
「ジース」
「ああ。そいつも調べてたんだろう」
「うん。全部アレスに渡した」
「だったら大丈夫だ。後は何とかするだろう。今も下でラザフと」
またタリスの欠伸が挟まる。

「頭を寄せ合ってのルートと情報をかき集めてる。足りなきゃ明日、アレスが街で情報収集するだろう」
「おれたちは買い出し?」
「そう。必要なもの、な。書きださなくちゃな」
「今日はごめん。重かっただろ」
疲れた顔をしている。

ジースから地図の土産付きで見送られたとき、外は雨が上がり雲を割って降りた光の筋が石畳を煌めかせて美しかった。
斜陽の中、ジースは書物を手に、ラナーンは地図と資料を手に二手に分かれた。
水を跳ね上げながら走り帰ったラザフ邸の扉を開けるとアレスが不機嫌そうに座っているのが見えた。

「出かけるのは良いが、ちゃんとタリスに行き先を告げてから行け」
「ごめんなさい」
珍しく声を荒げてラナーンを一喝した。
冷静に考えればタリスの前から消えるように走り去った、ラナーンが悪い。


「私も同じことで叱られたよ。ラナーンの腕をふん捕まえてでもどこに行くのか聞くべきだ。お前たちは危機意識が欠けてる、だと」
「平和な街だと思うけど、どんなトラブルがあるかなんて分からないから。アレスが正しい」
「私も同意。で、そろそろ寝る」
タリスがベッドの上で転がりながら器用に布団の中に滑り込んだ。

「どうしたラナーン。一人寝が寂しかったら入れてやらんでもないぞ。ほら、こっちこい」
内側から布団を叩いて持ち上げる。

「いいよ。蹴飛ばされそうだし。アレスの様子を覗いてからおれも寝る」
半ば目蓋の下がった目で手を振ってタリスはラナーンを送り出した。
廊下を軋ませ、階段を下りるゆっくりとした足音を聞くか聞かないかのうちに、タリスの意識は夢に溶けていった。











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