Silent History 164






「神王の信徒たちは神殿から追われて拡散した。捉えられた者の末路は凄惨なものだ」
攻撃性の低さに、神王の側がいかに平安であったかが分かる。
美しい見目に敵を知らぬ警戒心の希薄さで彼らは餌食となった。
囚われれば死ぬよりも恐ろしい目に合う。
隷従の生を歩むことになった。

運よく追手から逃れられた者たちは、身を寄せて住処を捜した。
また、個々に行方を眩ました者もいた。

「ジースとやらが言っていたのは後者の方らしいな」
足下の腐葉土を踏み締めながら山道を歩き始めて何時間経つだろう。

「それより私はこんな場所で夜を迎えないものか、そっちの方が心配だ」
ラザフのいた町からならば交通網が発達しているので何かしら足が確保できたはずだ。

「山を突っ切った方が早い。それに」
休憩を挟みつつの行程なので、鈍っていた体を締めるにはちょうどいい。

「歩きながらの方が頭も回るし、ここだとゆっくりと話ができるだろう」
「夜獣(ビースト)が聞いているかもしれないけどな」
タリスの絡みを躱しつつの道は、共に笑いながらラナーンも飽きることはなかった。
アレスはマリューファたちの里で書物に触れる機会がほとんどなかったことを残念に思っていたが、里の中を歩きながらそれなりに情報収集はしていたようだった。
彼らの文化は影の文化。
己の足跡を文字に残すなど、積極的にするとは思えないから言語で情報を集める方がいいのだと、タリスは評価していた。

「しかし珍しいな。他の神王派の人間たちは皆、島だの森の中だの過疎地を目指すのに、あえて街の中なんて」
「個体で紛れるには木の葉の中の方が身を隠しやすい。そういうことだろう」
神王の信徒たち集合体の間には繋がりはない。
コミュニティを結成することを怖れてのことだった。
一端が陽の下に曝されればすべてが引きずりだされる、彼らは仲間の死を怖れていた。

「その条件の中で、ラナーンには信徒の居所を教えた。余程信頼されたのか」
「あるいは、これは餌で先に待っているのは、罠か」
「なきにしもあらず、だな」
本心で罠だと思っているのならば、アレスがわざわざ踏み込みに行くはずはない。
木々の奥からは、目に見えない鳥の声が聞こえている。
急ぐ旅ではないのに、森の中を踏み抜けて行く。
アレスにはアレスの考えがあるらしい。
彼の読み通り、陽が傾く前に森が開けた。
山道から見下ろした景色の奥に、淡く光る密集した屋根が連なるのが見える。
一際背の高い塔は時計台か寺院か。
目指す場所が分かりやすくてちょうどいいな、とラナーンの隣でタリスが胸を張った。

「麓で足を拾う」
アレスが地図を広げた。
ジースの手と見られる書き込みがされていて実に分かりやすい。

「馬にでも乗っていたら様になったのにな」
土を枝で削ったような道に点々と続く家屋を眼下に、タリスが腰に手を当てている。
それだけでも十分格好がついているというのに。

「四つん這いになろうか?」
ラナーンの提案にタリスが口角を上げる。

「いい趣味してるな」
「戯れもいいが、体力も戻っただろう。もう一息だ」
アレスが荷物を担ぎ直した。

「なんだ、大人を気取って。本当は混じりたいくせに」
茶化すタリスにアレスは呆れ半分、目尻を緩めた。

枯れ葉の道が土の道になり、やがて石の道に変わっていった。
物騒な装備品は上着の下に仕舞い、今日の宿はこのあたりで取るか先で取るか思案していた。
結局は誰ともなく、ここで一休みし明日の朝に発てばいいと言い、話は纏まった。




安宿だったが宿の主は親切で食事も美味しかった。
最近は各所で夜獣(ビースト)が出ると言う噂を聞くため、山越えをする人は少なくなってきたと夕食の時に話が出た。
宿泊者と話をするのは三日ぶりなのだと嬉しそうに口数多く話してくれた。
失礼に当たらないよう遠まわしでアレスが、客が少ないと宿の経営が大変だろうと振ってみた。
宿の裏手にある農園で作物を栽培し、先にある街に出荷しているのだと言う。
なるほど、通りで食事が美味く、宿としてもやっていけるのだと納得した。
車を探しているのなら何も他を当たるまでもない。
早朝、出荷の作物を引き取りに来る業者がいるから乗せてもらえるよう後で連絡しておく、とまで言ってくれた。
厚意はありがたく受けて、朝を迎えた。

陽が昇る前に起き出した三人は、すでに農園の中にいた宿屋の主の所に向かった。
収穫した作物を箱に詰め、木箱はアレスが建物の横へと運んでいく。
地平線が薄明かりが差し始めたころ、トラックが到着した。
木箱は六箱。
これを中年の夫婦二人でしているのだというのだから大変だ。
息子は街の学校に通っていると聞いた。
収穫最盛期には農園に手伝いにくるのだという。

木箱を積み上げて、アレスたちの荷物も荷台に載せた。
このまま朝市を歩けそうだとタリスは今日も元気だ。
ラナーンも少し眠そうではあったが、陽が昇るにつれ目が覚めてきたようだ。
いつもと違い賑やかな車に、運転手は煩わしく思うどころか、街にはこんなものもある、朝市にはこんなものが並ぶと三人の好奇心をかき立てた。

四人で賑やかにしていると、家の中にいた宿屋の妻が手に包みを持って裏口から出てきた。
アレスに紙の包みを差し出す。
手にした包みは温かく、腕が下がるほど重みがあった。
車の上ででも、向うについてでもいいから、食べてちょうだい、と朝食をアレスの手の中に押し込んだ。
ありがたさ、嬉しさが胸の奥からじわりと沁みだしてくる。
こういう人との触れ合いがあるからこそ、旅をしていて楽しいと思える。
丁寧に礼を言い、車は一夜の宿から離れて行った。


車が石畳から飛び出した石を踏んで跳ねる度に笑った。
朝食を齧りながら農園に赴く農民が手を振るのに大きく振り返した。
口の回りを拭って朝の光に輝く稲穂を指差して目を大きくした。

家屋の密度が高くなっていく。
門を潜ると、町並みは一気に賑やかになった。

「城壁か?」
後ろを振り返った壁の上には中年の男が揺り椅子に腰かけて新聞を読んでいた。
広げた新聞の上から顔を出し、足下を抜けたラナーンら三人を眺めている。
歴史を思わせる壁には蔦が根を張り、半分が緑に埋もれている。
新聞を広げた門番が見えたのも、その蔦の葉と城壁の上に植えられた樹木カーテンの向う側からだった。

「どうする? 目的地の前で降ろすか?」
「いや。このまま市場まで行ってくれ。荷を降ろすのを手伝うから」
そんなの手伝ってもらうまでもないと運転手は笑ったが、今朝発った宿から城壁を潜るまでの間に何軒か荷を積み込んできた。
毎日の仕事とはいえ、一人、二人で荷降ろしをするのは大変だ。

「ここまで乗せてくれた礼をしたい」
「そこまで言ってくれるなら、助かるが」
アレスが押し切って、市場で荷降ろしを手伝った。
男は作物が詰まった木箱を台車に乗せ、市場の角まで転がしていく。
これから店を広げるのかと思ったが、そこにはすでに枠を組立てている男がいた。
木箱の蓋を開けて、中身を確認すると箱と台車を男に託して戻ってきた。
宿屋から預かった六つの木箱のうち、二つは荷解きしたがもう二つは荷台に乗ったままだ。

「残りはどうする?」
「これは納品先が決まってるんだ。本当にここでいいのか?」
「大丈夫だ。助かったよ」
市場は早々と人が寄り始め活気がでてきた。
旺盛な売り声を聞いていると気分が高揚する。
タリスは目に見えて喜んでいたし、ラナーンは見慣れない珍しい物を見つけては店の前で屈みこんでいた。
アレスを呼ぶタリスとラナーンの声に引っ張られては同じように店の中を覗き込んだ。
市場を抜けて、今夜取れる宿を探しついでに街中を散策した。
城壁内は入り組んでいて、下手に迷い込めば袋小路に嵌りそうになるほど複雑だ。
蟻の巣みたいだとタリスが言うように、時間をかけて街を掘り抜いたような道の重なりようだった。
路地は人ひとりがようやく通れるほどの狭い箇所もあったが、治安は悪くない。
外壁は綺麗なものだし、石畳も整備されている。
玄関の前で朝の掃除に出ている人が何人もいた。
窓枠には花の鉢が並んでいる。
一回りし、石畳の円形広場の端で休憩をしていると、子供が揃いの鞄を持って広場を横切った。

「学校か」
タリスが目を細めて流れて行く子供たちを眺めた。

「あれが」
ラナーンも彼らを目で追う。
二人とも、友人と学校で勉強をしたことがない。
大人と二人での静かな授業ばかりだった。
タリスには姉がたくさんいたが、年齢が違えば学ぶ内容も違う。
並んで勉強を受けた記憶が無い。
学友と名のつくものを持ったことがなく、友人とはもっぱらラナーンやファラトネス城内で親が働いている子供たちだった。

アレスもまた、学校というものに通ったことがなかった。
幼いころは父について諸国を回っていたし、デュラーンに流れ着いてからは図書館に行けば一流の学者たちが詰めている。
好んで図書館に通うアレスを物珍しく見ていた。
中には子供好きな学者もおり、アレスにあれやこれやと世話を焼いては教えてくれた。
そうした大人に囲まれた生活は、アレスにとってこれ以上ない濃度の濃い勉強の場となった。


昼にはまだ時間がある。
街もひと巡りした。
そろそろ用事を済ませたい。
アレスが地図を広げて顔に寄せた。
さっきの家の入り組みようだ、地図に必要なことが書かれているが少し探すことになりそうだった。

白壁に彫られている番地を指でなぞりながら目的の角を探した。
行き過ぎては戻り、細い階段を駆け上がって小さな扉の前でタリスが地図に目を落とした。
ここ、みたいだな。

アレスも地図を確認し、小さく頷くとステップに足を掛けた。
ノックは三回。
耳を澄まして、少しの緊張の中で返答を待つ。
留守か。
タリスが隣にいるラナーンと視線を合わせようとしたとき、扉の内側で鍵が開く音がした。

「何かご用?」
出てきたのは女性だった。
三人ともが次の言葉を継げない。
ジースから聞いていた話では老人だったからだ。
しかし娘か孫がいてもおかしくはない。
彼女の年恰好はラナーンたちより一回り上、仄かに色香漂う妙齢の女性だった。
ジースの名を出し、老人に会いたい旨を伝える。

「残念。じいさんは今いない。何か預かってるもの、ある?」
「何も。この地図くらいで」
「貸して」
声は音の少し低い擦弦楽器のようにゆったりと滑らかで艶やかだ。

「ふうん」
地図の表、次に裏に返して隅々まで目を通した。
折り目の通りに畳むと、アレスへと返しながら三人を眺める。
アレスの肩越しに覗くラナーンのところで目を止めた。
濡れたような黒髪が目に付いたのだろう。

「明日の朝、出直してくれる?」
ラナーンらは名乗りはした、デュラーン訛りもうまく隠せてはいない。
それでも彼女は突然の訪問者を細かく詮索はしなかった。
言葉は少ないが、無愛想さや不快感はない。
拒絶もないのは悪い傾向ではない。
複雑な作りの住宅街を抜け、通りをもう一巡りして帰ろう。
そう相談しながら階段を下っていく彼らの背中を、扉に半ば挟みながら女性は見送っていた。











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