Silent History 147





何だ、ここは。
それがタリスの第一声だった。
自然と、二人の巫女を追う足が止まる。
縦に開いたトンネルを抜ければ別世界だった。

鬱蒼とした森、その外は町外れの捨て置かれた家屋。
四方を巨岩の壁に囲まれて、クレーターの底に村が現れた。
天井が抜け、陽の光が降り注ぐ。
なだらかな丘陵の下には低い屋根の長屋が連なる。
水桶を手に歩く少女の歩調は村に漂う空気のようにゆったりと流れる。
茶色い牛の上には少年が足を揃えて腰を下ろしている。
長い草の房を手に取り、牛の腹を撫でるように穂先で叩いてゆったりと歩を進める。
彼は悠然と牛の行く先を眺めていた。

「ここは、どこなんだ」
呆けた質問をしていることは分かっていた。
だが、眼前に広がる風景は水彩画で描かれたかのように柔らかい。
桃源郷や理想郷、そういった描写が相応しい。

「外界とは隔たっていますので、ずいぶんと穏やかです。外と内とでは時間の流れ方がまるで違う」
風も流れ込んでくる。
陽は天井から降り注ぐ。

「ここは私たちにとって残された数少ない土地」
「神王派の隠れ里、か」
「外に出られるのは限られた人間だけ。私たち巫女の身の者と交易者と呼ばれる者だけです」
高い岩陰で外敵に曝されることなく、身内だけの純粋培養で育った苗は弱い。
巫女と交易者となるべく選ばれた人材は外界の知識を学ぶ。
同時に、この里の位置と内情を外界に漏らさぬよう徹底した教育を受ける。

深い洞窟の奥から流れ出た小川は里の中ほどを横切り、緩く蛇行して先の洞窟へと消えて行った。
川岸には小さな水桶をそれぞれ手にした夫婦が水鏡に屈みこんで睦ましく話しこんでいる。
対岸の芝生では老婆に寄り添うように少年が花を摘んでは老婆に手渡している。

タリスらは丘陵を下り、川に架けられた小さな木の橋を渡った。
橋の袂では小ぶりな水車が懸命に働いている。
興味深げに覗き込んだタリスの肩越しに巫女が囁いた。
麦を砕いているのだという。
小さな里には貨幣の文化はない。
すべてが物々交換で賄われている。
そのあたりの話もゆっくりと聞いておきたかったが、焦って疑問を投げつけるのは里の空気に相応しくない。

「村長か族長にでもお目通りできるというのか?」
タリスが周囲を見回しながら行く先について口にした。
ラナーンは黙ったまま周囲を眺めており、アレスもまた口を閉ざす代わりに視覚と聴覚を鋭敏に状況を観察していた。

「長にお会い願いましょう。あなた方がご存じのこと、私たちの歴史が交換できることを期待しています」
「閉鎖的な地に住まう私たちは外の動きを知りたい。ですが容易に他者と接触するわけには参りません」
限られた職、選ばれて教育された者だけが、選別した者とだけ接触する。

「外から来た俺たちにはもっと好奇の目が注がれるかと思っていた」
アレスは左右に首を振ることなく、正面を見据えて唇だけ微かに動かした。

「無関心な訳ではありません。森があなた方を受け入れたのです」
「選別するのか? 森が」
「あなた方はご存知でしょう? 森は緩衝地帯。人のものにあらず魔のものにあらず。ならば誰のものか」
大樹の下で少女が二人、膝を突き合わせて座っている。
片手を地面に付いて足を崩して顔を剥き合わせていた。
愛らしい二つの唇からは弦を弓で引いたような美しくも繊細な歌声が響いた。
巫女たちとの会話の半ば、その歌声に耳を取られて口を閉ざした。

「私たちは歌で歴史を紡ぎます。音の波にすべてを重ね合わせるのです。神経も筋肉も」
体のすべてを使って歌で過去と現在を行く先へと繋いでいく、彼女たちが行っているのは大切な儀式だ。

二人の側に巻頭衣の長い裾を引いた女性が寄り添って腰を下ろした。
歌を止めることなく少女たちは中腰の女性を見上げる。 割り込むというでない、ごく自然に女性の声は二人の少女に重なった。
二本の糸が三本に絡み合い、よりしなやかに声は伸びる。

「すごいな。声が締まった。張りと強さが出た」
「歌は歌で以て指導していく。それがここでのやり方なのです」
女性が去ると、しばらくは軽やかだが芯のあった歌声は、軸がぶれ始めた。
そうするうちに、今度は違う人間が彼女たちに寄り添い歌声を合わせて修正を行う。
巫女たちが客人を引き連れて大樹の側を通り過ぎようとしたころには声は再び安定飛行を始めた。

「さっきの女性は教師か? それとも親族か」
自然に肩を寄せていた。
側に寄った空気が二人の少女と溶け込んでいた。

「ここで生まれた子はみんなの子です。教えを与えるも乞うも、親子他人はございません」
子が生まれれば皆で育てる。

巫女は長に会わせるつもりらしいが、それらしい大きな館は先に見当たらない。
道から反れた左手には一際立派な建物があった。

「あれは?」
「神殿です」
「祀ってあるのは神王か」
「神王おひとりでなく、他の神々も」
「三女神?」
口数の減っていたラナーンが口の中で呟いた。

「もっと高位の神々も」
里は閉鎖的ではあるが大きな街一つほどの規模はある。
巫女の話に出てきた交易者くらいが対外的な物流の出入り口だ。
里の中での自給自足が成立している。
草むらの向うに水田がある。
崖を背に農園も広がっていた。
酪農の小屋も遠くに並んでいる。

道の際の草むらの中で顔を寄せて少年が二人座り込んでいた。
手のひらの中の物を見せ合っている。
俯き加減の二人の頭上にタリスが顔を出した。
被さる影に驚いて弾かれたように二人が顔を上げた。

「それは?」
「宝物だよ」
銀色に輝いて美しい。

「硬貨か」
「こうか?」
少年が不思議そうに訊き返した。

「昔はもっと広い世界に棲んでいたでしょう?」
「うん。お母さんに聞いた」
「作ったものを交換するのに遠いと、重くて大変でしょう?」
「荷車でも遠いところ?」
「そうよ。ずっとずっと遠いところ。だから代わりに小さくて軽いものをみんなでやり取りしましょうって決めたの」
「ふうん。ここにはないよ」
「荷車で運べるでしょう? だからいらなくなったの」
もう少ししたら学校で教えてもらえるから分かるようになるわ、と巫女は肩まで伸びた少年の髪を掬った。

「そっちはしるしの人?」
「そう。お話を聞こうと思って」
少年は大きな目で外から来た三人それぞれを下から見つめた。
一番背の高いアレスに目を合わせるが、アレスの表情は固まったままだった。
子供が嫌いという訳ではない。
デュラーン城でもそうだったが、絡まれはするものの扱いに困っていたのが顔の渋さに現れていた。
次に目をやったタリスは悪戯な笑顔を返した。
常に好奇心剥き出し、楽しいことは好きなうえ、いつも先頭切って走り回っていた。

ラナーンはタリスに半ば引き摺られるように引っ張られ、振り回されながらも息を上げて付いていく。
アレスは彼らの監督者として時にタリスの手綱を引いていた。
タリスが軽やかに慣れた手つきで木に登る、ラナーンも促されて足を滑らせながらも危なげによじ登っていく。
アレスは下で身構えている。

高い声で右手をそっちの枝に、足はそこの窪みにと上から落ちてくるタリスの指示に従うラナーンの手が枝を取り損ねた。
上半身が浮き、宙を掻くラナーンの指。
タリスは即座に下段へと下りてくるが間に合わない。
地面は柔らかく毛の長い草の絨毯だが、落ちれば怪我は免れない。
ラナーンの落下地点で腕を広げたのがアレスだ。
落ちてくる体を両腕と胸で受け止め、そのまま勢いに任せてラナーンを抱え込んだまま後ろへと倒れ込んだ。
腕の中に収まって、体を堅く、丸くしたラナーンの肩をそっと叩きながら強張りを解いていく。
ラナーンが顔を上げた時にはタリスが心配そうに覗き込んでいた。

タリスはラナーンの失敗を諌めたり卑下したりは決してしない。 大丈夫か? との一言をラナーンとアレスに、手を差し出してラナーンを
引き上げて立たせると、二人の体から枯れ葉と土を払い落とした。
そうするとまた、飽きもせず日が暮れるまでラナーンを引っ張りまわし、アレスと走り回って遊んだ。

「どうしたの? ねえ、だあれ?」
少年たちの間から突然少女が顔を出した。
利発そうな、鈴のように笑う可愛い少女だった。

「もうお手伝い、終わったの?」
左の少年が少女の方を向いて首をかしげた。

「おーわーり」
「何か、いいにおい」
右の少年が少女へと鼻を寄せた。

「ふふ。もう少ししたらおかしができるよ。遊んでから食べにかえってきなさいって、お父さんが!」
「ほんとに?」
少女は頭を何度も縦に振った。
髪が広がって跳ねる。

「お兄ちゃんもしるしの人?」
「そうよ」
「そうなんだ」
しばらくラナーンを凝視して、何度か瞬きした後、呟いた。

「そうだ、後で神殿に寄って行きなさいね」
巫女が腰を落として少女へと目の高さを合わせる。
少年にしていたように、髪のひと房を手に取って宥めるように指で梳く。

「えー」
「ちょっとだけ。さっきの事をお話しするだけ。いいかしら」
「わかったよ。みんないっしょでいい?」
「もちろん」
「いっしょに来る?」
「そうね。私も用事が済んだら行くつもり」
少女は行こう、と二人の少年の肩を叩くと背を向けて走り出した。
置いて行かれまいと慌てて右側の少年が少女を追う。
左の少年は異邦人三人を振り返った。
何か言おうと口を開いたとき、彼の後ろで少女を追って飛び出した少年がこけた。
開いた口は再び結ばれ、転んだ少年を抱え込むように立ち上がらせて、彼らを待って草原の中ほどで立ち止まっている少女へと駆けて行った。

「懐かしいな」
タリスが胸を軽く締め付けるかすれかけた思い出を噛みしめて小さく微笑む。

「そうだな」
同意したアレスも、隣で小さくなっていく三人を見送っていたラナーンも、共有する三人が同じ郷愁を抱えている。

「私は、ラナーンが羨ましかったんだ、ずっと」
草の陰に三人が消えてしまい、タリスが一本道を歩き始めた。

「どうして?」
「いっつもアレスが守ってただろう? どこに行くにもアレスがいた」
「うん」
「私も、私のアレスが欲しかったんだろうな」
「レン?」
「置いてきちゃったけどな」

話をしているうちに長屋の前までやってきた。
屋根は低く、アレスの頭の上を軒が跨いでいる。

「アレス、背、また伸びたのか?」
「さ あ。成長期は終わったと思ってたけどな」
頭上に迫る軒を見上げた。

「もう少し来るのが遅かったら、頭を下げて入らなきゃいけなかったかもな」
年季の入った木の柱が両脇で構えていた。
肌は艶やかな褐色で美しい。
しかし村の長が住まうにしてはひどく質素な気 がした。











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