Silent History 148





「長がこの里を統べているわけではないのです。長とて私たちと同じ」
「長い時を経て知識を蓄え、それを与えていく」
土間から伸びる土の廊下を縦に並んで歩いていく。
左右は風通し良く一段高い板張りの床だった。
柱の側で子供たちが絵を描いて遊んでいる。
閉鎖的な地域だが実に穏やかだった。
里の中を歩いていても、突き刺さるような好奇心や警戒心はない。
むしろ巫女たちと出会った外の方が、彼女たちから強烈な敵意を感じた。
温室の中のようだ、異邦人がそう深く実感するのはもうしばらく里に馴染んでからになる。

入口が解放された家屋へ、湿りを帯びた柔らかい風が草の香りを運んでくる。
背中を押されるように脚が進んだ。
木造家屋でなく石造りで冷たい家だったならば足取りは重かった。
巫女たちは先頭に二人、連れられるというより招かれるというのに近かった。
出会いは突然連れ去られ、突然襲われるという最悪のものだったが、ほんの数十分前のできごとが嘘のようだ。
巫女の方も、アレスに痛烈な反撃を受けたというのにけろりとしている。

「ここを出たいと言い出す者はいないのか」
単調で退屈だと思う者がいないはずない。

「います」
「その時は?」
「話をします。ゆっくりと時間を掛けて。それでも外に出たいという意思が変わらないのであれば、許しが出ます」
「そんなことをすれば隠れてる意味がなくなるんじゃないか」
出たい人間を自由に外に解放して、その人間が外でこの地のことを漏らせば安穏は一瞬にして失われる。

「決してこの地のことは口にしてはならない。そう言い聞かせて外に行かせます」
不思議なことに誰も里のことは口外しないという。
万一漏れて、外の者が森を探しに訪れたとしても、森は堅く口を閉ざしている。
人を惑わせ、里へは道を開かない。

「里を疎んで出ていく者はいません。だから皆、またここに戻ってくるのです」
森は悪意を読み取り、混乱と強欲を疎んじる。
板の間の端に腰かけて廊下へ脚を垂らしていた子供が飛び降りて、巫女の脚へ張り付いた。
少年に服を掴ませながら巫女は彼の肩を抱えて先へと進んだ。
屋外から取り込んだばかりの衣類を畳んでいる女性も、ちらりと一行へ顔を上げただけで手を止めることも凝視することもしなかった。
これほどまでに警戒心が薄いのは森の選別を信じているからだ。
改めて、彼らが信仰の先を神々と称した意味が理解できた。
そこにあるものをあるがまま受け入れる。
そこにあるものは神々が与え、許したものだから。
人はそれらを真摯に享受せねばならない。
損得ではなく等価に、共有する。

「どうしてそういられる」
「私たちは生かされたのです。この体を流れる血、継がれていく命」
繊細に編み込まれた簾をそっと右にかいた。
小さな間に老女と中年の男性が卓を囲み茶に口を付け談笑している。

「あら。来たようね」
老女が器を卓に置いて部屋の入口へ顔を捻った。 外の人間や巫女たちが身につけている民族服とは違う、一枚布から成る巻垂の衣服はここの風土に良く合っていた。
巫女二人が老女と男性の前に進み出て、小さく拝礼する。

「この地にしるしの者が訪れるのは本当に久しぶり。そうね、数十年ぶりかしらね」
その稀なる訪問者に対しても彼女は動じない。

「ちゃんと先触れが来たのでね」
老女は卓の上に、子供の飯事のように並べてあった三輪の小花を、皺の寄って枯れた親指と人差し指で摘んだ。

「ここでは椅子も足りないし、狭いこと」
「隣室にご案内しましょう。茶の用意もできております」
頭髪の薄い男性が先に立ち上がった。
彼も老女に似た丈の長い一枚布の服を纏っている。

「あの、おれたち」
「アレス・レイ・リクスア。こちらはラナーン・グロスティア・ネルス・デュラーン。その隣がタリス・エメラルダ・リスティール・ファラトン」
「アレス?」
いいのか? とラナーンが少し不安気な顔をしてあっさりと素性を公表した友人を見上げた。
他へは自分の名と身分を明らかにはしない。
それがアレスの決めごとだったはずだ。

「島国であるデュラーンとその隣国ファラトネスの血の者だ。もっとも、そのデュラーンとファラトネスの国の名を知らないかもしれないが」
「知っておりますとも。踏み入れたこと、私たちの地の者はおりませんけれどね」
中年男性の手を借りて老女が椅子から立ち上がった。

「だからこそ、少し驚いたものです」
彼女はゆったりとした口調と温かい声で囁くように話す。
だが不思議とその言葉はアレスたちの耳によく届いた。

「私はイスフェラ。こちらはゾイフェ」
「貴女がこの里の長なのですか」
「先代のね。今は彼に譲りましたよ」
イスフェラは簾の向うを袖で示した。

「あなた方は着替えて神殿へ」
巫女たちは再び拝礼するとラナーンらの側をすり抜けて場を辞した。
続きの間では器が伏せられた前に座った。

「ここでは貨幣経済は消滅しました。そもそもそれらは私たちの外よりやってきた合理主義の賜物。外と切り離された今では必要性が乏しくなったもの」
そうした前置きで話は始まった。

「富は偏らず、与えられるものは均等に」
競う必要はない。
争うこともない。
欲しい物は知恵と努力で勝ち得ていく。
奪うものではない。
自分が生きるに余剰が生まれたならば、それは与えればいい。

収穫高に幅があるから備蓄が生まれた。
だが訪れ肌で感じたのは、この里の土壌は豊かなことだった。
備蓄は緩やかに移りゆく季節の山を越えていくために存在する。
この土地だからこそ、特有の思想が宿る。

「突然このような場所に来て、人と触れあって、俄かには理解できないことも多いでしょうが、あなた方は森の選別を受けてここに来た。私たちはそれを受け入れ、なぜ森は選んだのかそれを見極めたいのです」
「情報の共有」
知ってどうする。
ずっと引き籠ったままの生活で、この先もきっと変わらない。

「変える必要はありません。ですが、必要な時が来れば動かねばならない。我々が欲しいのは武力ではありません」
身を守り、行く末を占うための情報を彼らは求めている。

「森が選ぶってさっきから言ってるが、森が何をどうするっていうんだ。人間みたいにものを考える樹か? ちょっと薄気味悪いぞ」
タリスが絵を想像して小さく震えた。
枝の手を伸ばして動く森、木の幹や葉に無数の目を持ち侵入者を一斉に見定める目。
果ては歩く姿まで思い描いて、自分で言い出しておきながら気分が悪くなる。

「森に宿るのは神です」
「会ったことは?」
「ありません」
聞きたいことは山ほどあったが、何から聞けばいいのか、また何をこちらが話せばいいのか迷って黙り込んだ。

「どれくらいこの里に? もとはどこか別の場所にいたんだろう? 迫害され流れてきた」
「ええ。あなた方は他の血族にあったのでしたよね」
答えたのは長であるゾイフェだった。
穏やかで物腰の柔らかい、少し腹の出始めた普通の中年の男だ。

「それも先触れで?」
タリスの視線が簾の下がった先ほどの部屋へと微かに流れた。
卓の上には三輪の花が並べられたままだ。

「そう。巫女の候補となる子供が先触れの役を担うのです。彼女は本当に幸運だった。何せ数十年に一度の体験だ」
「神王派と呼ばせてもらうが。貴方たちと同じ神を崇める者に会った。彼らは島へと流れ着いていたよ。森には神がいた」
「そしてその森には神門(ゲート)があった」
アレスにタリスが言い添えた。

「ここにも神門(ゲート)はあるんだろう」
「ありますが、近づくなんてとんでもない」
「夜獣(ビースト)は」
「ここには踏み入れません」
給仕役の男女が腰を下ろした五人の器を取り上げ、芳しい香りの茶を入れてそっと机へ戻した。
滑らかな机と太く濃い褐色の部屋の梁。
部屋の柱一つ一つを取ってみても年代を感じる。

「しかし神門(ゲート)からは夜獣(ビースト)が。それともソルジスのように人柱を」
「神門(ゲート)には神が宿る。それはご存知?」
老女は茶を口に含んで一呼吸置いた。
アレスが問いかけに頷く。

「だが神門 (ゲート)は破壊された。もうそこに神はいない」
「数年に一度、神寄を行うんだ」
「カミヨセ?」
「神を呼び、封を施してもらう」
崇高な儀式だと老女は目を細めて語った。
彼女も巫女で、何度もその光景に立ち会ったという。
神殿の奥、森に続く回廊から朝日とともに現れるという。
少女とも少年ともつかぬ神は素足でゆっくりと階段を下って神殿に敷き詰められた石の床に足を付ける。

神によって封じられた扉は凶悪な夜獣(ビースト)を通さない。
小型の夜獣(ビースト)が漏れ出たとしても、緩衝地帯の森に留まる。

「神門(ゲート)はこの森に沈んでいたが、過去に露わとなり、かつての神は失われた。神寄で現れる神は神門(ゲート)の神ではない」
「だから何年かに一度封印を掛けなおすのか」
神殺し、それが人間の罪。

「再び森は神門(ゲート)を覆った。しかし、破壊された神門(ゲート)に神は宿ることはない」
流れ流れてやってきた森の中。
彼らの起源の地、彼らの故郷はもはや彼ら自身も知らない。
抜け殻の神門(ゲート)に息を吹きかけて、それに守られて細々と生きる民。
真摯に成らざるを得ない。
彼らは、神に生かされているのだ。

「ことの始まりは神代の昔。我々の祖先が神王に仕えていたその時代」











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