Silent History 133





炎を囲んでアレスの端正な顔が影を濃くしている。
この顔に埋まる強い目は女を惑わせる。

表面穏やかで、口は軽い癖に芯は固い。
本心は決して誰にも掴ませない。
ストイックさの陰にあるのはラナーンという彼の主であり友人の存在だった。

タリス曰く、下心のない適度な優しさとストイックさに落ちる。
甘い顔や言葉を口にしたりしない。
射程範囲内には踏みこんでこない安心感が逆に魅力になる。

腰が据わっていて時折妙に大人びた顔もするのでファラトネスのさまざまな年齢層を網羅している。

タリスら姉妹がラナーンで遊び終わって見回してみればアレスがいない。
図書館や技芸館を一通り探し回ってみれば老侍女の茶飲み相手になっていることも少なくない。

タリスらがアレスを見つけ出すと、ようやっと終わったかとでも言いたげな目を向けて立ち上がる。
真っ直ぐに引き締まった背中を惜しそうに見送られ、アレスはタリスの部屋にラナーンを迎えに行く。




「風が吹いてる」
呟いたラナーンの声は思ったより反響した。
彼の声を捉えたアレスが膝の上に乗せていた顎を持ち上げる。

入口から流れてきた風は奥で抜けているのか。
どこまで奥があるのかまだ歩いてはいない。
天然の洞窟を奥まで掘り抜いた隧道だ。
工法の詳細まで調べきれなかったが、石と混凝土で塗り固められている。
人が消えて久しいというのに壁の崩れは微塵もない。

「換気機関は生きている。先人の技術が高度だった証拠だ」
老人が口にした先人との一言にアレスが反応した。
老人はそれには答えず炎の上に手を翳した。

「こいつの仕掛けも君たちが見てきたヘランとやらと同じ細工だ」
この洞窟は神王派が流れてきて逗留した地だ。
ヘランからすれば異端の徒となる。

「敵方の技術を吸収するのはよくあることだ」
だが話はそれでは面白くないだろう、と老人に何か言いたげな視線を投げると、火の側を徐に立ち上がった。
水仕事を終えたラナウらを座らせ、アレスは灯りの当たる壁に背を寄せた。

「ヘランだろうがなかろうが大差はない。同じ人間であり、血が混ざりあえばなおさらだ」
「森に生きる神王派の人間たちが袂を分かちヘランに流れた」
側女が服を荷の上で干す手を休めて炎の方へと目をやった。

「密やかなる祭儀が行われ、彼らは祈り、平安の地を求め歩み続けた」
言い終わると老人は鼻を鳴らして息を吸った。
やはり匂いを連れてきていると小さく呟くとそのまま炎を見つめてしばらく黙りこむ。

「三女神は知っているだろう」
以前にも聞いたことのある台詞だ。
思惑をすべて見通されているようで居心地が悪く、少々老人が不気味だった。

「以前にも残り香について言及された。あなたは一体誰だ」
アレスが一時も離すことがなかった剣へ指を伸ばす。
壁に立てかけられた剣はいつでも吸いつくようにアレスの手に収まる。

「藍妃、焔女、樹霊姫だったな。俺たちは神王派ではない。文献も乏しく神の体系をまだ理解できていない」
「王に使える三つの神、水と火と土とを司る」
「それが、何と関係する」
「君たちからは樹霊姫の香りが匂うんだよ。儂がここに来たのもそれを追ってのことだとさっき言っただろう」
「なぜ」
「久方ぶりに樹霊姫に会えるかと思ってな。だが気配を消してしまった」
ラナウに対し、おいそこの、と呼びかけた。
少々乱暴な物言いにラナウは小さな苛立ちを隠して顔を上げた。

「地脈は知っているだろう?」
「知ってるわ」
「それがどんなものかは?」
「カリムナでしか地脈を操ることはできない」
「操る、な。固定されたものの見方だ」
溜息を吐く老人に流石のラナウも怒りを抑えきれなかった。

「それでソルジスは潤っているわ」
「一時の凌ぎで長くはない。君は、見て回ったんだろう? ソルジスの渇きは癒せていない」
この老人、ただものではないとラナウが口を閉ざして顎を引いた。
正論だった。

「地脈は樹霊姫の道筋。神の領域だ」
「踏み入れた罰が私たちだというの?」
「君たちの目から見た罪と罰が普遍だと限らない。ただ人間の肉体というのは地脈に耐えきれるように作られていないというだけだ」
「だからラナエは」
「彼女は気付いたのだよ。人は人の足で立つべきだと」
アレスは彼らの会話の違和感に気付いていた。
老人がなぜカリムナの消滅を知っている。

「樹霊姫はカリムナを呑みこんでどこに消えたんだ」
タリスは空論に乗ることにした。
そもそも樹霊姫がどういう存在なのかはっきりと認識できていない。

「彼女には守り人という役目があるからね。何のために君たちを追ってきたのかは分からない。彼女は神王直下の司る神だから高位だ。彼女らの意思には触れられない」
「神のアーカイブの話だな」
「それぞれの位階に応じた記憶が引き出せる、それを記憶層という。そうか、森で話を聞いたんだな」
ラナウや側女たちは話を理解しようと耳を欹てていた。
現状を理解するには口を閉ざし監察すればいい。

「確かに興味深い」
出会って初めて深く溜息をついて考え込んだ。

「君らと言葉を交わせば記憶層の鍵が開かれる」
いろいろと聞くべきことはあったのだろうが、タリスは疲れが明らかになり眠気に襲われた。

「君たちの追っ手もしばらくはやってこないだろう。今のうちに休むといい。ここにはそう長く居られない」
タリスは目を閉じた。
この老人、不可解ではあるが悪人ではなさそうだと勘がいう。
ラナーンもタリスを見て、荷の上に被さるように横になった。
薄く開いた目は火の揺らめきを閉ざされるまで眺めている。

アレスは大怪我を負った側女の様子を気にした。
慣れない長距離移動で疲れ果て穏やかな寝息を立てている。

ラナウは泣き疲れたのもあり、フリアと肩を寄せ合って眠っていた。

「君たちは何を探求する」
「夜獣(ビースト)、それに」
アレスは傍らで寝息を立てているラナーンの横髪を掬った。
白い耳からは炎の光を吸い込んで深い色を揺らめかせる耳飾りが掛かっていた。
日の下で見れば藍色の澄んだ色をしている。

「この世で最初に出会った神だ。守れと託された」
「神について追い求めるか」
「漠然とし過ぎて方角を見失っているけどな」
「惑うもまた道に続くということだ。今は眠るといい」
アレスも目を閉じた。
警戒は解いていないが体力は回復するはずだ。
それぞれの身の振り方を考えねばならない。
いつまでもどこまでもこのまま一緒にいられないことは分かり切っている。






日が地平線を掠めかけたとき、各々は洞窟の入口で立ち行く先を見据えた。
火を崩し、跡を埋めて始末した老人が彼らの背後に付いた。

「いい西風だ」
老人は風に融けた匂いを汲み取るように目を細めた。

タリスが振り返り、アレスに行くぞと促す視線を投げた。
アレスは頷き、側女らの肩に手を掛けて颯爽と歩き始める彼女の背中を見つめていた。

「意外と、神様ってのはそこらへんに転がってるものなんだな」
彼の横に並んだ骨ばかりの老人へと呟く。

「君は神王とガルファードとの戦いでの勝利者はどちらだと思うのかね?」
「さあな」
「勝者が歴史を塗り潰す、それが人のやり方じゃないのかね」
「関係ない。俺は恒久の平和など願いはしない。生憎、器が小さいんだ」
「願いは何だ」
「叶えてくれるのか? 神様ってのはそういうものだろう」
「勝手な話だな」
「神王ならできるのか」
「神王は万物に絶えることない力の流れを与える。すなわち豊穣、すなわち平安」
「そこに人間が信仰を重ねたっていうわけか」
信仰は悪ではない。
信じれば救われる、それは真実だ。

「真実の神は人の心に宿ると耳にしたことがある」
アレスが昔、彼の父親から聞いた言葉だ。

「俺の願いはな、あいつらが幸せになることだ」
ずいぶんと距離をあけてしまって、立ち止まったラナーンらがアレスに早くと手を上げて呼びかけた。

「それはきっと同じだ」
「何と、だ?」
「いずれ分かる」
アレスの背中を押し出した手を、老人は顔の横に上げた。

「無事を祈ろう」
「神が人に祈るのか?」
破顔して、アレスはタリスやラナーンのもとへと駆けだした。




慣れない人の足で一つの領域を越えるのは困難を極める。
ようやく他のカリムナの領域に近い町に着いたのは歩き通して夜になっていた。
医者に傷を診せ処置を施して貰ってから金を握らせた。
ここからは交渉が道を分かつ。

先に医者のもとから宿に戻ってきたタリスが、帰り道で手に入れたばかりの地図をラナーンの前に広げた。

「まずは誉めてほしい」
「地図を手に入れたこと?」
「それもあるけど」
「ありがとう」
「私の人脈を、だ」
相変わらず飛躍した発言にラナーンはさっぱりだ。
こういう場合は大人しく聞いていた方がいいことをラナーンは知っている。
寝台に腰かけていたラナウとフリアを地図の前に呼び寄せてタリスの続きを待った。

「それより怪我は大丈夫なのか」
「痛い」
「休まなくていいのか」
「優先順位はこっち」
頑固でマイペースもいつものことだ。
地図にはソルジス、エストナールを含む大陸が描かれている。

「ほらラナウ。ソルジスをカリムナの領域ごとに分断して」
筆記用具を渡すと後はラナウに任せた。
彼女は戸惑いながらも筆を休めることなく線で国を割っていく。

「細かいな」
ラナーンが感心しながら地図に向かって言葉を落とす。

「へえ、ラナエの領域ってこうしてみると結構広いんだな。道理でなかなか抜けられないはず」
タリスも身を乗り出して地図を見つめる。

「こんな感じかな」
合ってるよね、とフリアに確認する。

「サフィアスっていうのがあるだろう」
ソルジスの南西に垂れ下がるように隣接している。

「そこにレンの知り合いがいるらしい」
「それってタリスの人脈っていうのか?」
「よくいうじゃないか。お前の物は私の物、私の物も私の物って」
聞いたことのない言葉だが、人の繋がりが僅かでもあるのは心強い。

「あの、レンっていうのは」
ラナウとフリアへ、ラナーンが説明を始めた言葉を遮ってタリスが胸を張った。

「私の下僕だ」
「恋人、なんだ。タリスの」
ラナーンに言いなおされ、思春期の少女らしく頬を赤らめたタリスをラナウらは可愛らしいと思った。











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