Silent History 132





岩陰の闇が濃い場所で汗と砂埃に塗れた服を脱ぎ、砂避けのマントを体に巻き付けた。
数歩離れた目の前に男がいようが、ほとんど見えなければ問題ないという大雑把にできた性格が彼女の持ち味でもあり、またその奔放さが一少女として考えると心配でもある。
もっとも、心配しているのはヘランの三人とラナーンであって、アレスはマナーとして視線を反らしたその先で深い溜息を吐いた。
もう少し慎みと恥じらいを持てと説教をしたところで、右から左に流すだけだ。
布を巻き付ける一瞬で背を向けたタリスの腰のラインが薄明かりのもとで浮かび上がるが、本人は気にすらしていない。
そればかりか今度はラナウを強引に引き寄せ、衣類を剥ぎ取った後、側女を呼びつけた。
恥じらい抵抗する女性の衣服を無理やり剥ぎ取るという暴挙の後、水場で汲み上げた冷たい水を浴びせる。


小さな高い声が上がって、助けようと腰を浮かせたラナーンの腕をアレスが引きとめた。
大丈夫だからやらせておけとラナーンに目を合わせて壁際に座らせた。
こちらはこちらで満身創痍だ。
上半身を洗い清め、深く切れて血が溶けた箇所に布を押し当てていた。
手の届かない場所にはラナーンが手を貸す。
背中には引っかき傷のような細かい腫れがいくつも散っている。
カリムナの間で受けた傷は小さいものの数が多く、水を含ませた布を押し当てるたびに手の下で筋肉が緊張するのが伝わった。
あの時アレスが来なかったら、ラナーンはラナエとともに地脈の海に融けていた。
逆にラナエはアレスが来ると確信があったのだろうかと思う。
ラナーンを道連れにバシス・ヘランを崩壊させようと考えているように思えなかった。
人を見守るべきカリムナが人を巻き込みヘランを壊した。
命の尊さも影響も顧みない行為だったが、それでもラナーンはラナエが見ていたものはもっと広い世界だったように思う。
ラナエはイグザだけではなく、ラナウも側女たちもヘランの人間たちすべてを愛していた。
信じてもいた。

「ラナエは賭けたのかな。カリムナに頼らずとも自分の足で立って生きられる、そうした強さがソルジスの人間にあるってことに。人の強さに」
「さあな」
手の下でアレスの低い声が響く。

「そう、信じてやってもいいんじゃないか」
彼らの声が届かない向うで、戯れるようにタリスが側女の体を拭ってやっている。

「だからこそラナエは側女を逃がしたんだ。バシス・ヘランは崩壊したが、ほとんどが外に逃げ出せた。もっとも、生き残った奴らからしてみれば、そんなこと考えもしないだろうがな」
「知っているものだけ、信じればいい」
「そういうことだ」


血を流して側女の傷を灯りのもとに曝した。
肩から胸にかけて切られた傷は、出血こそしたものの深く抉られてはいない。

「だが不衛生は敵だ。医者にも診せたい」
フリアを呼び、二人係で町で手に入れた薬と布で簡易に処置をすると、タリスは汚れた服を抱えて立ち上がった。
洗濯に行くつもりだ。

「私が行くわ」
ラナウがタリスの隣に並んだ。
タリスも腕を負傷している。
休んでおけと言われても、大したことないからと振り切る。

「おれも行くからだいじょうぶだ」
アレスに残る側女らを任せて、三人が連れだって歩いた。
全員分の衣類はなかなかの量だ。
早く汚れを落として、火に翳したい。

洞窟で出会った老人は、久しぶりに来たようなことを言っていた。
生活設備が何年ほど使われていなかったかは知らないが、水場に火を焚ける場所まできちんと用意されていた。

広い水場に服を広げ水の流れを寄せれば、暖色の光の下でも見てとれるほど、濁った水が布から染み出た。
砂と埃と血と獣の臭いが入り混じった臭気を、水ですべて洗い流していく。
何度も何度も手で練り回し、色水が落ち着いたころにラナウが服を水から引き揚げた。
丁寧に水を絞り、皺を伸ばして広げたところで熱いものが頬を伝い顎から落ちた。
タリスも水を切って不器用なりにも満足そうに布を広げ、動きを止めているラナウへと顔を向けた。

「おい、ラナウ」
せっかく水気を落とした布を水場へと落として、ラナウの肩に手を掛けた。
こちらに向いた顔に、タリスの奥で同じく仕事をしていたラナーンが目を開いた。
そこに他の洗い物を抱えてきたフリアが居合わせる。

「いえ、いいの。なんでも」
「なんでもなくはないだろう」
その場で膝を崩してへたり込んだラナウの背中に手を掛けて、タリスも屈みこむ。
呼びかけても答えない。
顔を覆ったり涙を拭うことなく呆然と項垂れたままのラナウを乱暴に揺さぶる。
首が据わらず揺れている。

「おいラナウ、話せ! 何でもいいから吐き出せ」
まずいと思ったのだろう、タリスはラナウの頬に手を押し当てて目を自分に合わせた。
このまま言葉も感情もすべて中に取り込んでしまってはラナウが壊れてしまう。
思いを引きずり出そうとタリスは必死に呼びかけた。
話そうとする意思はまだかすかに残っているようで、ラナウの喉が動く。

「ラナエはもう、いないのね。私は、逃げてきたけど。もう帰る場所も行きつく場所もどこにもない」
「何を。どこだって生きられる」
口にした瞬間、タリスが黙り込んだ。
違うのだと気付いたからだった。
タリスにはファラトネスがある。
側にはラナーンやアレスがいる。
いつだって帰れるし、頼ることだってできる。
だがラナウはそれら帰る場所をすべて敵に回した。
タリスらにとってソルジスは立ち寄った一国に過ぎないが、ラナウにとってそれは生まれて育った世界のすべてだ。
ラナエは彼女にとって旅の始点であり終点でもあった。
アミト・ヘランを巡り彼女と常に繋がり、彼女のため、彼女とともにソルジスで生きてきた。
それらを断ち切った。
原因を作ったのは外部からの闖入者である自分たちであるかもしれない。
だからこそタリスは言葉を失った。

「ラナエ」
呟いた言葉には喪失感が痛々しいほど滲んでいる。
追われて逃げて、落ち着いてふと気がつけばそこに当り前のようにいたラナエの存在がいない。
信頼していたイグザも消えた。

「湯女が私を狙っていた」
ラナーンらは最初、バシス・ヘランの破壊をラナエに囁いたとヘランの人間たちが見ていると思っていた。
だからこそ、彼らはラナーンらを消すために追ってきた。
だが、実際刺客の湯女と接触して狙いがラナウの捕縛だと気付いた。

「ラナウ様を、次のカリムナに」
震える声でフリアが呟き、手にしていた衣類を投げ捨ててラナウに縋った。

「ラナウ様! お止めください。バシス・ヘランにお戻りになるなど、決してお考えになりませんように!」
「どうすればいいのか、もう私には分からない。進む道が、分からないのよ」
首を振る。
涙は鼻筋を伝い、地面に吸われていく。
バシス・ヘランに戻るつもりはない。
あそこにはもう何もないのだ。

ラナーンがタリスの手をラナウから動かして、両手でラナウの顔を掴んで引き上げた。
普段見せぬ強引な姿に、タリスの方が呆気にとられていた。

「生きろ、ラナウ!」
腰を屈めたラナーンにぶら下がるように、膝を立てて腰を浮かせたラナウから零れた涙は、ラナーンの親指を伝った、

「ラナエの声を聞いただろう! ラナエは生きることを諦めたんじゃない。ただ人を失くして生きるより、人として生きたんだ。そしてラナウを、解放したかった」
届いてなかったのかよ、とラナウの顔に叫び続ける。

「ラナウに自分の人生を生きてほしかったからだ! 自由になってほしかったからだ」
言葉にして、ラナーンもラナエの真意に触れ、電流が走った。
そうだったのかという納得と、悲しさに涙を呑みこんだ。

ラナエの体は硬化して、やがて体は樹木のように食われていく。
カリムナの宿命で、それはそう遠くない日の話。
未だカリムナ候補は見いだせていない今、自分が消えれば次に据えられるのは誰か明白だ。

「それが、ラナエの願いなんだ」
ラナウは目を閉じ、声は出なかったが確かに何度も頷いた。
再び開いた目は確かにラナーンを真っ直ぐに捉える。

もう、大丈夫だ。
ラナーンは微笑み、ラナウの頬を解放した。
タリスと同じに、やはり不器用な手で絞った布をラナウの顔に押し付ける。
その仕草も慣れておらずどことなく強引で少し乱暴で、しかしとても温かい。
ラナウはおかしさのあまり、水の滴る布の下で笑ってしまった。

「別にさ、一人じゃないだろう? 私だってラナウの友達でいるつもりだ。もちろんラナーンも、あの無愛想なでかいのも」
タリスがアレスのいる方向へ顔を振った。
照れ隠しも混じっているのだろう。

「それに、こんなに慕ってくれる可愛い子たちがいるじゃないか」
同じように故郷を失ったフリアはもう戻るなと縋る。
もう一人は身を呈して、命を掛けてラナウを守った。

「ちゃんとたくさんの人に愛されてるじゃないか。なぁ」
その言葉に、微笑むラナウの目からまた別の熱い涙が溢れた。











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