Silent History 131





振り下ろした剣は白い二本の腕を折ることも切ることも叶わず空を切り、剣先は地面の石を砕いた。

タリスは腕が逃げた茂みの中を、音を頼りに切りつけていく。
的確に、音の発生箇所と動きを予測しながら振り下ろすが剣先にも掛からない。
手応えあり、と剣を引き抜けば絡みついたのは白い布。
湯女の衣服で中は空だと気付き慌てて振り解く。
片腕を負傷してただでさえ重かった剣に脱力感が滲む。

背後に気配が移り、振り返る。
アレスに襟首を乱暴に引かれ地面を滑ったと同時に目の前を風が抜ける。
見開いたタリスの瞳が捉えたのは、鉄の爪だった。
アレスが引き倒してくれなかったら今頃爪に喉を貫かれて地面に転がっていた。
喉を貫いた穴が酸素を奪い、息も満足に吸えず悶え苦しんで死んでいく様を想像し、寒くなりながらも態勢を整えた。
アレスがタリスを置いて飛び出したとき、五人が同時に動いた。

ラナウに飛びかかろうとする湯女、動きだしたアレスとタリス、剣を振り上げたラナーン。

「ラナウ様!」
それらより早く動いたのが側女だった。
名を叫ぶとラナウを両手で押し退けた。
彼女を絡み取ろうと腕を出した湯女は手を翻し、指先の爪は無防備な側女に閃く。

声も出ず地面に蹲った彼女の白い肩から鮮血が胸へと流れ落ちる。
ラナウに覆いかぶさろうとする湯女の前でラナーンが剣を払う。
怯んだ湯女をアレスが剣の峰で浚うように力づくで払い除けた。
白装束に包んでも分かる痩身は予想していなかった攻撃であっさりと地面に投げ出された。
湯女が態勢を整える前にアレスが追撃を始める。
形勢が不利にも関わらず湯女はアレスの攻撃を巧みに躱し、隙を狙う。
バシス・ヘランでの一件ですでに軽傷とはいえ満身創痍、体力も削られているアレスの弱みを一瞬で見抜き、突いてくる。
だがアレスとしてはここで折れるわけにはいかない。
足払いを掛け、転倒は踏み止まったものの体の軸を崩した湯女を袈裟に切り落とした。
アレスの左手へと崩れ落ちて行く湯女に絡んだ剣を抜き、血を払う。

タリスが側女を抱き寄せて傷口に布を押し当てる。
ラナウが泣きそうな顔で彼女の顔を覗き込んでいた。

「大丈夫。骨も筋も異常はなさそうだ。出血もそう酷くはない」
「ごめんなさい」
「まさか湯女が追手だったなど。どこでそんな技を」
タリスに背を支えられながら上半身を引き起こし、二人の手を借りて立ち上がった。
アレスが全員の無事を確認してラナーンへと顔を向けたときだった。
視界に外れた左上方から降下する白い影にアレスが剣を撥ね上げる。
舞い落ちた木の葉のように白い布片が散り、鉄爪の付いた手が手首から飛ぶ。
痛みや状況に動じることなく、剣を振り切ったアレスの開いた胸へと残った右手を突きたてようとする。
胸を引いて爪の先を躱そうとするが、距離を詰められて咄嗟には引き離せない。
息が止まった瞬間、湯女が吹き飛んだ。
視界に黒髪が被る。
細められた黒い瞳は澄んでいる。
頬に返り血が跳ねる。
静かになった湯女を見下ろしてラナーンが立ち尽くしている。
肩で息をし、冷たい汗が髪を湿らせる。
顔は白く唇を細かく震わせている。

アレスがラナーンの顔に手を伸ばし、横髪を掬った。
泣き出しそうな顔が露わになり、隠すようにラナーンはアレスの手を逃れて顔を反らした。

触れる指を引き戻して、アレスは膝を曲げて弛緩した湯女の死体を調べ始めた。
一つ目は骨に当たり浅く、致命傷は二つ目。
躊躇いの痕跡が残る。


そうだ。
目を伏せながら立ち上がった。
ラナーンにとって人を切るのは初めてのことだ。
動揺して当然だ。
血を被った手のひらを服に押し付けているが、拭えるものではない。
水があれば体を洗い清められるが、今は少しでも惜しい。
アレスが布を取り出し、一口分の水で湿らせるとラナーンの両手を取った。

「今はこれだけで我慢してくれ」
「おれより、ラナウたちの方が」
「タリスが措置してくれた」
そうか、と呟いたきり再び沈黙が降りる。
目を誰とも合わせようとはしない。

「助かった」
両腕を拭い、血は消えたが臭いは染みついている。
アレスもどこからが自分の傷跡から滲んだ血なのか返り血なのか分からないほど汚れていた。
土埃と汗と血の臭いが混じる布をラナーンの顎を引き上げて、頬に押し付けた。

「お前が入ってこなかったら今ここで立っていられなかった」
ありがとうとの意味を込めて、ラナーンの肩に手を乗せるとラナウ立ちの方へと歩いて行った。



山間部の傾斜に残った体力を浅く削られながら、足場の悪い道を進んだ。
人の歩いた痕跡がいくらか残っていれば安心もできるが、しばらく踏み固められた様子の無い土道は足下が崩れはしないかと冷や冷やしながら歩いて行った。
走る谷の割れ目の底は濁流が声を上げることなどなく、茶色い泥水が枯れそうになりながら流れているだけだった。
ここでも水の補給は叶わない。

「湯女ってラナエの世話係だったんじゃないのか」
「そうです。カリムナのお体をお浄めするのが彼らの仕事」
「暗部、と言ってたな。湯女の死体を調べてみた」
「お顔もお調べになりましたね」
「ああ。舌が切り取られていた」
全員が息をのむ。
ラナウは俯き、タリスは唇を噛みしめた。

「やはり」
側女の二人だけが納得したように互いの顔を合わせた。

「カリムナに一番近く、体を一番よく知っているのが湯女です」
「カリムナの秘密を他に漏らさぬようにってことか」
二人が同時に頷いた。

「そしてきっと、このような不測の事態に対応できるよう、湯女を兵器として育成した」
それは機能し、アレスから側女たちまで切りつけた。

「疾しい気持ちがあったわけだ。カリムナの間でヘランとその周辺に恩恵を与える。人としての人生を、犠牲に」
タリスが苦しげに眉を寄せた。

「この向うだ。このあたりに地下窟があるはずだ」
アレスは空を仰ぐ。
日が落ちればここは闇に沈む。
空っぽの洞窟は崖か地面か穴か判別がつかなくなる。

湯女の手を逃れたとしてもこのまま暗中に放置されれば別の危険が襲ってくる。
少ないながらも水は谷間を流れていた。
人がかつて使っていたというその場所で、運が良ければ水の補給もできるかもしれない。

岩盤は固いようだが、風雨に砕かれた細かい砂の上を滑りながら下り坂を降下していった。
先に着地したアレスが下で、転がり落ちてくる側女たち二人を受け止める。
ラナウは美しく着地し、タリスとラナーンもよろめくことなく背を伸ばした。

疲れた体を引きずりながら半時間ほど探し回り、ようやくそれらしい窪みをラナウが発見した。
アレスが頷き、横歩きがやっとという細い足場を崩さぬように慎重に渡っていく。
張り出す木の根が唯一の命綱だった。
無事に行きつき、アレスの姿が穴に消えた。
ほどなく、アレスの笑顔が穴から飛び出した。

「思ったより奥は深い」
アレスが明かりを灯し奥に進む。

「こういうとき自給自足って助かるなぁ。ねぇ?」
タリスが火の玉を手の上で弄びながら定位置の最後尾でアレスに突っかかる。

「アレスだってうまくやれば、水袋に貯められたり」
「俺の技は片刃の剣に薄い膜を張れるだけだ」
お陰で刃こぼれ知らずの便利な術ではあるが。

「振って集めても数滴ほどだろう。それとも舐めてみるか?」
舌が血みどろになるのを想像してタリスが目を反らして逃げた。

「や、やめとく」
奥で砂を踏み潰す音がした。
それとも今の音は虫か動物の鳴き声だったか。
それにしてもここは。
そう思いかけたそのとき、細い声が続きを繋ぐ。

「虫も、動物もいない。きれいな洞窟だ」
少し恐れの混じるラナーンの弱い声だ。

「血の匂いがするな」
アレス、ラナーン、タリス、それにラナウと側女二人。
六人のいずれでもない枯れた声がはっきりと聞こえた。

アレスが剣を抜き放ち、ラナーンへ明かりを預ける。
下がれと左手で通路を塞ぎ、腰を低く落とした。

「何者だ」
タリスが後方から凄んだ声を上げる。

「難しい問題だ。君たちが何ものかという立ち位置によって、儂の座標も変わってくる。厄介なものだな」

「わたくしたちは、バシス・ヘランより参りました」
「バシス・ヘランの人間はこの場所を知らないのではないのかね」
「ええ。だからもう、バシス・ヘランの人間ではなくなりました。あなたもここにいるということはつまり、わたくしたちの敵ではない、ということ」
「安直な考え方だが、まあ君たちへの敵意がないのは確かだな。ふん、バシス・ヘランから逃げてきたのか」
安穏としたしゃべり方だが頭は冴えているらしい。

「まあいい。水場に案内しよう。欲しいのは宿だろう」
どうも話がうますぎはしないかとアレスが警戒レベルを高める。

「ありがとうございます」
ラナーンが老人の隣を歩く。
松明が彼の顔を下から照らす。
皺だらけの細い顔、眉毛は長く垂れ下がり、その影に隠れるように目蓋の重い目は深い色をしている。

「しかしここに来客が来ようとはね。儂の勘も鈍ってきたのか」
「勘、ですか」
「ああ、君たちからは匂いがするし。儂も匂いに乗ってやってきた」
「よくわかりません」
老人はラナーンの困り顔を見下ろして、梟のように笑った。

「長ぁく生きていりゃぁな、いろんなことが起こるもんだ」
話をしている老人の声の向うから、水の音がした。











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