Silent History 130





体力の回復が鈍く、好調とは言えないラナウから側女たちにも疲労が滲み始めていた。
朝からずっと走り通してきたのだから、十分持った方だ。
日が完全に落ちるまでに洞窟に着きたい。
周囲に町も集落もない、夜獣(ビースト)は横行しているこの場所で、夜の移動は避けたい。

ラナーンの隣にいたタリスが不意に速度を上げ、一つ先を走っていたアレスに並走した。
ラナーンらには聞こえない声で囁く。

「だが今、変更するなどできない」
「ならどうする」
前を向いたまましばらく黙りこんだアレスが返答する声が、途切れ途切れに聞こえる。

「必要とあれば措置を講じる」
アレスの言葉を耳に入れ、納得したのか不満なのか見抜けないポーカーフェイスで速度をラナーンに合わせた。

「気を抜くなよ」
低い声で囁いてから、更に速度を緩めて殿についた。
タリスが下がった形を取り、不穏な事態をラナーンが察した。
一本道の林の中、戦う術を持たない側女の二人の側を走る。

林の密度が薄くなったところでアレスが立ち止まった。
前に詰まることなくタリスも彼の動きを先読みし、身を翻して同時に剣を抜いた。

ラナーンはラナウと側女たちを背中に寄せて、林の枝一つ一つを警戒した。
光は幹を割って入ってくるのに空気は張っていた。
すでに見えない何かと対峙している。

呼吸を沈めた瞬間、右から短剣が吐き出された。
仰け反ったラナーンの目先を剣先が抜けて行く。
短剣が鋭角に着地するのを待つより早くアレスが動き、飛んできた方角に切り込んだ。
茂みを踏み拉き暴れる音がする。
飛び出してきた曲者の影を追って、アレスが背中を裂いた。
飛沫が葉に降る。
血濡れた草を踏み分けて、赤にまみれたアレスが姿を現した。

鬼神のごとき様相のアレスにラナーンは背中が寒くなり腕が震えた。
冷やかに忍び寄るような気迫がアレスを包む。
幼いころから知っているアレスとは別人の姿に膝が崩れそうだった。
恐怖であり畏怖である。
彼は躊躇いもなく賊を斬り捨てた。
検分する間もなかった。

「これは」
最初に反応を示したのは側女だった。
動かなくなった白装束に、腰が引けながらも見下ろしていた。

「どうしてこれが」
顔上半分を布で覆い、口元は弛緩していた。
顎の形、骨格からしてこれは女だった。

近くから悲鳴が上がる。
振り返れば剣を取り落し腕を抑え込んだタリスが横倒しになっていた。
だが他に姿はない。

「ラナーン!」
顔をかろうじて浮かせて叫んだ。
剣を抜いていたラナーンが構え、茂みの音を目で追う。
素早い。
剣の腕が立つタリスに傷を負わせるだけの手の者だ。
転がったタリスはラナウが引き揚げた。

検討を付けてラナーンが茂みに剣を振り落とす。
手応えはない。
すぐ脇の茂みが大きく揺れたと思ったら、銀色が縦に走る。
アレスがラナーンに体当たりをし、ラナーンを腕に抱え込みながら地面に滑り込んだ。
片手でラナーンの背中に手を置いて地面に押さえつけたまま体を起こした。
腰を落としたまま片手で剣を構えて気配に集中した。
白装束が閃く。
腹に力を入れて装束を切り裂いたが軽い。
剣は布を切ったに過ぎず中身は剣先をすり抜けて後退した。
姿は林の木の陰に融けたが敵意を孕んだ気配はまだそこにある。
再び白装束が舞う。
切り裂いたがそれもまた空だった。
一体何枚重ねてやがる。
そう眉を寄せた瞬間、足下から短剣が突き上がった。
アレスの顎から頭蓋を貫くはずだった剣はアレスが咄嗟に危険を感じて顎を反らして仰け反ったため鼻先を抜けて行く。
重力に引かれる布の陰からの突きにアレスが目を見開いた。
動きが尋常ではない。
鋭さや俊敏さに加え気配を完全に殺している。
ラナーンやタリスのように剣技の剣ではない。
刺客としての訓練を受け、より確実に人を殺す業を磨いた人間の動きだ。
人の血を知らないラナーンやタリスに近づけるべきではない。
アレスの警報機が鳴り響いて止まなかった。
彼らのまっすぐな剣では太刀打ちできない。
アレスに数回斬りつけた後、白装束の手が翻され目の前が白く濁る。

煙幕か。
いつの間にか懐から取り出した粉をアレスに叩き付けた。
アレスが濁った空気の中から逃れようと後ろへ飛んだ。
白い煙の中に剣を叩きつけたが予想通り反応はない。
どこに逃げた。
粉を吸い込まぬようローブの袖で顔を覆いながら首を振って探す。
煙の壁の向こう、不穏な白い影が動く。

駄目だ。 まずい、そっちは。

ラナーンが白装束の前に立ち塞がった。
彼の陰には怯える側女二人とラナウが固まっている。

立ち合う音にアレスが駆けつけた時にはもう遅く、腹を蹴りあげられていた。
型も何もない、実戦で有効な手なら砂で眼潰しすらする戦法だった。
服に仕込まれた刃を取り出しラナーンに斬りつける。
ラナーンも応戦はするものの正面からではなく死角から突いてくる攻撃に、リズムが掴めないでいる。
アレスが助けに走り、二人の間に入った。

ラナーンは後方へ下がり、側女たちへの守りに入った。

「あれは」
「あれが湯女です。カリムナを知るもの。バシス・ヘランの暗部」
「そんなのがなぜ」
紡ごうとした言葉は押し込められた。
首が締まっていく。
背中から手を首に回されて締め上げられるにつれ、体が反っていく。
駆け寄ろうとする側女たちを乱暴ながらも足で押し退けて、体を振りながら抵抗する。
もう一人湯女が潜んでいたとは迂闊だった。
やはり男と女。
腕力の差はラナーンの方が上だった。
体を半分に折って喉に絡む指を振り解く瞬間、入れ替わってタリスが飛び込んできた。
腕は負傷、片手で剣を振るが重みが腕に馴染んでおらず剣先がぶれる。

ラナーンが地面に崩れて咳き込んだ。
タリスの剣を軽やかに避けた湯女は林の中に再び姿を消す。
二人が顔を上げた。

タリスが振り向くと同時に、林の中から白い腕が突き出ていた。
指先はラナウへと延びる。

「そうかあいつら」
タリスが呟き、ラナーンも立ち上がって白い顔を後ずさったラナウへと向けた。

「目的は、おれたちじゃなくて」
タリスが先に飛び出して、ラナウへ伸びた湯女の白い腕に剣を振り下ろした。











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