Silent History 121





ほの明るく青白い光が窓を透かして落ちている。
窓枠が深い色の影を落とし、布を張った回廊の冷たい床を四角く区切っている。
淡い光に縁取られ、陽の下微かに焼けた滑らかな肌は輪郭を白く浮き上がらせた。

痛みを噛みしめるように口を引き結び、ガラス窓に額を寄せている。
一人静かに考え事をしているのを邪魔するのも無粋だ。
少し眠くなりはじめてきたのもあり、このまま足音を殺して行き過ぎようと思った。
踵が床を擦った音で窓の前の瞳が揺れた。

振り返った目は驚きで僅かに大きくなり、まずいと動きが固まったタリスを捉えた。

「ああ、散歩だ。ほら夜の方が誰の目を気にすることなく歩けるだろう?」
そもそも他人の目を気にするような女ではないタリスの苦々しい言い訳だ。
それを深く問い詰めることもなく、言葉を発しようとして薄く開いた唇を再び閉ざした。
瞳は彼女の惑いを語る。
明るい陽の下、明朗な彼女の皮膚の内に隠された痛みを目にした。

「明け方までもうしばらく時間があることだし、よければ夜空の下で散歩をご一緒して頂けませんか、麗しの姫君?」
「あ、ああ」
踊るように片手を横に広げたラナウをタリスは凝視し、言葉を詰まらせた。




先を行くラナウの背中を見失わないようタリスは追いかけた。
月明かりも弱い真夜中、鬱蒼とした背の高い茂みを体でかき分けるように進む。
この先に何があるのかタリスも知らされてはいない。
ラナウは窓から離れてから一度も口を利かないからだ。
散歩とするにはあまりに荒々しい。
普段のタリスならばどこに連れていく気だと強引にも口を割らせるが、静まり返った背中には言葉を抑えつける圧力があった。

額に浮き始めた汗を指ですくって前髪を持ち上げたところで視界が広がった。
広すぎる裏庭、手入れの必要もなく忘れ去られた一角に、崩れた屋根や横倒しになった柱が置き去りにされていた。
ラナウは真っ直ぐに突き進み、風化の下に細やかな細工が偲ばれる石膏のような肌の上に手を伸ばした。
指先が熱を含んだ柱の、彫刻の溝をなぞる。
落とした顎を引き上げて気丈な言葉の下、溢れだそうとする懐かしさをなだめるたわんだ声をようやく口にした。

「ここは昔、ラナエとよく遊んだ場所なのよ」
垂らした手を目の前に持ち上げて、付着した砂の粒を指の間で磨り潰した。

「ずっとずっと昔。私たちがここにやってきたばかりのころ」
ラナウが巡廻士になる前のこと。

「つまらない思い出話かもしれないけど」
「いいよ。ここは気持ちがいい」
放置された石造りの長椅子に近づき、砂を払ってタリスが腰を掛けた。
しなやかな脚も椅子の上に引き揚げて、風化で滑らかになった肘掛に上半身ごと凭せ掛けた。

「聞き飽きたら眠るよ」
空気も程良く温かい。
夜を明かしても見咎める目はどこにもない。

ラナウは満足したように小さく顎を引いて頷き、オペラ歌手が舞台に登場したように姿勢を正して見回した。
そうだ、まるで演劇だ。
舞台の小道具は上級品。
小さな神殿だったものか、石造りの休憩場所だったのか、残骸となっては過去を知れない。
退廃した中に美しい物悲しさがある。
細く途切れながら流れる虫の音、夜鳥の声は闇に溶ける。
悪くない雰囲気だとタリスは艶やかな唇の端を持ち上げた。


「バシス・ヘランは聞いていた以上に厳しい場所だった。人と人との間には距離があって、空気は酸が混じっているのではないかと思うほどピリピリしたりもした」
ラナウとラナエの二人には分かっていた。
目を反らしているようで注がれる視線は、期待の裏返し。
二人のどちらかがカリムナになる。

「ラナエがカリムナになって、私が巡廻士となっても空気は変わらなかった。相変わらず息苦しくて」
カリムナは祈りの合間に、ラナウは堅苦しい座学の合間にバシス・ヘランを歩き回った。
言葉はあらゆる無駄を切り取られて、振る舞いのすべてに他人の視線が絡む。
ヘランの中で二人が出会っても形式ばった言葉しか交わせない。
幼いラナエには世話をする大人が始終纏わりついていた。

誰の目も気にせず、誰の耳も気にせず、自由に言葉を口にできる場所を探しているうち、林の切れ目にこの場所を見つけた。

「私が巡廻士になっても、ラナエがカリムナとなって手の届く範囲だけは自由になっても、私たちはここを忘れなかった」
ラナウはヘランの外に出られないラナエのために、さまざまな街で起こったこと、出会った人のことを話して聞かせた。
カリムナでいるときの堅い仮面を外して、ラナエもそのときだけは大声で笑った。

「昔から閉じこもってた訳じゃないんだな」
「最近は庭に出ることも、ヘランの中を歩くこともなくなって」
「体調が優れないとか」
「元気なんだけど、出たがらないのよ」
「もう一度ここで遊びたいんだ、ラナウは」
「二人で過ごす時間を大切にしたいだけ。私はラナエに重荷を背負わせてるから」
「カリムナってさ」
長椅子の上で体を転がし、天井が落ちた空を見上げた。
雲は薄く伸びて、厚みのない月に時折掛かっては抜けていく。
ここは微風を頬に感じる程度だが空は流れが急なのだろう。
軽い雲はどんどん流されていく。

「他にはまだ決まってないのか? ラナウとラナエがそうだったみたいに、候補生とかは」
「決まってないんじゃないかな」
「そうか。決まってたら、『家』にバシス・ヘランの人間が偵察に来るわけないか」
以前ラナウに案内された孤児院を思い出した。

「バシス・ヘランの人間は強引に連れ去ったりしないと思う」
「それは身内から見た信頼で?」
空に向き合っていたタリスは横目でラナウの様子を窺った。
分からないほど小さく首を横に振って、ラナウも割れた屋根の残骸に腰を下ろした。

「不安定な力のままではカリムナに迎えられない。あの子たちも希望していない。望まないものを強引に、国を支える柱に据えられない。今は」
国を富ませたり枯渇させたりはカリムナの手に掛かる。
乱暴に扱って嫌がるのを据え付けても国は傾くだけだ。

「洗脳染みたことをしない限り、な」
タリスが酷なことを口にする。
眉を寄せた後でラナウは頭が冷えていくのを感じた。
あり得ない話ではない。
だとしたら子供たちの身が危険だ。

「あの子供たちは大丈夫だ」
何が大丈夫なのか、何をしてそう言い切れるのか読み取れず、ラナウは横目を投げていたタリスに目を合わせた。

「まあ、バシス・ヘランの判断基準は分からないけど。あの子供たちはたぶんカリムナにはならない」
「どういうこと」
「ラナウは彼らをカリムナの卵だって言ってたよな」
確かにタリスらに子供らを引き合わせる前に口にしていた。

「あの子供のなかでも一番強い力の子。それでも現カリムナのラナエの力には全然及ばない」
部外者に何が分かるんだと、タリスが想像していた言葉はラナウからは発せられなかった。
反論が出ない沈黙は、気づいている証拠だ。

「学習か矯正かは分からないけど、それで力を安定させることはできるだろう。でもね、力が伸びたとしても限界がある」
「分かるのね」
「私もそれなりに」
右腕を枕にしていたタリスが、寝そべったまま空に向かって左手を伸ばす。

荒れることを忘れてしまったような木目細やかな肌が、無駄のない腕の肉に捲きつく。
垂直に昇った人差し指でゆっくりと空中に円を描く。

「術は使えるんだ」
爪の先から朱の光が軌跡の線を引く。
目が追い掛けた残像ではなく、はっきりと光が円を描いている。

指を止め、開いた手の内から小さな火が出てきた。
火種も着火剤もなく、純粋に火だけが手のひらに接するくらいのところで浮いて揺らめいている。

拳を作り、小さな火を手の中で握り消して、また左手を腹の上で休ませた。

「カリムナになるのは本当に極一握りの逸材だって、実物を見て分かった。乾いたその地域全部を潤せるだけの水を毎日汲み上げるポンプの役目は、逸材どころか特級の人間しかできない」
「民を背負って生きているんだもの。強い心じゃなきゃできないわ」
言葉尻を地面へと押し出して言いきってから、ラナウはしばらく沈黙した。
タリスは目だけをラナウに向けて、俯き加減の彼女の瞬きの数を数えながら待った。

「で、本当のところ」
長い沈黙の後、寝返りを打ってラナウに向き合った。
相変わらず優雅な猫のように、長椅子に体を横たえたままだったが横着な姿勢とは裏腹にその目は刃物のように鋭く透き通って光った。

「吐きだしたかったのは何? 今を逃したらもう二度と口になんてできやしない。言いそびれて腹の中に仕舞ったまま二度と、ね」
そんな類の重くて厄介なものだとラナウを見ていれば何となく気付く。
空を仰ぎ見て、鼻から深く息を吸い肺の深くまで空気を入れると、ゆっくりと息を出し切ってから、目を開いた。
ほんの数秒でラナウの気持ちは切り替わり、決心は固まった。

「私はね、ずっとラナエに申し訳なかった。カリムナの重荷を背負わせたこと、ずっと後悔していた。私がラナエの生きる道を奪ったの。私がカリムナだったらよかったのに」
天を仰ぎ見て、泣かないつもりだった。
しかし思いに逆らって熱い気持ちは目の窪みから溢れ出て、目尻から耳へと流れ落ちていく。

「だがカリムナは立ち会いの元、正しく行われたはずだ。どちらがなっても遜色ない、どちらが選ばれてもよかったはずだろう」
「ええ。だからこそ私は心を罪に染めた。浅ましい思いに染まった」
カリムナは国を負う、偉大で誉れ高い存在だ。
彼女がいなくなれば、たちまちバシス・ヘランと周辺は乾いて朽ちる。

「ラナエが選ばれた瞬間、私は安心した。私はカリムナの重責から逃れられたんだと嬉しく思ってしまった。代わりにラナエを差し出したのよ。ラナエが愛された存在? バシス・ヘランのみんなが大切にしているのはラナエじゃない。カリムナと言う器なのよ」
空っぽの愛情と薄っぺらい微笑みと上辺だけの気遣いはただ哀しいだけだ。

「重すぎる道に突き出して、私は笑ってたの。ああ良かったって、一瞬でも思ったの。姉妹なのに、血が繋がっているのに、ずっと一緒にいたのに、喜んだのよ」
一瞬の思いと意識の下にあった本心に、ラナウはぞっとした。
自ら刻みつけた罪の意識はラナウのなかで膿んでいった。

「ラナエの側にいてやりたかった。守ってあげたかった。でも辛くて、苦しくて」
ラナエの優しい頬笑みを前にする度に、自分の汚れた思いを直視しているようだった。

「私に巡廻士の役目がきたとき、少しほっとしたの。ラナエの顔を真っ直ぐに見られなかった。それこそ私の罪の痛みなのに、私はそれからすらも逃げたのよ」
償いきれない罪の念は、ラナエの姿を見るたびに募っていった。
決してラナエの前で口にしてはならない思い。
贖罪の叶わない。
念は断ち切れない。
厄介だ、とタリスは思った。
良心が真っ直ぐで純真な分だけ、裏切ったという傷は深く癒しがたい。











go to next scene >>>

<<< re-turn to one world another story
        or
<<<<< re-turn to top page
















S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送