Silent History 122





目が覚めれば外光の白で目が眩んだ。
今が何時なのか時間がつかめないまま、布団を膝から跳ねのけず朦朧とした頭で座り込んでいた。
アレスはいつだって早起きだ。
布団は畳まれ、体温の名残はない。

寝付けないラナーンが先に部屋を出て、同じような真夜中の放浪者と遭遇して戻ってくれば、今度はアレスの姿が消えていた。
布団が整えられているということは、一旦戻って来たのかあるいは。
昨夜のタリスとの会話を思い出した。
アレスも男だ。
眠りに落ちたラナーンを確認して他に流れて行ったのかもしれない。
そのあたりをわざわざ本人に確認するほど野暮ではない。

用意されていた清潔な衣服に袖を通して、顔を清めてから隣の部屋を覗いた。
タリスの姿はなかった。

散歩するに飽きないバシス・ヘランだ。
行ったことのない所をひと歩きして、ラナウかイグザに遭遇できればいい。
布の靴は、底に柔らかい革を縫い合わせている。
ヘランの石の床が足裏に張り付くように接し、素足で歩いているかのように気持ちがいい。
柔らかい綿の服は、水路が巡り空気が涼やかなヘランの中ではちょうどいい。
軽快に歩くのに合わせて、長い裾がふわふわと揺れてなかなか楽しい。
タリスがファラトネスで良く舞っていた姿に重なった。


腕と脚に絡む長い布が、タリスの動きの軌跡を描く。
生き物のように宙を舞い、空気を孕みながら重力を味わうようにゆっくりと降下する。
侍女たちが花篭から滑らせた無数の花弁が、開け放たれたテラスから流れてくる微風で床を滑り、空気と遊ぶ。

舞い踊る彼女は神と同化していた。
狂い憑かれたような荒れようではなく、流れるような繊細な手つき、どこか冷めたような鋭くも清らかな目線は人との距離を置いていた。
崇高な女神を思わせる舞を懐かしく思う。

タリスは選り抜いた幾人もの楽師と舞姫を抱えていたが、タリスもそれに劣らなかった。
姉姫たちの生誕祝いでさえ、お抱えの舞姫に出番を与え自分の舞はなかなか披露しようとしなかった。

だが最後に見た舞を、ラナーンは忘れない。
ファラトネスの兵が夜獣(ビースト)の強襲を受け、惨殺された。
その痛みがタリスの旅立ちを決意させた。






バシス・ヘランに彫られている階段の彫刻観賞や中庭散策をしていると、花を摘んでいるフリアに出会った。
花篭が満たされ、ちょうど部屋に戻ろうとしていたのだと、ラナーンを連れてカリムナの間に向かった。

日が高く昇り、朝食も昼食もまだなのだと漏らしたラナーンに、フリアは食事を用意した。

「今は残念ながらお会いできませんが、しばらくすればお勤めも一旦お休みになります」
「会ってもいいのか」
「あなた方がお見えになれば、お通しするようにと伺っておりますので。嬉しいのだと思います、外の方とお会いになれるのが」
「カリムナは、出られないから」
突っ込んだ話をするつもりはなく、口にしてから言葉を飲み込んだ。

「ええ。カリムナの間に踏み入れられるのは限られた人間だけ。あの部屋は、カリムナが祈るための清浄な部屋ですから」
「外の情報を持ち込めるのはラナウとイグザくらいのものか」
「カリムナはヘランや周辺地区にとってなくてはならない柱。ソルジスの支柱です。一つ大きな柱を失えば屋根は傾いてしまう」
「埋もれて砂の国に」
国を支えるに足るだけのカリムナの器が他に見出せていない今、問題は切実だ。
次期カリムナの存在を掘り起こそうと神経を尖らせているのは、辺境の『家』にまで現れたバシス・ヘランの使いが物語っている。

「ソルジスの人にとって神聖で大切なカリムナに、外の異物であるおれたちを近づけて、快く思わないんじゃないか」
当のソルジス人に聞くのもおかしな話かもしれないが。

「そう仰る方もおられます」
遠慮なくフリアは同意する。

「イグザ様のようなお考えの方もいらっしゃいます。何もかもを縛ってしまえば、カリムナはカリムナとして機能しなくなる、と。あの方は、ちゃんとカリムナを人として見ていらっしゃる」
「それは、フリアもそうだろう?」
ラナーンはサイドボードの上に乗ったままの花篭を振り返った。
きつい芳香で主張するほどではなく、顔を寄せれば仄かに香る暑い国の花。

「どこに飾るとでもなく、籠のまま」
カリムナの間に通じる側女の部屋に置いたままだ。

「カリムナの間へ花を挿すつもりだったんじゃないのか」
「そう」
「それは側女の決めごととして?」
「いいえ。今朝目が覚めて、一番初めに目に入った花があまりにも眩しくて」
姿勢の正しいフリアは、背筋が伸びたまま目を微かに細めた。

「ラナエはちゃんと人を見て、側に付ける人間を選んだんだ」
何人もの側女に囲まれて生活する息苦しい体制に、闇雲に反発していたわけではない。

「カリムナはお優しい。あの方のお立場は、思いを変えればこのバシス・ヘランや国を人質に、人を動かせるはず」
人質などと言葉は悪いですが、そういう権力はありますとフリアは真剣な目をしていた。

「けれどあの方はご自分の望みは小さく、わたくしたちには本当に良くしてくださる」
一人を寵愛しないよう数を増やし、また他と通じて企謀せぬようにと一線を引かれている側女たち。
彼女たちの地位は格別に高いわけではなかった。

「わたくしたち側女は等しくラナエ様の愛を受けています。それだけがわたくしたちにとっては最大の誇りです」
顎を上げて、力強い目でフリアは言い切った。

「今のカリムナは、お体の調子が優れているとは言えません」
「ラナウが、ラナエはカリムナの間から出ることがなくなったと言っていた」
「お辛いのか、イグザ様をお近くに寄せる機会が多くなりました」
何か言いにくいことでもあるのか、的を外した物言いにラナーンは首を捻った。

「イグザはカリムナの間に入ってはいけないのか」
「そういうわけではありませんが。お召し換えはしばらく前まで側女がしておりました。それが最近はイグザ様にお任せするようになり」
側女はすぐ側に控えているようになった。
側女の目もあり、やましいことなど何もないのだが不思議だった。
他人の着替えは体力がいる。
だが女とはいえ、数が集まれば華奢なカリムナの着替えが困難というほどではない。

「カリムナの御心が休まるのであれば歓迎いたします。それにイグザ様はわたくしたちにもお気を配ってくださる」
ですが、とフリアの顔色が鈍くなる。

「一方で、カリムナにイグザ様が寄り過ぎるのを好ましく思わない方もいます」
他の人間がそれほど下世話な想像をしているのか知らないが、イグザとカリムナの関係は純粋な信頼関係で成り立っているのは彼女たちがよく知っていた。

「どうぞ、皆さま方でカリムナをお慰めください。あの方は他の方がもたらすお話しを好まれますので」

話が途切れたところで、名を呼ぶ声にフリアはカリムナの間に続く扉へ顔を向けた。
もう一人の側女がカリムナの祈りが終わったことを告げる。

左手に花篭を携え、ラナーンを伴ってカリムナに寄る。
ラナエはラナーンの再来を喜び、フリアが手折った花に嬉しそうに顔を寄せた。
興味深げに、今朝の様子、花の咲いていた光景を詳細にフリアへと質問を投げかける。
フリアも笑顔で丁寧にそれに答えていた。
その後、側女らは壁際に控えているようにと指示し、ラナーンと向き合った。




「どうしてカリムナの祈りに介入できたのか、ずっと考えていました」
「それはおれが聞きたい。漆黒の祈りから現実に戻って来た時、脚が痺れていた」
「カリムナの私であっても、祈りの中がいったいどういう場所なのか、よく分かっていないのです。ただ、あの光は人には強過ぎて毒にすらなり得る。人の立つべき場所ではないのです」
直接触れなかったというのに脚に違和感を感じた。
ラナエがこの場から動けないのは、そのせいではないかと感づいてはいた。

「お考えの通り、私の足はもう機能していません。ご覧に、なりますか」
唇を震わせながら、体の軸をずらした。
長い裾の下には、動かなくなった足の形が浮き上がっている。
裾を持ち上げることは恥じらいに値する。
そのような慎み深さとは違った、重苦しい空気が二人の間に漂っていた。
ラナエが裾を強く握り、膝の上まで引き上げた。
最初の違和感は肌の色だ。
石膏のように白く、滑らかさを失っていた。
足は、足の形を失っている。

「まるで木の根のよう。そう、まさしくそうなのです。この脚は私が座している下を這っている。この部屋の濠へと広がって行っている」
動けないわけだ。
人の形を失ったカリムナの姿に驚愕した。

「これを知っているのは」
「イグザだけです」
「ラナウも知らないのか」
ラナウどころか、側女たちも知らない。
着替えをイグザに頼んでいたのも、そのためだ。

人の体を失ってまでソルジスの豊穣に尽くす。
カリムナの末路にラナーンは言葉を失うしかなかった。

「こんなの、ひど過ぎるじゃないか。どうしてこうなるまで」
「カリムナになることで私とラナウは生きてこられました。ソルジスのためにも。カリムナがいなければバシス・ヘランはまた砂の街に戻ってしまう」
「しかしそんなの」
誰も彼もが幸せになどなれるはずもない。
どこかで犠牲を払い、どこかで痛みや苦しみが生じ、引き換えにしながら皆生きている。

「今のソルジスの大地には自浄作用がない。それはカリムナのせい」
地下からの地脈を吸い上げ、枯渇させては次のカリムナを立ててバシス・ヘランを築く。
連綿と繰り返されてきた歴史だ。
今さら鎖を断ち切ることなどそう簡単にできはしない。

「それに私はカリムナであることを望んだ。これは私が願った痛み」
水面が泡立つ。
水泡が立ち上る。
まただ、とラナーンは身構えて、同時に諦めた。
またカリムナの祈りに引き込まれる。
沈んでいく。
ラナエも起こる現実を受け入れて落ち着いている。

「私が望んだ痛み」
「ラナエ」
「ラナーン、私は罪深い。私は穢れている。私は、嘘をつきました」
形を失ったラナーンの意識の隣で、ラナエの意識が薄く漂っていた。

「カリムナとなるべきは、ラナウだった」











go to next scene >>>

<<< re-turn to one world another story
        or
<<<<< re-turn to top page
















S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送