Silent History 113





神に仕える身らしい装束もなく、酒はたっぷり喰らうわ、大声で笑うわ、想像とは違えていた。
定刻を設けていたわけではなく、持参した酒瓶もこの家の貯蔵室から持ち出してきた酒瓶も空になってしまったので、ではそろそろと腰を上げた。

ちょっと用意してくるからそこで待っていて。
そう言われてラナウの友人はグラスを片付け出し、他の三人は部屋の中を改めて見回した。
祈念する巫女の部屋というよりは書斎に近い。
入った瞬間から神殿に踏み入れたような張りつめた厳かな空気が漂うのではなく、図書館か父親の私室に入ったときのような少しばかりの威圧感と温かみに満ちていた。

窓の外が一面緑の葉で埋まっているからだろうか。
二階にいるとまるで木の上に置かれた小屋にでもいるように錯覚する。

準備というのだから身形を整え、半時間ほど要するのかと思えば、二分ほどで現れたのだから驚いた。
用意といっても、荷物の袋が一つだけ。
じゃあ行こうか、と買い物にでも行く気軽さだ。

ラナーンら三人、巫女が行く。
ラナウの友人は玄関を出たところで別れた。
家の用事を済ませなきゃと口にしていた。
行きたくない言い訳とは思えず、ますますこの街と人間と神との関係が読めなくなった。

「あの子はいつでも行けるから大丈夫」
エフトという名の巫女は快活に笑った。
靴は履き換えた方がいいというので、靴屋でエフトに見繕ってもらい、彼女と同じようなサンダルを手に入れた。
足首を紐で固定し、しかも軽いので足もとの悪い道にはいいのだと
説明してくれた。


「何者だ、あの人は」
先に体力の底が見え始めたラナーンが、遅れまいと先を睨みつける。
こんな場所で見失って逸れでもしたら、街に帰ろうにも帰れない。
朽ちて木々の養分になるのに時間は掛からない。

「何なら抱えて行こうか王子様」
「お前もいったいどんな体力してるんだ」
アレスが疲れを見せたことなどない。
飄々としている姿に頼もしさを感じるより今は疎ましい。
加えて二人分の剣を携えているのだから、恐ろしい。

自分の剣を手放さなかったタリスは額に薄っすら汗が滲んでいる。
それでも遅れる様子もないのだから、この少女も並ではない。

「あれが本当に巫女なのか」
猿か軽業師のような身のこなしで、木の根を飛び渡る。

先に進んでは遅れを取り始めたラナーンらを立ち止って待っている。
奥に進めば進むほど、森は今までに見たことのないような根の張り方をしていた。
人間の血管のように連なり折り重なり密になる。
苔むした岩は気をつけなければ足を滑らせて転倒する。
縄を編み込まれ滑り止めの効いたサンダルは幾分滑りを留まらせたが、油断はできない。
歩き慣れるまで何度となく足を取られては、顔から木の根に落ちるところだった。

敏捷なエフトの脚が目に入ったが、腱は強く張っており、細い手足であったが薄い皮下の肉は締まっている。
さして小柄というわけではないが、動きは機敏で軽快だった。

獣道ですらない。
すでに道はない。
歩いてきたはずのところも、地面に通った軌跡などほとんどなかった。
木々の僅かな隙間を縫って歩くのだが、迷う素振りなく突き進むエフトに、何を目印に歩いているのか訊いてみた。

「何となくだよ。大体、通い慣れた道のどこをどう目標物にって意識して歩いてる? そんなわけないでしょう」
腕を首の後ろで組みながら、愚問だとでも言うように笑った。

仰向いても空は見えない。
厚い木々の緞帳の向こうから光は射していて明るくはあるが、雲の流れや高く行き交う鳥の姿は隠されていた。

順調に進んでいたエフトが樹に片手をついたまま緑の天井を見上げた。
追いついた三人が樹の根の下から彼女を見上げる。

「雨だ」
雨粒が屋根を叩く音がする。
木々の隙間から水滴は流れ落ち、木を伝って水が筋を作る。

「ちょうどいいから休憩しようか」
降り始めると足元は川になる。
一層滑る地面や木の根を渡り歩くのは、素人には辛いだろう。
木の葉が折り重なっているところに身を寄せて雨粒を凌いだ。

不思議な国だ。
ソルジスの大半は乾燥地帯だというのに、森の中に入れば別世界だ。
思えばソルジスにいるのに、隣にいるのはラナウばかりで、他のソルジス人と話をする機会がほとんどなかった。
ソルジス人は森やその中にある街、神王を祀り居場所を失い逃れてきた人々をどう思っているのか。
ヘランの総意をまだ知らない。

ヘランにしてみれば、彼らに属さず国土に棲みついている移民だ。
目触りに思ってはいないのだろうか。

「街の人々は森以外に逃げ場はない。森がそれを不要のものと見做した者は排除すると聞いた。踏み込めないのなら、外から火を放ったりという暴挙に出たりしないのか、ソルジスの人間は」
タリスらしい大胆な発想を口にする。
森で隠れる彼らを炙り出すか、あるいは焼き滅ぼすか。

「ヘランは何だかんだといって森が怖いのよ。そこに何があるのか知ってる」
今会いに行こうとしている神の存在かと問えば、答える代りに口の端を持ち上げた。

「彼らは神の在り処を知っている。自らが犯した罪を知っている」
「罪だと。何をいったい」
タリスが否定に掛かったすぐ隣でアレスが口を開いた。

「森を剥ぎ取ったんだな。それは神の寝所であり夜獣(ビースト)と
人との緩衝地帯。バシス・ヘランは森を喰い、枯れた土地にアミト・ヘランを置いた。森の代替として。違うか」
「素晴らしいわ。よく理解できたわね」
拍手を贈るエフトだが、彼女を囲むようにして座する三人は無邪気に笑えなかった。

「ここにいるのは神の生き残り。アミト・ヘランにもう神は居ないわ。どうしてか分かる? 封魔の歴史が通説。でも片面だけでは真実は見えてこない」
「封魔の歴史のなかで黒の王とされる厄災は、ここでは神王として祀られていた。黒の王は魔を統べ人々を絶望に貶めた、一方神王は森を守る神々を統べる王、だったよね」
ラナーンもそこまでは理解できていた。

「どこから真実は違えてしまったのか。そもそも人間は何と戦って、何を滅ぼしたの?」
魔だ。
夜獣(ビースト)だ。
それ以外にラナーンらは知らない。
エフトは知っている口振りだが、勿体ぶるのかそれ以上は口にしない。

「ソルジスが罪だと感じているのなら、どうして正さないんだ。森に生きることがあるべき姿なのだったら」
森に逃げることはない。
森に住む人間たちを受け入れればいい。
だがそれはラナーンらしい純粋で単純な発想だった。

「私たちが流れ辿り着いた時には遅すぎたのよ。ソルジスという国は立ち、バシス・ヘランがシステムになっていた。私たちがもたらす真実は、国の基幹をへし折ることになる」
森に阻まれて二つの勢力は均衡した。
いや、緊張感はあったが対立するほど主張し合うことはなかった。
森に逃れた民は疲弊し、干渉を疎んだからだった。

流れゆく時間の中で、虚構は真実となり歴史となった。

「地場の精力を吸い尽くすヘランは、もはや力あるカリムナを手放すことができなくなっていた。カリムナは豊穣をもたらす。確かに地下水を汲みだすように精力を導くカリムナの力は存在し、人々は富を得る。けれどそれは永遠じゃないわ」
「精力はいずれ尽きる。尽きた後には荒涼とした大地、そしてアミト・ヘランが据えられる、か」
繋がっていく話の流れにアレスが頷いた。

ヘランは森に手を出さない。
真実と神を抱えているから。
畏れているから。

「雨が止んだみたいね。じきに足元は歩きやすく体力も戻ったみたいだし先を急ぎましょうか」
エフトの言う通り、雨が上がるとあっという間に地面の水は大地に染み入り、束の間の川は姿を消した。



祠らしいものはない。
人の手により造られたものは、秘されて森の中。
石を切断面滑らかに水平断ちした台座だけだ。
蔦が円形の石に纏わりつくが、覆い尽くしてはいない。

エフトは仁王立ちし、腰に手を当てて頭上に向かって叫んだ。


「おはようカミサマ」
投げつけるような迫力ある轟が木々に吸い込まれていく。

間もなく空より巨大な布が舞い降りてきた。
二階から落とし、風を孕んだシーツのように、ゆっくりと降下する。
光を透かして落ちてくる様に見惚れていた。

「おはよう、ニンゲン」
それは言葉を口にした。











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