Silent History 102





重い雨の音が建物を包み込んでいる。
そういう錯覚に陥る。

実際外に出れば体を足先まで洗い流すような雨粒ではなく、体を切りつける砂粒だ。

外は砂嵐、だが遺跡の中は煌々と灯りの満ちた平穏な空間だった。
人が一人、縦に収まるほど深い濠に囲まれた広間へ坐している。
これだけ火を焚いていて空気が濁らないのが不思議だった。
炎の燃料はどこにあるのかも見当たらなかった。
広間の凹みも気になる。
ただ一番奇妙なのは、ラナーン、アレス、タリスと出会ったローブの人間が、円になって互いの食料を中央に盛っていざ食事、という光景だ。
一品一品は質素だが、飢えを感じるほどではない。


タリスも野宿に悲鳴を上げるような女ではない。
美味い不味い、良い悪いを見分ける五感は持っているが、雑魚寝だろうが石の上だろうが拘らない根性の据わった女だった。
その点、世話役的立場のアレスは気が楽でいい。
女を連れての旅路だが、タリスに女としての性を感じることがなかった。
タリスにとってしても、女性らしい嫋やかさ、妖艶な美貌は時に便利な道具となることを認めていた。
要は使い分けだ。
タリスの表裏を幼馴染として熟知しているラナーンにとってみれば、タリスは愛すべき友人でありはするものの、女性としての意識は薄かった。

そのラナーンの舌は、多少の好き嫌いはあるものの基本的に好奇心が先走る。
食べ物が質素であれ豪勢であれ、あまり頓着しない。
城にいたときからそうだった。
アレスが持ち帰った土産物は毎度楽しみにしていたが、城の食事で取り立てて不平を口にしたことはない。
大人しい、扱いやすい子供だった。
その主張のなさをアレスは常々心配していたが、表に出るようになり随分と変化した。
逆に、アレスの方が戸惑いを感じるほどだ。
我儘なわけではない。
ただ思いがアレスの手の内を抜けて行ってしまう。
ラナーンが理解できなくなってきた。

タリスはそれを聞いて、王女らしからぬ豪快さで笑い飛ばした。
他人だからしょうがない。
それが、人間ってものなんだ。
ついでに、今頃気づくなこのバカ者がと付け足した。


他人が他人であり、互いに価値観が違う相手であると知ったとき。
それは喜びなんだとアレスに言ったのは、今はいないシーマだった。

一緒にいることがただ安らぎだけじゃなくて、他人の中に自分にない特別なものを見つけられたら。
そうして自分が変わっていくのを感じられたら、それが嬉しいんだ。
その時本当に、相手を好きになる。
愛おしく思えるようになる。


シーマは違う国から来たラナーン、アレス、タリスと過ごして、他人と触れ合う喜びが何なのか、分かったという。
外的刺激により変化していく自我と揺るがされる価値観。
深く自己分析していたわけではないが、新しいものに触れ、新たな世界を知っていく快感は感じられた。


世界は広がる。
常に広がっている。

グラストリアーナ大陸に、ディグダ帝国が覆いかぶさり、大陸の端には小国が点在する。
別にして、対抗し得るルクシェリースという大国があり、同盟する他国が周囲に散っている。
どちらにも深く属さず、独自の軍事力で存在感と中立性を保つ自国、デュラーンとファラトネスは南方に。

それが世界だが、あくまでも知識や地図上でのこと。
体感する世界は、手を伸ばし触れられたもの、知覚したものを言うのだと、それこそが世界の本質ではないかと、ラナーンらは考えるようになり、シーマもまた同じような思いだった。

ゆえに、世界は広がり続ける。

別れの際に、鼻の奥の痛みを堪えながら、麻痺していく喉を叱咤しながら、強い目でシーマは言った。

今まで何気なく一緒にいた、そこにいた存在。
みんな違う、一人一人の人間で。
でも意識していなかった個々の存在だった。

「私はディールや一緒にいた仲間のこと、もっとちゃんと見たい。私がラナーンとアレスとタリスと出会って見つけた、特別なもの。今なら見つけられるから」

大きく息を吸い、思いとともに吐きだした。
最後の言葉は、さよならではなく。


じゃあ、また。
いつか。






空気に揺れる火を見ていると、色々なことが泡のように浮かび上がってくる。
普段ないような感傷的な気分にさえなる。
床に胡坐をかき、脚に肘を乗せて灯りが落とした影が波打つのを眺めていた。

「アレス、食べないのか」
折りたたまれた長い脚の前に、タリスが食べ物を並べた。
その隣に置いた杯に飲み物を注ぐ。
足のない素朴な作りをした木彫りの杯は軽く、旅には実用的だ。
ラナーン達のものではない。
使い古され、持ち手には光沢すらある。

「これは」
「酒は飲めない?」
「いや」
「ああ、杯を共にするのが苦手なの」
「そういうわけでは。頂くよ」
水ばかりだった胃に、食べ物と酒が染みる。
保存食である乾物にあまり味を期待していなかったが、アレスらを
救った女の所持する乾物は予想以上に美味かった。

「名前は?」
「アレスだ」


女。

ラナーンとタリスに挟まれ、目の前に座る女を杯の縁越しに観察した。

突然目の前に現れ、アレスの腕を強引に引きここまで連れて来た。
アレスら明らかな異邦人らを迫る砂嵐から救出する行為はありがたかったが、彼女の正体は食事を囲む今も知れない。

「そっちの女性と姉弟?」
「三人とも血が繋がってない」
「なんだ。背が高いのは護衛じゃなかったのね」
アレスから返された杯を、そのままラナーンに回す。
彼女曰く、杯を回して親交を得るとのことだ。

「ラナーン」
酒に口を湿らせてから答えた。
視線を振った先のアレスは、食事に手を付けて目を合わせない。
特に今は警戒する必要はない、好きに話していいという許可のサインだ。
それでもしっかり耳だけはこちらに向けているので下手なことは口にできない。
返答していいものか迷う質問には、アレスの救いの手が伸びるはずだ。

「ソルジスは初めてで。二人とは友達同士なんだ。ずっと旅をしている」
ラナーンが杯を隣の女性へ押し出した。
半分まで注がれていた酒は、まだ残っている。
女性はそのまま左手に座っていたタリスへ流すように杯を手渡す。


「タリスだ。夜獣(ビースト)を追っている。それに、黒の王についても」
隣の反応を見ながら、杯を傾ける。
目を反らさず、握り込んでいた杯をソルジス人へと返した。
一瞬、ソルジス人の目が光るのを見逃さなかった。
この女、何か知っている。


「私はラナウ。ソルジス国内を回っている」
「趣味で、ってわけではなさそうだね」
空腹も落ち着いたラナーンが、ソルジスの女を見た。
空気がアレスに似ていた。
危機回避の方法を知っている。
人との距離の取り方も知っている。
何より、異文化であるラナーン達の扱い方も知っている目だ。

「そちらは仕事でソルジスに来たわけではなさそうね」
「いろいろと、混み入った事情で」
「ここがどこか分かる?」
「神殿、ヘランか」
「そう。今は使われていないヘラン」
「ヘランにはカリムナっていう巫女がいるはず」
「ここにはカリムナはいないわ。ヘランとカリムナ、揃って初めて意味があるの」

軽食は一通り済み、ラナウと名乗った少女は立ち上がった。

「さて。外はまだ治まらないし、落ち着いたころには日が傾いてるでしょうね」
「今日はもう動けないか」
アレスが広げた食事を包み始めながら、次の動きに頭を巡らせている。

「私はここで泊まるのに何ら問題はないぞ。むしろ面白そうだ」
タリスは両腕を後ろに、体を伸ばしてすっかり食後の寛ぎの時間に入っている。

「この奥にカリムナがいた。本来なら建物の中にすら入れないというのに、幸運だったわね」
三人を見下ろしたラナウに言葉の意味を、タリスが問う。
純粋な好奇心でだった。
今日は途中で車は置き去りにするわ、その後歩き通しな上、更に砂嵐のおまけつきだ。
貴重な体験できたことで、損得相殺されるがいい加減疲れた。
人工の白く強い光ではなく、炎の柔らかい明かりに照らされて、湿度も室温も適度に保たれている。
今のタリスに邪気が溶け切ってしまったように、刺々しさはない。

「扉が閉まっていた。あれは、一枚岩を彫って造ったもののようだった。女の細腕で開けるにはさぞかし力がいるだろうにな」
「何が言いたい」
「貴女が思うような他意はない。ただ、お互い警戒しながら夜を明かすのは嫌だと思っただけだ」
腕を頭の上に伸ばし、小さく欠伸をした。

「何が知りたい」
「さあ、何からにしようか」
「ふざけてるの?」
「私はファラトネスから来た。知っているか、海に浮かぶ小国を」
「地図と知識の上では、ある」
資源が豊かで、造船技術が優れている。
何より、海軍が強い。
ファラトネス海軍は、海の烈火と名を轟かせている。
水面を走る焔のように、近づく敵を薙ぎ払う。

「穏やかな国だった。腰を据えた統治と締め上げず緩めすぎずの秩序、人は温かい」
ラナウは、ファラトネスの内情はまったく知らず、ただ耳を傾けていた。

「だが殺された。夜獣(ビースト)にだ。夜獣(ビースト)は森から来る、突如として現れ、人を惨殺する。見たことあるか」
「何度かは」
ソルジスでは夜獣(ビースト)ではなく、異形と呼ぶ。

「喰らうんじゃない。引き裂き腸を引きずり出し、五体をばらすんだ。聞いたことがあるか? 声も出せず、喉が鳴るんだ。助けてくれと涙と鼻と血でぐしゃぐしゃになった顔で、叫ぼうとする人間の姿をだ」
ラナウは声が出せなかった。
想像したくもなかった。

「目の前で殺されていった。屈強なファラトネスの兵士たちが、何人も、何人も。知る必要があるから、知識と情報を求め今ここにいる」
国を渡り、海を越え、遠くまでやって来た。

「それが、私だ。お前は何者だ?」
「私は、ヘランの調査官だ。カリムナを失った、ヘランを。見て回って」
ラナウが三人に背を向ける。

「私は、夜になるまで一仕事して来ます。貴方がたは、好きにいればいい。奥に踏み込み過ぎるのは、お勧めしない」
ラナウは広間の奥へ続く廊下へ進んでいった。
空の濠に両脇を挟まれた廊下の向こうにある扉は開いていた。


「アレス、おれ」
ラナウに付いて行くという。

「駄目だ。お前が行くなら俺とタリスも一緒に行く」
「行かせてくれ」
「危険だから止めてるんだ」
分かれよ、と強く肩に手を掛けて引き留める。

「大丈夫。危なくなったら叫ぶから。声の届くところまでにするから。信じてくれ」
肩に乗った大きなアレスの手に、自分の手を乗せる。
引き剥がすではなく、やんわりとアレスの手を肩から外した。

「大丈夫だろう。帯刀させれば。信じてやれ、アレス」
二人に諭されて、アレスが折れる。

「ありがとう」
言って剣を掴み、腰に結わえながら颯爽と走り出した。
アレスは傍らの剣を腰に下げることなく、坐した脚の間に挟み込むと壁に寄りかかり待機姿勢を取った。

「あのラナウといかいう女。悪い人間ではなさそうだろう?」
タリスの言う通りだ。
だからラナーンに行かせた。
口を利くことを黙認した。

「ラナーンはまだまだ世間知らずかもしれないが、信じるべき人間を信じることができる奴だ」
タリスも立ち上がった。
部屋を見て回るという。

「アレスも来るか?」
「俺はここにいる」
「あまり悩み込まないこと。いいな」
遺跡探索に意気揚揚と向かったタリスの背中はすぐに広間から消えた。











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