Silent History 103





「ここが使われていたのは三十年前。最後のカリムナが死に、周りは砂と岩の世界になった」
乾燥と砂嵐、地を這うように背の低い草だけが生き残ることができた。
ラナウは松明を片手に、壁に手を伸ばすラナーンを背後から眺めていた。
部屋には手前の部屋同様、一点に炎を落とせば溝を炎が走り部屋全体が明るくなる。
ラナウから仕組みの説明は受けていないが、溝に空気より比重の重いガスが沈滞していて、引火して炎の道ができるのだろうと推測した。
壁の彫刻も精巧に造られている。

「神殿なのか、ヘランって。神仏らしきものは彫られていないし、像も見当たらないけど」
「カリムナは神を降ろす器。流れゆく神をその身に注ぎ、満たし、依代となって地を治める」
相当な権力者なんだとラナーンが関心しながら振り向いたが、ラナウは横に首を振る。
カリムナは口を閉ざし、神殿の奥に身を沈めているのだと語った。

「広間は奥にもある。カリムナは最奥にいた。さっき、濠の話をしていたでしょう」
人が縦に嵌るほど深い凹みが広間の外周を廻っていた。

「それは水路よ。カリムナの周りを固め、各部屋に行きわたる。カリムナは清らかな水と空気で護られていた。また、それらの環境を生み出すのもカリムナの力」
ただの象徴ではないということだ。

壁と乾いた水路など部屋の構造に興味を持って、天井を眺め壁に触れていたラナーンから離れてラナウは壁や、石壇に屈みこみ顔を近づけて手を動かしていた。
調べていることは分かったが、近づくなという刺々しい雰囲気を背中から吐き出しており、覗きこむことは叶わなかった。

立派な扉から左右が対称の造りになっている。
扉の両端から延びた水路は壁際に沿って手前の部屋へと続いている。
水路の底に下りて、歩いて隣の部屋へ行けるのかと膝を付いて覗いてみたが、目の細かい透かし彫りが壁に施されており、出入り口は閉ざされた扉だけだった。
水が張られている時ならば、広間全体が凹凸の少ない平面の世界だっただろう。
今は一滴も残っていない濠に部屋の四辺を固められ、広間は孤島のように浮かんでいる。
カリムナがいた最奥を目指して歩き始めた。
扉を抜ければ広間、そしてまた扉。
幾重にも部屋があり、いずれも似た造りだった。
ほぼ正方形の部屋は、広くはないが数が非常に多い。
何人がヘランに集っていたのか分からないが、部屋数からすると相当数の人間が部屋を行き来していたはずだ。

カリムナの間に踏み入れた。
部屋は他とは明らかに広さも天井の高さも違っていた。
不思議な光景だった。

部屋に踏み入れた扉の前に、一直線の橋が渡っている。
橋の下は、濠だ。
部屋の四方を取り巻くなどというものではない。
部屋のほとんどが凹みでできている。
落ちないように注意しながら底を覗きこんだが、底は他の部屋よりも遠い。
落ちれば脚を痛める。
背筋が少し寒くなるような深さだった。

部屋に浮き上がる橋は、そのまま中央の島へと延びていた。
これにすべて水が満たされているとしたら、どれほど爽快だろうか。
ラナーンはラナウの後に付いて歩きながら部屋を何度も見まわした。
水が蕩々と流れる部屋、中央に佇むカリムナ。
想像する幻想的な光景が、乾いた部屋の間取りと重なる。
長い通路は、人の世界と神の世界を結ぶ道。
カリムナまで繋がる道は、ひどく遠いものに思えたはずだ。
それだけカリムナは尊く、力の強い者だった。
ラナーンが想像を膨らませている間に、ラナウは戸惑うこともなく通路を進んでいった。
ラナーンも通路に足先を踏み入れると、ラナウが振り返った。
ここから先は付いて来るなとはっきり突き放した。
怒っている風でもなく、ただ仕事の邪魔になるからだった。
仕事の内容は気になったが、彼女はラナーンらの恩人だ。
踏み込み過ぎて無礼をしたくない。

入口近くの広間に友人らが待っているだろうから、真っ直ぐそこに戻るようにと追い返された。
カリムナの座は見てみたかったが、ここは異国。
どれがよくて、どれが作法に反するのか判断はまだつかない。
大人しく広間に帰るのが最善だ。






土と埃の臭いが入り混じる。
淡い灯りに包まれながら、懐かしい感覚が流れていく。
いつの間にか砂嵐の音は治まっていた。
砂粒の代わりに今は冷たい闇が遺跡を覆っている。
不思議な場所だ、ここは。
初めての場所のはずが、妙に落ち着いた。
あのラナウという女の素性が分からない。
ヘランと呼ばれるこの遺跡も、いないカリムナについても考えることが多すぎた。

そういえばここは、デュラーンの地下水路に似ている。
ラナーンの自室の地下室にはデュラーンを巡る水路が、水面を揺らめかせながら通っていた。
水に包まれるようなヘランは、囁くような水の音を壁に反射しながら。


「水音?」
アレスの耳は確かに弾けるような小さな水音を捉えていた。
夢か。
いや、音は現実だ。
どこから聞こえてくる。
一滴、二滴などというものではなく、あちらこちらで弾けている。

視覚もまた、空だったはずの濠ぎりぎりに水面が持ち上がった水路を捉えていた。
派手な流水音もなく一瞬にして満たされた水路、湿度を持った空気が頬を撫でる。


水面の一点が隆起する。
アレスは無意識に体が反応し、帯刀した柄へ右手を沿えた。

隆起は曲面で構成され、やがて人型の腰までを生成する。
シルエットは女性体をしていた。
水の厚い膜越しに薄く浮き上がるのは人の顔だった。
通常の神経では、水の繭に包まれて何かを訴えようと身を捩じらせる人間など気持ち悪いだけだが、この場所では違った。
アレスは口の動きで読み取ろうとはするが、まったく読み取れない。
ただ、以前に見た女が出てくる奇妙な夢の続きなのは理解できた。

サロア神。
夢を侵し、シエラ・マ・ドレスタから遥々ここまで何をしにきた。
お前が俺の妄想であっても、現実お前が何を訴えようとも。

「悪いが俺はお前とは関係ない」
さっさと散るがいい。
千五百年前の亡霊が。

「静かに聖都で眠っていろ」
アレスが剣を抜き去り、水面に伸びた隆起物へ力いっぱい刃を叩きつけた。
上下に分かれる水の隆起は、滑るように崩れ落ちた。
同時に現実へと叩き起こされた。


「アレス!」
鋭い悲鳴に近い声で叫ぶのは、ラナーンだ。
アレスが跳ね起きた時には、水の湛えられた濠はまた干上がり、乾いた空気が鼻孔を流れた。

これこそが、現実だ。






「夜獣(ビースト)だ! ここには、夜獣(ビースト)がいる」
ラナーンに並んでタリスが転がり込んできた。
探索途中にラナーンに遭遇したのだろう。

応戦したのか、ラナーンは抜き身の剣を手にしたままタリスに続いてアレスの元へ駆け寄った。

「なぜだ。夜獣(ビースト)は神門(ゲート)から。神門(ゲート)は森の中」
ここには森はない。
夜獣(ビースト)が屋内から湧いて出た話など聞いたことがない。

「ここにはまずいものがある。ラナーンが応戦したけど」
息を切らしたタリスが懸命に説明する。

「無傷だっただけでも良しとする。タリス!」
アレスが側に置いてあったタリスの剣を鞘ごと投げ渡す。
受け取ったと同時に、鞘を払った。

「私たちの匂いを嗅ぎつけた」
次は逃げずに戦う。











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