Silent History 85





千五百年の昔

魔は世界を覆っていた

魔とは悪しきもの
魔とは人を喰らうもの
魔とはこの地を鮮血に染めるもの
魔とは扉より出づるこの世ならぬもの

それらを統べるは黒の王


現れたるは勇者ガルファード
そして術者サロア
彼らは魔を制し、黒の王を倒した

時は満ちる


消えたはずの魔は夜獣(ビースト)として今、再び









「もう包帯は取っていいだろう」
白が髪の半分を占める医者は言った。
雪が散った山のようだ。

傷は膿むこともなく乾いてきている。
完全に埋まるのも近い。

「この島に、神さまはどこにいるんですか?」
ラナーンの問いかけに、医者は包帯を巻き取りながら顔を向けた。

「神さまってのは森にいるもんだろう」
あまりに当たり前のように言うものだから、ラナーンはそうだったと納得し、頷きそうになった。

「デュラーンでは、水にいたから」
「水神か」
「城の中に水が引き込んであって、部屋の地下に水路が走っていたんだ」
「そりゃ面白い」
請われるまま、ラナーンはデュラーンの話をした。
自室から伸びる地下への階段を下りればたゆたう水が、手に触れられるほど側にあること。
水は冷たく、空気は澄んでいること。
それでいて驚くほど落ち着くこと。
寝付けない夜は地下に下りて松明の淡い炎揺らめく水面を眺めるか、月夜を見上げて眠りを待ったこと。

城の中、水に守られるように浮かぶ神殿、最奥に眠る神の像は水の中に沈んでいる。
水は清められ、水は巡り、水は城を守る。

「なるほどな。神は水に居たり、か」
「この町の人はあまり神さまを口にしない気がする」
「まあ、な。歴史が歴史なだけにな」
そうして医者は髭に手を当て、窓から風に煽られる木々を眺めながらしばらく黙り込んだ。

「ここに来て、何か思ったことはあるかな」
「穏やかな町だと思った。子供がたくさんいて、みんな笑っていて」
「うん」
「それから夜獣(ビースト)」
ラナーンは癒えかけた傷へ無意識に手を掛けた。

「少し、違った気がした。殺気っていうか、憎悪みたいなものが真っ直ぐに来なかった。襲われたというより、出くわしたという感じで」
シーマも言っていた。
他で見てきたような夜獣(ビースト)だったならば、きっと今頃腕の一本は引き千切られている。

「それから?」
「森が、深い。ほとんど削られていない気がする」
「近づいてはならないものとされているからな」
「こんなに人がたくさんいるのに、どうして大陸と交流が少ないんだろう」
週に三便だけのしかも小船が一往復するだけだ。
大陸とそう離れているわけでもないというのに。

「それだよ」
「隔絶された土地ってこと?」
「そうならざるを得ない理由がある。この島には」
平和そうだ。
本当に危険ならば完全に航行を禁止するのではとラナーンは思う。

「わからないだろうね。デュラーンからの来客だから、きっと」
分からなくて当然だと医者は首を振った。

「ここの神を知りたいと言っていたね」
「ええ。像もない、祭壇も神殿も、見当たらなかった」
森深くに眠る神。
人の目に触れない神。
島の人は何に縋るのだろう。
神のいる森は、踏み入れてはならないとしたら。

「黒の王は知っているだろう?」
「封魔の歴史に出てくる。知らない人間などいない」
医者は巻き取り終えた包帯を塵箱へ落とした。
磁器の流し台へ歩み寄ると水道を捻って落ちる水に手を浸した。

「歴史はひとつじゃないんだ。封魔の歴史が正しいとは限らない」
「黒の王と魔を勇者ガルファードが封じた、伝説」
それは夢のような物語ではあるが、真実とされる。
ガルファードの存在は、疑いようもない事実だ。
そして彼と共にいたサロア。
彼女は現に今、神へと身を昇華させルクシェリースの中枢に眠る。
彼女の存在こそ、すべての証明だ。

「この島の人間は、きみたちが黒の王と呼ぶそれは違う名を持つ」
世界中のほとんどの人間に染み渡った真実。
それが、この場、この島で覆る。

医者は壁に掛けていたタオルを引き抜いて手を拭う。
窓の外で揺れる木の葉から目を離し、ゆっくりと振り向いた。

「それは神王(しんおう)」
神の王。

「神王? それじゃ、この島って」
世界中の敵であり、世界中の悪であるその存在を神とする。

「もちろん、そんな強大な神さまがこんな辺鄙な島にはいないよ」
「でも、神さまが森にいるっていうのは?」
「ルクシェリースの神はサロア神ただ一人だ」
神の国の都、シエラ・マ・ドレスタにサロア神は眠る。

医者は言う。
神王はその名が示す通り、神々の王であると。
森にいるのは、それが統べる神々であると。

医者は改めて 机の前の事務椅子へ腰を下ろすと、ラナーンを正面に見据えた。

「封印の歴史は今や正史だ。その中で黒の王とされる神王やそれが統べる神々は、邪悪なもの」
殊、黒の王を倒したサロア神を掲げるルクシェリースからすれば排除すべき宗教だろう。
魔によって食い尽くされかけた窮地の人間を救った勇者がガルファードとサロアたちなのだから。

「神王を仰ぐ島の人間たちもまた、忌まれる存在となってしまった。神は森に隠れた。皆も神を信ずる心を胸深くに沈めた」
「弾圧されたのですか」
「それから逃れるためだよ。火が治まり、痛みを忘れるまで、我らは息を殺し、深く沈もう」
それから医者は言葉を切った。
ラナーンの膝上の拳へ沈んでいた目線を持ち上げる。

「神々と共に」
見据えられた瞳は深く、見つめ返すラナーンも沈んでいきそうだった。
彼ら島の民は森を畏怖すると同時に神聖なものだと考えている。
だからむやみに踏み入れない、喰い散らかさない。

「黒の王が魔を操っていなかったとしたら、じゃあどうして魔は現れ人を襲っていたんだ」
千五百年も昔の話、史実は時と場所で大きく姿を変える。
それが目の前で現れた。

「先に牙を剥いたのは我ら人間の方だ。人が増殖し、森を喰らい、魔が現れた。神は我らに警告と罰を与えた」
故に、島の民は森を削らない。

「あまりに、おれの知っている史実と違いすぎて、混乱する」
「知ることが大切なんだ。意味はやがて見えてくると思うよ」
医者は微笑む。




封魔の歴史では黒の王。
一方でそれは神王と呼ばれる。

対称の姿をもつ存在。

「そういえば、サロア神は違うって言っていたのは、誰だったっけ」
診察室の扉を閉めて廊下に出てから思い出した。
島に来る前の話だった。

「あ、そうだ。あの女の人」
夜中に会いに行った、子供の集まる家の女性。
フードを被っていた怪しい女性だった。

「サロア神は全く別物って」
彼女はこうも言った。
神は神、ヒトはヒト、交じり合うことはできないと。

「いろいろ歪んでいる気がする。でも、おれにはどうにもできない。それがいいのか、悪いのかもわからない」

医者が言ってくれた言葉。
意味はいずれ見えてくる、それを信じるしかない。











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