Silent History 81





「踏み出したその一歩が、君の未来と可能性を押し広げていく」
透き通った力強い声は真っ直ぐ紺碧の海を渡る。

「エラ・フェインは言った」
詩的で伸びやかな声で語る。

「誰だ、それは」
アレスが腰に手をあて行く先を遠く見つめるタリスの背中に呟いた。

「ファラトネスの劇作家だ。最も、国内では評価されなかった。私は、好きなんだけどな」
「初耳だ」
ラナーンが朗らかに笑った。
久しぶりの潮風に気分も高揚してきたのだろう。
乗るべき船は視界の隅に停泊している。
白地に青の横線が流れる旗が靡けば乗船が始まる。
今は黄色、整備点検で小さな船内は賑やかだ。

「正直なところ、劇は退屈だ。だが思いついたように、印象に残る言葉を残す」
宝探しのようなものだ。
タリスは平らな水平線を眺めたままだった。

それはちょっと違うような。
ラナーンとシーマは互いに顔を合わせて首をかしげた。

アレスが首を動かした。

「行くぞ」
視線の先の旗は、いつの間にか白が眩しく輝いていた。






シーマは甲板から離れようとしなかった。
船が切って進む濃紺の絨毯を齧りついて見つめている。

「海は初めてだったか」
「付いてきて良かったと今改めて思ったよ」
アレスがシーマの服の背を引っ張っている。
訝しげな顔をしてアレスを睨み付けたが、アレスはあっさりとした表情で見下ろした。

「落ちる」
すでにシーマの上半身は柵を乗り越えてしまっていた。

「ラナーンと同じだな」
何度冷や冷やとさせられたか知れない。
ぼうっとしているかと思うと、ちょっとしたことでむきになったりもする。

むきになる原因のほとんどはタリスが煽ったせいだ。
そのタリスはというと、甲板の先端に近い場所でラナーンとじゃれている。
まるで小動物だ。

「川だとか池だとかとは迫力が違う。何より匂いが」
「臭いか?」
「変な感じ。水なのにな」
確かに。

「海にはすべてあるらしい」
「何? その曖昧なのは」
「あらゆる物質だそうだ」
シーマは眉を顰めた。

「すべての始まりであり終わりの場所だ」
「水の循環のこと?」
「海水は蒸発し、雲となる」
アレスが顔を上に向けた。
薄い雲がいくつか浮いている。

「雲は流れて山に行く」
それからどうなる、とアレスがシーマに目を向けた。

「雲は雨を降らせて川になって、川はやがて海に繋がる」
「世界もな、そうした循環が無数にあるらしい。あらゆるものが循環し拡散と収縮を繰り返している」
「あらゆるってのがやっかいだな。想像ができない」
「そういった考えの国もあるらしい」
世界は広い。
人の思いや思想もいろいろだ。

「で、あとどれくらいで島に着く?」
「まだ出航して二時間も経っていない」






近づく陸地に気分も高まりつつ、シーマとラナーンは並んで進行方向に顔を向けていた。
離れて見ると二人は兄妹のようだ。

屋外の通路に据えつけられた座席に腰を下ろし、二人に時折注意を呼びかける。
監視しておかなければ、身を乗り出した上半身からそのまま海にダイブすることになる。

声の篭った船内放送が流れる。
入港し乗客の中で真っ先にシーマとラナーンが駆け出した。

「元気だなあ」
甲板でラナーンと騒いでいたタリスが他人事のように言う。
アレスの隣でタリスが大きく腕を伸ばした。
アレスは改めて回りを見回した。
船の中で散っていた乗客が集まったがそれでも閑散としている。

定期便は三日に一回。
アレスらが島と大陸を結んでいる港町に着いて二日待った。
その間、町の人の話に耳をそばだてていたが神が棲むといった話は微かにも聞こえてこない。
無駄足に終わりそうな予感がする。

しかし、シーマにはいい環境だ。
今までが荒んだ生活だった。
アレスら三人と同行し、いろいろなものを見て経験する。
海を見たときのシーマの表情は、年相応の少女のものだった。
それだけでも、ここに来た価値はある。


木を組んだ桟橋が小型の定期便に繋がっている。
数分で乗客全員を下船し終えて、大陸に運ぶ荷を積み始めていた。
クレーンは必要ない。
日で焦げた船員たちが島民から荷を受け取り船まで流している。
荒々しい荷を降ろす重い音と、桟橋を忙しそうに走る靴が木を打つ音が入り混じる。
古そうな桟橋だが造りはしっかりしているらしく、軋みは少ない。

アレスは船内で時間つぶしに広げていた島の地図を思い浮かべた。
小さな島だ。
大陸からは一日もかからず行けると言うのに、定期便は三日に一度。
よほど過疎の進んだ町かと思えば、寂れ過ぎてもいない。

来訪者四人は、島民と思しき人々の後を追い、桟橋を離れた。
拠点探しは手慣れたものだ。
嗅ぎつけるようにアレスが迷うことなく探し当てた宿屋に踏み入れた。
宿屋の主人は久々の客を歓迎してくれた。
外国の客は珍しいと、部屋に案内するのも忘れて立ち話を始めた。
話し好きのタリスとエストナール出身のシーマが応対している間に、アレスが荷物運びの肉体労働に勤しんでいた。






日は傾いているが、夕食はまだだ。
タリスが部屋に戻ってきた頃には、ラナーンは寝台の上で丸くなり、浅い寝息を立てていた。

「起こすの、かわいそう?」
半ば布団に埋もれた、片目だけのラナーンの顔を覗き込んだ。
柔らかそうな頬に人差し指で突く。
指先で皮膚が凹むが、ラナーンは目覚めない。

「このまま放って行ったら拗ねるからな」
アレスがラナーンの頭を鷲掴んだ。
片手でボールを持ち上げる要領で、指を広げて頭を包み込んだ。

「起きろ。食事に出るぞ」
手首を回す度にラナーンの頭が揺れる。

「そんなぐりぐりしなくても」
シーマが止めに入り、タリスがラナーンの耳元に魅惑的な口唇を寄せた。

「ラナーン、いいのか? 置いていくぞ」
その一言でようやく黒の睫毛が被さっていた目蓋を押し広げる。

「嫌だ」
寝ぼけながらも、はっきりと反応した。

「なら起きるんだな」
アレスが手を離した。

「ほら早く仕度しろ。髪の毛、寝癖ついてるぞ」
耳の横で外に跳ねた一房を、タリスに抓まれた。






さすが海の町だ。
魚介類を中心に、野菜が盛られている。
エストナールの内陸ではこれほど魚類の種類は豊富ではなかった。
特に喜んだのはシーマだ。
調薬の技術は持っていても見知らぬ土地へ移動を続ける旅は、精神的にも金銭的にも苦しかっただろう。
何より衣食を楽しむ余裕は皆無だった。

食欲が落ち着いたところで、明日の相談が始まる。
アレスは一日二日はゆっくり過ごすつもりだったが、シーマの方が活動的だ。

「とにかく町と周辺を見て回ろうよ」
大きく、目尻が愛らしく上に向いた瞳が淡い室内の明かりを受けて輝いている。

「夜獣(ビースト)は森から出ずる、森には神門(ゲート)が眠る」
シーマの村から持ち出した神門(ゲート)の欠片は、老人に砕かれてしまった。

「全部が繋がっているなら都合がいい」
タリスが挑戦的な目を誰ともなく向けた。

「どれか手がかりを見つければ、すべてに繋がる?」
磁器の皿は空になりつつある。
頭に白い布を巻いた料理人の妻が給仕する、小さな町の料理店だ。
二十人入れば席が埋まりそうな店内に客はアレスら一行と地元客が離れて五人。
あちらには空の酒瓶が二本、卓上に乗っていた。
ほろ酔いで声も高くなってきた頃だ。

「焦ることはない。せっかく海を越えたし、食事も美味い」
同意だ、とシーマとタリスが首を縦に振る。

「島の人もいい人が多いみたいだし」
その美味い夕食で復活したラナーンが上機嫌で笑った。

「移動続きだったんだ。シーマも疲れただろう」
浅く頷いてから、顔を上げた。

「でも楽しい。今度はディールと旅をする」
弾けるように身を乗り出して、声を上げたシーマの表情に微塵も偽りはなかった。











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