Silent History 77





「ルクシェリースを中心に広がっている信仰の対象がサロア神」
「けど、この本を見る限りその『黒の王』っていうのを信仰している国もあるみたいだし」
ラナーンの右腕の上から、シーマが頭を出した。
一つに結んだ長い髪が顔の横にかかるのを、右手で背中のほうへ押し流した。
そう書いてるんだよね? とシーマがラナーンを見る。
彼女はあまり古語が得意ではない。

「封魔の歴史に出てくる、魔の王のことだと書いてある」
低い声が背中からした。
アレスもラナーンの頭上から覗き込んでいる。

「世界は広い。いろんな土地でそれぞれの神さまが住んでいるってわけだね」
シーマの興味が逸れ始めたところで、ラナーンも文字から目を遠ざけた。

「ルクシェリースの眠れる女神、サロア神。どこかで祀られている、黒の王。デュラーンには何がいる?」
「水神だ。だからデュラーン城の地下には水路が走っている」
「本当に?」
シーマがアレスとタリスの顔も伺う。
皆一様に頷いていた。

「水の中に像が沈んでいる。私もラナーンの城に遊びに行ったとき見たことがある」
「城の下に水か」
感心と想像で別世界に浸っているシーマに、今度はタリスが問いかけた。

「この国はどんな神を崇めているんだ」
「崇めてるっていうほど、信仰心は強くないかもしれないけど」
シーマが拳を持ち上げた。

「シーシア、アイシャ、エフレイラ」
言葉を区切るごとに、指を立てていく。
三本の指が立ったところで、呪文のような言葉は終わった。

「三つの神さまがいる。神さまは空気のようなもので、地面や石、木や水に溶けているっていう話だ」
デュラーンの神のカタチに似ていると、異邦者の三人はそれぞれに思った。

「森は特に神さまの力が強まる。私たちの村は森の中にあった。あれは守られた場所だったんだ」
そうなのかもしれない。
ラナーンも信じるだけの根拠があった。
酔香花は森を浄化した。
獣(ビースト)を押さえ込み、人の足を遠ざけた。

「きっと、いるんだろう」
「ま、見たこともないものだし。いるのかいないのか分からない。それくらいがいいんだろうけどね」
何かがいるような気がする。
何か別の力が状況を動かしている。
そう思う人間の心が、神を生んだのかもしれない。



「半島を抜けて隣国に渡れば、またエストナールとは違う文化が広がってる」
「獣(ビースト)は文化の壁や海や距離を越えて存在した」
ラナーンの言葉にシーマが黙り込んだ。
デュラーン、ファラトネス、エストナール。

「洞窟で見た空間の亀裂もきっとある」
「壊れた門の残骸も?」
「たぶんね」
背中が寒くなった。
ゼランが手にした石に、不完全な獣(ビースト)を封じ込め、イリアに植えつけた。
亀裂から、もがき生まれつつあるだろう瀕死のケモノの姿に、吐き気がした。
きっとこの国のどこかで今も、気味の悪い生き物たちが蔓延っている。






「この国は、緩みきってるんだ。国王はお飾りですらない」
誇りは既に失われ城の片隅で息を潜め、民からも忘れ去られた存在だ。

「卑小な野心しか持たず、小さな欲を満たして満足している」
長期的な展望など見えてこない。
黒いものであれ、大いなる欲望を胸に秘めていれば、もう少しうまく民を利用することができているはずだ。
資料室を出て、宿屋に向う頃には日が落ち、町に一軒だけある酒場には灯が灯っていた。

中からは人の笑い声が漏れてくる。
細い砂道をアレスは小さく歩を刻む。
シーマの歩調に意識なく息を揃えていた。

「じわりじわりと腐っていくのかな」
国の中央で自分の私利私欲だけを追い求めて周りを見ない役人。
彼らは世界の変化に興味はない。

「村は腐らない。シーマが色んなものを見て、村に新たな水を流し込めばいい」
タリスの言葉には力がある。
それは彼女自身に呟いた声でもある。

「人は一色ではない」
アレスの言葉がすぐに飲み込めず、シーマは彼の顎を見上げた。
上目遣いのシーマをアレスは一瞥して続けた。

「力があれば、反発する力が生じるものだ」
卑小なる者たちを覆す力が、今は燻っているだけかもしれない。
いずれそれは大きな炎となるだろう。




夜風はファラトネスより冷たい。

「こういう話があるんだ」
思いついたように、ラナーンが口を開いた。
四人ともが口を閉ざした間を埋めるのに、ちょうどよかった。

「人は死ねば、命は溶けてまた次の命の種になる。人だけじゃない。草も虫も」
ラナーンはタリスの隣で並んで歩いていた。
目の前の閉店の看板が下がった本屋を曲がれば宿屋がある筋に出る。

「人は大きな流れの中の一つでしかない。水を手のひらですくってみる」
ラナーンは片手を持ち上げて椀状に丸めた。
手の中の水は指の隙間から流れ落ち、やがては無くなる。
目の前にあるはずのない水の流れが見えた。
空になった自分の手の中をラナーンが見つめた。

「水はどこにいったのか」
大河のように緩やかに流動するうちに浸した手がすくい取った水は、どこに。

「消えてしまった。そうじゃない。水はまた、流れに戻ったんだ」
ラナーンは手の指を広げ、シーマに向けた。

「それが、デュラーンか」
何度もシーマが瞬きする。
気が付けば宿の入り口に着いていた。
眩しい光に包まれる。
小さな玄関の奥に控えていた宿屋の主人が客に声を掛けた。
シーマは空腹なのも忘れていた。

「生命は流れ、新たな肉体を得るときを待つ」
取り出された流れの一部は、死を迎えても消滅しない。

「ただ還るだけ」
両手を上を向けて、胸の前まで持ち上げた。
小指と小指を合わせて目を落とす。
何度も言葉を反芻した。

それがデュラーンの思想だ。






顔を上げれば、アレス、ラナーン、タリスの三人の背中が左奥の階段を上って行っていた。
明かりに照らされて白く反射する背中が、滲んだ。

死は消滅じゃない。
生命は流れ、今もどこかに溶けている。

「それが真実でも、単なる思想でも」
シーマは手の中の見えない流れを、そっと握りこんだ。
救われる気がする。
イリアも、その流れの中にいるはずだ。






「さて」
タリスが目の前の皿をフォークで突付いた。

「どうしよう」
皿の上に半分残った料理のことではない。
タリスが大食漢だとは言わないが、成人女性程度は軽く食べる。
それでいて見事な体形を維持できるのは、日ごろの活動量と鍛え上げられた基礎代謝力に拠るものだ。
料理も順調に片付けられていく。

「いろいろ混沌としているな。分かっていること、まだ判断できないこと」
獣(ビースト)。
それはこれまでの目的と変わらない。
獣(ビースト)が何であるのかを見極める。
空間の亀裂から湧いている事実は、既にファラトネスにタリスが伝えてある。
それ以上、タリスがファラトネスにできることはない。

ディグダの石についてもアレスが指摘した。
ディグダとエストナールとの繋がりは気になるところだ。

魔。
シーマが追ってきたものだ。
もっと調べる必要がありそうだ。

黒の王もいた。
それこそ、封魔の歴史の核にあたる存在だ。
魔を生み出し、統率した存在だった。
その魔で以って、世界を破滅へと導いた。
邪教をあえて信仰する人種がいる。

「うじうじと悩んでいても仕方がないってことかな」
小さなため息一つで気分を切り替えて、タリスは食事を大口で頬張った。
一国の姫君にあるまじき振る舞いに、シーマは驚いて目と口を開いたまま固まった。
気を取り直し、シーマも大きく開いた口に野菜を放り込んだ。

「シエラ・マ・ドレスタ、それにディグダクトル。行くべき場所は決まってる」
タリスが口を拭いながら隣に座るシーマを一瞥した。

「特に、シエラ・マ・ドレスタは封魔の時代の中心にいたサロア神の都」
サロア神といえば、黒の王を封じた張本人。
何かが見えてくるはずだ。

「さて、食事を済ませてさっさと就寝しよう。明日はまた歩かなきゃいけない。そうだろう、シーマ?」
口を動かしながら、話を振られたシーマは大きく何度も頷いた。











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