Silent History 78





「神さまのすむ島があるんだって」
「聞いたことない」
「あるんだって。知ってるもん」
「うそだ」
「ほんとだもん。聞いたんだからほんとだから」




賑やかな場所は心地いい。
少し離れた場所から子供の高揚した声が聞こえる。
こうやって穏やかな気持ちでぼんやりと風景を眺めるのも久しぶりな気がする。
血生臭い日々の中、子供の高い声は平和の象徴のように思える。

意識は緩やかに溶けていった。
砂糖を茶に沈めるように溶け広がっていく。

暖かな光と笑い声。
まどろみの中で、それは記憶の中に沈んでいたアレスやタリスたちと過ごした時間に繋がっていった。


タリスが走る。
そうだ、走るのが好きだった。
ラナーンたちと一緒に跳ね回りながら、姉にちょっとは落ち着きなさいと注意されていた。
従わないのも、昔から。
姉の目が離れると、すぐに木に飛びついた。

通りかかったエレーネが、青々と茂った木の上を見上げる。
変わった木の実がなっていること。
笑いながら手を伸ばす。
枝にはタリスがぶら下がっていた。

エレーネが振り返り、片手を上げて左右に振った。
水の中で靡く水草のように流れる仕草だ。
しばらくしてラナーンの兄、ユリオスがゆっくりとした歩調で現れた。
いつもと変わらない柔らかな目で、枝の上で固まっていたラナーンを見上げた。

アレスは登らないのかい。
ユリオスが木の下で監督していたアレスに顔を向けた。

後で、登ります。
その返答に、ユリオスが顔を崩した。
そうだね、ラナーンが下りたいと言ったときに、登ることになるからな。

ユリオスは何でもお見通しだ。
アレスは否定せず、ラナーンに手を伸ばした。
下りたくなったらすぐに言えよ。

ラナーンは悔しくて、赤くなりながら木にしがみ付いて叫んだ。
まだいい!
木が揺れた。
ラナーンが木の上部を見上げる。
タリスがもう一段高い枝に飛び移り、枝に腰を下ろしていた。

気持ちいいな、ここは。
タリスが片腕だけを枝に絡ませて、空いた片手で目の上に傘を作る。
木漏れ日の中、彼女の白い素足が機嫌よく揺れている。

ラナーンもその場所から見てみたい。
しかしそれ以上にタリスが落ちそうに思えて体が動かなかった。

あ、レンだ!
タリスが甲高く声を上げた。
枝の上から体を乗り出して前を見据える。

どうしたの?
ラナーンは枝の上に立ち上がりたいが、背中を伸ばすのが精一杯だ。

えっと、母さま、呼ぶ、お菓子、作る。
お菓子だ! ラナーン、母さまが作ったんだ!
タリスが下で身動きが取れないラナーンを見下ろした。

え? なに? どうしたの?
状況が飲み込めないラナーンに、幹を滑り降りながら説明した。

手旗信号だよ、レンに教えたんだ。
タリスが得意気に話した。
離れていても話ができるだろう?

あっという間にラナーンの位置まで戻ってきた。

先に下りるからな。
そのままラナーンを残して、枝からぶら下がり地面に飛び降りる。
見事な着地に、エレーネが両手を叩いて喜んだ。

どうしよう。
考え始めたら、隣で声がした。

下りるんだろ。
アレスだ。

枝に左手をかけて、右手はそっちの窪みに。
指示通りにしていれば、少しずつ地面が近づいてきた。

下は見るなよ。
言われて、顔を上に戻す。
木の葉の傘から淡く光が漏れる。

アレスがいればだいじょうぶ。
無条件の安心感に包まれていた。

アレスの気配が側から消えた。
少し遅れて、木の下の芝が揺れる音がする。
体を柔らかく折りたたみ、着地の衝撃を緩和させた。
アレスの柔軟性は成長し、強靭さをも備えた。

よし、飛び降りろ。
木の幹を伝ってアレスの声が登ってくる。
構えた声は落ち着いていて、同じ年頃だとは思えない。

それでもラナーンにとって、大人の背丈を軽く越える高さは十分に恐怖だった。

ラナーン! 早く来い!
タリスが叫んでいる。

タリスはこの高さを楽々と躊躇なく飛び降りたのだ。
賞賛したいところだが、今のラナーンはそれどころではなかった。
まだ幼く指の短い手は痺れてくる。
幹の窪みに引っ掛けるだけの足先は震えてきた。

ふぁ。
間の抜けた声とともに、足がずり落ちた。
手だけでは体を支えきれず、背中から落下した。

落ちる。
落ちる。

その時の感覚は忘れられない。
体中の血液が浮かび上がるような、気持ち悪さだ。


ユリオスがラナーンの落下地点に駆け寄った。
エレーネが目と口とを開きながらも、木の下に走り寄った。
一番早くに反応したのはアレスだった。
目を堅く閉ざして、小さく丸まったラナーンを両手を広げて抱きとめた。

まだ小さいとはいえ、落下したラナーンの衝撃にアレスが踏ん張りきれずしゃがみこんだ。

大丈夫? 痛いところは? アレスも。
エレーネがアレスの肩に手をかけた。
アレスは静かに首を横に振り、手の中で震えるラナーンを覗き込んだ。

怪我は!
タリスが大慌てで駆け寄った。

みんなが側にいるという安心感、ようやく地面に下りられた安堵と同時に、先ほどまでの恐怖がふつふつと甦ってきた。

泣くまいと耐えるが、目には涙が溢れてきている。

うっ、ああ。
言葉にならない声が、喉から漏れる。

もう大丈夫だから。な。
ユリオスが苦笑を堪えつつ、ラナーンの頭に手を乗せた。

小波のように木の葉が揺れる。
記憶の断片はやがて、深い眠りの海に溶けていった。






汗が首筋を伝うむず痒さに、ラナーンは薄く目を開いた。
瞳はまだ現実を捉えていない。

「あ、起きた」
花壇に寝転がっていたラナーンの前にしゃがみこんだシーマ・ケラセルの目とぶつかった。
ラナーンの目は現実を手探りして左右に揺れる。

「起きたよ、アレス」
ああ。
低く返事をして、ラナーンを腕で跨いで顔を覗き込んだ。

「凄い寝汗だなあ」
シーマが額に張り付いた黒い前髪をつまみあげた。

「子供みたいだ」
歯を見せてにやりと笑うシーマの表情こそ子供そのものだ。

「黒の王が、山の上に立ってたんだ」
脈絡のない話を口走ったラナーンにシーマは容赦ない。

「寝惚けるな、寝惚けるな」
ラナーンの額を指先で突付きながら、楽しげですらある。

「夢だよ」
確かに意識は不明瞭だが、だからこそ今見た夢を掘り返すことができる。

「真っ黒な服でさ。高い尖った山の山頂に立つんだ」
氷のように灰色で寒々とした山だった。
山頂を跨いで仁王立ちする黒の王。

「右手を真っ直ぐ上にして、指先を伸ばして叫ぶんだ」
声高らかに宣言する。

「私が王だ。黒の王だ。闇の王だ。獣(ビースト)の王だってね」
王はそのまま顔が大きくなっていく。
膨れているのかと思っていたら、違った。
こっちにどんどん近づいてくるのだ。
顔だけで。

「黒の王はね。人間を食べちゃうんだ」
ぱくってね。ぱくって食べちゃうんだ。
顔が近づいてくる。
視界一杯に広がる。



そこで、夢が終わった。

「おかしいだろう?」
変だの妙だの謎だのではない。
笑える、という意味だ。
ラナーン自身から言われるまでもない。

「喜劇だな。意味不明だ」
「意味なんてないと思うよ。夢だし」
「でも案外」
シーマが立ち上がった。
上に上っていく彼女の顔をラナーンの瞳が追う。

「ひとのイメージする悪ってそんなものなのかもな」
人の敵であり、恐るべき力を振るう。

「歴史の主体は人だから。いかようにも事実を曲げられる」
アレスがラナーンの頭へ手を乗せた。
大きな手のひらに包み込まれた感触は、兄の手を思い出した。

「神さまは、いるのかな」
ラナーンが体を起こした。
ようやく目が覚めてきたようだ。

「夢を見る前、どこかの子が言ってたんだ。神さまのいる島があるって」
子供の間での話しだ。
信じるほうが馬鹿げている。

「あるよ」
しかしあっさりと返答は返る。

「そう呼ばれるほど穏やかな島ってことだろうけどね」
「あるんだ」
「行きたいの?」
シーマが大きな瞳で、ラナーンを興味深げに見る。

「ま、とにかくは情報収集。獣(ビースト)にあの壊れた門に空間の裂け目」
調べることはたくさんある。
シーマ自身が積極的に動くので、全体の士気も上がる。

「人と話すこと、聞くこと。その内持っている点と点がどこかで繋がるようになる」
彼女の快活な笑いが、行き詰った先を切り開く。
彼女はずっとそうして来たのだ。
ラナーンやタリスよりも年下のシーマ。
彼女の生きかたに尊敬を覚えた。











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