Silent History 66





「ゼラン? 何だ、それは」
「この村にいた男だ。イリアをこんな姿にした元凶」
奥歯を噛み締め、まるでそこにその男がいるかのように虚空を睨み上げる。
言葉を紡げぬほど、怒りがシーマの内から湧き上がる。
怒りと単純に言い表せる感情ではない。
より深く、ひしひしと伝わる。

「だけど、そいつはもういない」
恨みや憤怒を晴らそうにも、感情をぶつける相手はいない。
シーマはそっとイリアの耳に指を沿わせた。
耳から顎へ、更に首筋へと優しく撫でる。
立った服の襟を微かに捲ると、ラナーンにもその理由は知れた。

目に入った衝撃に思わず引き攣った声を上げてしまった。
シーマはイリアの首に刻まれた痕を人目に触れさせぬよう、すぐに襟を整えた。
その指先は、彼女自身は傷を負っていないにも関わらず、あまりに痛々しそうだった。

小刻みに震える手は、忌まわしいものを見た恐怖か絶望が現れてるようにも思えた。




「ゼランはイリアのことを好きだったんだ」
しかし、目の前の彼女が今人形のようにただ座っているだけの状態は尋常ではない。

「執着してた。異常なほどに」
それは狂気だった。

「イリアにはその気はなかったんだ。小さな村だし、嫌な空気が流れて欲しくなかったんだ」
イリアは優しい女性だった。
シーマが大切な友人イリアのことを語る言葉の一つ一つから伝わってくる。

彼女は今、体温までも失ってしまったように沈黙している。
しかし、表情は固まってしまっても美しい。
慈愛に満ちた顔立ちは表情を失っても曇らせはできなかった。
心のままが顔の造形に現れている。

「ゼランの思いを受け入れられないとずっと言っていた。断っても諦めてくれないとも」
執着心が人を狂わせていくこともある。
ゼランの場合、その傾向が強すぎた。
イリアが彼を避ければ避けるほど、歪んだ思いは更に粘着を帯びてくる。
怒り、憎しみをも絡んで複雑になっていく感情。
そうなれば最早誰の声も聞こえない。



美しいイリア。
仕草も言葉も表情も、清らかで澄んでいた。
村での生活は穏やかだった。
人との繋がりは温かかった。
イリアとシーマの間の友情は堅く途切れることはなかった。

ゼランの執着はそれら美しいものをすべてを歪めていってしまった。


イリアの側から離れないシーマ。
彼女がゼランからイリアを引き剥がし、彼女に触れさせようとしない。
ゼランの目にはシーマはただ邪魔をする憎い相手としか映らなかった。

「誰かを深く愛すれば、その大切な相手を壊してしまうものなのか」
ゼランの行動をシーマは止められなかった。

「その気持ちは、もっと成長すれば理解できるものなのか」
すべてを壊しても手に入れたいもの。
他のものになるのならば、いっそ自らの手で壊してしまいたいと。
シーマには分からない。


「ゼランは国の役人と通じてたんだ」
その繋がりが、ゼランの村での立場を強固なものにしていた。
誰もゼランに逆らえない。

「この小さな村がそれまでやってこれたのはゼランの力もある」
魔力を秘めた石を運ぶ抜け道にある村。
山奥とはいえ鉱物は採掘できない。
農産物といっても僅かなもの。
自給自足に近い生活を送る村にあって、ゼランは考えた。
役人たちが欲する石は同時に、彼らの首を絞めかねない禁じられた宝玉。
何ともおいしい状況ではないか。

役人たちの後ろ暗さを利用するのを、ゼランは躊躇わなかった。


「イリアに対するのは愛だったのかな。それとも、自分に背く者はいないという驕り」
陳腐な自尊心。
シーマは痛みを滲ませた苦笑を浮かべた。


「だとしたらおかしいだろう。こんな小さな村の中で何が誇れるっていうんだ」
思い出したくもない過去だが、シーマは歪んだゼランの思いを話し続けた。




ある日、ゼランがシーマを呼び止めた。
額には薄く汗をかいている。
青白い顔の中、細かった目は裂けたように開かれ、視線が定まっていない。
ただならぬ様子に、シーマは訝しげにゼランの話に耳を傾けた。

いつものようにイリアに近づいたゼランを避けて、イリアが逃げた。
ただ問題は彼女が逃げ込んだ先だ。
森奥深い洞窟だった。
村の子どもが度胸試しに足を踏み入れる場所だった。
先に進めば光も届かない。
奥はどれほど広がっているか分からないが、縦に深く切り込んでいる。

森の中に逃げ場はない。
身の危険を感じたイリアは、洞窟に身を隠すしかなかったのだろう。

自分が洞窟に入ったとしてもイリアは奥に逃げるばかりだ。
イリアを助けられるとしたらシーマしかいない。

「私だってイリアが大切だ。イリアの無事だけしか頭になかった」
浅はかだと詰れるだろうか。
その選択が、ゼランを更なる狂気の渦に投げ落としたのだと。
少なくとも、イリアとシーマそしてゼランの崩れいく様を側で見ていることしかできなかった少年。
ディールだけは、黙って側にいることでシーマの悲しみを埋めようとしていた。
彼女の選択を否定することも、肯定することもなく。



シーマはゼランの後について森に分け入った。
道らしい道はない。
獣道と言えるような明らかな通った跡もなかった。

洞窟の場所は、村で生まれ育ったシーマとゼランならば木の形で分かる。
奥に踏み入ったことはなくとも、近くにまでは行ったことは何度かあった。
幼い頃から、近づくなと言われていた場所だ。
行くなと言われれば行きたくなる。
好奇心と度胸試しで、大人の目を盗み森の奥で息を潜める穴を目指した。
しかし、いざ目の前にすると誰しもが足が竦んだ。
奥に光が入らない、先が知れないというだけでなかった。
目に見えない空気、気配などが異様だと五感で感じていた。
本能で奥に踏み入れてはいけない場所だと理解した。
洞窟の奥には何があるのか、言い合ったこともあった。

洞窟に近づくことを禁じる大人も、奥に何があるのか知らなかったのだ。

ただ恐ろしい場所。
そんな場所にイリアがいる。
目の前を行くゼランを恨むより、イリアが心配で頭が一杯だった。


「真っ黒に口を開いた洞窟を前にしたら、寒気がした。禍々しいものがこの中にあると直感した」
何が、どういったものが。
それは答えられないが、その場にいるだけで鳥肌が立った。

ゼランは奥に踏み込んだ。
彼の話では、逃げたイリアの後を止めに入ったが、見えない奥から響いてくるイリアの足音だけ聞こえたという。

未踏の場所を踏みしめて歩きながらゼランの背中を睨んでいた。

迷っていなければいいが。
ゼランが呟く。
もしくは亀裂に足を滑らせていたりしなければいいのだが。
シーマは全身の血が引いていく寒さを感じた。
ゼランの言葉通り、シーマの右手側の地面には対岸に飛び移れないほど巨大な亀裂が縦に走っている。
まるで崖の道を歩いているようだ。
あそこに落ちてしまったら這い上がれないだろう。

シーマは恐る恐る、右手に広がる地面の切れ目を覗き込んだ。
巨大な入り口から伸びる昼間の光は薄くなり、はっきりとは下が見えない。
慎重に目を凝らして探してみた。
息を止めて端まで目をやったが、人の衣服の切れ端も引っかかっていないようだ。
やはり、イリアはまだ奥に。


「ゼランを振り返ったときだった」
目の前に広がったのはゼランから伸びる腕だった。
スローモーションのような動きで、彼の腕がシーマの胸を押す。
そう強い力ではなかった。
その時のゼランの血走って見開いた目は忘れない。

一瞬で悟った。
彼が何をしたかったのかを。

シーマの体が後ろに傾いていく。
手を付こうにも、手のひらは空を掻く。
体は亀裂の宙に浮いた。
最後に足の指先が地面から離れた。
落ちていく。

イリアという餌でシーマを引き寄せ、シーマにはこの場所で死を。




「でも、生きたんだ」
沈黙していた中、ラナーンが呟いた。
亀裂の深くに叩きつけられたシーマの体。
バラバラになることもなく、五体満足で今ここにいる。

「私が死んで話がそれで終わっていればよかった。でも想像もしなかった」
シーマが下唇を噛み締める。
震える声を整えようと、息を深く吸った。
それでも治まらない感情の波が、シーマの深いところから湧き上がってくる。
彼女も意図していない細い涙が、目頭から筋を作った。

「事態にもっと最悪な方向が進むなんて」
ゼランはシーマを陥れるだけでは済まなかった。
彼が本当に求めたかったのは何なのか、シーマには分からない。
愛しているものならば、腕に抱いて守ればいい。
愛が深いと人を狂わせ、破滅へと導くのか。

「イリアが、何をしたっていうんだ」
誰か、教えてくれ。











go to next scene >>>

<<< re-turn to one world another story
        or
<<<<< re-turn to top page
















S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送