Silent History 61





山に囲まれた町。
田舎の町の穏やかさを残しながらも、人の流れは決して少なくない。
町の人間も活気に満ちている。



ラナーン、アレス、タリスの三人は渓谷を抜けてきた。
渓谷手前の町は、移動手段も物資も豊かとは言えない小さな町だった。
その町に比べれば、ずっと奥まっているはずなのに町の規模もこちらの方が上だった。
河が通っている。
それが理由だった。

山の間を蛇行する河は、水量も川幅も大きく中型の船ならば航行できる。
港から陸路を進み、下流まで到達した物資は河を遡って町に運ばれる。
再び陸に上った物資はさらに各地に散らばっていく。

再度陸に上げられる場所こそ、この町だった。
町を眺めていると、降ろされた荷がどこに流れていくのかが分かってくる。
山間の道を抜けて他に運ばれていく物資。
渓谷を抜ける物資。
さらに先細る河を上っていく物資。
さまざまだ。

「ルイは山を登るルートもあるって言ってたけど」
三人を運んでくれたルイはもう自分の町への帰路についているだろう。
日は既に高い。
朝目が覚めてから町の中を散策していた。
先日の獣(ビースト)についてそれぞれの意見を交えたり、この町と故郷の町との比較をしつつ周囲を観察していた。
おおよそ物資が流れていくルートは見えてきたが、ラナーンが指摘したように山を抜けるルートが見つからない。
物資を積み込んだ車はどれも、山を避けて麓沿いに進んでいる。

タリスが食糧を買い込む中で、話好きそうな女性店主に話しかけてみた。
山にあれだけ囲まれているが、山を抜けていく道はないのかと。

「無いわけじゃないけど」
「山で人が消えるって話を聞いたんだ。噂、なんだけどね」
噂の出所がこの町の近くだと聞いた。
間接的に説明した。

「そうよ。物騒だから近づいたりしないわ」
子どもにも決して森に近づくなと言いつけてある。
だが、彼女は森の中で何が起こるのかまでは言わなかった。

「でも河からの荷物は山を越えるものもあるって」
「それも噂なの? いったいどこまで広まってるのかしら」
自分の住んでいる町だ。
都合の悪い噂が流れてほしくない気持ちはタリスにも十分に共感できる。

「もしかしてあなたたち護衛の希望者?」
アレスの体格を見れば、護衛志望だと言っても否定されることはない。

「彼は腕に自信があって。もし仕事があるようならと」
「そうね、だったら」
女性は店のカウンターの下から手帳を引き出した。
手帳の文字を紙の一片に写し始める。

「運輸倉庫の住所よ。貨物の護衛ならばここに行けば話しを聞けるんじゃないかしら」
「助かる」






山に行く道は、西に一本、山裾を抜ける道だ。
更に一本、東の道は川沿いに伸びる。

「それだけ?」
どちらも山を抜ける道とは言い難い。
聞いていた話とは違う。

「車で通れる道はな」
最後の一本を残し、運輸倉庫の事務員が言葉を濁した。

「北だ。だが今はほとんど誰も抜けない」
タリスはあくまで穏やかに、聞いていた噂を仄めかした。

「ほとんど。ゼロではないというわけか」
タリスが事務員の細長い顔を見据えた。
痛いほど真っ直ぐな視線に耐え切れず、気弱な男は顔を反らせた。
その瞬間、タリスは押せば口を割ることを確信する。

「今はと言ったが、使われなくなってどれぐらい経つんだ」
最初に深く切り込んだのはアレスだった。
口調は穏やかだが、核心は真っ直ぐに突いている。

「二年。俺がここに勤め始めて三年目には、もう北の山越えをするやつはいなくなってたから」
男は何度か頷いた。

「やっぱり二年だな」
男は倉庫の隅にある小さいコンテナの上に、軽く飛び乗り腰を下ろした。
四角く日の光を切り取った入り口には、三人の男が向き合っている。
中年の男は、目の前にいる男のように中肉というよりむしろ痩せている。
コンテナ運搬の作業員には向かない体形だ。
リストを左手に、他の二人と貨物輸送の打ち合わせをしていた。

目の前の男も、手にしていたリストの束で顔を扇いだ。
山間部の町にしては、設備は充実している。
とはいえ、ファラトネスやデュラーンの埠頭倉庫のように空調完備はされていない。
もっとも、ファラトネスの日差しはこの町の日差しよりもはるかに強いが。
高い位置に取り付けられた窓と開け放たれた倉庫の扉からからかすかな風が流れ込んでくる。
しかし、倉庫内の隅々まで空気は循環していない。

ラナーンは指を喉へ押し当てた。
軽く湿っている。

「何か危険なものが出たりは?」
獣(ビースト)が実際に渓谷に出没した。
森。
といってもファラトネスの大森林のように人が分け入ることのないような深い森。
重なり生い茂る厚い木々に溶け込んでいたように彼らは突如現れる。
渓谷で見た、傷ついた獣(ビースト)をラナーンは思い出していた。
あれは恐らくこの周囲の山、森から流れてきたのだろう。
確信に至るほど、まだ獣(ビースト)が何であるか知識があるわけではないが、そんな気がした。

「獣のようなものだとか、誰かが襲われたり」
「襲われるっていうか、さっき君たちが言ってた噂。その程度のものだ」
作業帽の鍔に指を掛けた。
情報収集に来たつもりだったが、いまいちすっきりとしない。

「しかし、人が実際山中で消えたんだろう」
「ズレてるな。消えてるのは山中での記憶だ」
「それで五体満足、物資はなくなることも傷を負うこともなくそのまま、気が付いたら山の向こう側か」
調査はしたんだろう、当然。
アレスが詰め寄った。
いい加減歯切れの悪さに苛立ってきたところだ。
男も、折れる気になったらしい。
渋々ながら語り始めた。

「酔香花が群生していた」
「すいこうか?」
「甘い匂いを発する草花だ。香りに当てられると酔う。結局はそのせいだということになったらしい」
花のせいで記憶が飛ぶ。
だからその道は通らない。
部外者には触れて欲しくない話題だったようだ。

「だがあえて通る人間もいる。そうだな」
「迂回路には通関所がある。西の道は王都に流れ込む街道に繋がっているからな」
海際で一度通関を通しているが、更に関所を設けて王都にいかがわしい物が流れ込まないようにしてある。

「宝玉の中にはまれに強い力を秘めたものもあるからな」
その点はアレスも納得できた。

「だが強い力だからこそ欲しがる奴もいる。その関所を避けて通れるのが酔香花の道か」
渓谷の向こう側まで届く噂。
酔香花の抜け道。
流れて王都に知られはしないか。
ラナーンは思い至ったが、思考は切り替わる。
あえて抜け道を望むものも、王都には少なくない。
噂は聞かなかったこととして処理される。

「商人の裏道」
「行くつもりか?」
「興味はある」
「昔は山中に集落があったんだがな」
「地図には載っていなかったぞ」
「ああ。最後の村人も山を下りた。地図からは消えた」
「酔香花のせいで?」
「だろうな。人の通りも少なくなった細い山道。完全に村は孤立して廃村になったんだろうよ」
詳細は隠しているというわけではなく、本当に知らされていないようだ。
ただ獣(ビースト)絡みではなさそうだった。
それでも危険な山道に踏み入れるか、迂回するか。




倉庫を離れて、北に広がる山を見た。
山は深い。
山道の始まりまで足を伸ばす。
薄暗く細い山道が、濃い森に先端を濁らせていた。

登るのだとすれば、明日朝一番。
今日中に山道のルートを調査しなければならない。

決断は今迫られる。

「宝玉商を当たろう」
突然のタリスの提案に、ラナーンは勢いよく振り返った。

「さっき聞いただろう? 抜けるのは宝玉を握った奴だ」
タリスが髪を持ち上げた。
耳からは煌びやかな耳飾が下がる。

「私が上手くやる」

飾りに引けをとらない艶やかな微笑みに、ラナーンは知らず頷いていた。






町の一角にある小さな宝石店を選んだのはアレスだ。
提案者のタリスを先頭に三人は店に踏み込んだ。

世間話と宝石の鑑定を交えながらタリスが本題に忍び足で踏み込む。
タリスの宝玉を見る目は一級だ。
それもそのはず、産出国であるファラトネスの王女であるから当然の話だ。
身分を隠した旅だというので、鮮やかにタリスを引き立てていた宝玉の数々は、随分と数を減らした。
それでも髪飾り、耳飾、腰飾り、見えるだけでも彼女を彩っている。
タリスは舐めるような視線を感じながらも、淡々と話を進めている。
一歩離れて見ていたラナーンは、半ば感心していた。

「腰が据わってるっていうか、物怖じしないっていうか」
上目遣いでアレスに囁いた。
店主はタリスの装飾品と彼女自身の鑑定で目が忙しく、ラナーンとアレスは眼中にない。

「ああ。役者だな、完全に」
最高品質のみを扱う宝石商。
それになりきれるタリスの演技力は素晴らしい。

「ファラトネスで手に入れましたの。デュラーンの細工が施されておりますわ」
細工技術ではデュラーンの名は高い。
ファラトネスの石、デュラーンの名工の品であることは確かだ。
タリス自身が手にしている。
それだけで既に鑑定書に等しい。

「さるお方がぜひともと仰っておりまして。ただの宝玉ではないことは、お分かりですわよね」
腰の袋から取り出された首飾りが、店主の目の前に下げている。
目を見開いて店主が脂の乗った丸い指を伸ばしかけたところで、タリスが首飾りを手前に引いた。
店主の指が空中を掻く。
薄布に素早く包み込むと、タリスは再び腰の袋に宝玉を収めた。

「ファラトネスで手にしました、もう一つの品」
長い袖に片腕を突き入れた。
上腕に嵌めていた腕輪をもったいぶるようにそっと引き抜いた。

「細工がとても美しいので気に入っておりましたの」
店主の目の前の机に乗せた。

「なるほど」
腕輪を手に取り目の高さより上に持ち上げ、部屋の灯りにかざす。

「石もまた素晴らしいものだ」
声を裏返らせて、しきりに石の透過度を確かめる。
赤の宝玉が光を透過する。
タリスの言っていた言葉は嘘ではない。
ファラトネスの市中で見つけたデュラーン細工の一品を気に入り、レンに製作者を探らせた。
突き止めた製作者を訪ね、わざわざデュラーンまで出向いて同じ品をいくつか造らせた一つだ。
同じものが、ファラトネスに残してきた舞姫ラフィエルタの腕も飾っている。

「もしお気に召しましたら」
「いくらでだ」
タリスが指を三本立てた。

「三千か」
「まさか」
タリスが一笑した。

「三万!」
丸い顔が赤く染まった。

「それでもお安いくらいですわ。石をご覧になりましたでしょう?」
店主は唸った。
頭はフル回転で、これが世に出たときの価値を計算している。
鼻から息を吹いたり、首を回したりしていた。
汚れた厚い爪で三度、机を叩いてから決断した。

「いいだろう、三万だ」
「わたくしもこれで気持ちよく山を越えられます」
ラナーンとアレスからすれば気持ち悪いくらいの作り笑い。
店主からすれば買い入れた宝玉にも匹敵する極上の微笑を、タリスが浮かべた。

「わたくし、この町は初めてですの」
「北の山道を抜けるのか」
「ええ。こちらの品をお届けしなければ」
おもむろに腰の袋を見下ろした。

「山中には村もございませんでしょう?」
わざとらしく視線を天井に投げる。

「地面を見るといい。赤い布の付いた木の杭が打ってある」
それが山を抜ける人間たちの道しるべというわけだ。

「護衛を連れてはおりますが」
今度は視線を後ろのアレスとラナーンに振る。
勝手に役が振り分けられていた。
黙っていればいいだけなので、楽な役だ。

「夜となったら灯りもなく、しかも人を酔わせる花もあるとか」
「殺しは聞いたことないが、物騒なのは確かだろう。だから山を知るものは一気に抜けるんだ」
「地図など、あれば良いのですけれど」
さすがに色仕掛けの技をタリスは持っていない。
小さな石を袖口から手品のように取り出すと、動きも滑らかに店主の手の下へと握りこませた。

「ないことはない」
タリスに目を固定したまま、太い指が引き出しを探り、紙を取り出した。

「ご親切、感謝いたしますわ」
「酔香花には蒼漱石の砕いた粉と緑清草が効く」
タリスは再度、最上級の微笑を贈呈し、店を後にした。




「酔香花には蒼漱石と緑清草か、こっちはもう少し調べる必要がある」
タリスはラナーンに受け取ったばかりの地図を手渡した。

「村がある。倉庫で聞いた今はない村が」
「いかにも古そうな地図だからな」
アレスがラナーンの手元を覗き込んだ。
紙は黄色く劣化している。
インクの薄くなりつつある地図に、薄っすら小さな村の絵が描かれていた。

「薬屋。そこならさっきの草について分かるかもしれない」
ラナーンが地図から目を離した。

「そうだな」
ラナーンから受け取った地図を荷物の中に入れながら、アレスは記憶を掘り出した。

「広場から左に曲がっただろう。確か二軒目か三軒目あたりにあったぞ」











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