Silent History 62





「緑清草なら、聞いたことがあるけどな」
「煎じるのか?」
「乾燥させて磨り潰して、だったかな」
薬屋の主人の記憶が曖昧なほどに珍しい草だった。
髪の薄くなった頭に手を乗せて、記憶を搾り出す。

「おーい」
間延びした声を上げながら、首を捻って店の奥に助けを求める。
間もなく眼鏡をかけた青年が、折れそうに細い上半身を薬棚の端から半分出した。

「緑清草だと。知ってるだろう」
重そうな眼鏡の乗った顔を揺らした。

「磨り潰したのを、茎の粘液と混ぜるんですよ」
「それで」
「歯痛を抑える薬です」
「歯痛?」
「そう。今は使われてはいませんけどね」
「それだけなのか」
宝石商から買った情報は。
やはりこちらがまだ子どもだと見切ったのか。
落胆が隠せないタリスの側で、ラナーンが顔を出した。

「蒼漱石って」
「そうだ、砕くんだ。草と混ぜるんじゃないか」
縦に長い、表情の薄そうな顔に陰が差す。
苦いものでも噛み締めたような表情を浮かべ、口の中で呟いた。

「奥へどうぞ」



事務机に椅子を引き寄せ、男が最後に軽く腰を下ろした。

「あなた方は宝石商か何かですか。それも表を歩けないような」
「知っているんだな、酔香花(すいこうか)のことを」
若くて薬の知識は豊富だが、表には出ない。
接客が苦手なのだろう。
タリスの視線も、逃れるように机に目を落とした。

「酔香花は冬に迫る頃にしか咲かない。それが今は季節を問わず、山の一帯に群生している」
里の者は山に踏み入れず、行くものは人目を忍んで世にも珍しい力を秘めた宝玉、それを運ぶ宝石商。

「山が拒んでいるんだ。酔香花の香りは強くなるばかり」
「おれたちは宝石商じゃない」
「ではなぜ緑清草のことを? あれはもう今の時代からは忘れ去られた薬草です」
「酔香花の道が気になったんだ。だから聞き出した。その筋の人間に」
続けてアレスは言い切った。

「俺たちの目的は宝玉ではない。獣(ビースト)だ」
「獣(ビースト)。話には聞いたことがありますが」
「人が消えるという噂を聞いた。獣(ビースト)が絡んでいるのではないかと思ってここまで来た」
港から寂れた町へ、渓谷を抜け、ここに至る。

「酔香花はその香りで人を酔わせる花。意識を奪われた人は夢うつつで山を越える」
物語を語るような静かな口調で男が話す。

「だから酔香花が咲く冬の前の日、一人で山には入るなと町の者はみな教わって育ちました」
高い天井にまで伸びる背の高い薬棚。
上のほうの薬瓶を取るために、梯子が棚に取り付けられている。
壁のように立ちふさがり囲まれた特殊な空間に、薬屋の男の孤独で物静かな雰囲気が妙に合っている。

「王都の高官たちの腐敗臭はこのあたりにまで臭ってきます」
力を求める貪欲さは、陰を背負った宝石商たちを王都に引き寄せた。

「酔香花は商人たちの手で汚された宝玉を嫌い、その香りを強め道を塞いだのです」
話を聞いてタリスの興味は萎えるはずもなかった。
更に酔香花に対する執着を強くする。

「緑清草を煮詰めれば草が溶けます。それに蒼漱石を砕き緑清草と混ぜ合わせる」
深い緑色の多少粘りのある液体ができあがる。

「布を浸して乾かし、顔に巻きつける」
「マスク?」
酔香花の香りを遮断する。

「あとは気力です」






緑清草は男から手に入った。
蒼漱石は河辺に落ちていることが多いという。
河辺にしゃがみこみ細かく砕かれた青の石を拾い集めた。
辺りが薄暗くなり始めた頃には、ラナーンの両手のひら一杯になるほど集められた。

思ったより時間がかかった。
それというのも、河辺に集まる蒼漱石は砂の粒ほどに小さく砕かれていたからだ。
その分、不純物は少ない。
宿に持ち帰り、火を借りた。
青臭い匂いに宿の主人の妻が調理場を覗きに来た。

「弟が喉が痛いと言うもので」
アレスの一言で、妻の顔は引っ込んだ。
その隣で血色のいいラナーンが三人分の布をアレスに手渡す。
タリスは興味津々で緑に染まった鍋を覗き込みながら、立ち上る悪臭で眉間に皺が寄っている。

「こんなのを本当に飲んだら、喉どころか胃がやられそうだ」
「味見、してみるか?」
アレスが掻き混ぜていた匙を持ち上げた。
ラナーンは首が取れそうになるほど左右に振る。

「そろそろいいんじゃないのか」
タリスが煮詰まった布を指差した。

「で?」
「乾かす、だったよな」
「ああ」
タリスが部屋に持ち帰り布を乾した。
アレスは調理人から借りた古い鍋を洗うが、これがなかなか重労働だった。
色が染み付いて取れない。
あらかじめ見越していたこととはいえ、予想以上に色素は強かった。
完璧とは言わないが、ほぼ元通りになった鍋を机に伏せると部屋に上がった。

「あれを鼻に当てるのだと思うと、明日起きるのが気が重いな」
タリスがラナーンに並んで寝台に腰を下ろして、鼻で布を指した。

「入った瞬間臭ったな」
「乾けば臭いも薄くなると思うけど」
「食事の後でよかった。アレスはともかく、私の繊細な神経ではこの臭いの後で食事など喉を通らない」
「よく言う。アレスと息絶え絶えになるまで剣を交えた後にでも平気で大量に食べるくせにな」
タリスの強靭な神経と立ち直りの速さはファラトネスでも有名だった。
それゆえに、彼女が旅立ちを決意した獣(ビースト)による虐殺事件による憔悴には驚いた。
笑顔は消え、目に力がない。
不機嫌というよりも、物事に無関心になる。
すべての原動力は物事に対する執着だとラナーンはその時思った。

「明日は山越えか。ラナーン、早く寝て明日に備えるんだな」
一人は王女、一人は王子、一人はその直属の近衛。
彼ら三人、身分はみな相当なものだが、体力面では大きく差が出る。
アレスに剣を見てもらっているとはいえ、ラナーンの体力はいささか心配だ。

「大丈夫だ。城にいたときよりも剣も、体力も伸びている」
「自信ができたら、いつでも私が相手をしてやるぞ」
タリスが寝台から立ち上がった。

「いつだって挑戦状を叩き付ける準備はしてある」
「楽しみにしてるよ」
後ろ手に右手を振って、タリスは部屋から出て行った。






すっかり乾いた深緑の布を表に持ち出し、地面の上で叩いた。
水気を失った草の繊維が布から剥がれて地面に落ちていく。
アレスが布を胸元に入れると他二名もそれに倣った。

町の店には客が流れ始めていた。
酔香花は冬の始まりに咲く花。
空気の冷える朝方に開花するのを推測し避けた。
だが昼近くになって登り始めても、日が高いうちに抜けられるか分からない。
何しろ封鎖された道だ。
情報は少ない。
日が昇り始めてから宿を出た。


山道を目の前にし、息を整えた。
道がはっきりとは分からないというほどではなかった。
獣道、というにしては地面が露出している。
だが、推定ほぼ半日、歩いて抜ける道にしては心細い。
両脇の草は道に垂れ下がってきている。
もちろん舗装もされていなければ、肌に当たる草を刈る者もいない。
大人が並んで二人歩くには厳しいほどの道だ。
荒れた道の端には宝石商の言った通り、赤い布の付いた木の杭が打ち付けてあった。

布を手に歩き始めてしばらく経つが、酔香花らしき花は見当たらなかった。

「顔に布を」
「どうしたアレス。動物的勘か?」
タリスが後ろから声をかけた。

「周りが少し明るくなってきた」
「確かに、木の本数が減ったかな」
ラナーンが歩きながら左右を見回した。
所々に木漏れ日が差している。

「地面に日が当たるということは」
「地面を這う花が咲く」
なるほど、とタリスが頷く代わりに深緑の布を鼻と口を覆って結んだ。
ラナーンも続いて顔の半分を覆った。
この姿を誰かに見られたら、怪しすぎて警備に捕まるだろう。
しかしここには細く鳴く鳥や草間で動く小動物以外誰もいない。
獣(ビースト)も姿を現さない。
酔香花はまだ現れなかった。
山頂に近づいてきている。

「いきなりお出ましか」
歩調は緩めなかったが、アレスの空気が少し締まった。

「酔香花」
群生している。
薬屋の言った通りだった。

「少しずつだが奥に行くにつれ匂いが濃くなっている」
「アレス。まずいと思ったら引き返していいからな」
タリスが布の下からくぐもった声を上げた。

「特に体調に変化はない。意識を失うと聞いたが」
花の匂いは甘い。
こちらが匂いに敏感になっているというのに、手のひらほどの花はのんびりと体をしならせていた。

虫はいる。
だが鳥の声は聞こえてこない。
いきなり強い匂いと眩暈に襲われた。

周囲に群生している酔香花に変わりはない。
歯を食い縛り耐えた。
この状況で倒れるわけにはいかない。
しかし、急な状況の変化に違和感がした。

「ラナーン、タリス」
振り返った目の前にタリスが見えた。

「ラナーン」
足元にはラナーンが膝に手を当て、体を前に倒している。

「タリス、下がれ。ラナーンは俺が連れて歩く」
ラナーンとアレスを見守りながらタリスが後ずさりした。
体が重いのか、アレスに片腕を預けた。

「緑清草と蒼漱石、は」
液を染み渡らせた布は確かに効力があった。
だが、それ以上にこの匂いは濃く意識を奪っていく。

アレスの目の前からラナーンが消えた。
掴んでいた手の中からラナーンの腕が消えた。

「アレス!」
叫んだのはタリスと同時に半ば意識を失ったラナーン。
ラナーンは抱え込まれていた。
いるはずのない人間に。
それは驚くべき勢いで道を外れ、藪の中へと飛び去っていく。

「誰だ」
相手が答えるはずはない。
顔はラナーンら三人と同様、深緑の布で覆われていた。
ただし、顔下半分ではない。
目を残し、すべてだ。

布の隙間から覗く目が道に残されたアレスとタリスを一瞥し、ラナーンと共に消え去った。











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