Silent History 60





どこまで信用できるか分からない獣道を辿っていった。
両脇の林は木々が濃く茂る。
針葉樹林帯ではない迫る木の葉と丈の長い草によって囲まれている。

横から襲われたら逃げ道はないに等しい。
アレスが先頭で道を掻き分ける。
ラナーンが左、タリスが右に注意して進んでいった。

「何か、獣臭い」
ラナーンも感じていた違和感をタリスが先に指摘した。
アレスは黙って前を見たまま呟いた。

「近いな」
アレスが言うと間もなく、林が切れた。
崖に岩穴が黒く口を開けている。
アレスが地面に片膝を付いた。
指で砂を撫でる。

「血痕?」
アレスの肩口からラナーンが体を曲げて覗き込んだ。
血痕は僅かだが、確かに穴に向って雫を垂らしている。

「岩穴が大きくてよかったな。立ったまま進める」
人が立って歩ける高さと横幅はあるが、同時に緊張が走る。
巣穴が狼が這う高さならば引き返すところだが、奥まで進んで様子を見てこなければならない。

「先に言っておくが、アレス一人には行かせない。私たちも行くからな」
人の歩ける十分な高さと横幅はあるものの、岩穴内で大立ち回りができるほどの空間はありそうにない。
アレスはタリスを押し留めようとしたが、タリスに引くつもりはない。

「後ろを守る誰かが必要だろう?」
ラナーンとルイを残していくのも、アレスには不安だった。
結局は四人で奥に進む流れになった。

血の臭いが濃くなってきた。
ただでさえこの巣穴には獣の臭いが染み付いている。
長い。
ラナーンが思った以上にこの岩穴は深い。
アレスの歩調が緩んだ。
指差して、暗い穴の先を示す。
ルイが車両整備用に服に突っ込んだままだった細いライトで先を照らす。

「あいつ、か」
おびただしい血の池の中、丸まるように横になっている。

ここまで戻っては来られたものの力尽きたようだった。
背中をしばらく観察していたが、肺が動いてはいない。
死んでいた。

「奥にも」
目を凝らす。
確かに奥にももう一体いた。
だがそれも身動きしない。

ルイが灯りを下に向けた。
照らし出したのは奥ではない。
天井と両壁が濃い闇に戻る。

「どうかしたのか」
地面に向けた灯りが散乱した紙や布を照らし出す。
その一つをルイが手に取り、光を向けて注意深く観察した。

「知り合いの店の袋だ」
ラナーンもルイの隣で手元を覗き込む。
掠れてはいるが、文字は何とか読み取れた。

「襲われた貨物自動車の?」
「ああ。その時の食糧が、ここに」
荷台にあった食糧は引き摺り下ろされ、あっという間に消えてしまった。

「三匹で運んだのか。この場所に」
今も道で転がっている二体の死骸。
目の前に横たわる力尽きた一体。

「こいつのために?」
弱々しくはあるが、まだ息をしている。
だが声を上げる力もない。
重く沈みかけた目蓋が僅かに持ち上がる。
長い睫毛の下から、金色の眼が真っ直ぐ光の元を見上げた。

「獣(ビースト)」
三人ともがそう感じた。
ルイだけは、始めてみる獣の姿に似た獣でないものに身を震わせた。
言葉はないが、複雑な意思と感情の混ざり合った眼をしていた。

「怪我をしている。動けないから、さっきの大狼たちが食糧を運んだんだ」
ラナーンは四人の人間たちの会話に聞き入っている獣(ビースト)を見下ろしていた。

「こいつ、どうするんだ」
どこを歩き、何があったのか。
獣(ビースト)の体は満身創痍だった。
体毛の所々は痛々しいほど剥げ、膿んだ地肌が照らし出される。

「いずれ死ぬ。二、三日しないうちに」
タリスが言い放った。
その言葉が正しいのかを、ルイはアレスに視線で投げかけた。
アレスはタリスの発言を肯定するように押し黙っていた。
脚も傷を負い、動けないまま衰弱している。

「お前、私たちが憎いか?」
タリスが語りかけたのは瀕死の獣(ビースト)に向ってだった。
同情も、残酷さや冷酷さといった特殊な感情もなく、ただ淡々と問いかけていた。

「なぜ人を憎む。なぜ殺す。望みは何だ」
答えようもない。
答える力もなく、言葉もないからだ。
そのどちらもあったとすれば、彼らはその答えを持っているのだろうか。
タリスは細くなった金の眼から読み取ろうとしていた。
しかし、何も答えを得ることなく金の眼は重く閉ざされた。
間もなく、波打っていた獣(ビースト)の胸も萎んでいった。






「これでもう、町の人間が襲われることはないのかな」
「第二の大狼、第二の獣(ビースト)が現れなければ」
「でもこっちを襲ってきたのは獣(ビースト)じゃない」
大狼の動機には関わるかもしれないが、実行犯ではないというのがルイの考えだ。

「先の貨物車の事件でも、通過時刻を予想して連携で動いた」
今回のように。

「指揮を執っていたのかもしれない」
アレスに確証はなかった。

「俺はそう感じただけだ。タリスは他に思うことがあるんだろうが」
獣(ビースト)の死を確認してから車に戻った。
それからタリスは一言も口を利かない。
城に置いてきた獣(ビースト)のイーヴァーを思っていた。
長く共にいるはずなのに、その存在を良く知らない。

「獣(ビースト)って何なんだ。ただの獣ってわけでもなさそうだけど」
ルイの目は前を見、ハンドルを操りながら隣のアレスに問う。

「獣を凌ぐ力と知能と瞬発力。脳の発達。どこから現れるのか分からない」
「曖昧だな」
「もともと数は少ないんだ。その上基本的な能力が他の獣よりも高い」
タリスが補足した。

「捕獲も満足にできない。研究も進まない」
唯一ファラトネスが手にしている獣(ビースト)、イーヴァー。
生態を観察するくらいは可能だが、イーヴァーを切り刻むことはタリスを始め王族が許さない。

「存在を定義、分類できないからみんな知らないんだな」
ルイは呟いた。






「お疲れ様。到着だ」
町の中に入って、人の流れが見え始めた辺りで車を停めた。

「ここでお別れだな」
「助かった」
そう言うとアレスがルイに金を手渡した。
手の中の金額に驚き、正規の料金分だけを抜き取って残りをアレスに付き返したが、アレスは受け取らない。

「危ない目にあわせたからな」
「だけど、こっちだって道を通してもらった」
しばらくはまた貨物が安心して道を通れる。

「それとこれとは関係ない。巻き込んでしまったしな。ルイの父親にも悪い」
「親父はいつもだ。心配心配って。あたしは今までだって働いてきた。これからだって」
「あたし?」
ラナーンの声が裏返った。

「何なんだいったい」
ルイは怪訝な顔でラナーンに振り向く。

「こっちの方が聞きたい。だって、男の子だとばかり」
繋ぎの作業服は飾り気も皆無で、油汚れが浮いている。
髪は潔いほど短く刈り込まれている。
手首は細いが力がありそうだ。

「まあね、こんな格好だし」
ルイはまったく気にしていない。

「本当は運び屋じゃなくて、整備士がしたいんだ」
「それもお父さんに反対されてるのか?」
「そう。運び屋でも整備士でもなくて。とにかく作業服から離れて欲しいんだろ」
結婚して、子どもと住み家庭を持つ。
それがルイの父親の希望だった。
母親を亡くし、ルイと二人だけの生活をしていく中で膨らんでいった望みだ。

「今は独学だけど、来年当たりこの町で整備の勉強をしたいと思ってる」
「誰かの弟子にでもなるのか」
タリスも話に加わってきた。

「弟子ってほどじゃないけど。勉強を兼ねて仕事を持って」
どこかの整備屋で働く。

「父親はどうするんだ」
娘が遠出するのも止める父親だ。
一人残して、別々に暮らすのは反対するだろう。

「渓谷の道も安心して通れるようになったし、週に一度は帰れると思う」
それで何とか納得するだろう。

町は想像したより賑やかだ。
山に囲まれ、交通の便は良いとは言えないはずなのに。

「河が通ってるんだ」
「そっか」
渓谷沿いに歩いてきた、その河だ。
アレスを見た。
綺麗に折りたたまれた地図をラナーンに手渡す。

「東?」
地図から目を離し、ラナーンが見回した。
どこも山ばかりで方角が読めない。

「あっちだ。行ってみるか」
宿にこもるにはまだ日は高い。




ラナーンが四人のうち最初に声を上げた。

「大きい」
「車で走ってきた谷も深かった。覗き込む余裕はなかったが」
タリスが対岸を眺めた。
川幅は広く、中ほどは暗く深い。

「河はもう少ししたら分岐して、一本は通ってきた渓谷。もう一本は大きくなだらかに流れる」

「船だ」
ラナーンが指を差す。

客船といえるほど何百人を収容できはしないが、小型船舶ではない。

「ああやって物資が河を上って集まってくる。それで町の運び屋が物資を買い求めにいく。渓谷を越えてね」
政府の気にもかからない田舎の町。
それはこの先も変わらない。

「あたしが車を整備して、足を強化する。今できそうなのはそれくらいだから」
鉄道を引くこともできない。
道を開拓するにも人が足りない。

「できることをしたいんだ」
可能性を否定するわけではない。
今自分ができる精一杯の選択だ。

「物資は、このままどこに流れるんだ」
アレスが頭一つ分以上小さいルイを見下ろした。

「町に運ばれたり、近くの村とかにも。あと、一部は山を越える」
「山、だと」
「あたしたちが渓谷を抜けたように、迂回路を取らずに山を突っ切るんだ」
「なぜ」
「さあ。近いんじゃないか」
それ以上詳しいことはこの町で聞いてみるしかない。

「さてと、一回りして買い物して宿に戻る」
馴染みの宿があるとルイは言っていた。
予想以上に手にした運び賃で町の物資を少し買って帰るつもりだった。

「ここでお別れだな」
「また会えるといいな」
「そのときはこの町で修行中か、地元で整備工場を開いてるよ」
ルイの気持ち良い笑顔が、河辺に佇むラナーンたちに向けられた。
獣(ビースト)を前にしても逃げ出さなかった。
強い意志も持っている。
彼女ならば夢を夢で終わらせないだろう。











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