Silent History 56





デュラーン、ファラトネス、リヒテル、そしてエストナール。

四つの国を渡った。
いくつもの街を越えた。
これからどれぐらいの街を通り、いったい何人の人とめぐり合うのだろう。

旅は、まだ始まったばかりだというのに。





「でも、本当の始まりはここからかもしれない」
半島の風に髪を梳かれながら、ラナーンが波音の混じる賑わいに目を向けた。

「だれもおれたちを知らない」
ラナーン、アレス、タリス。
埠頭に佇む彼ら皆、同じようなことを考えていた。

「ひとりでなくてよかったって、そう思うよ」
きっと、一人だったならばどうしていいか分からなかった。
アレスが側にいてくれた。
タリスが笑ってくれている。
それだけで、どれほど救いになるか知れない。

「お前だけじゃない。俺も。タリスだってそうだ」
ひとりだったら、不安だっただろう。
アレスが一歩を踏み出した。

リヒテルからの船は、エストアナ半島、小さな港町に寄せた。






白の港。
そう呼ばれるほど、見事な白壁と紺碧の海のコントラストだった。
ファラトネスのような、湧き上がるような活気ではない。
穏やかな空気は、緩やかに上る幅の狭い坂道と人が作り出す。
街の間を縫うように走る小さな路地は、石造りの白い建物の間を抜け、太陽の光を浴びて白く輝く。

「宿は、これからだな」
まずは拠点、それから探索。
姫君が元気に指揮を執る。
船酔いというものを知らない娘だ。
三軒の宿屋を見比べて、迷うことなく決断を下した。




「さあな。海から湧き上がってくるものでもないだろう。ここは港町だからな」
本屋で座ったまま昼寝をしかけていた老人から調査を始めた。
店内には客が二名。
どちらも立ち読み客で、老人と旅人に目を合わせることもなく手の中の本に集中している。
一人は脚立を椅子代わりにして、読書の真っ最中だった。

何気ない話題から獣(ビースト)の話を振ってみたが、気に止まるような情報は得られなかった。

不思議とこの街には獣(ビースト)の臭いがしない。
つまり、獣(ビースト)に怯えるでもなく、噂として囁かれることもない。

海辺の街だからか。
獣(ビースト)は海に現れない。
それは単なる迷信ではないのかもしれない。

「森の話を聞いたことは? 例えば、踏み込むのを禁じられているような」
「どの森もそんなものだろうよ。ここは帝国領土じゃないんだ。森をも恐れぬ機械もここにはない」
人は森を恐れ、しかし森と共に生きる。
デュラーンもそうだった。
ファラトネスでも同じだ。
リヒテルも、例外ではなかった。

「そんなに情報が欲しければ、夜まで待てばいいだろう」
しわがれた声が、ひねり出すように咳払いをした。

「情報は酒場。昔から決まっている」
そうか。
アレスは顎を引いて、納得した。
ここは港町だ。
更に言うならば、多くの旅人が乗り継ぎのために立ち寄る中継地点でもある。
小さい港とはいえ、近隣諸国から流れてくる人で賑やかだ。

「じゃあ、夜まで町を見て回ろう」
言い出したのは、例に漏れずタリスだった。
朽ちかけた本屋の店主に礼をいい、日のまだ高い町へと踏み出した。


モザイクの噴水から水が噴出していた。
散った水は霧になり、歩き回って火照った体を心地よく湿らせる。
タリスは子どものように両手を広げ、全身に霧を浴びた。
行動の指揮を真っ先に執る決断力を持つ一方、一つ一つの行為は実年齢よりも子どもっぽい。

無邪気であり、真っ直ぐだ。
人の顔の裏を読み、計算高く利用する。
それもまた生きていくうえで必要な戦略だが、タリスは苦手だった。
タリス自身も自らの欠点を認めている。

だからこそ、側にレンを置いた。
繊細な心情や複雑な人間関係を繕うことに長けている。
タリスが提案すれば、レンはそれを実現できるよう調整する。
二人だったからこそ、超高速艇ラフィエルタがただの平面上の話で終わることはなかった。

彼らの力が国益を左右する。
その行動力は、アレスもラナーンも認めている。

その彼女が今は国を離れ、二人の目の前で楽しげに水と戯れている。
今のタリスは、どこの姫君でもない。
ただの少女だった。


小さな噴水だったが、町の中心の広場には多くの子どもが集まっていた。
木陰で地面に足を伸ばして話に耽っている女の子たち。
ラナーンまでも巻き込んで、ひとしきり水遊びをして満足げに
タリスは花壇の縁に腰を下ろした。
ラナーンは木の幹に背を預けて、遊び足りない子どもたちが噴水の周りを駆け回っているのを眺めている。

同じ年同士の子どもが、毎日飽くことなく新しい遊びを見つけては日が暮れるまで走り回る。

「楽しそうだな」
タリスが両手に顔を乗せながら、前のめりになって賑やかな子どもたちを眺めていた。

「おれは今でも楽しいけどね。こうして、三人で一緒にいられて。昔に戻ったみたいだ」
「そうか」


記憶の中で、小さなタリスが服の裾を跳ね上げて庭を転げまわる。
ラナーンはタリスを懸命に追いかける。
タリスを見失って不安げに周りを見回すラナーンの手を引き、アレスが一緒に走り出す。

「ずるいぞ、アレス!」
タリスが草の間から飛び出してきた。
大きな青い目に、細い眉毛を寄せて憤慨するタリス。

「ラナーンを泣かせたら負けだ」
「ゲームなのに」
足を大きく広げ、腰に手を当てて精一杯の怒りを表現しているが、髪には木の葉が散っている。

「あーあ、また泣きそうになってたのか」
「泣いてない!」
高い声で叫ぶ。

「タリス、草だらけだぞ」
アレスがタリスの金糸に絡む葉を不器用な手つきで払った。

「わかった、じゃ今度は私が探す。いいか、息を我慢できなくなったら目を開けるから、隠れろ」
そう言って、タリスは胸一杯に空気を吸い込んだ。



「空が少し暗くなったら、見つけに来るんだ」
「ユリオス様。不思議だった。どんなにうまく隠れても、必ず全員を見つけ出す」
三人の中では一番隠れるのが上手かったアレスさえ、あっさりと見つかってしまう。

庭の隅々まで遊び歩く一日。
ともすれば、一時間でも二時間でも芝生に寝転がって、木漏れ日を下から眺めることもある。

「変わったけど、変わらないな」
「それがいいんじゃないか」
タリスは両手を後ろに付いて、首を反らせた。
しばらくこうした時間はなかった。

高速船のこと、戦艦のこと、国防、国益。
やりたいことをやってきたつもりだったが、大切なことも置き忘れてきた気がする。

草のざわめき、虫の声、子どもたちの賑わい、水の音。
懐かしいと思えてしまうのはやはり、忘れてしまっていたのだ。




目を開けると、タリスの視線の端で、ラナーンが伸ばした膝の上に本を乗せていた。
古びて劣化した紙を破かないよう、そっとページを捲る。
タリスが花壇の上から体を捻ってラナーンの肩口から覗き込んでも、気が付かないほど集中していた。

「ラナーン、まだ持ってたのか」
ファラトネスに置いてきたものだとばかり思っていた。

「置いてきてもよかったのかもしれないけど、何だかそうもできなくて」
「それ、原文か」
「うん。たぶんね」
タリスが古語で埋まった本を見て苦い顔をした。

「アレス、読めるのかお前はこれを」
「一応な」
「城では必修だったんだ。兄上も読める」
眉間の皺をそのままに、タリスが盛大にため息をついた。

「ユリオスはまあ、分かるけどな。ラナーンが」
「うん、でも難しいから読み違えることは多いけどね」
「私は読み違えて、話が変な方向に反れていくんだ」
勉強が嫌いというよりも、古語が苦手なのだ。
自分が少しでも興味ある分野に関わることには、真っ直ぐに食いついていくのだが。

「現代語訳は、よく読むだろう。でも、それって原文を読みやすいように翻訳したものだ」
だからタリスも物語の内容は知っている。

魔と呼ばれる存在がこの世にいた。
勇者と謳われたガルファードが、それらすべてを扉の向こうへ封じた。
側にいたのは、今はルクシェリースの眠れる女神、サロア。

「翻訳が悪いっていっているわけじゃなくて。原文でしか見えてこないものも、あると思うんだ」
「作者が違うからか。デュラーンの古語で書かれた話と、それを下敷きに編みなおされた翻訳とでは」
「うん」
ラナーンの右で広場の様子を眺めていたアレスも、上から本を覗きこんだ。

「サロア神はどうして眠り続けているんだろうな」
「魔を扉に封じた。それだけの力を持っていた。それは神に等しい力だった」
自分の時間を止めてしまうことだってできただろう。
それが教わってきた神話の続き。
アレスの中の物語の続きだった。

「サロア神が目覚めたら、世界はどうなるんだろう」
生ける神が目覚めたら。

「サロア神が歴史の真実を抱えている。今まで紡がれてきた歴史は否定されるか」
「ルクシェリースは揺れるだろうな。紡がれてきた歴史を元に成り立った国家だから」
「千五百年眠ってきたんだ。簡単には目覚めない」
気が付けば、影は長く長く伸びていた。
子どもたちの重なり合う声も、少しずつ減っていた。











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