Silent History 57





日が暮れ始めて入った酒場は、既に人で賑わっていた。
酒に浸るにはまだ早いように思うが、客の各々の手にはグラスが握りこまれていた。
今までどの航路を渡ってきたのか、明日の天候はどうなるのか。
交わされる音の波の中を三人は抜ける。
席にはまだ余裕がある。
壁際の小さな机へアレスが突き進んでいた。

「食事は取れるか」
席についてしばらくし、寄ってきた店員をアレスが一瞥した。

「もちろん。メニューはあそこ」
ふくよかな女性が同じく丸い指でカウンター横の壁を示す。

「飲み物、何にします? ああ、そっちの子」
小さな人の良さそうな目で、椅子に座ったラナーンを見下ろした。

「アルコールはまだ早いよ」
予想外の話を振られ、ラナーンは反論できないでいる。

「魚で何かいいものは入っていないか」
アレスはカウンターを見るふりをして、その横顔は隠しきれず笑っているのが見える。

「ああ、手に入りましたよ。じゃあ、それにしましょうか」
「私は、あれが食べてみたいな」
あとはタリスの興味を引いたものをいくつか指差して注文した。
ラナーンは反論するタイミングを逸して、腑に落ちないまま飲み物を頼んだ。
もちろん、アルコールなしで。

「別に飲む気はないけど、いい気分じゃない」
「まあまあ、その顔じゃ仕方ない」
「アレスはいいとしても、何でタリスまで?」
「均整の取れた体躯と、動じない物腰を総合的に見た結果だろう」
高すぎも低すぎもない真っ直ぐな鼻筋を、天井へ向けた。

「老けてるんだ」
聞き取られないよう呟いたラナーンの一言を、しっかりとタリスは捕らえていた。

「ほお、うら若くかつ美しい乙女に言うか」
見下ろすタリスを、犬のように睨み上げるラナーン。

「おい、飲み物が来たぞ」
器用に人込みを避け、店員がグラスを三つ運んできた。








「噂?」
「例えば凶暴な生き物がでるだとか」
「獣(ビースト)か?」
「そう、見たことは?」
「ないな。いるらしいとは聞いたがね」
一番最初に男に声をかけたのはラナーンだった。
点々と島国で船を乗り継ぎ、国へ帰るという。
家業の手伝いに帰郷するという話をラナーンが聞きつけた。

「この国のことなら、あいつに聞いたらいいんじゃないか。さっきちょっと話したんだがな」
カウンターで黒髭の店長と話し込んでいる。

「エストナールを抜けてきて半島から海を渡るんだと。内陸のことなら俺よりかは詳しいだろうよ」
ラナーンが腰を浮かしかけたが、男が片手を挙げカウンター前の男を呼び寄せた。

「獣(ビースト)について知りたいだと? っても、学者って体じゃないよなあ」
三人の中では一番長身のアレスに目をやる。
縦にも横にも大きな男に迫るアレスの身長だ。
着痩せして見えるが、男はアレスの屈強さを見抜いている。

「調べているのは私だ。これは、私の護衛だとでも思ってくれ」
タリスの張りのある声が、相手を無条件に納得させる。

「まあ、どちらでもいいけどな」
腕に多少自信が合ったこともあり、エストナールを旅する間傭兵の真似事をしたこともある。

「ここの港から物資は内陸にあらゆるルートで運ばれる」
主要な道路は幅も広く見通しが利くので比較的安全だが、山間部を抜ける細いルートは心細い。

「エストナール政府の監視が届かない場所、かつ幾分か価値の高い物を運ぶときが稼ぎ時だ」
「その時、獣(ビースト)の話を?」
「聞かなかった」
ラナーンの期待を、たった一言であっさり粉砕した。

「少しも?」
「ああ。人間にとって価値のあるものを運んでるんだ。狙うのは人間だ」
山賊は珍しくもない。
海賊だって海を横行している。

「獣(ビースト)以外の話は」
アレスが机の上で指を組み、話の続きを探る。

「奇妙な話なら、無くもない」
記憶を探って男は天井を見上げた。
視線の先には茶色く染まった梁があるだけだ。

「人が消えるっていうんだ」
それだけならばありがちな怪奇現象だ。

「で、またふと現れる」
「人攫いか」
「枯れきったじじいだの油臭い中年男なんかを攫ってどうするってんだ」
攫われるのは決まって商人だという。
だから傭兵を雇ったり、運び屋と言われる職業の人間に依頼したりする。

「奇妙なのには先があって、大抵荷物は無事で体には大した傷も負っていないんだと」
「その場所は?」

「さあな」
傭兵のときに流れてきた噂を耳にしただけだ。
その怪奇にどれ程信憑性があるのか分からない。

「おおよその場所も分からないか」
「傭兵を雇ってわざわざ抜けなきゃならない道だ。山間部だろうな」
「山。森、か」
「本気で探すつもりか。森って言ったって、一つや二つじゃねえ」
アレスは店の人間を呼び、酒を頼んだ。
店員は酒を二つ、グラスの手を握りこんで運んできた。

「ありがとう」
冷えたグラスになみなみと注がれた酒を、情報提供者二名に振舞った。

「俺は短期間の傭兵仕事だったが、もっと詳しいやつはいるだろうよ」
「地図屋に行ってみな。内陸の地図だって何だって、このあたりのは大抵揃う」
まずは地形の把握だ。








地図だけで店が開けるのだから、この街がいかに交通が交差する場所なのか分かる。
内陸の地図といっても精々三種類程度かと思って店に入った。
間口の小さい店だったが中は意外に広く、何よりも壁にぎっしり埋まった紙の筒に息を飲んだ。
天井まで丸まった地図が、格子状の棚に刺さっている。

「いらっしゃい」
古びて木も濃く色が染まったその店は、髭の老人の主を連想させた。
小さな木の椅子に腰を下ろしていたのは、小さな白髪の女性だった。
目尻の少し下がった、品のある優しそうな顔つきをしている。

店内には人影は少ない。
見たところ、目の前の女性だけだ。

「どの地図をお探しかしら」
「ええ、あの」
ラナーンは言葉に詰まる。
これといった固有名詞すらない目的地だ。

「行きたい場所が、まだはっきりとしていなくて」
「そういう人も、よくここに訪れるわ」
老女は片手を脇にある机へかけた。
白く筋の浮いた手には、石の指輪が似合っている。

「旅は、地図から始まるもの」
微笑むと、目尻の皺が濃く刻まれる。

「あなたたちのお話を聞かせて いただけないかしら」
「山間部に広がる森を探しています」
「以前傭兵をしていた人間がいて、変わった話を聞いたんだ」
山間部の森近くで消える人間、そして再び現れる。
獣(ビースト)の名は出てはいなかったが、どこか気に掛かる。

「傭兵、森、山。リィン、来てちょうだい」
良く通る声で、地図の棚の森に向って呼んだ。
すぐに棚の隅から顔が飛び出た。
女性の孫ほどに若い。

「十三の棚、三十二の六をお願い」
ラナーンたちには解読できなかったが、リィンと呼ばれた少女はすぐに示されたものを探し出した。
細い穴から慎重に巻かれた紙を抜き取ると、それを手に女性の下へ早足で寄った。

「そちらの台へ広げてくれるかしら」
糸を解き、四隅四辺に重石を乗せて抑えつつ地図を開いた。
半島の形が描かれている。
半島を抜けて上方向には、内陸の地形が描かれている。

「その人が求めるものによって、差し上げる地図も違ってくるわ」
少女は黙ったまま、地図を見下ろしている。

「森を探しているのですって。リィン、案内してあげて」
女性に話したものと同じことを少女に説明し終えると、少女は淡々と話し始めた。

「物資を内陸に運んでいくのはこのメインルート。途中で分岐して五つに分かれる」
末端はさらに枝分かれし、地図には描かれていない木の絵が目の前に浮かぶ。

「山間部を経由するルートは近くのもので言えば、これとこれと」
十六箇所を指差した。

「その内、森と言えそうな規模を抱えたルートは」
八箇所に絞られた。

「護衛が常駐せず臨時で雇われるということは、ルート事態は細いものだと推測できるので」
最終的に三箇所まで絞れた。

「直接元になる情報を聞いたわけではないので、どこに行くのかはご自身の責任において決断してください」
リィンは女性の側で控えている。

「道筋は見えたかしら」
「おおよそは。この街に最初は行こうと思う」
それまで黙っていたアレスが、三点の中では一番現在地より近い村を選んだ。

「いいでしょう。決まったならば、もう少し狭域で詳細なものを」
またリィンに場所を指示した。
持ってきた筒を直接ラナーンへ手渡す。
開いてみると内側には、細かい目的地までの道が描かれていた。

「どうかしら」
「とてもわかりやすいです」
ラナーンは代金をリィンに手渡した。
小さな地図を腹の上で巻き取り、礼を言って女性に背中を向けた。

「私はここから動けないので、リィンが代わりに見送るわ」
三人は戸口に立って、座ったまま小さく手を挙げた女性の方へ振り返った。
リィンが白い穀物を、訪問者たちの足元に少し撒いた。

「この地域での風習です。良い旅であることを祈って」
その足で切り開いていく、旅の道筋を祈って。











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