Silent History 42





月光華が咲いている。
ファラトネスには十二種類の月光華がある。
昼の庭師が手入れしているのは、白の月光華だった。
その名が表す通り、月影に白の花弁を広げている。



闇と物質との境界が交じり合う、夜。
優しい星明りに照らされて、ファラトネス城の白が際立つ。
広がる森の木々は、夜の生き物たちの世界へと入れ替わった。
闇の訪れで目を覚ました彼らが活発に動いている。

城の庭が見下ろせるテラスに、人影が見えた。
余りに動かないので、石像か柱かと思えたが、目を凝らせばそれは人の形を取っている。
一つの影がテラスの中ほどに立っていた。
冷たく痛い光を放つ月に、顔を白く焼かれている。
長い上着の硬いシルエットが浮かび上がる。
手摺に両手を乗せて、背筋を伸ばしたまま黒の庭を見下ろした。
花壇に咲く月光華が白く浮かび上がる。
シルエットが、その影の生真面目さを物語っている。
背中は棒を押し当てたように真っ直ぐで、夜着でない服は人目がなくとも着崩れることはない。
天上の欠けた月を愛でるでもなく、焦点定まらないまま庭に視点を落としていた。


テラスへの窓を押し開けて、もう一つ人影が床に濃い影を落とした。
最初の人影に劣らず、長身だ。
上着の裾から覗く長い脚が、重みを感じさせない隙のない足取りで、テラスを横切る。

「どうした。こんなところで一人」
後から来た影が始めの影に並び、低い声で話しかけた。

「考え事をしていた」
そう話している間も、頭では考え事の続きをしているのだろう。
テラスに踏み入れた男へ視線を投げたが、月光華の咲き誇る庭へと視線を再び落とす。

「そっちこそ愛らしい主を放って、こんな夜中に城内を徘徊か?」
「あいつの目の前でそんなことを言ってみろ。殴られるぞ」
「まさか。こちらの末の姫君よりは、ずいぶんと大人しい」
「見かけに騙されてるな」
アレスはレンが手を掛けている手摺に、両腕を乗せた。
レンの見ている月光華を見下ろした。
白く、気高い花が柔らかな芳香を忍び漂わせる。
こちらまでは届かない、弱い香りだ。

「姫君は美しく、そして誰よりも強い」
技量だけでない。
心の強さだ。
賛美の言葉であるはずなのに、レンの声には力がない。

「タリス様の隣にいて、私という存在が希薄に思えて仕方がないんだ」
「何を言っている。らしくないな」
「自分でもそう思う」
確かに、タリスは存在感がありすぎるほど、生気漲っている。
だがそれに打ち消されるほど、レンは弱くない。
タリスの気迫に潰されるなら、とっくの昔に消えているはず。
これまでタリスの側近を勤め上げられるはずもない。
自分を見失ったことは、アレスが知る限り一度としてなかった。

「一体何があった」
「タリス様の影でいられることは、嬉しい。あの方の側にいられる、それだけで幸せだ」
ならば、何の問題もないではないか。
タリスがレンを放り出すなど考えられない。
レンは、タリスが許した唯一の側近、認めた唯一の男だからだ。
しかし、レンの目はその先の不安を告げている。

「私はそれだけを望んでいる。しかしタリス様は、違うのではないかと」
「タリスだって、レンを必要としているさ。自分の能力を認めているのだろう」
タリスを補佐できるだけの能力を保有していると、理解している。
だからこそタリスの側から離れることはなかった。
それは己の能力に対する過信ではない。

「俺から言わせて貰えば、何を今更ってやつだがな」
アレスは庭に背を向けて手摺に凭れかかる。
濃紺の星空を仰ぐ。
デュラーンと同じ空が広がる。
ここは、居心地がいい。
ラナーンが怯える、デュラーンからの追っ手もファラトネスには及ばない。
ファラトネス王やその娘たちが、ラナーンの恐れるものすべてから守ってくれる。
しかし、ラナーンはそれでは満足しないだろう。

「そんなに気を張ってばかりいても疲れるだろうにな」
呟いた言葉は、静けさに溶けた。
レンははっきり聞き取れなかったようだ。
弱い視線をこちらに向けたのは、気配で分かった。

「あいつも、レンもだよ」
「何だ」
アレスは目を閉じた。
視界が閉ざされると、別のものが見えてくる。

普段は聞こえていない音。
頬を撫でる風。
生きるものが動く空気の揺れ。
そして、自分の心。
研ぎ澄まされ、澄み切ったものが、朧げだった輪郭に光を当てる。
照らす月光のように、清浄な光を。

「自分が信じられなくなったら終わりだ」
「自信を無くしたら、ということか」
「そりゃ、いつだって不安で、進んだ道が本当に正しかったのか迷って、苦しんで」
過去を振り返って後悔する。
痛みを知っているはずなのに、また同じ痛みを負う。

「だけど、どんな選択だって今の自分を作る欠片だからな」
よかったと思えることも、そうでなかったこともすべて、今を築く大切な過去だ。

「俺は後悔も含めて、今までの選択、それが導いた今ここにあることに満足している」
「強いな。それに、似ている気がする」
「タリスとか?」
「ああ。迷いが見えない」
「迷ってるさ。悩んでばっかりだ。だが、先を見なくては次の一歩が踏み出せないだろ」
決定的な違いは何だろう。
その強さはどこからくるのか。
それが、何かを守る強さだというのか。

「なぜ、ラナーン様に付いて行こうと思ったんだ」
「なぜって、それは」
当然だと思っていた。
アレスにとって、ラナーンは無二の親友であったし、離れることなど考えもしなかった。
いざ理由を問われてみて、上手く説明はできない。

「放って置けなかったから、かな」
「保護者だな」
「ある意味、そうかもしれないな」
何せ、成人するまで外の目に触れてはならないという、奇妙ともいえるしきたりも手伝ってか、世間知らずも甚だしい。

「幼い頃からずっと側にいた。俺はラナーンの兄のようにして育った」
「だから、離れられなかったのか」
「守らなくてはいけないと思った」
「アレスが、ラナーン様の護衛としての任を与えられたときからか」
「いや、その少し前だな」
レンの目の前で月光華が体をしならせている。
木々は身を重ねて囁き合い、星は澄んだ空気を通し硝子の砕ける音を出しそうなほど強い光を降らせる。
目を閉じたアレスの目蓋の下では、焼きついた過去を思い出しているのだろう。
甘美な思い出だ。
口元が本人の自覚なく綻んでいる。

「最初に会ったときから。ラナーンの目を見た瞬間から」
「私も、だ」
幼かったタリス。
まだ少年と青年との狭間にいたレン。
純真無垢で、限りなく穢れない光を放っていた少女に惹かれた。
すべてを掛けても彼女を守ると誓った。
ずっと側にいると。

「約束を忘れたわけではなかった。でも、彼女が側にいなくては守れるものも守れない」
「寄り添い、一時も離れずにいなければ守れないのか」
俺が言えた言葉じゃないかもしれないが。
アレスが言い添え、更に続けた。

「離れていても、守れるものってあるだろう」
「何が?」
「帰る場所」
ラナーンは故郷を捨てた。
少なくとも彼の中ではそう考えている。
その決意でラナーンは城壁を越え、海を渡った。

「タリスにとって、最終行き着く場所のことだ」
レンをここまで突き落としたのは、タリスが舞の後囁いた一言のせいだろう。
何を言われたのか知らないが、そこまで衝撃的な一言だったということは分かる。
今までに消え入りそうなレンを見たことはない。
垂れた髪の隙間から覗く顔は血の気を失い、悲壮感に満ちている。

「複雑に考えすぎなんだよ」
一人で悶々と考えを煮詰めるから、悪い方へ絡まりながら転がり落ちていく。

「レンはタリスが大切なんだろう」
「ああ。何よりも、誰よりも」
「守りたいのは何だ」
「彼女と、彼女が生きていく世界を」
「なら、そうすればいい。それは誰にも変えられない、レンの気持ちなんだろ」
貫けばいい。

「単純なことだ」
目を開き、アレスは目の前に立ちはだかる白い壁を下からなぞるように見上げた。
壁に皿が埋まっている。
半円のテラスだ。
その部屋にはラナーンがいる。
これほど星が綺麗だというのに、惜しいな。
今、ラナーンは眠りの底にいる。

「だが、俺がこう思っていても、あいつは守られているだけは嫌なんだと」
今度は、何かを守る番だと焦ってすらいる。
ただその焦りだけで突っ走るラナーンは、危うい。

「逞しくなられた」
「絶対、タリスの影響だぞ」
タリスは、待つだけの姫君ではない。
自らが先陣を切り、戦場を駆ける。
戦乱の時代だったら、鎧に身を包んで剣を握り、声を張り上げ指揮していただろう。
深窓に大人しく守られている姫君ではない。
痛みを理解しようとする。
痛みを分かち合おうとする。
それがどれ程重く、一人で支えきれない、身を滅ぼしかねない痛みであっても。
その彼女を守るために、レンはいる。
降り注ぐ槍から、流れる血から。

「それぞれの道がある。それぞれの選択が。俺の帰る場所は、ひとつだけだ」
「そして帰る場所を捨てたラナーン様のためにと、アレスは」
アレスの視線が地上に戻る。

「タリスと話せ。思いも、一緒に」
後からテラスにやって来たアレスは、レンを残し先にテラスを後にした。

「守るべきもの。最後に戻る場所」
空っぽの手を、レンは握り締めた。

大切なもの、それを守るべき選択を。
「私は、見失っていたのかもしれない」











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