Silent History 32





エメルの後ろに隠れるようにして、壁伝いにタリスの側までやって来た。
年長のエメルに促され、彼女はタリスの前に跪いて最敬礼で挨拶を終えた。

「タリスさま、あの」
「人が多くて緊張しているのか?」
「はい、少し」
タリスが彼女の技巧を発掘したのは、僅か数ヶ月前。
ファラトネス王族の前でその舞を披露したことは何度かあったが、それも内々でのこと。
他国からの貴賓の目の前で舞った経験は、一度としてない。

「そうか、私の友人に会うのは初めてだったな」
髪を結われながら、先輩の侍女たちに今回の客人について簡単な説明は聞いていた。
デュラーンからやって来たというのは分かったたが、それ以上詳しいことは話してくれなかった。
彼女もまた、それ以上聞き出すのは良くないと弁えていたから、鏡の中で動く髪結いの手元を黙って見ていた。






タリスの隣に腰を下ろしていた二人に頭を下げた。
一人は肩幅の広い、背の高い男性。
深い茶の髪と、同じ色の瞳。
さっと見ただけで、何らかの武術を極めている体格、気迫は伝わってくる。
でも今は、優しい目をしていた。

もう一人、タリスと体格のいい男性との間にいる人。
頭からは薄紗を掛けていて、髪の色まではっきりとは見ることができない。
小柄な、男の人だろうか。
彼女は下げていた顔を、そっと持ち上げた。


大きな濡れたような漆黒の瞳。
髪もまた、夜闇のように美しく深い色。
今まで見たこともない、吸い込まれそうな色にはっと息を呑む。
薄紗で顔を覆おうとはしない。
逆に彼は紗を耳まで捲り、顔を露にすると下から覗き込んでしまった彼女に、柔らかく微笑んだ。


「ラフィエルタと、申します」
挨拶をしなければ。

「今宵、僭越ながら酒宴にて舞わせていただきます」
豪奢な、舞姫の衣装。
その袖先から覗く小さな指は、客人と王族たちの前で細かに震えていた。
緊張を隠すように、手を丸めて袖の下に隠してしまう。
その仕草も愛らしく、側に付いていたエメルは袖口を口元に寄せた。

「楽しみにしています」
切れ長の目をなお細め、背の高い男性が声を掛ける。

黒髪の貴人も静かに頷いた。
タリスも満足そうに微笑を浮かべている。

「それでは、ラフィエルタ」
エメルが彼女の背に手を乗せた。

「はい」
「皆様、また後ほど」
エメルがラフィエルタを伴って、一端退場した。





「あの子が、ラフィエルタ?」
「そう言ってただろう?」
「だって、あんなに幼くて、小さくて」
ラナーンが薄紗を手に巻き込んで、小さくうずくまる。

「まったくあの超高速艇とはイメージが」
庭園の隅にそよ風に揺られながらも懸命に生きる、野花のように。

「そう、彼女の性質はそうだろう」
「でも、タリスの目にとまった」
「人間誰でも、もう一人の自分というのを抱えてるものだ」
まるで薄い磁器で作ったような少女、ラフィエルタ。
その彼女もまた。

「見ていれば分かる。小さく弱々しく思える花が、どれ程力強く美しく開花するか」
想像ができない。
驚きでこぼれそうな目で、強張った顔でラナーンを見上げていたのだ。
忍ぶ姿でなければ、薄紗を振り払い灯りの下で声をかけたかった。





音楽が始まった。
弦楽器の前奏が、滑らかに流れると人声の波は、穏やかな海面のように波音を緩めた。
擦奏の細い線が、一本、また一本と絡み合う。

蜘蛛の糸のようだ。

気が付くと、女性音が混じっていた。
まるで糸を紡ぐように、細く長く音を生み出す。

舞姫たちが、まとう衣装をなびかせて舞う。
大輪の花が風に吹かれるように、緩やかに伸びやかに。

空になった酒杯には、侍女たちが瓶を傾け新しい赤の水を注ぎ入れる。



ファラトネス王、ラウティファータに付いていた侍女が風を立てないほど、音もなく立ち上がった。
優雅な足つきで窓辺まで歩み寄ると、半開きになっていた大窓を開け放った。
涼しい夜風が流れ込む。
侍女の長い髪が流れて川面のように揺れる。

銀毛のイーヴァーは重ね合わせた前足の上に、自分の鼻先を乗せて巧みに動く舞姫たちの脚を眺めていた。
歌に酔う。



動きの一つ一つに張りがあり、伸びる指先は呼吸をも合わせたかのようにぴたりと揃う。
まるで地面に付いていないのかと疑うほどに、軽やかな脚で飛び上がり、爪先は床を這う。






気が付けば音楽は止み、舞いも終わっていた。

小休止。

再び、賑わいが酒の席に戻った。




「どうだ」
酒杯を取り替えて、タリスがラナーンに目を流した。

「今のはシエラティータ姉様の舞姫だ」
四番目の娘。
タリスの一つ上の姉にあたる、シエラティータ。
彼女の侍女もまた、タリス付きの侍女に負けず劣らず芸達者を集めている。

長女、フェリウスの側近たちは飛びぬけて才女揃いだ。
王政に携わるフェリウスの足を取るような人材ではいけない。
フェリウスを十二分に支えられるだけの機転と判断力そして才知。
フェリウスは彼女たちを纏め上げられるだけの、統率力を備えている。
母ラウティファータを継ぐに相応しい。

自らも技芸に優れた下の二人の娘たちを、上の姉達は誇りとしている。



「タリスが踊りを教えたのか?」
「彼女たちの中で、伝承されていくんだ」
歌も、踊りも。
強制ではない。
タリスや姉姫たちの目に適い、選り抜かれた者もいるが、大抵は侍女達の間で芸は磨かれていく。

「ラフィエルタとは?」
「あの子もまた、同じように」
何杯目になるだろう。
酔いも見せないタリスは、手にしていた酒杯を仰いだ。

「部屋の隅の方で踊っていたんだ。年長の侍女に教わっていたんだろう」
足運びは軽く、幼いが腕も滑らかに繊細に伸びる。
才能の片鱗を見た。

その時、彼女の名は知らなかった。
たまに侍女に混じって城に上がってくることから、外から通いで来ている侍女だと分かった。
侍女の統括については、女官に任せている。
調べれば何者か、すぐに知れようが、このまましばらく様子を伺うことにした。

「ラフィエルタの才能には目を見張る。だが、さっき目の前にして分かったように、あの子は人一倍羞恥心がある」
いつも部屋の端で小さく腕を動かして踊っていた。




「城の中庭、亭の浮かぶ水の中庭で、ラフィエルタを見つけた」
庭を一周する長いアーケードの角で、草間に動く影があった。
タリスは今しがた資料室から持ち出していた本を抱え、一人で中庭を見下ろせる廊下を歩いていた。

「忍び歩きなど、久しぶりだった」
そっと近づき、気付かれないように覗き見る。
そうした体験も、最後にしたのはいつだろう。
見つからないようにという、小さな悪戯心に胸が躍った。

「名も知らない。声も聞いたことがない」
その少女が、庭の隅で人の目を避けて踊りの練習をしている。
鳥のさえずりに混じるのは、小さな鼻歌だった。
年長の侍女に教わったばかりの歌に合わせて、足を運んでいる。

「二桁になったばかりの少女が、一人前の踊りをする」
それ以上のものだった。
目を反らせない、引き込まれる踊り。

「言葉に言い尽くせないのが惜しい」
それほどの才能、見つけ出した原石を、技芸の姫君タリスが捨て置くはずもない。

「しばらく見ていた」
声を掛けられなかった。
踊りが一章分終わり、見ているタリスの方が気が緩んだ。
腕の中に握りこんでいた本を、弛緩した腕から落としてしまったのだ。

硬い表紙が、石の廊下に角を落とした。
目を丸くして、ラフィエルタが振り向く。
植物の陰に、タリスが身を寄せる。

高い柔らかな声で、ラフィエルタは草陰の向こうに呼びかける。
反応はない。
怯えた様子で、両手を胸の前で握り締め、ゆっくりと木々の反対側を覗き込んだ。


硬直したラフィエルタの顔は青白く、唇は震えている。
まるで小動物のようだ。

「それほど恐ろしい顔をしているかな、私は」
タリスは微笑んだが、ラフィエルタは首まで凍りついたかのように、ぎこちなく首を横に振る。

「もう一章、踊って欲しいのだけれど」
ラフィエルタは口を薄く開いたまま、固まってしまっている。
どうしようか。
怖がらせたり、困らせたりするつもりはなかったのだけど。
タリスも対処に迷ってしまった。
こういう場、レンならばうまい言葉で和ませたりできるのだが。
生憎、彼はタリスの執務室でタリスが処理した書類を整理している。

「そうだ」
案を思いついて、ラフィエルタに近づいたところで、遮られた。



「ラフィエルタ? いるの?」
侍女の一人が彼女を探しに来た。
まだ遠い池の方で、ラフィエルタを探している。
二人は草の後ろ、侍女の目に隠れてしまっている。

「ラフィエルタというのか」
「はい」
「ああ、言うのが遅くなってしまった。私はタリス・エメラルダ・リスティール・ファラトン」
「ごめんなさい」
「なぜ謝る?」
「ここは、ラウティファータ王のお庭で」
そこで練習していたことに、心苦しくなったのだろう。
俯いてしまった。

「気にすることなどない。ここは確かに母様の庭ではあるけれど、使ってもらったほうが庭も喜ぶ」
特に父を失ってからは、庭は沈黙に浸っている。

「人のいない庭は、寂しすぎるだろう」

侍女の足音が近づいてきた。



「気付かれてしまったね」
「わたし、お仕事の合間に来てしまったので」
声を落としたが、完全に場所を知られてしまった。

「ラフィエルタ?」
声がすぐ間近に迫る。

「あの、タリスさま」
不安そうに見つめる瞳を温かく見下ろす。

「いいんだよ、行っても」
後ろを伺う小さな彼女に、救いの手を差し出した。

「ラフィエルタ、いるのでしょう?」
「はい、こちらに」
「あちらの手が足らないの、手伝って」
侍女が目を見開いた。
同時に、開いた口も目と同様に丸くしたまま停止している。
その彼女の表情。
タリスは、思わず笑い出してしまいそうで、恐らく頬が引きつっていただろう。

「タリス様!」
「すまない。私が引き止めていたんだ」
「いえ、私の方こそ、お邪魔をしてしまい」
「ラフィエルタを叱らないでやってくれるかな」
「叱るだなど、とんでもないですわ」
「仕事なのだろう?」
「ええ、ですが、ラフィエルタに何かおありでしたら」
「いいんだ。私が通りかかっただけだから」
侍女は納得し、タリスに一礼するとラフィエルタを伴って去っていく。
後ろ髪を引かれ、振り向いたラフィエルタにタリスは叫んだ。

「ラフィエルタ、私の側に来る気はないか」






「そうして手に入れたのか?」
「ああ、その場で攫って逃げたい気持ちを押さえ込んだ努力を評価して欲しいところだ」
得意気に、酒杯を目の前でまわした。

「船に名をつけたのはそれからしばらく経ってから」
正式にラフィエルタをタリスの下へ迎え入れて後、一族の前で舞を披露させた。

「庭で貰い損ねた一章分を、確かにいただいた」
その舞を見て、タリスはラフィエルタを製造中の船の名に置き換えた。
見ていたファラトネス王とその娘たちは皆、感嘆した。
それほどに、ラフィエルタの舞は素晴らしかった。



一人の侍女が小走りにやってきて、フェリウスに耳打ちした。
彼女は隣にいた母親にそれを伝える。

レンがタリスの下へやってきて呟いた。

「エストラ様がご到着されたそうです。間もなくこの広間に」
扉が開く音と慌しい足音が、大扉の辺りを賑わせた。

「いらっしゃったようですね」
四ヶ月と半分以上経つ、子を宿した胎に手を沿え、エストラが母親の元へ真っ直ぐに向った。
気の強さが出ている、はっきりした目鼻立ち。
颯爽と歩く姿は、見惚れるほど美しい。
リヒテルの王が止める手を振り払ってまで飛び出してきたそれも、彼女を目の前にして納得できる。
姉妹の中でも、タリスが最も恐れる存在だった。


「お久しぶりです、母様」
「元気そうでよかったわ」
「本当にごめんなさいね、宴の場を割るようなことをしてしまって」
並んだ妹たちを見回して、すまなそうに眉を寄せた。

「お姉様、いろいろとありがとうございます」
フェリウスに頭を下げた。
王座から離れることなく、母を支え、国を支えている。

「まだまだ、至らないことばかりだ。エストラ、こちらへ」
母と長女の間に席を設けた。
離れていた間の話を聞かなければ。
それに胎の子の話も聞きたい。

「そちらは、ラナーンとアレスね」
前にあったときは、母になる前のエストラだった。
今は、独特の穏やかな空気をまとうようになっている。
リヒテル王の子を宿し、夫である国王にも愛情を注がれているのだろう。

「いろいろと事情はあるのでしょうけれど、今夜はこの場を楽しみましょう」


エストラが果汁の注がれた杯を持ち上げた。
それぞれの幸いといまここにある祝福を祈り、感謝して酒杯を煽った。


「さて、エストラ姉様。私の自慢の舞姫をご覧頂かなければね」
タリスが酒杯を置いた。
音楽が、さざ波のように場に流れ込んだ。











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