Silent History 33





広間の端から、水面を走るように軽やかに駆け込んできた。
中央まで到達し、前後に開脚したまま高く跳躍する。
そして、音もなく着地。

音楽が一瞬止まる。
少女の動きも、静止する。

片足でバランスを取りながら、両手に携えた薄絹だけが、はらはら舞い降りる。



再び音楽が始まった。
髪飾りに埋め込まれた宝玉が、灯りを受けて鮮やかに紅を発し、動くたびに装飾の金がきらめく。
背に、羽でも生えているのではないかと思わせるほど、軽やかに苦もなく高く舞い上がっては、地に戻る。
裾の長い衣装は彼女の軌跡を追う。


音楽に合わせているのか。
彼女の動きに音がついて来るのか。
その差が見えないほど同調している。

水平に繰り出される手先は、鋭く空を裂く。
まさに、烈風。
彼女が舞う姿は、風の神が憑いたかのように宴の間を縦横無尽に駆け抜ける。





「さっきとはまるで違う」
黒い目はラフィエルタを追いながら、ラナーンは掠れた声を漏らした。

「顔、表情も。あんな」
まるえ別人のようだ。
踊ることを、音との戯れを心から楽しんでいる。
音に合わせ、ときに競い合う。
音に呑まれぬよう、また独走してしまわぬよう。
その糸を渡るような均衡を、楽しんでいる。

ラフィエルタが回る。
幼い手足はどこにいった。
目の前に踊るのは、風に身を任せた女神だった。

ラフィエルタの心は限りなく透明だ。
澄み切った目は、今や観客たちではなく虚空を彷徨う風を追っている。

着慣れず、重荷としかなってなかった装飾品も今は、ラフィエルタの神がかった舞を引き立てている。
性別も、年齢も。
あらゆる垣根を飛び越えた、すべてにおいて中性的な少女は、物怖じという言葉も追いやって力強く足を伸ばす。





幾重にも重ねられた女声音が最大音量まで達したとき、凛とした鈴のような音が鳴った。
長い杖を手にした、シエラティータが立ち上がっているのが、ラナーンの視界に入った。

彼女の背丈ほどにも長い杖を、体の横で床に突きたてている。
杖の頭部には金環が六つ付いており、振るうたびに揺れる。

前を見据えたシエラティータが、両手で杖を持ち直すと、細い杖をかざした。
杖を巧みに操り、音楽の指揮を取る。

ラフィエルタのペースに乗せられかけた音の分散が、急に引き締まる。
勢いを取り戻した弦や声楽に、ラフィエルタも触発され、心地良さそうに広間を跳ねる。

水平に持ち上げられる爪先にまで、舞踏の神が浸透している。
ここまで完全に己を消し、同化できる舞姫は、他にいない。
ラフィエルタ同様に技を磨いている、舞姫たちは達せない域に、言葉を呑む。
またラフィエルタの舞を目の前にした観客は揃って、口を開けたまま賛美の目で彼女を追う。

幼い少女が、魅惑的に舞う。
音の波に酔い、舞踏の神が魅せる夢と現の狭間を見ている。
音に合わせ、軽い着地音がリズムを刻む。




シエラティータが杖の小環を鳴らせた。
滑るように地面を流れた足先が、ぴたりと止まる。

静止したラフィエルタの指先から、余韻のように薄絹が流れ落ちる。
音も、消えた。

静寂が広間を満たす。
ラフィエルタの舞に固められた人々は口を閉ざしたまま虚空を見つめている。





どこからともなく、拍手と歓声が漏れ始めると、ようやく皆が我に返り、ため息とともに声を高くラフィエルタに賞賛の言葉を投げかけた。


夢が覚めたかのような顔つきで、ラフィエルタは観客たちを見回した。
その後ろで、歌姫の一人がラフィエルタに歩み寄り、そっと耳打ちする。
驚いた顔つきで歌姫から顔を反らし、再び観客に目を向けると、真っ赤な顔で慌てて頭を深く下げた。
恥ずかしげに長い袖で、赤らめた顔半分を覆う、年相応の仕草を取り戻したラフィエルタに、あちらこちらから小さな笑い声が沸き立った。


「あれが、超高速艇」
「分かっただろう? 私はあれに魅せられた」
烈火。
炎を振りまいて踊る、猛々しくも優雅な舞は、神に憑かれている。

「幾重の宝玉の首飾りで飾ろうとも、真っ赤な玉の埋まった髪飾りを与えようとも、ラフィエルタの舞が魅せる力には到底及ばない」
タリスはゆっくりと熱い息を吐き、柔らかい座椅子に身を沈めた。

「あの顔は、すでにこの世を見ていなかった。さっきの小さな女の子と同一人物だとは思えない」
誰しも、もう一人の自分を抱えていると、タリスが言った。
その言葉が今、活きている。

「あれも、紛れもなくラフィエルタだ。舞うことによって、燃え盛る炎のようなあの子の感情が、解き放たれる」
煌く瞬間。
一瞬にして燃え上がる炎と火花。
美しくはないか。

「ラフィエルタの名をあの船に沿わせたのも、理解できただろう」
「ああ、分かったよ。小さな花の、生きようとする強い力も」
未だ、ラナーンの中に燻る熱は引かない。



余分なものなど何もない。
洗練された、細長いシルエット。
風を切り、波を裂いて駆け抜ける堂々たる姿。
ファラトネス随一の高速艇だ。
ラフィエルタ、その名に恥じない。



「タリスさま」
甲高い声に、タリスが振り向いた。
腰を浮かし、目の前に置いてあった低い台に手にしたばかりの酒杯を置く。

「お疲れ様」
左手を広げ、招き入れた。
転がり込むように、タリスの前にラフィエルタが座り込んだ。

「素晴らしかった。緊張していたから、踊りまで固くなってしまったらと少し心配してしまったが、うまく踊れたね」
「ありがとうございます」
紅を差したように仄かに紅い頬が、笑うと柔らかく持ち上がった。

「緊張は、していました。でも音楽が始まると、それも忘れてしまいました」
小さな悪戯をした子どものように、首をかしげて告白するラフィエルタの肩を、タリスは手のひらで包み込んだ。
まだ本当に幼い、子どもなのだ。

「才能って、いうのかな」
ラナーンが、ラフィエルタの横顔を見ながら呟いた。

「いいえ。わたしよりも上手に踊れる方はいらっしゃいます。学ぶことはまだまだ。でもわたし、踊りが好きという気持ちは、誰にも負けない」
「それが、きみの踊りの素晴らしさなんだね」
ラナーンは、身を乗り出した。
頭に被っていた薄絹が、肩に滑り落ちる。

「踊りが好きだという気持ちが、みんなに伝わったんだ。おれも、受け取ったよ」
濡れたように黒い髪、夜闇の瞳。
ラフィエルタは、その姿に釘付けになった。
返事も忘れてしまうほどに。
目に染み入るような、黒の瞳をラフィエルタは今まで見たことがなかった。

ラナーンは振り向くと、そこにはアレスがいた。
大きな手でアレスが、ラナーンの肩に落ちたヴェールを頭に被せなおすと、無言で頷いた。

「タリスの目に適うだけの、いやそれ以上の舞だった。ありがとう」
「いえ、こちらこそ。まだまだ勉強が足らなくて」
アレスが珍しくも、他人を褒めている。
その姿に、少しばかりラナーンは驚いた。
しばらく、穴が開くほどアレスの横顔を凝視していた。
我に返ると、ラナーンは頭の上に戻った絹を手で押さえながら、ラフィエルタへ向き直った。



「タリスの舞姫になるのか?」
王族の中でも、地位も権力も他を凌ぐほどのタリス付きの舞姫。
誰もが羨む、これ以上ないほどの名誉と地位だ。

「なるつもりはありません。わたし、お家を手伝わなければいけませんし」
穀物屋を営む実家は、ファラトネスの街にある。
両親は元気だが、妹はまだ小さい。
ラフィエルタが家事や妹の世話をしながら、ファラトネスの城にも通っている。
常にタリスに付き従い、城に住み、一日中技を磨くことはできない。

「踊りは好きです。タリスさまのお側に、ずっとはいられませんが、できるのであれば」
ファラトネス式の最敬礼でタリスに頭を下げる。

「今までのように、このお城で躍らせていただけたら。技を磨いていけたら、うれしく思います」
踊りは好き、だが家族は置いていけない。
そうはっきりと言い切れる素直さと、決断力にもタリスは惚れ込んでいる。

「それはこちらの話。いつまでもいて欲しい。この城が、嫌でなければ」
「とんでもないです! いやだなんて、そんなこと」
「ありがとう」
タリスは、ラフィエルタの後頭部に手を乗せて、そっと顔を上げさせた。

「夜も更けるよ。あちらに食事を用意してある。歌姫たちと一緒に食べておいで」
振り向くと、食事を前にして手を休めている先ほどの歌姫たちが手を上げていた。
タリスに向き直って、下から見上げた。

「ほら、お腹が空いただろう。いっぱい食べたら、ゆっくりと宴を楽しんで。眠くなったら、城の者に家まで送らせよう。お家の人と一緒にね」
ラフィエルタの目が、見開かれた。

「お家の、人」
復唱して、理解できた。
周囲を見回す。
いない。
二度目に細部まで見回したら、広間の隅のほうに、小さな妹の手を握っている母親の姿が目に入った。
その隣には、ラフィエルタの父がいる。
歌姫たちの席から、少し離れた場所で人込みの陰に隠れるように佇んでいた。

「せっかくの晴れ舞台だ。一番見てもらいたいだろう」
「タリスさま」
「さあ」
「ありがとうございます」
ラフィエルタは勢いよく立ち上がると、両親の元へ人込みを避けつつ走り抜けていった。




小さな背中を眺めながら、タリスは腰を曲げ、新たに注がれた酒を手に取った。
隣のラナーンの分も手渡してから、小さくなっていくラフィエルタの背中に目を向けた。

鼻から小さく笑うと、目を細めて呟いた。

「嫁にはやらないからな」
酒豪のタリスも、仄かに目元に赤みが差している。

「あれはまだ小さい」
「取らないよ。タリスがラフィエルタを離さないだろう」
笑った口元のまま、タリスは酒に唇を濡らす。

「ずっと、このままならばいいのにな」
目を半ば伏せて、酒杯の中で揺らぐ真っ赤な水面に顔を映した。

「このまま、変わらなければいいのに」
願っても、止まらない。
時の流れは、残酷なものだ。

「タリス。どうかしたのか」
いつもの明朗さに陰がかかっている。
酒が入り、より明るく闊達になるのがいつものタリスだ。

「北の動きが気にかかる」
「大陸、か」
「二大勢力の存在は知っているだろう」
保守と改革。
どこにでもある勢力の拮抗。

「それに、緩やかで微細な変化が見られる」
ここに来て、揺らぐ政治の流れ。

「国を守るため。その理念のために、削られ散っていく命。私たちもまた、その渦に巻き込まれていくような気がするんだ」
「だけど、ファラトネスやデュラーンの国際的な立場は、あくまで中立を貫いている」
支配しもしない、されもしない。
大陸にとっても射程範囲外のはずだ。
少なくとも、現段階では。

「すまない。もう、やめよう。酒の席でこのような話は、良くなかった」
タリスはまだ残る酒杯を、侍女に下げさせた。
すでに目の前に並んでいた料理に、手を付ける。



「見てくるよ」
手を動かしていたタリスの動きが止まった。
目だけをラナーンに向ける。
彼の瞳は、再び始まった歌姫たちの舞台を眺めている。

「大陸や、神さまの国をね」
タリスに向け、ラナーンが微笑した。

「タリスはタリスのやるべきことをしなくてはいけない。タリスのいるべき場所で」
ファラトネス王にして、偉大なる母ラウティファータ王。
タリスの姉にあたる、王の姫君たち。
タリスを慕う、侍女たち。
獣(ビースト)でタリスの友人のイーヴァー。
そして何よりも大切な側近、レン。

皆が、このファラトネス王国にいる。
それが、タリスのいる場所だ。

「分かってる。どれもが、かけがえのないものばかりだ」






宴も盛りに入っている。
夜は長い。
酒も尽きない。
タリスは満面の笑みで、酒杯を高々と掲げた。











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