Silent History 30





長く形のいい脚が、広間を横切る。
ファラトネスの絹が動くたびに柔らかく、舞う。

薄絹を透して見えるシルエットは、腕のいい彫刻師に彫らせた芸術作品のように優美だ。

長い手が、両開きの大窓を押し開ける。
硝子で明度を落とされていた光が、本来の力を取り戻す。

眩しい、白く、浄化する光。
月光。


すくい取るように、タリスはゆっくりと両手を広げた。






金の髪が、光に融ける。
清められた風を胸に深く容れる。
長い睫毛に縁取られた、大きな瞳を瞑った。




「いい月だ」




宴にはまだ少し早い。
半円形のテラスに踏み出し、踊るように体を反転させると白い手すりに凭れ掛かった。
首を反らし、月光の飛沫を浴びる。

「レン」
露になった白い腕が、その先の手のひらがレンを誘う。
招きに応じ、レンが手を取りタリスに身を寄せた。


「エストラ姉様は、今どのあたりを浮いているんだ」
「五分ほど前の連絡によりますと、あと一時間半ほどで到着すると」
「迎えは?」
「既に港へ」
「仕事が早いな」
「最高の褒め言葉です」
この上なく幸せそうに、レンが微笑んだ。

手すりに寄り掛かる彼らの目の前で、人が忙しなく動いている。
後一時間もすれば準備は整うはずだ。

タリスが共同生活を送る、獣(ビースト)のイーヴァーは広間の中にいた。
宴の準備の邪魔にならない端の方で、静かにうずくまり忙しない人間たちを眺めていた。




「思えば、私は」
彼女は、月光を浴びるファラトネス城を見上げている。
テラスから垂直に伸びる高い外壁は、白く輝き眩しいほどだ。

「イーヴァーのことを何も知らない」

青白い満月、イーヴァーの銀毛、ファラトネス・ホワイトの城壁、そしてタリスの腕。
白が白を浄化する。
幻想的な光景だ。
すべてが輝くばかりの個性を放ちながら、統一されている。
レンは、心地よく耳に響くタリスの声を聞いていた。


「ついてきた、だから城へ置いた。それだけだ」
「それ以上に何が必要です」
研究している学者より、タリスのほうがイーヴァーを知っているではないか。

「イーヴァーはあなたを含め、我々に危害を与えるつもりはない」
それは十分にタリスも理解しているはずだ。

「獣(ビースト)は人間を傷つけるもの、相容れないもの、理解できないもの」
だから嫌われるもの。
怖れられるもの。

「だとしたら、私たちはどうだというのです。互いに理解し合えているでしょうか。誰かを傷つけることなく、血を流させることなく」
殺しあうことなどせずに。

「人間も、獣(ビースト)も同じだと、レンはそう思うのか」
「まったく同じとは言いません。人間にもあるように言葉の壁は厚く阻む」
「厚いが故に、理解し合える心と心の間も開くか」
「理解し合えぬ、人間と獣(ビースト)。私にはそうは思えないのです」
側でタリスとイーヴァーを見ていたら。

「獣(ビースト)は人ほどに聡明な生き物です。思う何かがあるように思えるのです」
「何か、ね」
首を反らしていたタリスが、顎を引いた。
細く気の強さを表す眉が、引き締まっている。

「ラナーンとアレスが探す、何か。どこから来たのか、なぜ来たのか、何のために。それに繋がると思うか、レン」
「繋がるのかどうか、それを探るにもまだ情報が少なすぎるのが現状です」
なるほどな。
タリスは目を伏せた。
月がタリスの緩やかに弧を描く背中を照らす。
その背に、長く垂れた髪が降りかかっている。
白く光り、晴れた日の平野を流れる川面のように、一房一房が光り輝く。




「二人の準備はどうだろう。しばらくしたらエメルとフォーネを迎えに行かせよう」
「お迎えでしたら、私が」
「レン、気付かなかったのか?」
「何がです」
「エメルとフォーネの視線を見ればすぐに知れるというのに」
レンを横目で見ながら、呆れたようにタリスがため息をつく。

「限られた滞在期間だ。せめてもと思うだろう。それが私の、彼女たちに対する愛情だよ」
「言っている意味が、よくわかりません。謎掛けでもしようと言うのですか」
「レンの処理装置は、少々偏りがあるようだな」
腕を持ち上げ、レンの額を指で弾いた。

「気にするな。何でも完璧であるほうが、逆に恐ろしい」
タリスが広間の方へ目を向ける。
果物が運ばれ、ファラトネス特有のクッションが広間壁際に設置される。
ファラトネスホワイトが堆く重ねられ、装飾品で飾られているのが、ファラトネス王ラフィエルタの席だ。
体を横たえられるよう、広く敷かれている。

その周囲に王の姫君たちが腰を落ち着けられるよう、同じく優しい白のクッションが置かれている。
厚く柔らかな絨毯の上には王族に仕える侍女たちが、動きやすいよう広くスペースを取っている。
座は、ほとんどできあがっていた。




「イーヴァー」
彫刻が施されたテラスの手すりから腰を浮かせた。
今にも踊りだしそうな軽い足取りで、広間とテラスの境界を跨ぐ。
宴の場に足を踏み入れたタリスに、イーヴァーが駆け寄って、鼻先をタリスの脚に摺り寄せた。
その顔をすくい取るように、タリスがイーヴァーを抱きしめた。
柔らかい銀毛の感触を頬で堪能する。

「お前、ふわふわだ」
細く艶やかな毛は、毛先が整えられ櫛を入れられ、空気を含んで頬を優しく包み込む。
宴の前だ。
いつもより念入りに、整えられていた。

「あ、レイラ」
王族の並びに、イーヴァーの席を用意していた侍女にタリスが手招きした。
視界の端にそれを認めた、イーヴァー付きの侍女レイラがタリスの元へ馳せる。

「ありがとうな」
イーヴァーの滑らかな毛並みを手で梳きながら、赤面しているレイラの功を労う。

「いえ、あの。実は、共同作品なんですの」
恐縮頻りのレイラに、タリスは首を振る。

「レイラも、綺麗にしてくれた。イーヴァーも喜んでいると思う」
言葉が通じるはずもないが、イーヴァーは満足そうに目を細める。

「ネーラにもお声を掛けてくださいませ。イーヴァーの仕上げを手伝っていただきました」
「へぇ、さすが髪結いなだけあるな」
レイラの口から出たネーラは、城内で数人いる髪結いたちの一人だ。

「先ほど、シエラティータ様のお部屋へ向っておりました」
「ならば、ネーラを攫ってこよう。私の髪も結ってもらう」
「私が連れて参りましょうか」
「いいよ、シエラ姉様にご自分の用意をしていただくよう見張っておかなければ」
放っておいたら、身支度をしないまま宴の手配の指揮を執るに決まっている。

「レイラ、イーヴァーを頼んだよ」
銀の獣(ビースト)から手を離し、後ろ手に手を振りながら活気付いている広間を闊歩していった。






「レン? あなたはいいの?」
シエラティータの私室へ向って歩き出したタリスを見送り、レンはその場に留まった。

「指揮官代理として、私がここで棒を振ろう」
「ラフィエルタにお声が掛かったそうね」
「早いな」
情報が。
平素、噂ごとなどには淡白な侍女たちだった。
レイラ曰く、その彼女たちの端まで話は伝わっているという。
まだ、半日も経っていない。


「あの子自身より、周りが騒いでいてよ」
「そうなのか」
「アルスメラ姫監修で、着付けに装飾」
「いきなり呼び出されたと思えば、側使いに寄って集って飾り立てられ」
「本人が一番状況を理解できていないのでしょうね」
大きな目をきょろきょろさせて何事かと、かの舞姫の頭の中は大混乱のはずだ。

「見てみたいな」
小動物のような、ラフィエルタ。
その名を受けた超高速艇と並べてみて、誰しも驚く。

「あらあら、そんなこと言って。タリス様の嫉妬に火を点けるわよ」
「そうだったな。ラフィエルタは姫君のお気に入りの舞姫だ」
「どちらともに」
「レイラ?」
「タリス様の執着心は、何よりも深く熱いという話よ」
「女たちの話というのは、見えにくく分かりにくいな」
「一括りにしないで欲しいわ」
ちゃんと理解してくれる男性もいてよ、とレイラはレンを横目で見上げた。

「タリス様のご寵愛を受けているのは誰? 近くに居過ぎて見失ってなくって? レン、あなたの目はまだくすんでいないはずでしょう?」
先を見通すことのできる目。
だからこそファラトネスの末娘は彼を自分の補佐に選んだ。
国を動かす力になると、見込んだ。
その選択は、間違ってはいない。

「なのに、一番近い場所が一番見えていないようね」
「目はしっかりと開いているさ」
「でも見ていなければ、見えていないのと同じだわ」
捕まえておかないと、逃げてしまってよ。
言い聞かせるように、レンを見据えた。

レイラはその場に伏せていたイーヴァーを招きよせた。
立ち上がったイーヴァーを伴って、別室に移動する。

「ラフィエルタはまだ、髪結いを側に置いているわね」
ふと立ち止まり、レイラはレンを振り返る。

恐らく、三女のアルスメラが呼び寄せたのだろう。
髪結いが道具を片手に、廊下を急いでいる後姿を見かけた。
そちらは、アルスメラに任せておいて大丈夫だ。

「エメルとフォーネはお客様のお迎えに向わせるのでしょう。レン、タリス様をお迎えに上がりなさいな」
言いたいことを言い切ったレイラは、イーヴァーを連れて宴の間を去った。
宴の参加者であるイーヴァーも身支度の時間が来た。
イーヴァーは大人しく、レイラの側から離れず歩いて行った。











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