Silent History 25





長く垂れる裾が、乾いた風に翻る。

目深に被った面紗は、晴れやかな空の下、行き交う人の波の中で異質だった。
目を細かく織りこんだ布地は、西方ファラトネス独特の織り方だ。
中でもこの布地がファラトネス国内の織物でも最上級品だということは、多少目の肥えたものなら、すぐさま見抜ける。

城門に二時間前から立ったままの衛兵が、浮きだった二人を目にしても、眉を潜めな
かったのは、その身形に納得したからだ。

城に招かれたが、事情により素顔を明かせない貴人。
衛兵が二人に目をやりながら描いた図は、そのようなものだ。
客人好きのファラトネス王室では、よくあるケースである。

その推測も、半分は誤りで、半分は嘘ではないわけだが。



「正面突破とは、大胆だな」
背の高い貴人が、長い指を顔に垂れる布にかけた。

「まだ取らないでください。いいと言うまでは」
注意され、芝居がかった動きで布から指を離し、両手を広げた。

「隠し通路だとか、地下水路だとかで潜入するのかと思ってた」
「それで巡回兵に発見されたら、私には言い訳の仕様がありません」
確かに、堂々と正面入場のほうが、リスクは低い。
何より、二人の前には最強の「通行証」がいるのだから。








旅路で薄汚れた上着を脱ぎ捨て、ファラトネスの衣で包まれた。
幾重にも重ねた布の下に、無骨な剣も隠れてしまう。

ラナーンはアレスを覗き見た。
黙って立っていればまだ見れた顔だと、タリスは評したことがある。
決して華やかな衣装ではなかったが、軽い薄布の下の顔は整っていて、武人らしく背筋は伸び、上背もある。
嫌でも目を引いた。
隠せないのなら、目立たせればいい。

レンの手で、旅人は貴賓へと姿を変えた。

「もう少しですから。我慢してくださいね、ラナーン様」
朝、レンがアレスとラナーンを迎えに来て、ファラトネスの衣装を着せられた。
衣類と荷物はレンが従えていた兵に委ねると、嫌がるアレスに長い面紗を被せた。

ラナーンは黒髪を隠すために。
アレスは城内で知られた顔を隠すために。




賑やかを好み、宴を愛す。
ファラトネスとは、そういう国だ。
産出される、溢れるばかりの宝玉で彩られ、隣国デュラーンから彫刻師を招き、自慢の彫刻で石を際立たせる。

酒席には、ファラトネスの紗と美姫が舞う。
タリスは、舞妓たちを控えさせ、歌に酔う。
その間も、レンはタリスの側を離れない。
タリスがレンを離そうとはしない。

心の深いところで繋がっている。
互いを尊重し、敬愛している。
唯一タリスを諌めることができるのも、恐らくレンだけだろう。

ファラトネスで特別な場所にいる、レン。
その後ろに、素性の知れぬ貴人らしき二人を伴っていたとしても、誰も特別に注意を向けはしない。


「タリスは?」
謎の客人を伴っているレンを呼び止める者は、いない。
ただ一人、レンの主を除いて。

タリスは、暇さえあれば私室を飛び出し、城内や市街を視察という名目で散歩に出たがる。
城内の空気が引き締まり、またタリス自身城内外の現状を知るいい機会ではある。
だが今回ばかりは、そのタリスにここで見つかりたくない。


非公式で来ている。
ラナーンはタリスの顔を見て話をして、すぐにファラトネスを去るつもりだった。
長居をしていれば、すぐにデュラーンの耳に入る。
黙って行方を眩ますのは嫌だが、タリスの迷惑にはなりたくはない。
わがままだと分かってはいても、幼馴染に会ってから去りたかった。
人目に晒されることなく、タリスだけに会いたかった。


「タリス様は執務室です。後半時間もしない内に一端休憩に入られるでしょう」
「じゃあ、そのときに?」
「ええ」
レンが柔らかく笑う。

廊下と廊下を繋ぐ扉を抜けるたびに、人数は減っていく。
周囲を警戒しているラナーンの緊張も軽減されていくはずだが、面紗の下、体は硬い。
ラナーンの緊張を察してか、レンが歩調を緩めラナーンに穏やかな目を向ける。

「こちらに来られるのは初めてでしたね」
「あ、うん。いつもは、行政宮じゃなくて」
奥の宮と呼ばれる、行政宮の、文字通り奥に位置する建物だ。
玉座を始め、宴の間や寝所などが広がる。

「執務中のタリス様をご覧になれず、残念です」
「そういえば、一度も見たことない。アレスも、だよな」
面紗越しに、アレスを斜めに見上げる。

「部屋に踏み込んだ瞬間、邪魔するなと、本が飛んできそうだが」
「確かに。もしくは、入った以上手伝っていけって容赦なく引きずり込まれる」
どちらも外れではない。

「とても凛々しくていらっしゃいます。私も、見習わなければ」
「見習わなくていい、見習わなくていい」
アレスが首を振った。
タリス二号ができる様子を想像してしまって、身震いする。

「城を崩壊させたいのか」
「アレスが言いたいのはね、レンは抑止力なんだ」
「抑止力、ですか」
発想が豊かで柔軟なタリス。
それを現実にできるだけの、知力と財力と権力を持ち合わせている。
タリスの力を評価しているファラトネスは、タリスの行動を止められない。
ただ一人、すぐ側でタリスを支え、慈しむレンだけはタリスを優しく宥めることができる。

力を押さえつけるのではない。
タリスの望む道へ、なるべく沿うように、また周囲の意見や感情も損なわないように調整していく。

それが、レンの力だ。
そして、タリスが最も信頼を置く人間にしか勤まらない役目だ。



華やかに舞い唄う美姫はいる。
望めばいくらでも手に入る。
だが、レンだけは違う。
レンの代わりなど、誰にもできはしない。

誰も、羨むことすらできない。
近く、そして余りに遠い存在。
特別な場所に、レンはいる。




白の絨毯は、ファラトネス色に。
壁の上部、帯となって彫られた彫刻はデュラーン彫刻風に。
際立った装飾は見られないが、細部に施された細工はどれを取っても見事だ。
装飾芸術の国デュラーンで育ち、各国を巡ってさまざまな芸術品を見てきた、アレスの確かな目も唸らせる。

行政宮の、中でもタリス管轄のこの区画はすべて、タリスの趣味で飾られている。
奥の宮にある、装飾品華やかな自室とは雰囲気が正反対の造りになっていた。

レンが言った、執務中のタリスの姿は誇張ではないことを裏付ける。
公私をさせない十分な分別、立場が与える影響力の認識を持ち合わせているのだ。
柔軟かつ瞬発力に富んだ発想力と同時に。




落ち着いた内装の廊下の奥には、重厚な扉が口を閉ざしている。
一本の大木を彫り抜いて作られた、両開きの扉だ。

ラナーンはレンから、行政宮の外観と内装について説明を受けたかったが、扉は数歩前に迫っていた。

「これより先が、執務室になります」
扉の前で一呼吸置いて、レンが扉に手を掛けた。




ラナーンの想像した、硬質なイメージは一掃された。
扉の向こうは、光に溢れている。
天井を白い桟を格子状に掛け、ガラス張りにしていた。

柔らかい、乳白色の光が広間に降り注いでいる。
左右対称の造りだ。
左右両端には、大階段が緩やかな傾斜でラナーンたちの入り口へ向かって伸びている。
薄茶の欄の後ろに広がる階上には、扉が二つ離れて並んでいた。
階段の中央にある扉を、レンが視線で示した。

「目の前の扉の奥が、タリス様の執務室。両手を広げても余る巨大な机があります」
だが、それも今は閉ざされていて見えない。

「階上の扉が休憩室で、タリス様は」




「レン」




晴天、鳶が声を上げるように透き通った声が、広間を突き抜けた。


後方に佇む二人に、レンは黙ったまま微笑みかけ、階上を見上げる。

欄に片手を掛け、背は鉄を入れたかのように真っ直ぐだった。
布地を豊かに使った衣装は、体を動かさずとも柔らかに揺れるように軽い。

「タリス様、お邪魔して申し訳ありませんが」
「休憩中だ、障ることなど何もない。客人か?」
それ以前に、レンだけは執務中であっても許可なしに部屋に通ることを許されている。

「ああ、先日話していたレンが言っていたな。その、古い友人か」
レンは、肯定の笑みを浮かべていた。

「いいですよ、ラナーン様、アレス」
目だけ振り返って、レンが囁いて合図を送る。
二人の指が面紗に掛かり、衣擦れの音とともに顔が明らかになる。


「レン、まさか」


目をこれ以上ないほど見開き、ここ数年見たこともないような動揺の表情でラナーンたちを凝視していた。
そのまま飛び降りるのではないかというほど、欄干へ身を乗り出している。

紗の下から、隠れていたラナーンの黒髪がこぼれ出る。
目はタリスを恥らうように避け、伏せられてはいたが、タリスが見紛うはずはない。
隣に控える、長身の従者も目に染み付いた鋭い目で真っ直ぐタリスを射ている。


声を上げる間もなく、タリスは長い脚で駆け出した。
レンの手が、優しくラナーンの背を押し出した。
タリスの驚きように、ラナーンの方が掛ける声も失っていた。
初めて歩くことを知った人間のように、ゆっくりと広間の中央へ進み出る。


幅の広い階段を、まさに飛び越えるように下り、真っ直ぐに三人へ向かってきた。
裾ははためき、後ろへ尾を引いて踊る。


「ラナーン!」


数歩手前で床を蹴って、広げた両手のままタリスはラナーンに飛びついた。
肩に掛かっていた面紗は床へ滑り落ちる。

「タリス!」

「ああ、信じられない。どうしてファラトネスに?」
矢継ぎ早に浴びせられる質問の波に、ラナーンは一つとして返す間を与えられない。

「どうして黙っていた? 先触れがないということは、アレスと二人で? 聞きたいことがいっぱいだ」
抱きしめられ、苦しい反面、全身で歓迎してくれて嬉しかった。


「こんな不意打ち!」
興奮はタリスの体から引かない。
ラナーンの両腕を掴みながら、このままでは話もできないと、とりあえず熱い抱擁は諦めることにした。

「おれも、タリスに会えて嬉しい」
「もっと早く会いに行きたかった。こっちから」
「もう一ヶ月もすれば会えるって、前に言ってたから」
「そうだ。今、手をつけている仕事も数日内で終わる。そうしたら」
タリスがラナーンの頬に手を当てた。

「痩せた、か?」
繊細な指先で、滑らかなラナーンの肌をなぞる。

「でも元気だよ」
「そう、か」
勢いよく、タリスはレンへ振り返った。

「奥の宮へ戻る」
「承知しました」
「母上と姉上たちにだけ報告を。何か、事情があるのだろう?」
タリスの翡翠の目が、不安げにラナーンを見つめる。

「タリス。ありがとう」
タリスは、艶やかな紅い唇を横に引いた。

「デュラーンとファラトネスの繋がり以上に、私とラナーンの繋がりは深い」
ラナーンの腕を慰めるように叩く。

「王女としての私でなく、私が私として、ラナーンの助けになれるだろう」
愛しそうに細められたタリスの目に、ラナーンは幾分救われたか知れない。

「その言葉が、何よりの救いだよ」











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