Ventus  196










小柄な人影が消えた入口に、注意深く接近する。
屋内から察知されないよう、砂粒を足裏が押す音に注意を払う。
軒の下まで忍び寄り、軽く浅く息を吐いていく。
壁に張り付いて背中の裏側を聴覚センサーを最大限に気配を探った。
壁の裏で身じろぎする音、動き回る気配。
しばらくしてから、こもったような声がした。
小さい影が発したものにしてはかすれ、少し低い声音だった。
上擦るような高い声が、壁を抜けるようにクレイの耳に届いた。
気持ちの良い、鈴の鳴るような音だ。
老人と、子供。
砂に埋もれ、砂に融けたこの街に、調べた限り二人きりの人間。
家で、生活を営んでさえいる。
さてどうしたものかと、クレイは軒を仰いだ。
土の瓦が重なり、所々にヒビが入り、割れ落ちたものは壁際に?き集められ置いてある。
一通り見たが、この住居が一番荒廃が少ないように思えた。
人が居なくなった街や住居は、途端朽ちていく。
それを目の前で感じた。

老人と子供は、水を汲んできた話から野草を収穫してきた話に移る。
こんな乾いた土地にも食べられる草があるのかと軽く驚いた。

しかし、この動けぬ状況を打破したい。
聞き耳を立てて得られた情報はわずかで、このままでは日が暮れる。
何よりクレイは忍耐強い方ではない。
突入せよとあればいくらでも斬りこむが、ここはそうした場面ではない。
とにかく話を聴き情報入手だが、それには傾聴力と対話力が必要だ。
クレイのあまり得意とするところではない。
黙り込んだまま、中の人間構成と会話の内容を同行しているリヴへの通信に乗せる。
程なく、位置情報を頼りにリヴが姿を現した。
ここに来るまで足を動かしながら、どう切り込むかシミュレートしていたのだろう。
中に板でも入れているかのように伸びた背中。
足は地の上を滑らせ素早くクレイとの距離を詰める。
砂塵に呑まれ、砂を塗されたこの街で、どのような歩き方をすればリヴのように砂粒をつぶす音を立てずに歩けるのか。
思考が目標物からずれたクレイを見透かして、リヴが集中を促す。
リヴは数秒ほど、背にした壁越しの様子を窺ったのち、鼻からゆっくり細く息を吐いたかと思えばおもむろに踏み込んだ。
まるでそこにあった椅子から立ち上がるような自然な動きだ。
あまりに不自然さがなかったので、クレイは茫然と遠のくリヴの背中を見送った。

「ここにまだ住人が残っていたとは驚きました」
リヴの声は低いが良く通る。
ディグダの訛りを抑えて、ソルジス訛りに寄せた。

「調査官です。この国の内情を調査しに」
落ち着き、意図的に温かみすら添加したリヴの口調にクレイは壁のこちら側で驚いた。
氷というよりも、冷凍庫に投げ込んだ金属の塊のような女がリヴだった。
肌を近づければ溶けるような柔らかさなどなく、不用意に触ろうものなら、こちらの皮膚まで剥ぎ取らんばかりの攻撃性だ。
冷たく痛い。
そんな彼女の、すぐ向こう側の演技はまるで女優だった。
引き込まれそうな彼女の声だったが、向こうの空気は引き締まったままだった。
突然、不自然に現れた外国の女への警戒心と、リヴの演技力が対峙する。

「ご存知の通りバシスは壊滅状態です。カリムナは消失、バシスは構造物も体制も崩壊。ほころびだらけの中を入り込むのは実に容易い」
嘘はない。

「我々はあなた方に害を与えるつもりはありません。目的はバシスの現状を確認し、事実を本国に持ち帰ること。そして」
身振りを交えて、相手の緊張をほぐすように間を取りながらゆっくりと語る。

「カリムナと接触のあった異人の足跡を追っている」
リヴの話が途切れたところで、クレイも壁を回り込んで姿を現した。
リヴの斜め後ろ、入口から僅かばかり距離を取ったところを定位置にした。
入口を固めたら相手が警戒するだろうと無意識に計算したが、目の前にいる老人は素早く動けそうにない。
砂と日差し、乾燥から身を守る長いローブに包まれた老婆だ。
まるでその場に根が張ったかのように、逃げるそぶりもこちらに立ち向かうそぶりもない。
怖気づいたわけでもないのは、眼光と気迫だ。
目はギラギラと若者のように熱を帯びた光ではなく、奥から発せられるこちらの息を止めるような重く鈍い光だ。
正確にこちらの意図を推し量り、無駄なことは一切口にしないと己に課し引き結んだ枯れた唇。
隣には細く幼くか弱い子供が老婆に張り付いていた。
緊迫した雰囲気に女児は息を殺していたが、指先は震えることもなく老婆を守ろうと支えていた。
彼女の目も聡明で、こちらは磨き上げた宝石のように澄んでいた。
土埃で汚れてくすんだ綿のローブだったが、身綺麗にしていて臭いも不快感もなかった。
彼女たちはここで生活をしていた。

「突然、家に上がり込んで申し訳ない。先に申し上げておこう。我々はバシスとは関係のない第三者です」
ウエストバッグからパックを二つ外して、煉瓦を積み重ねただけの卓上に置いた。
ソルジス入りする際、国境で現地調達した携帯食だ。

住居にしては不思議な造りだ。奥まった道に面しているが商店の店構えにも近い。
住居のような密封感がなく、窓にガラスも嵌っていない。
日よけの布は機能を果たしてはいるももの、どこか粗雑。
住居のそこかしこからこの二人の関係性が見えてきそうだが、祖母と孫というにはまだ違和感が残る。

「勝手に踏み込んできてよくしゃべるな」
「ここにきてしばらく話ができていなかったので、つい饒舌になりました」
口元をほころばせたのもリヴの演技だ。
話に飢えているだと? 用がなければ数十年でも沈黙していそうな鉄の女がよく言う。
普段との落差に、クレイはおぞましいものを見ているかのように鳥肌が止まらなかった。

「カリムナにも興味がない。その血族が、逃げのびようが死んでしまおうが」
この一言に老婆の光が微かに沈んだのをリヴは逃さなかった。

「金銭や情報の等価交換ではなく、思い入れや感情を重ねてしまうから心が揺らぐ」
演技の衣装の下で、冷たい刃を時折覗かせる、この気持ち悪さと居心地の悪さと言ったらなかった。
会話が成立していない生ぬるい空気の中、クレイには何もできない。
ただ状況を観察するだけだ。
服の下で老婆がようやく身じろぎした。

「異人か」
それを知ってどうする、とは老婆は聞かなかった。
老婆が言葉を飲み込んだからだとクレイは思ったが、耳飾りに模したインカムから流れ込んでくる情報を受け取り見解を修正した。
こちらが情報を受け取ったあとのことなど、老婆は興味すらないのだ。
リヴの等価交換の意味が今飲み込めた。
情報の売り買いこそ、彼女の糧。
彼女は情報屋だ。

「私たちが最後の客となるだろう」
クレイが踏み出しリヴに並ぶ。
その間もつらつらと情報が一方的に耳に送り込まれてくる。
ディグダの調査網は厚い。
潜入した国内外の委託調査官がバシス・ヘラン崩落前から集積した細かな情報の欠片を継ぎ接ぎし、人格やストーリーを組み上げる。
その一片が、右から流れ込んでくる。

「何がほしい」
何を求めてここに来た、老婆は問う。
ようやく本題にたどり着いた。
乾いた声が、乾ききった空気を割いて耳に響いてくる。
掠れているのに妙に通る声だ。
まるで物語を語って聞かせるかのように、深く心地よくすらあった。

「神門(ゲート)と言って、理解できるか? ここでは、ヘラン内に存在する」
「理解している」
そこから続いたクレイの話にも老婆は黙ってついてくる。

「神門再動のきっかけとなったのが、カリムナへの訪問者だと私たちは結びつけた」
「知りたいのはその訪問者とやらの情報か。どこから来て、どこに行ったのか」
低く、長く息を吐くように、老婆はクレイの言葉を噛み締めている。

「いいだろう、情報を譲ろう。だが、金は要らない」
老婆はゆっくりと首を回らせた。
どこに金を使う場所があろうか、と言葉を飲み込んで目を細める。

「代わりに何を求める」
「約束を、ひとつ」
老婆は枯れ枝のように血の抜けた指を折り曲げ、少女を傍らに導いた。

「この子を送り届けてほしい」
搾り出すような声はただ老いだけのものに聞えなかった。
安っぽい演技でも哀願でもなかった。
平静を保とうとする中に潜んだ、隠しきれない本心。
他者への共感性が発展途上のクレイであっても、胸に届いた。
純真な、最後の願いだ。
最後となるだろう客への賭けでもある。
棄てられた街で、街とともに朽ちていく身で、少女とともに埋もれていくばかりだった。
老婆が交わそうとしている約束も、履行されるか見届けるすべもないだろうに。

「承知した。契約しよう」
クレイは即断し、その後でリブに確認の視線を振った。
他に選択肢はないだろう、という意味も含めてだ。
交渉という段階でも、余地もない。
むしろ、老婆の方が大いに分の悪い取引だ。
首を横に振らないのが了承のサインとみて、クレイは老婆に向き直り頷いた。

「場所はこの子が知っている」
「その通りにしよう」
クレイの返答を聞き届け、しばし彼女の瞳の奥の真偽を値踏みした。
クレイにとっては重く長い時間だった。
胃の上のあたりが締め付けられるように痛む緊張は久々だ。
老婆の賭けが、それだけ重いということだ。
その後、細く長く老婆は細く長く息を吐いた。

「水が枯れたら人も枯れる。人は水を求めてここを去った。去れずに残ったものは朽ちた」
わずかなことだ、わずかの時間だった、と老婆は奥歯の中で言葉を噛み締め口にした。
最後の言葉を、この場に居る、ここに訪れた最後の人間たちに伝えたいのだろう。
魂の最後の煌きのように。

「人も、人が造ったものもみな最後は土塊と還る」
今も街は土に埋もれていっている。
人が流れていた通りは砂塵が敷かれ、賑わって鮮やかだった店の暖簾は破れ風に攫われた。

「あの娘の言った言葉は真実だったね。カリムナを失い、崩れていく運命となった」
「娘?」
老婆の言葉をクレイが拾い上げる。

「カリムナには双子の姉がいた」
淡々と話す老婆のその先を、クレイが促した。
その姉はどこに。
一見、クレイたちの求める情報とは関係がなさそうだが、老婆の独り言とも聞き流せない圧力があった。

「逃れてどこかに。その娘が、お前たちが探している異人と行動を共にしていた」
「ここに来たのか?」
「いや。来たのは娘一人だ」
前のめりになりかけた姿勢を正し、クレイは壁際に三歩歩み寄った。
話が緩やかに湾曲し、クレイの緊張も幾分和らいだ。
窓の下に渡してある木の板に腰を下ろす。
板の上に手のひらを乗せたが、触り心地が予想に反して滑らかだ。
砂埃に巻かれているかと思ったが、この家に住む少女が掃除を欠かさないのだろう。
少女をクレイたちに預けるということは。
クレイは水を運んでいた少女を尾行したときのことに立ち戻った。
少女を手放すことは、老婆の死を意味する。

「異人をバシス・ヘランに引き入れたのが、その娘だ。カリムナの姉、彼女は異人と行動を共にしていた」
「カリムナが消失して以後、姉は逃れた、だったな」
「異人は私のもとへは来なかった。カリムナの姉とは行動を別にしている」
ここまでか、とクレイは次の言葉が継げなかった。
足取りは途絶えた。

「だが、追手がかかっていた。カリムナの消失、バシス・ヘラン崩壊に関係しているとみたのだろうな」
実際、バシス・ヘランの最奥、カリムナに関わることの仔細は外へは漏れ出なかった。
カリムナの側近は、歴代でも稀にみる厳選された僅かな人間だけだった。
老婆の話は続き、追手でも手練れの刺客が放たれたという。
隠密行動だが、老婆の情報網の方が上手だった。
国境までの足取りは掴めた。
異人は、神門を再動させただろう人間たちは隣国に逃れた。

「もうひとつ。異人は遠い島国の訛りがあったという。デュラーンという国を知っているか」
クレイは地理が得意な方ではないので、ここはリヴに頼る。

「小さいながらも国力のある国だと認識しております。その隣国、海軍力に富んだファラトネスと親和していると」
端的に説明を加えたリヴの脳内では世界地図が広がり、まさにデュラーン・ファラトネスが印されているのだろうと、クレイには透けて見えるようだった。

「人数や、風貌は」
「三人だ。男が二人、女が一人。なかなかにいい意味で目を引く者たちのようだ。下世話な話になったが」
リヴが身じろぎしてから、老婆の言葉を柔らかに否定した。

「情報は多い方が良いです。かの諸島の人間たちは、風貌に定評のある話を耳にします」
それでいて、足跡を辿るのが困難なほど、悪目立ちする動きはない。
各地でうまく溶け込んでいるようだった。

「カリムナの姉の足跡は」
「私は彼女をこの街から出しただけだ。彼女が抱えたいかなる情報も知り得ない」

最後に、とリヴが言葉を置いてからひとつの提案を出した。

「その子とあなた、ふたりをディグダで保護することも可能です」
老婆は情報の、まさしく宝庫だ。
無理矢理に情報を取り出すような強引なことはしないまでも、協力を仰げれば何かしら解決する事案もあるかもしれない。

「交換条件は変わらない。この子をこの子の望む場所に連れ出すこと、それだけだ」
低く強い声、強い意志だ。

「私は情報と共に生きてきた。情報の流動、循環が途絶えれば腐り朽ちるだけ。それだけのことだ」
「承知しました。では約束の通りに」
リヴは片手を差し出した。
その手に幼い娘を招き寄せる。

「よろしいですね」
リヴの確認に、娘はリブを見つめ返した。
透き通った聡明な目だ。
自分が何をすべきか、突然だろう事態を把握している。
一人で見知らぬ異国の人間に引き渡されるこの瞬間、恐怖と不安に震えすくみそうだが、気丈だった。
この街に未来はなく、選ぶ道はこの老人とともに朽ちるだけだと分かっていた。
同時に、老人がそれを望んでいないことも理解できている。
老人と離れたくない、孤独で不安な感情と天秤にかけて、理屈としての最善を選んだ。
老人が選んだ人間、指し示した道筋を信じることにした。
それを、老人と異邦人とがやり取りしている数分の間に決断した。

リヴの手を取り、老人へ振り返った目が揺らいだ。
泣けば崩れる。
縋れば、すべてを壊してしまう。
もしものことがあれば、と聞いていたその地へ。
その手順の通りに。

ひとつ大きく深く息を吸い、ゆっくりと吐き出しながら、この地の言葉で老婆にささやいた。
さようなら、ありがとう。

クレイが老婆に礼をし、娘の背に手を当てた。

「もういいのか」
クレイの声に、娘は唇を結んだまま小さく頷き、リヴとともに歩き出した。

「物分かりが良すぎる生き方というのも悲しいものだな」
まだ幼いというのに。

「そうでないと生きられない。そうしないとすべて失くしてしまうとしたら」
あなたは? 少女の目はクレイを見上げた。












go to next scene >>>

<<< re-turn to one world another story
        or
<<<<< re-turn to top page

















S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送