Ventus  195










乾いた大地が赤く燃えている。
太陽の熱を土が吸い込み、孕んだ大地の上を二人は渡っていた。
日は随分と傾いたが、熱はまだ吹き飛ばされそうにない。
大と小、縦に長くなった影から少し距離を置いて、もうひとつの影も速度を落とさず続く。
砂地には嵐が起こると言う。
その前兆、空気を肌で感じ取れる現地の案内役との契約は、次の町に行き着くまで効力があった。
町に辿り着くも、町と外との境界を見失うほど、枯れ果てていた。


人気が無い。
人がいないと街は砂に埋もれ、飲まれていく。
人の力とは儚いものだ。
いや、ここもまた、カリムナの恵みに守られた地だった故にか。

ヘランの中枢にいたカリムナは、神の代理人かのように、大地に恵みをもたらした。
まるで井戸から組み上げた水が各所に行き渡るように、カリムナが統べる世界は潤っていた。
そのソルジスは、ヘランという都市が統括していた町々は、今や静かに崩壊の一途にあった。

ディグダという、ソルジスとはまったく異なる文化圏からの来訪者からすれば、カリムナの能力とやらにも懐疑的で驚異を感じていた。
始めはそうだった。

だが、今しがた神の存在に触れ、知らない現実が目の前で扉を開いた。
消えたはずの神がいた。
史実では、この神殿の神は消滅していた。
史実が偽りか、再動が真実か。
この地を踏んだ異邦人にさえ出会えれば、少しは靄が晴れるはずだった。

「確かにここは乾いた土の街でした。それでも人が行き交い、物も流通していた。水路には水が満ち、喉の渇きを覚えることが無かった」
そのはずなのに、と案内役の女は乾いた唇を震わせた。
歯が口の奥で鳴っている。
俯いた顎からは、額に浮いた汗が流れ落ちて地面に小さく染みを作った。
寂れた街ほど物悲しいものはない。
人のいた形跡があるほど、痛々しいものだ。

「バシス・ヘランを去った異邦人だって補給はしたはずだ。痕跡があればいいが、聞こうにも人がいないとは」
石畳が砂に融けつつある道を、砂を潰しながら歩いていった。
石の塀、奥にある土壁はまだ堅牢だったが木の扉はかすかに開いていた。
一軒一軒、誰かいるか? と民家を開いて回らなくとも、人の動きがないのは良く分かった。
案内役の女も、すでに契約は終えているが、言葉もないまま並んで歩いていた。

「いくつか水場があったはずです。水袋に補給しましょう。手持ちはそうないでしょう?」
案内役の声に、リヴが鞄に下げていた水袋に手を添えた。

「枯れてないといいですが」
リヴの目は乾いた水路を辿る。

「そう願います」
食事は期待できなくとも、せめて水だけは手に入れたい。
カリムナを失ってから、バシス・ヘランはもとよりソルジスの一端が崩れかけているという話は聞いていた。
しかし内情がこれほどとは、予想を超えていた。

老は内情だけを懸念していたわけではない。
近隣諸国が、脆弱なその一端を落とそうと良からぬ動きをしているのを読み取っていた。

バシス・ヘランは統治している街々の政情不安の払拭と外交を、次代カリムナを立てることで抑え込もうとしていた。
カリムナがカリムナの力を有するが故に、すぐさま代替要員が立てられるはずもなかった。
バシス・ヘランは血眼になって、カリムナと思しき人材をヘランにかき集めている。

「カリムナの姉とやら。現状を見なくて、あるいは幸いだったのかもしれない」
カリムナの暴走と同時期に亡くなったとされるカリムナの姉。

「バシス・ヘランは血の繋がる姉を真っ先に捉えるだろうな。力は、あったのか? その、カリムナとしての素質は」
「さて。詳しいことは」
「カリムナの姉は、本当に死んだのか」
その問いかけに、微かに案内役の眼球が揺れたのをクレイは見逃さなかった。
表情は意識で固めても、目は嘘をつけない。
だがこれ以上案内役を追及しても、彼女は一切口を割らないだろう。
カリムナの姉は、逃れたか。
異邦人とともに、か?
しかし、バシス・ヘランが未だカリムナの姉の身柄を拘束していないとなると、ディグダの二人が探したとしても見つからないだろう。

捨てられた街の中に立ち尽くした。
情報が得られないにしてもひとまず水を補給したい。
人々が去って何年も経たないであろうに、完全に土に没していた。
広場の水場に蛇口があったので捻ってみた。
諦めていたが、どこから引かれているのか蛇口からは赤褐色に濁った水が力なく落ちてきた。
土と錆びの混じったような臭いがした。
飲めたものではないので、しばらく流したまま陽に焼けた広場を見回した。
カリムナの恵みとやらが途絶えてからの衰退を想像しようと、人の栄華の残骸から辿ってみた。
水が絶え、木々は枯れ、物流は途絶えたのか。
あるいは病も流行ったかもしれない。
それにしても人が拭い去れられたかのように消えている。

アミト・ヘランと同じです。
隣に立ったリヴがクレイの頭の中を覗いたかのように答えた。
利用価値が無くなれば、カリムナが去れば都市を捨てる。
新たな地を目指す、それがこの地に生きる者の生きる術。
違いますか? と、リヴは案内の女に問いかけた。
人が流れなくなると街は乾く。
街は静かに死んでいく。

「故郷を捨てられるのですね」
簡単に、という一言をリヴは飲み込んだ。

「富はカリムナが齎し賜うもの。カリムナに我々は命を繋ぎ止めていただいているようなものです」
カリムナに依存している事実。
この国ではカリムナなくしては生き辛いのもまた現実だ。
カリムナの手が離れた土地で生きてはいけない、ゆえに人はカリムナの恩恵を求めて新たな地を求めた。

「芽吹くはずの新たなカリムナは立ちそうにないという。人はどこにいくのだというのか」
靄に包まれたカリムナという存在をクレイは思い描こうとしたが、掴めなかった。

「一回りする」
そう言い残し、二人に背を向けたクレイが歩き出した。
空気は乾燥しているが、熱波は襲ってこない分まだ動きやすい。
砂埃には辟易して、風が吹くたびに口元にフードを寄せた。
石階段を踏みしめるようにゆっくりと登っていく。
靴の裏ではじりじりと砂粒が砕けていった。
なかなか興味深い廃墟群だ。
建物の入り組んだ作りはディグダクトルのスラムに似ていなくもないが、空が仰げる解放感が違う。
土壁に手を触れれば、日差しを含んだ熱が手のひらを焼いた。
やはり人影はない。
たまに虫が地を這うくらいだ。
住居に埋まった木戸のほとんどが開いていた。
どこかに公共の水場があるはずだと聞いていたので、左右に注意しながら進む。
階段を上り切り、広場に出ると隅の方にブロックで固めた半円状の台が見えた。
近づいてみると給水口がある。
以前は両手を出せば簡単に掬って飲めるほどの勢いがあったのだろうが、目の前には今にも絶えそうな細い水の糸が水場を湿らせている。
かろうじて水は通っているが、さて飲めるのか。
そういえば、とクレイはウエストバッグのポケットから棒を取り出した。
ペン状の器具の頭の部分を押し、水に尻を浸した。
数種あるメモリが、水銀温度計のように色を表した。
期待はしていなかったが、水質的には問題なさそうだ。
水筒を取り出すと、給水口の下に寄せた。
目は次の目的地を探す。
珍しい風景を目にできたので、クレイ個人の経験値的には得るものがあった。
無駄足だと嘆くつもりはないが、上司が望むような収穫は乏しそうだ。


カリムナは秩序。
この地に安寧をもたらすもの。
いわばあらゆるものの弁たる役目であり、あらゆるものを行き渡らせる配分者。
カリムナを幹として、根が張る、満ちる。
漠然としたイメージながら、本当にそういうものが存在するのか疑念を混じりながらも、思い描いた。
その人でありながら、神に近しいものを失い、だからこそ今この地は傾き始めている。
水も土も枯れ、それだけでなく獣(ビースト)、この地では異形と呼ばれるものたちが蔓延るというが。
カリムナを失い、あらわれるはずの獣(ビースト)は、その発生源たる神門(ゲート)からは出現していない。
神門がその機能を取り戻したからだ。
再動を始めた神門。
一度死んだゲートは生き返らないはずだが。

ふっと、思考を止めて水筒に目を落とすと、口から筋を垂らしていた。
指先に伝っては落ちる。

死んだものが、生きる。
再動する。
キーとなるのは、異邦人。

「冷たい」
細々と湧いて出る水は、指先に心地いい冷たさだった。
水筒を腰に提げ、両手で水をすくって口に運ぶ。
熱を帯びた首筋から背中まで、仄かな冷気が抜けていくように爽やかだった。
数口、喉を鳴らしてから顔を持ち上げる。
またふらりと続きの階段へと足を向けた。
乾いた景色は変わらない。
だが、どこまで続くかわからない細道を上っていこうという気力は充填された。
何かを見つけようという目的よりも、ただ漠然と、まとまりのつかない思考の断片を抱えながら足を動かしていた。
中層あたりまで歩いてきただろうか。
腰あたりまでの壁に片手を乗せて、先ほどより少し広い広場から歩いてきた蛇行した道、重なり合う建物群を見下ろした。
リヴたちは下層あたりを探索しているのだろうか。
人がいて、物が動き、豊穣であったころのこの場所は、さぞかし心地いいものだったのだろう。
抜けていく風にクレイは目を細めた。
風が砂埃を含んだ髪を持ち上げる。
リヴほど長くなくまとめきれない、肩より少し上で切りそろえられた黒髪が鼻先を掠める。
視界に入るので指先で絡めとり、耳へとかけた。
遠くまで来たという実感が、胸のあたりに滲むのは音の乏しい場所だからだ。
いや、それが本来の世界なのかもしれない。
生きてきた場所が、雑音が多すぎただけなのだ、きっと。
風が吹くたびに、風の中に溶けているものをいつも探してしまう。
何か、とらえきれないものを。
希望、思い出、はっきりとは言葉にできない曖昧なもの。
かすかな痛みを伴うもの。

ざらりとした、違和感を耳が拾った。
思考の断片が、いくつかのピースが噛み合うような、かすかな音がした。
息を少し飲み込み、腹に押し込んでから視線を背後に滑らせた。
なるべく空気を揺らさないように歩いたのは無意識だ。
クレイの中のモードが切り替わったのも、自分では気づかなかった。
壁伝いに、アーチ状の窪みを目指す。
陰になった奥には広場から上層へ向かう大階段とは別の、小さな細い階段が伸びていた。
確信ではなく、どちらかというと好奇心に近い。
緩やかな勘が示すまま、一段目に右足をかけた。
人が一人半といった幅の階段は十段ほどで右に直角に折れている。
その先は壁の向うだ。

角にきたところで、耳が今度は明らかな音を捕えた。
乾いた擦れる音。
衣擦れか。
左だ。
視覚的には何も映らない。
気のせいと聞き流せるほどのかすかな違和感だ。

住居だった壁に嵌る木戸が開いている。
今まで通ってきた道で見た光景と変わりはないが、階段途中の角に背中を密着させた。
角を回り込んで階段はまだ続いている。
十段ほど向う、しばらく動かない木戸を観察する。
数十秒見つめていた、クレイの目の前で木戸が揺れた。
思わず体から持ち上がる熱と警戒心を、腹筋で抑え込んだ。
木戸の隙間から細い影が滑り出し、幸いなことにクレイとは逆に、階段を上っていく。
リヴに報告すべきだろうが、端末を取り出す動作が惜しい。
顔を伏せれば見失いそうだ。
軽装だったことから見るに、どこかに拠点があるはずだ。
何者か、性別、年齢、目的などの特定は今はいい。
今は尾行に集中する。

距離を保ちつつ、見失わないよう視覚と聴覚を鋭敏化させる。
どこかの脇道へ、あるいは住居へ身を隠されたら終わりだ。
入り組んで迷路のような地形では自分の居所すら危うい。
対象が角を曲がれば、距離を詰め壁に身を寄せて息を細くする。
その繰り返しで、背中を追っていた。

何度目かの角を曲がったところで、軒に影は滑り込んだ。
あそこか。
初めて掴めた確信の根拠は、人が生きている空気だった。
かつて商店の寄り集まっていた場所から、人と物が消えれば寂れた雰囲気はより濃厚になるが、その軒の一角には温もりのようなものを感じた。
人が歩いて滑らかになった地面だろうか、壊れて崩れた屋根板を傍らに立てかけてある風景か。
分析しきれない感覚のまま、クレイはリヴに通信を繋いだ。












go to next scene >>>

<<< re-turn to one world another story
        or
<<<<< re-turn to top page

















S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送