Ventus  194










生きている。
クレイは何とも表現し難い感覚を、その一言でしか言い表せなかった。

この柱は。
いや、この空間は静かに、息を潜めるように脈動している。
クレイは半歩後じさりする。
視界の片隅に入ったリヴの横顔は、唇が微かに開き、目は前方の一点で固まっていた。
「獣(ビースト)が、いない」
クレイが沈黙を割った。
獣(ビースト)が溢れるその神門(ゲート)にすら残骸がほとんどない。
ヘランの建物が獣(ビースト)を封じ込め囲っているのではない。
神門(ゲート)が獣(ビースト)を押さえ込んでいる。
再動はほぼ間違いないとみていいだろう。
問題は、その原因だ。

「いつから獣(ビースト)を見なくなった」
「ご覧の通り、周囲は砂漠。しかも巡廻士が魔石を置き換えたばかり。時期を特定するのは」
巡廻士以外にここに入り込めた人間は。

言いかけてクレイは質問を変えた。

「巡廻士は一人で行動していた?」
「そうです。いつも、一人」
言った女の言葉尻が濁った。
隠し事の苦手な女だ。

「巡廻士が最後の巡廻を終えた日のことを覚えているか」
「最後?」
女が動揺している。
寒そうに身を硬くした。

「崩壊のはじまりを、覚えているか」
ディグダが集めた情報を逆に辿っていけばよかっただけだ。

「そこにいたもの、ここにきたもの。あなたは何を見たのか」
「バシス・ヘランには、見知らぬ者たちが。ラナウさまとラナエさまに導かれて留まりました」
「どこで出会った」
「分かりません。何もお聞きしません」
「ではどこの人間か」

「異国の訛りがありました」
「風貌は」
だが女は口を閉ざしてしまった。
クレイがいくつか質問をするが、黙したまま動かない。
そもそもが彼らディグダの人間をここまで案内するのが彼女との契約だ。
彼女が過剰な情報まで漏らす必要はない。

「私たちはその異国の者を捉えてどうしようとは思っていません。あなたも何を話す必要もない。ですが」
言葉を切ってから、改めて足元を確かめるかのようにリヴが切り出した。

「あなたがその異国の者というのを庇っているかのように見えて」
「変に隠して相手の腹を探ろうとするから要点が見えてこないんだ」
珍しく強い口調で二人の間をクレイが叩き切った。
声を高くするのは珍しいが、話がややこしくなると一気に地ならしを行うのは彼女のパターンでもある。

「ヘランはカリムナの側近だとかいう男の罪として国内を治めようとしてる。じゃないと先に進まないからな」
バシス・ヘランには時間がない。
カリムナを失った国民の不安を抑えつつ、ヘランを立て直さなくてはならない。
バシス・ヘランを崩壊に追いやった犯人を立てて事態を収拾させる。
そして次の段階である、次期カリムナを早々に見つけなければならない。

「私たちはその側近の男が企てた事件だとは思っていない。カリムナへの歪んだ愛情だと? そうは思えない。じゃあ真犯人は誰か」
クレイの一人舞台に誰も口を挟まなかった。

「そもそも真犯人などいるのか? と私は思うが」
誰もバシス・ヘランを破壊し、利益を得る者はいない。
カリムナは死に、異邦人は消えた。

「ディグダはその異邦人が関係していると見ている」
異邦人にも、バシス・ヘランを破壊して得る益が見えない。
異邦人の介在を否定はしないと女の目は静かにクレイを見据えていた。

「彼らは巡廻士とともに来た。そこまでが私たちが得ている情報だ」
「よく、お調べになったこと。どこまで筒抜けなのか、ヘランの機密性も脆弱なものですね」
「カリムナの姉妹の連れだからすぐに受け入れられた。問題は、取り入ったのか、取り込まれたのか、彼らはそこで何をしたのか。彼らはヘランに何の影響を与えたのか。つまりは彼らは、何者なのか」
「知ってヘランを、神門(ゲート)をどう守るというのです」

「死んだ神門(ゲート)が生き返る。彼らがその再動に、あるいは何らかに関与していたのならば」
声は密閉空間の神門の間に響く。
声の反響するせいか、空気が流れないせいか、酔ったように頭の芯が熱くなるのをクレイは感じた。
心臓の音が、太鼓を打ち鳴らす振動を受けているかのように重く響く。
高揚していた。
あるいは、共鳴していた。

「彼らの消息は? カリムナの側近の男と側女たちは三人とも亡くなったと」
「三人の側女は生きているかもしれません。いえ、それも可能性は薄いか。追っ手が出ました」
「追っ手? 消すためか」
「湯女の存在はご存知で?」
「カリムナに極近しい側女だと」
「何でも、ご存知なのですね。恐ろしいこと」
微かに目を伏せた女の目蓋は、ほの明るい灯の下でも血の気を失い青白いのが分かった。

「カリムナの身の回りの世話をする者、湯浴みから何から。そしてカリムナの秘密を握る者とも言われています」
「秘密」
「秘密ですから、私にも分かりません」
普段滅多に人前に現れぬ湯女が、ふとした瞬間に視界の片隅に入った時、ぞっとした。
眉を反り落とし、何かを塗りたくったかのように白い顔。
無表情の顔に口は引き結ばれている。
痩身の白装束は清らかさより畏怖を感じさせた。

「湯女は口を利きません。舌を切りとられたからです」
「罪人か?」
「正体は不明です。知っているのは、彼らは恐ろしいほど戦闘能力が高いということだけ。訓練されているのです」
その彼らが、逃げた異邦人と側女らを追った。

「湯女の他にも、追手がいくつか出たそうです」
「追手というのは戻ってきたのか」
「後の追手は戻って来ていたようです。湯女は人前に姿を見せませんので、彼らが戻ってきたのかは定かでは」
「生死は不明、か。彼らが逃げた方角は。何か手掛かりはあるか?」
「知りません」
そこで言葉を切り、彼女は神門(ゲート)に背を向けた。

「本当に?」
クレイの声が反響する。
彼女は軽い頭痛を覚えた。
部屋に圧迫感を感じる。
頭の芯が焼けるような熱は強くなっている。
まるで酒が入ったかのように酩酊する。

何かが、おかしい。
いや、ここは神門(ゲート)。
神の空間だ。
人間の身で何が起こっても不思議はない。
神はヒトを異物とし、排出しようとしているのか?
何にせよ、ここから早く出なければ。
踏み出そうとする足が重く動かなかった。
空気の異様さを感じ取ったリヴが入口へと体を向けた。

「待て」
額を抱え、顔色が悪いクレイに気付いたリヴが彼女を脇から支えた。
だがクレイはバランスを崩し、左手を床につく。
手の下に固い石の感触があった。
体が熱いのか、あるいは地面が。
手を退けてみると、白い破片が散っている。
残骸を追って背後を振り返った。

聳え立つ柱、再動した神門(ゲート)。
そこに粒子が舞っている。
まるで湯船から立ち上る湯気のように、大気中を踊りながらしかし、一点に集中しようと絡み合っているようにも見える。

「神、か」
粒子の流れが一瞬勢いよく流れる。
そこに、いるのか?

クレイの言語を理解して、反応したかのようだ。
しかしまだ、言語を出力する気管は形成されていないようだった。

「消滅したはずでは?」
粒子が瞬く間に、密度を濃くしていく。
急速に寄せ集まり濃い雲と化した。
気体が、存在が、具現化していく。
粒子の塊は白く、時に静電気のように煌めきながら自在に姿を変える。
突起が徐々に尖端を伸ばし、白濁した蔓となって、地面を這った。

破砕された神門(ゲート)の破片を辿りながらクレイの手から肩へと伝っていく。
不気味さと恐怖とで硬直した体は逃げることも抵抗すらもできなかった。
呻き声一つ、筋肉一つさえ動かすことは叶わない。

クレイは目を見開いたままされるがままに頬を撫でられた。
触感はなかった。
ただ、粒子が這う場所が、火で炙られたように熱い。
こめかみから熱せられたかのように、頭蓋骨のなかで沸騰しているかのように、脳が、視界がスパークしていた。

何を、しようとしている?
何を、されている?
奇妙な光景にリヴも全身が金縛りにでもあったかのようにその場から一歩も、指先一つすら動かせなかった。
動くな! と命じられでもしたかのようだ。

まるで無防備だった。
私の体に、なにをしようとしている?
撫でられている間、意識しない涙がただ目に溢れ、体中の水分がそこから流れ落ちるように溢れては顎から滴った。
嫌だという拒否感も、抵抗も奪われたように何も感じない。
ただ受け入れることしか、自分という存在が器でしかないように感じた。
殻の中はすべていまや神の手中にあった。

神の粒子は、クレイの首へ、顔へと流れて、そのまま全身を這うと満足したかのように胴体から地面へと下がり、伝って再び拡散した。

「出ましょう」
リヴが、茫然と、ぐったりと肩を落としているクレイの腕を強引に引き揚げた。
彼女の額には汗が浮き、クレイの腕を掴んだ左手はじっとりと湿っていた。
リヴは半ば引き摺るようにクレイを、そして重い自分の体も入口まで引き摺って歩いた。
リヴは彼女の価値観を今、破壊されつつある。
畏怖、それこそが神の存在を認めた本能であり、証明であった。
そこに神がいる。
ここは神の領域だ。

そして、彼女は自分がヒトであることを自覚した。












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