Ventus  193










薄暗い遺跡の中にはクレイとリヴが想像したほど空気の濁りは感じなかった。
猛烈な砂嵐の中、地面に噛り付くように建つ遺跡で、風が抜ける窓があるほうがおかしい。
密閉空間で、当然空気が埃っぽいなり、あるいは腐臭がしたりなどが当然だろうと思っていた。
未知の方がはるかに多いこの場所で、個々の疑問を取り上げて解決しようなどとは思わない。
一々立ち止まっていては先に進まないので、先を行く案内役にぶつけたい質問を呑み込んだ。

「以前はそうそう踏み入れられるような場所ではありませんでした。訪れるのは巡廻士と呼ばれた限られた人間だけ」
ソルジスの人間はみな、この場所を畏怖し近寄らなかったという。
彼らが異形と呼ぶ、獣(ビースト)が現れるからに他ならなかった。
踏み荒らされていないのもそれが理由だった。

「巡廻士の役目は、アミト・ヘランの異形を抑えること」
「方法は」
「術は巡廻士から巡廻士へと継がれる門外不出の法。同じカリムナに仕える身であったとしても、私たちには知りえない術でした」
「それは過去のことでしょうか」
「ええ。秘されたアミト・ヘランは開かれました」
なぜただの側女だった女がアミト・ヘランに踏み込んでいるのか。
妙に慣れていたのも気に掛かった。

灯りに深い溝が照らし出されている。
一点から放射状に、蜘蛛の巣のように彫りぬかれた溝の意味するところをクレイは知らない。
美しい模様のようにも思えた。

「私はカリムナ消失の事件とともに巡廻士も消失してしまって以降、ここには度々訪れるようになりました」
ここから異形が這い出せば周囲の町が脅かされることになる。
バシス・ヘランに、世の平安と豊穣を祈るカリムナに仕えた身である以上、カリムナが消失してしまっても意思は紡いでいきたいと思った。

「不思議なのは、私がここの扉を開けてから一度、人が立ち入った気配を感じたこと。もう人影は消えていたけれど」
荒らされた形跡はなく、何を奪われたでもない、それが引っかかっていたのだと彼女は言い、意味あり気にリヴを一瞥した。

「そして不思議。カリムナは消えたのに、ここは驚くほど穏やかな空気が流れている」
「異形に襲われる心配は」
リヴがいると本当に話が淡々と着実に進む。
リヴは必要なことだけを聞く。
味気も素っ気もないインタビュアーより面白みのない質疑だったが、幸いソルジスの女は寛容だった。

「ご覧の通り。異形は出ていません。それが、不思議の理由」
なぜとは聞かないで、と先に女が制した。

「それを調べにあなた方はきたのでしょう? あなた方は仕事をなさって」
あなた方はヘランを破壊するつもりで来たのではないから、力を貸すのだと彼女は言う。

蜘蛛の巣のような通路を縦に並んで歩いた。
中央がカリムナの座であった場所だ。
薄絹の天蓋を吊るしていただろう留金だけが残っている。
空虚な座を見つめながら、女は言った。

「たとえ主を失おうとも、腕が傷つこうとも、私はヘランに生きます」
ここに在り、祈るように、誓うように彼女は宣言した。

「恨んではいないのか」
クレイが口を挟んだ。

「恨む? 何をです?」
「カリムナを」
「恨むなど。私はヘランに生きた、私がそう生きようと願った。これはすべて私の選択なのですから」
怨恨は逃げれば逃げるほど追ってくるものだと彼女は言った。
誰かのせいにし、なすりつけても、重い心はより昏く、闇は己を蝕んでいく。

「何かを恨んでも楽にはなりません。怨恨は足に絡んで鈍るばかり。やがて身動きすらできなくなります」
「前向きだな」
「そうしないと生きていけませんから」
「あなたの目的を知りたい」
クレイが口にしたのにリヴは驚いた。
相手には相手の事情があり、立ち入るべきものではない。
彼女の情報を金銭で買い取った。
それだけの関係だ。

「ビジネスで参りましょう」
冷やかに突き返される、と思った。

「などとは申しませんよ」
口調は温和に、クレイとリヴを振り返った。
松明は煌々と彼女の穏やかな顔を照らす。
女性らしいふっくらとした頬の美しい人だ。
彼女の目は嘘をついていない。

「あたりまえだったことが、そうではなくなりました。何も知らないでいたことが、罪になりました」
かつてカリムナがいたその場所に屈みこむ。

「我々はカリムナにお仕えし、カリムナをお守りしていたつもりでした。でも一番庇護されていたのですね」
冷たい石の座に手を触れ、目を伏せた。

「私の意思は今も昔も変わらない。いえ、そうと知ったときより強くなりました。カリムナが命を捧げたこのヘランを、民を見届けたい」
「カリムナが消失したのは? 歴代のカリムナは力を継いでから座を退くのだと」
「あなた方はどこまでご存じで?」
彼女はディグダの情報力を侮ってはいない。
バシス・ヘランの崩壊から日を開けずにディグダは踏み入れた。
聖地に踏み込まれた不快感はあったが、無礼を受けた跡はない。
違和感が彼女の中にこびり付いていた。
ディグダより正面から今回の取引を持ちかけられ受け入れたのは、直接ディグダに接触したかったからだ。
アミト・ヘランに踏み込んだディグダと取引を持ち出したディグダは同一か?
確認するためにリヴに視線を投げたとき、顔の筋肉は動かなかったが眼球の微動は誤魔化せなかった。
動揺での瞬きに注意がいったからだろう。
側女の洞察力で隠していたカードを暴かれて、リヴのガードに隙ができてしまった。
実力を評価されての派遣だとしても、やはりそこはまだ十代の娘だ。
大人には一歩及ばない。

「あなた方は、カリムナの身に起こったことをよくご存じの様。もっとも、情報源を聞くつもりなど毛頭ありません。興味もありません」
リヴは何も言えなかった。
完全に側女のペースだ。

「カリムナの最後はご存知でしょう?」
「あなたが、知っている話には及ばない」
「ディグダの情報網でストーリーの破片を組み上げてできあがった絵はどうなのか知りたくて。これって契約違反かしら?」
リヴは答えに窮した。
彼女のプライベートの質問に踏み込んだのはこちらが先だ。

「カリムナが自らの意思で、外部勢力を取り込み反乱を。原因は不明と聞いていますが」
「ディグダが調査中?」
カリムナが事を起こした動機も、可能であれば情報を入手するようにと指示はあったが、カリムナの側近はほぼ全滅。
内情を知る者も少ない。

「あなた方はカリムナがバシス・ヘランを放棄したと仰りたいのね」
「ええ。ですが、あなたを見ていると、どうもただ放棄したようにも思えない。外部からの介入というのも気になる」
ヘランやそれ周辺の滞在記録と調査からして、大陸の者ではないのは確かだ。
語学に堪能な者はおらず、はっきりとはしないが、南洋の者のようだった。
それがどういう繋がりか、カリムナと姉妹の繋がりにある巡廻士によってヘランでカリムナの側に置かれた。

「来るべき時がきたのです。線と線が重なってしまった。あるいはそれは必然だった」
「あなたはこうなることを予期していたというのですか?」
「私は元側女。予言者でも何でもありません。ただ、カリムナは幼く、純粋で、苦しげだった。私は何もして差し上げられなかった」
笑顔で朗らかでいようとしていたカリムナ。
その存在は希望、そして光、慈愛の源だった。
幼い姉妹がここに連れられてきた話は聞いていた。
姉妹の片割れは素質が微かに上回っていたためカリムナに、もう片割れは巡廻士となった。
望まない運命の道を歩まざるを得なくなった二人。
引き剥がされた片方はカリムナとして、ヘランの座に縫い付けられたのだ。
限界まで精神と肉体を擦り減らし、豊穣を民と土へと行き渡らせる。
本人の幼い意思などないようなもの。
何とも惨いことだと今になって思う。



夜、見回りに歩いていた廊下で、嗚咽のような掠れた音を耳が捉えた。
音はカリムナの間から聞こえ、足を運んだ。
一人、足を摩りながら蹲るカリムナがいた。
内心驚き慌てていたが心を落ちつけ、そっと帳を開いた。

身動ぎをし体を引き起こすと、いつものように背筋を伸ばし、柔和な顔つきのカリムナがそこにいた。
頬が煌めいていたのは涙か、カリムナの間に滔々と流れる水影か。
しばらく他愛もない話をし、月が高く昇るのを窓に見てカリムナの間を去った。

それからしばらくして、側女のほとんどがその任を解かれた。
それぞれに咎があったわけではない。
処遇もむしろ側女のときよりも良かった。
文句を耳にしたことはなかったが、みな内心疑問を抱えていた。
その中で、彼女だけは知っていた。
カリムナはその痛みを一人で抱え込むつもりなのだと。

「カリムナは孤独に耐えかね反乱者を招き入れた。姉妹を使って」
「そう、読めますね。でもそれは真実だとお思いで?」
彼女はカリムナの強さを知っている。

「カリムナの心はカリムナのもの。踏み込むなどできません。真実も真意もカリムナとともに消えました」
ただ彼女は信じている。
カリムナはヘランを愛していた。

「求めているものはこの奥に」
カリムナの座の奥に、金属の環が壁に埋まっていた。
女は環に手を掛け三度、強く引いた。
砂粒が微かに擦れる音がして扉が開いた。
側女が言うには、ここから先は巡廻士ですら踏み入れたことがないという。

「巡廻士はこの扉の手前で宝玉を嵌めこみ、異形を封じます」
遺跡の深部にまで踏み入れられる巡廻士ですら未踏の場所だ。


長い廊下が続く。
先は見えず果てしない。
微かに傾斜し徐々に地下へと沈んでいく。
振り返ってはならない。
背中にある入り口の小ささに心臓が潰れそうになる。
灯りで地面を撫でた。
入り口で灯した光もここには及ばない。

「体が吸い込まれていくようだ」
クレイは空気の重さに神経を尖らせていた。
その後ろで黙っていたリヴは、ディグダが踏み入れたことのない未知の空間に高揚していた。
獣のような臭いが微かに壁にこびり付いている。
もう少しです、という側女の励ましで壁に半分埋まった、何本目かの柱を潜ると視界が開けた。
中央に青々と蔦が絡まり、そこだけ重々しい息吹を放っている。
乾いた遺跡の中の異様な光景だった。
蔦に埋もれているのは白い柱だった。

「これのことを、あなた方ディグダは何と呼んでいらっしゃるの?」
「神門(ゲート)だ」
その一言ですら禁忌の言葉のように発するのが重く、畏れ多かった。
震えにその場に蹲りそうになる。
それは呆然とそれを眺めるリヴも同じだった。












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